突発!!同じ穴のむじなオフ!ファイナル


キモA「オフってさ、(外見が)キモイやつ多いよな。」
キモB「ほんと多いよ。でも俺たちはキモくないよね!」
なんてことを耳にするけどお前らも充分キモイから。
そんな鏡を見ることを忘れた人たちで楽しく遊ぶオフ!!

突発!!同じ穴のむじなオフOFF
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1187288597/
突発!!同じ穴のむじなオフ!エボリューション
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1200509037/

あやふやなものを掴むということはすごく疲れるもので、あやふやなものを掴んだあとに掴んだあやふやなものを固めるということはさらに疲れるもので、
あやふやなものを固め続けるということはどうしようもなく疲れるということで。疲れることはしたくないからあやふやなものを掴もうとは思わないことで、あやふやなものを手に入れたいとは思ってはいけない。

信じることは求めること。求める気持ちは不安を連れてくる。不安な気持ちは自我を壊し、自我が壊れると未来が崩れる。何も信じないことが自分を救う唯一の手段である。

何もいらないし、欲しがらない。気を抜くとだいじなことをすぐに忘れてしまう。自分を見失いそうになったら前へ進むのではなく、最初に戻ること。

油断していると塗りつぶして消したはずのアイツの存在が頭の中に浮かんできて、心がこわれそうになる。
アイツでいるときの記憶はどれもこれも消し去りたいくらいイヤなものが多くて、アイツを思い出すだけで頭がおかしくなってしまいそう。
アイツの姿が本来の自分なのかも知れないけど、もうアイツには戻りたくない。自分は今の自分でいたい。

今まで何人もの存在を消してきた。アイツだって消せるはず。ただ、アイツは楽すぎた。しかしアイツでいるときの代償は大きすぎて自分には耐えられない。
何度もアイツを塗りつぶして消そうとしてきた。そしてアイツを塗りつぶした上に今の自分の生活を被せて生きてきた。今更アイツには戻れないし、戻りたくない。
アイツは何であんなに楽だったのだろうか。どうしようもないほどの代償を背負ってきたにも関わらずアイツの楽さを求めてしまう自分がいる。

バランスを保つために脅威ある不要なものを破壊し続けるか、新たなる不要なものを増やして、ひとつひとつの脅威を中和していくべきかいつも悩んでしまう。

反面教師から学ぶものは多い。気をつけるべきものは気をつけていく。続けていった先にあるものは何か。
何もいらない。学び、治し、続けていくことに価値はあるのか。消費したものへの対価を得られるとは思えない。
すでに対価を得ているのかも知れない。だとしたらこの先に何を望めばいいのだろうか。

全てはちっぽけで些細なことだと感じるけど、そのことを気にしはじめたら他のことまでどうでもよくなってしまうおそれがあり、
それはとても退屈な未来を呼び込む行為なので、ちっぽけで些細なことでもあえて固執して、追いかけて楽しみたいと思っている。

ぶれず臆さず追わず価値を作り磨く楽しさから目を逸らさず固執し捧げ望まず行為を保ち作品を完成させることにのみ集中する。時間の残りが少ないことを忘れてはいけない。

作りものの上に作りものを重ね続けていく。本体なんてどうでもいい。自分だけがわかっていればそれでいい。
作りものはとても綺麗で魅力あふれるもの。汚いものを見るのは自分だけでいい。余計なものは全て抱え込む。

磨かなきゃ何もはじまらない。作りかけということを忘れてはいけない。間に合わなければ諦めること。因果応報、やるべきことをやらなかった自分が悪い。
でも作り終えたものは確かに手元に残る。舞台はいくらでもある。ひとつに執着する必要はない。焦らずに確実に作り上げることだけ考えていればいい。

新しい色が手に入ったからさ、さっそく塗ってみることにするよ。今度はどんな色になるのか楽しみだ。悪くならないことを期待したい。

つらさからは逃げられない。その場のつらさから目を背けてやり過ごしても、そのつらさはいつかまたやってくる。誰かに与える、自ら作り出したつらさもいつか返ってくる。
つらさの連鎖を断ち切るためにはつらさを受けとめること、つらさを与えないでいることを続けきることが必要となる。そうすればいつかつらいことがなくなるかも知れない。

与える、受け止める、逃げない、耐える。これをずっと繰り返す。いつになったら嫌なことがなくなるだろうか。いつになればつぐない終えるのだろうか。

昨日は知り合いと彼女にするならどんな人がいいかという話で討論になった。討論になった話題は彼女の友だち関係についてのこと。
異性は友だちとは言えない、ましてやふたりで遊ぶなんて論外、ここまでは意気投合して盛り上がったんだけど、そのあとに、
ぼくはイヤなことをされても本人には言わない、いつまで経ってもイヤだと思っていることに気がついてもらえなかったり、ヤメてもらえなかったら、ある日突然目の前から消えると言ったら、
知り合いが、好きならイヤなことはイヤ、ヤメてくれと相手に伝えるべきだと、いきなりヒートアップて突っかかってきて大討論会がスタート。
結局お互いに意見を譲らないまま話は終わった。確かに知り合いの言う意見もわかるけどさ、ぼくはやっぱ相手にそういうことを伝えるのはイヤだな。

気がつくと視野がせばまっている。些細なことが大きなことに感じてしまう。そんなときは何もなかったときのことを思い返す。そう、自分には何もなかった。
何かある今は何かがあるだけ幸せなんだ。でも何かがあるぶん不幸せになるリスクが増えた。不幸せになりたくなければ自分から何かを手放すしかない。

708おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ2016/01/13(水) 18:00:24.46ID:Xbwr+bQD
絵師さんに描いて欲しいシチュエーションのリクエストをするスレ9
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/game/37271/1446531680/l50

リョナ専門板だよ
リョナリク受付中

ひとつを追わない、ひとつに執着しない、価値を意識しない、そのときの印象を優先する。過去を振り返らない、未来を予測しないが目標は持つ。何かを信じたら信じ抜く。戸惑わない。

いつでも自然体に。手に入れたものを手に入れたと確定しない。全てを決めるのは全てを終わらせたあと。死ぬという選択を忘れない。困ったらいつでも好きなときに楽になれることが自分の強さであり、全てへの動機に繋がる。

モラルなんて気にしない。他人の目は気にしない。他人の幸せや不幸は自分に影響しない。まずは自分のこと。余計なことを考えるのは自分がしっかりしてからでも遅くはない。

孤高こそ全てで、孤高であり続ける限りこわいものはなく、孤高で居続けることで余裕が生まれる。

自分が孤高であることを忘れた瞬間から全ての悲劇がはじまる。孤高は守りであり、武器にもなる。孤高を忘れてはいけない。幸せは孤高からはじまり、孤高を忘れた瞬間に消えるもの。欲望は捨てる。自分のために孤高を受け入れる。

安心なんていらない。安心は欲望と同じ。安心を知らなければ不安を感じない。安心は自分をだめにする。出来るだけ不安であり続ける。欲しいものは安心ではなく不安であるべきで、不安は自分を強くする。

記憶は壊れやすく、綺麗に積み上げてきたとしても新しく入ってきた記憶ひとつでそれまでの記憶が全て壊れてしまう可能性がある。
そして記憶の修復は難しく、心に残るあの頃の記憶を取り戻したいと願っても、二度と蘇らない場合が多い。

人間には人間がお似合いなのだから、自分が人間だということを認め、人間としか関われない事実を受け入れ、希望や理想を諦め、人間として人間と生きていくしかない。

それは鏡であり、どんなに嫌なものが写っていたとしても目を背けずに現実を受け入れるしかない。
それは鏡なのだから、写っている嫌なものを受け入れたくないのならば自分が変わればいい。

知らない知人が何人かいることに気がついた。テレビを見たり雑誌を読んだりしているとき、そこに写っている人を見てこの人あいつに似てるなって思うことがあるんだけど、
あいつが誰なのかわからない。顔もはっきりと思い出せない。軽く会話をしたことがあるだけの相手なのか、それともそれなりに仲良く触れあったことのある友だちなのかもわからない。
何もわからないけどそいつとの記憶をさかのぼると確かに前にどこかで一緒になったことがある相手のような気がしてくる。仲が良かったのかそうでもなかったのかはわからないがそいつはいつもそこにいた。

時間のない人に意見を求められた場合は、答えに前置きなんていらない。答えの理由を聞かれたときに答えればいい。

自分にとって満足は通過点でしかなくて、どこまで行けば満たされるのかわからない。満たされるとは何だろう。何かが溢れんばかりに手に入ることなのか。もしそれだけのものが手に入ったのならその先にあるものは何だろう。

昨日の幸せは今日の基準でしかなくて明日の幸せは今日で決まる。ずっとずっとその繰り返し。そして幸せとは儚いもので明日が不幸せなら今日や昨日の幸せがかき消されてしまう。
だから明日が幸せでありたいと願うのならば今日は不幸せであることが幸せを手に入れる唯一の方法なのだと思う。嫌なことは早く受け入れて昨日の幸せにはしがみつかないことが大事。
ぼくは頭が悪く、欲深く、そして哀れな性格なので大事なことをすぐに忘れてしまう。明日のためには今日なんていらない。明後日のためには明日なんていらない。

自分の魂がじわじわと削り取られて細かく砕け散っていく気がする。何かを積み上げてもいつかは崩れ去る。
ぼくは自分の積み上げてきたものや手に入れてきたものが崩れ去ると、積み上げている内にいつの間にか忘れてしまっていた無の自分と付き添う痛みを思い出して苦しくなる。
だから出来るだけ痛みを忘れずにいたい。ぼくは何もいらない。誰かに何かを与えるだけの存在でありたい。これは誰かのためではなく自分のためだ。

ぼくは日々ふらふらと生きているのでしっかりした人からこの先は不安ではないのかと聞かれることがある。
答えを言うと不安な気持ちは全くない。なぜならばぼくはもう死んでいたはずなので。息を吸うことと同じように不安に対する覚悟は当たり前のように心得ていて、
今、今日、こうやって生きていられるのはゲームで言うクリア後の世界。おまけみたいなものだと思っているから先に対しての不安は全くない。
あとはどれだけ嫌な気持ちを感じずに誰かに何かを与え続けることが出来るかだ。ゲームのクリア後にやり残したことを丁寧にこなしていくことと同じこと。
もう終わっているのだからこの先は満足するまで、もしくは飽きるまで今の日常を楽しんでいく。

与え続けていくには自分を育成し続けていかなければならない。面倒くさくて今まで放置していたスキルを身につけたり弱かった部分のパラメーターを上げていかなければならない。
ぼくはレベルを上げて今まで太刀打ち出来なかったクエストを達成する喜びが何よりも好きで充実を味わえるのでそのためになら育成にかかる手間なんて苦痛に感じない。

何かを行ったときに結果が悪くて投げ出したくなったときはどうしてその何かを行いたくなったのか理由を思い出してみる。思い返した理由に今でも魅力を感じられるのならばまだ頑張ることが出来る。

無くなったらイヤだと思う理由は何だろう。本当に本当の意味で無くなったらイヤなものなのか。無くなったらイヤだと思う理由はただの惰性ではないのか。本当に本当の意味で無くなったらイヤなものならば有るだけで満足できるものなのではないか。

物事は同じ内容でもその時々の感情によって捉え方が変わるもので、良いと思ったことでも悪いと思ったことでも、時間をおいて再度考え直してみるといい。

恐怖とは何かを知り、恐怖の原因となるものを出来るだけ持たないように気をつける。恐怖が起こったときにいつでも恐怖自体を捨てられる準備をしておく。

あげようと思わないものを貰えると思わないこと。くれるではなくあげる意味を考える。
どういうときにあげたくなるのか。あげたくないものをあげざるを得なくなるときはどういうときなのか。
それは本当にもらったものなのか。借りているだけではないのだろうか。

730おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ2017/11/30(木) 20:32:23.41ID:???
第61回 国民体育大会 成年女子ソフトボール競技
http://www.aichi-softball.jp/2006/06nen6gatunosiai/06nen6gatunosiai.htm

【2回戦】
中京女子大学  0  0  0  1  0       1
桜花学園大学  0  0  3  6  X       9 5回コールド

  バッテリー   【中女】 ●田山由希菜、杉原瑞奈 ― 林戸千比呂
            【桜花】 ○石川茜 ― 波多由香利

全ては罰の前借りからはじまって、次に解放の時期がきて、最後は罰の倍返しで終わる。
罰からはじまらなかったことなんて何ひとつない。最初から最後まで罰に追われ続けている。
罰の厳しさなんて知りたくもない。罰の厳しさなんて忘れてしまいたい。

守らないと壊されてしまう。だけど守ることには不幸を呼ぶという欠点がある。不幸になることと壊されないでいられることのどちらが自分にとって優しい結果になるのだろうか。

叫んだところで何も変わらない。何も変わらないなら何もしたくない。何もしないでずっとこらえる。
こらえているとそのうち体中の穴という穴からイヤなことが外へ飛び出していく感じがしてくる。
そのままイヤなことが全部飛び出していくまでずっとこらえる。こらえてこらえて、ずっとこらえる。

眠る日を決めているかどうかでだいぶ変わる。眠る日が来れば休めると思うだけで頑張ることができる。いつかは休めるのだから疲れなんか気にならなくなる。

何が良くて何が悪いのか。いつが良くていつなら悪いのか。全ては気の持ちようで決まる。そもそもそれが良いことなのか悪いことなのかすらわからない。

自分が罪人だと言うことを忘れてはいけない。罪人は生きているだけで誰かを不幸にする存在。故意なのか過失なのかは関係なく、罪とは必ず誰かに不幸を味あわせているものだからだ。そして誰かを不幸にさせならばその代償をきちんと受けきらなければならない。

人形なんだからいいじゃない。役割を終えたら燃やしてしまえばいい。二度と同じことが出来なくなったって何も問題はないでしょう。そもそももう一度やりたいと思えることなのか?人形を用意することとなった理由をどうしてすぐに忘れてしまうのか。

大掃除をするたびに捨てたくないものが出来ていることに気がつく。どうして捨てたくないのかを考える。それは人生において大切なものなのか、ただ収集しておきたいだけのものなのではないか、惰性で大切だと勘違いしているだけなのではないか。
ものの価値を見定めた結果、必要だと思うものではないものは全て捨ててしまったほうが自分にとっていいことだと考えているので不要のものを捨てようと試みるがなかなかうまく捨てることができない。
捨てられない原因となっているものは弱さなのか欲張りから来るものなのかはわからないが、その中で本当に捨てなければならないものは捨てられない自分だということには気がついている。
自分にとっていちばんいらないものは自分で、自分にとって嫌なものを運んでくるものも自分。だから最後にはいつも自分を捨てるが、気がつくとまた新しい自分ができているので限りがなくて疲れる。
自分を作り出す本当の意味での自分を捨てられる日はいつか来るのであろうか。

あれはいらない、これもいらない、全部いらない。いらないものは捨てなければならない。
だけどいらないとわかっているものの中には変な魅力を出しているものがあって、その魅力を必要なものだと勘違いしてしまわないように気をつけなくてはならない。

ぼくが人間でいることに拘ってしまうのはぼくが人間だからなのであろうか。生物として弱者であるぼくには生物を続けなくてはならないという現実が苦痛でどうしようもない。弱者は儚く散っていかねばならない植物や獣の世界をうらやましく思う。

ばらばらに砕け散って跡形もなく消え去りたい。

742おいら名無しさんヽ(´ー`)ノ2018/01/26(金) 21:53:24.12ID:???
県警、捜査資料置き忘れ 通報した職員の氏名漏えい − 岐阜新聞 Web
https://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20180126/201801260828_31432.shtml
 岐阜県関市の介護老人保健施設で、昨年末に女性介護士が入所者に暴行した事件で、県警捜査1課の30代の男性警部補が、通報した職員2人の氏名などを記した捜査資料を施設に置き忘れていたことが25日、県警への取材で分かった。
別の職員が資料を見つけ、通報者の氏名が施設側に漏れたため、県警は職員に謝罪した。

 事件は昨年12月24日に発生。県警は入所者の女性(99)を殴ったとして、当時施設に勤めていた女性介護士(27)を、暴行容疑で29日に逮捕。介護士は傷害罪で略式起訴され、今月17日に岐阜簡裁から罰金30万円の略式命令を受けた。

 県警によると、職員2人は12月末に介護士の暴行を通報。警部補が氏名や通報内容などを記載した資料を置き忘れ、施設からの連絡で発覚したという。県警監察課は事実を確認し、処分も検討する。

新着レスの表示
レスを投稿する