【中山】楽毅 【燕】

1名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/26(日) 00:40:07ID:xy+GI1rU0
楽毅について語りましょう。

127名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/13(土) 09:07:30ID:pFGWfOt4O
すごく…どうでもいい話です…。

1281162008/12/14(日) 12:36:02ID:VJYQte0J0
俺のレスから国語の議論になってる…。すみません。
そもそもふりがないらないんだよな。
「がっき」って書かれちゃうと、それを強要してるみたいだし。
新潮社がよけいなことをしたという。
ハードカバー版の、正字で大きく「樂毅」をそのまま持ってくればよかったのに。

129名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/14(日) 16:43:13ID:84zYjHkWO
韓、魏、趙のことを晋(三晋)といったり、
魏を梁といったり、
韓を鄭といったりするくらいなのに、
楽毅の読みくらいどうでもいいじゃんか。

130名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/14(日) 23:43:14ID:6wzzFrOO0
>>129
>韓を鄭といったりするくらいなのに、
それは知らんぞ。

131名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/14(日) 23:50:36ID:84zYjHkWO
>>130
昔どこかで「首都を新鄭にしてから、鄭とも言われた」って見たんだけど、見間違いかなあ?
間違ってたらスマン。

132名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/18(木) 17:36:13ID:LFp4R0gC0
韓が鄭を滅ぼしたから白起は韓も怨んでる
ってあったな、青雲はるかにだったか

133名無しさん@お腹いっぱい。2009/07/19(日) 00:03:29ID:c9BPqyrG0
>>131
そのような記述、見覚えありです

134名無しさん@お腹いっぱい。2009/10/14(水) 22:17:17ID:57/2UVqeO
白起と学毅と王センと孫武と韓信を同じ部屋に閉じこめたらどうなるの?

135それはウコンの力で・・・2009/10/15(木) 10:56:43ID:YzGQs9+D0
134 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 22:17:17 ID:57/2UVqeO
白起と学毅と王センと孫武と韓信を同じ部屋に閉じこめたらどうなるの?

  ↑↑↑↑淳干コンのとりなしで皆仲良くなるでしょう↑↑↑↑

136名無しさん@お腹いっぱい。2010/06/20(日) 04:39:03ID:Rcc8Uqfy0
いきなりすみません。分かる方がいたら教えてください。

「へんしつようき」の単語の漢字がどうしても思い出せません。
偏質庸器 はちょっと違う気がしています。
言葉の意味は「資質に偏りがあって、凡庸で」みたいな感じで・・・
多分、楽毅の4巻の前半あたりに記載されていたと思います。困ってます。

137名無しさん@お腹いっぱい。2010/06/20(日) 09:01:27ID:Hn0PSoJfO
>>136
確認したところ、「偏失庸器」
偏失とは中正ではないということ
出典は四巻の「一家の春」
太子時代の燕の恵王の資質についてふれた場面だった

138名無しさん@お腹いっぱい。2010/06/20(日) 19:11:09ID:Rcc8Uqfy0
>>137さんへ!
136です。ありがとうございます!
とても助かりました。感謝です!

139名無しさん@お腹いっぱい。2011/06/16(木) 19:49:42.06ID:MwcxkhU5O
キングダムって漫画に楽毅出て来た

140あああ ◆DXDK8G7iuU 2011/10/04(火) 08:56:02.35ID:ddAEi/SP0
かっこよすぎ

141名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/23(日) 22:01:42.85ID:GrjxPLF/O
 みんな燕の昭王をどう思う? 個人的には斉制圧が失敗に終わると分かっていた、と妄想してる。
 燕という国の民度の低さを、誰よりも考え苦悩していたのではないかと。 ゲリラ(?)もやってたくらいだし。

142名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/23(日) 23:32:03.04ID:28mlAsCc0
楽毅の知識が乏しい俺に教えてくれ
楽毅って一般的に中山の臣か燕の臣どっちなの?
時間的には中山の方が多いの?
あと丹冬とかって実在すり人間?

143名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/24(月) 18:03:38.80ID:F11G2mO1O
 うーん、岩波文庫だけど楽毅列伝じゃ殆ど記されてない。 不親切なことに文章が「趙の武霊王の時に、また中山は滅ぼされた」の後に「楽氏の子孫に楽毅が出た」となってる。 この書き方だと滅亡後に生まれたみたいだよなあ。
 後のおおよその流れは小説通り。 孟嘗君のもの字も無いけどね。
 あと楽毅周辺の配下も楽間と楽乗以外全然出てきません。 燕世家でも見れば違うのかな?

144名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/30(日) 01:59:46.49ID:oyK0ORme0
祖先の楽羊が中山を貰ったんだから、候か公だったんじゃないか。

145名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/30(日) 15:17:51.64ID:7vBfUXbPO
>>144
 それはどうだろう。 王国を号したとはいえ、領土が狭い。 せいぜい「君」止まりでは。

146名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/30(日) 20:59:04.14ID:5SA/679W0
>>144
いや、たしかに中山を討伐したのは樂羊だけど、与えられたのは首都だった一邑
中山全土を治めたのは魏の太子の撃(武侯)でしょ
でもって樂氏は中山の王族じゃないんで、公・侯号は関係ないと思うけど

147名無しさん@お腹いっぱい。2011/10/31(月) 02:24:10.56ID:Svjm6cYMO
宮城谷「楽毅」の楽毅配下で実際の人物は一族の楽乗のみ
楽毅とともに趙に亡命したらしく後に趙で武将として活躍してます
実力としては良将ぐらいのレベルかな

148名無しさん@お腹いっぱい。2011/12/04(日) 23:08:13.51ID:VaLtivU8O
名将であり戦略家、外交官、政治家としても優秀でオールマイティーな人だよね
完全に軍事だけの白起とはまた違った名将だな

149名無しさん@お腹いっぱい。2011/12/06(火) 23:34:45.92ID:5sxapK8P0
>>147
息子の楽間がいたような。
趙と燕、両方の戦に将軍として出てたりして随分変わった立場だなと思った事がある。

150名無しさん@お腹いっぱい。2011/12/07(水) 01:34:39.41ID:rbD6qzMDO
息子の楽間は将軍になったことが無いような

151名無しさん@お腹いっぱい。2012/01/03(火) 19:08:40.11ID:IjOZ1mIM0
子孫は栄えたのかな

152名無しさん@お腹いっぱい。2012/08/03(金) 15:29:26.90ID:uY301JH50
楽毅が趙と燕を行ったり来たりしている時期と、田単が趙の宰相になった時期ってかぶってる?
もしそうならこの両雄が酒でも酌み交わして、先の闘いについて語り合っていたなんて想像すると、なんか嬉しいな。

153名無しさん@お腹いっぱい。2012/12/01(土) 11:11:07.82ID:647EFxxO0

154楽毅2013/08/16(金) NY:AN:NY.ANID:2r9zKCbP0
まず、楽毅は中山国宰相(当時かは不明)の父の嫡男として生まれマスタそしてなんやかんやで(趙にはいってないらしい
魏の国にいきました。そこで孟嘗君(戦国の四君)の画策で斉を討つために燕に楽毅を正使、韓?を副使をして

155名無しさん@お腹いっぱい。2013/10/21(月) 19:46:58.29ID:GBP9mzViP
台湾海軍には火牛のシンボルマークをつけた軍艦「田単」があるが楽毅は無いな。
台湾でもやはり評価は田単>楽毅なんだろうか。ほかに岳飛や子儀の名も軍艦の名になってるが。

156名無しさん@お腹いっぱい。2013/11/07(木) 09:23:53.23ID:PZxT1A5D0
楽毅

157名無しさん@お腹いっぱい。2013/11/29(金) 22:11:01.46ID:S8FA31UT0
三国志演義での諸葛亮のおかげ 羅貫中のおかげか

158名無しさん@お腹いっぱい。2013/11/29(金) 22:11:57.22ID:S8FA31UT0
宮城谷さんのおかげ

159名無しさん@お腹いっぱい。2014/01/03(金) 07:41:27.85ID:YpaEKYUZ0
>>155
2城まで追い込まれて取り返したのを台湾に当てはめてるだけでしょ
あくまで台湾は中華民国だからな

160名無しさん@お腹いっぱい。2014/09/10(水) 22:38:56.30ID:NmDHzJ6d0
そういや小説「楽毅」では郭隗がいつの間にか影も形も無くなったが、どうしたんだろ。
あいつがいれば、楽毅追放も無かったかも と妄想してみる。

161名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/29(水) 05:51:54.14ID:ahby/n1t0
諸葛が自分を楽毅になぞらえて他人も認めてたのが不思議。
何か武功でも立てない限りただの机上の戦略家でしか
あり得ないと思うのだが・・・
実際孔明の軍才も軍功も楽毅には及ばないでしょ。

162名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/29(水) 17:44:53.68ID:KkSIGOX20
管仲・楽毅のように、卑賎の身だが明君に遭えば二人のように政戦両面で活躍してやる、っていうことじゃね
管仲も楽毅も、君主に絶大な信任を受けて初めて活躍できた人だし

あと、管仲楽毅に比すという評を他人が認めていた、という記述は
史書にはなかったような気がするけど、どこかにそういう記述あるの?

163名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/29(水) 21:05:35.15ID:ahby/n1t0
自比於管仲、樂毅,時人莫之許也。
惟博陵崔州平、潁川徐庶元直與亮友善,謂為信然。

って書いてるから少なくとも二人は認めてたんじゃないの。

164名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/29(水) 22:42:24.29ID:KkSIGOX20
他人=世間(諸葛孔明が所属する荊州の知識人層)と誤認してたわ
友人3人に認められれば、他人に認められた、と言ってもいいね

ところで、諸葛孔明の軍才に疑問符をつけてるようだけど
孔明の北伐が楽毅の斉征服に比肩するほどの功績ではないのは、同意するが
孔明の戦法を唐の李靖が高く評価してるから、軍才が楽毅に及ばない、というのはちょっと同意しかねる

そもそも楽毅の軍才がどれほどのものなのかは、史書に記述が少ないから正確に測るのは難しいしね

165名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/30(木) 03:02:22.98ID:2X1G7oz70
孫子の兵法>>>孔明の兵法だからな。
曹操の兵法のが孔明より上かも知れんぞ。

166名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/30(木) 09:24:07.95ID:jXhUpK5U0
三国志演義で語ってる人来てんね

167名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/30(木) 22:02:28.44ID:L3m2FApB0
マジレスすると、
孫子の兵法と諸葛孔明の戦術を一緒くたにした挙句に上下をつけるのは、いくらなんでも蛮行、としか言えんぞ

168名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/01(金) 02:47:46.86ID:E8xn4RIc0
後世の人間から評価される孔明の戦法って何すか?

169名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/01(金) 20:00:23.03ID:4jy5fhUa0
>>168
李衛公問対を読もう
ついでに、孫子も読むと色々はかどるよ

170名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/01(金) 22:41:57.99ID:E8xn4RIc0
読んでみたよ。
なかなか濃い内容だな・・・

だが、孔明の八陣なんて実際どこで使われ
どんな効果があったとか今となっては
分からないよね。

171名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/03(日) 00:38:08.91ID:8BiwU+hL0
>>170晋の将軍、馬隆が孔明の八陣を使って禿髪樹機能を討伐した

172名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/03(日) 00:51:08.70ID:+yF3Ffo60
諸葛亮の擁護をしたり、諸葛亮が歴史上高く評価されている事実を語ったら、
>>166みたいに、演義の話がなくても、演義で語るニワカと決めつける人よくいるね

よくこんなに長年しつこくやれるなって呆れるな

>>170
晋書・桓温伝、馬隆伝を読めば詳細は分からなくても、効果があったことは分かるよ

173名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/03(日) 02:43:35.41ID:6e6rJtxV0
禿髪樹機能なんて兵法どころか字も読めないんじゃないか?

174名無しさん@お腹いっぱい。2015/05/06(水) 00:00:40.75ID:+sPSv5TZ0
楽毅関係なくなったけど、馬隆の磁石を使って敵の鎧を
吸い付かせて動きを鈍らせた戦術ってすごいなw
あれも孔明の兵法なのか?

175名無しさん@お腹いっぱい。2015/11/23(月) 03:10:54.10ID:bfwxHw4I0
>>174馬隆は孔明の八陣を使ったけど、磁石は孔明と関係無いと思う

176名無しさん@お腹いっぱい。2015/11/28(土) 09:39:14.53ID:PLWG1VFN0
燕って弱小国扱いだけど朝鮮半島ほぼ制圧してたんだってな

177名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/15(日) 02:20:06.75ID:Tud8Yd1E0
>>118
昔懐かしぬるぽ
あげ

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