史記について語るスレ

1名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/18(水) 17:41:26ID:Oky1mQ770
司馬遷著、史記について語りましょう

137名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/25(水) 20:21:43.45ID:7ssrxXYe0
ケイカは暗殺しにいくまで食っちゃ寝の女抱き放題だったらしいが
お供の奴もそうだったのかな?
そうじゃなかったらただ殺されに行くという割に合わない仕事だなw

138名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/25(水) 23:57:54.61ID:frGtNsCu0
>>136
もっと惨たらしく殺したろう

139名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/27(金) 02:32:19.32ID:sg/r5svi0
ていうか新婦用は決死の任務だと理解してさえ居なかったのでは?
マジで降伏のお供だと思って行ったら「ちょっw」って感じで

140名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/28(土) 23:26:23.94ID:Oqq8MyX10
そのあたりはまともに考えちゃいかん

141名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/29(日) 01:26:09.49ID:ZAjTOkf40
その列伝て、創作ってことないんだっけ?
他の史料には登場しないとか

142名無しさん@お腹いっぱい。2015/03/30(月) 00:56:53.17ID:onsx9gSq0
秦舞陽の爺さんは立派なお人だったのに
孫の秦舞陽どうしてこうなった?!

143名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/05(日) 19:17:49.56ID:fTcLbTEW0
世襲ボンボンって今でもそんなもんでしょw

144名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/06(月) 05:14:33.70ID:jB/aPq4a0
秦舞陽に関してはどうしてこうなった?!と言えるほど確実な史料はないと思うぞ

なんとなく本当の正使は彼だったんじゃないか?と思わないでもない

145名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/06(月) 18:24:56.09ID:MWY8YdLsO
はあ?俺は若い頃かなりヤンチャしてたんだぜ?
バカにしないで欲しいな

146名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/06(月) 18:51:12.73ID:9ZRXI2MX0
「13歳で人を殺した秦舞陽」を俺は勝手に13歳と勘違いしてたけど、
本当はいくつくらいだったんだろう?

147名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/06(月) 18:57:28.31ID:dMSlkBIE0
いかにも民間レベルで荊軻ageの為に付け足された設定っぽい気が
杜撰な計画・残念な動機・しょっぱい成果、お粗末暗殺失敗の責任押し付け

諸葛亮は神だったけど劉禅のせいで魏に勝てなかった的なやつ

148名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/06(月) 19:38:33.17ID:Ip0piULI0
真面目な話始皇帝があそこで暗殺されてたら
蒙恬を後ろ盾にした太子がそのまま皇帝になって
むしろ秦帝国が長続きしたかもしれんな

149名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 00:16:55.89ID:woXLULZt0
蒙恬と扶蘇は始皇帝のせいで後継者になれなかったようなもんだが
その時代じゃ両者とも若すぎる
始皇帝正夫人の実力次第と言ったところか

150名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 00:53:31.53ID:A7ZVhwSD0
宣太后のようなピンチヒッターがいればな…

マジで始皇后(太后)はどうなってたんかね?
趙高も李斯も群臣を率いるには力不足すぎた

151名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 01:39:34.41ID:i818V9A80
始皇帝は呂不韋の子だとか言って宮廷内が混乱して
扶蘇とか根絶やしにされるかもな
秦国内でも始皇帝に反感持ってる貴族や武将はたくさんいるし

152名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 22:39:09.11ID:JYpH/guY0
秦舞陽「地元じゃ負け知らず★」

153名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 22:43:06.81ID:JYpH/guY0
>>151
うーんどうだろう?
もしその噂が本気にされてたら、それを理由にとっくに無視できないレベルの反乱が起こってた可能性あったと思う。
けっきょく根も葉もないうわさと捉えられてたんじゃないかな。司馬遷は漢朝の人間なので、始皇帝をつい貶めてしまった可能性がおおいにあるし。

154名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 23:00:59.85ID:R1Uyz+/C0
扶蘇が始皇帝路線なのか妥協路線なのかだろうね
樊於期将軍の末路見た将軍連中とかはさすがに他のみこし担ぎそうだけど

155名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 23:23:32.86ID:g5SDoufS0
でも焚書坑儒に反対してたから強行路線じゃなさそう
2世皇帝と違って民衆にも人気あったらしいし
つーか趙高&2世皇帝のでたらめ政治じゃなきゃ陳勝呉広も項一族も劉邦も反乱起こさずに歴史は変わってたなw

156名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/07(火) 23:34:06.19ID:HMAKKYSo0
>>155
起こさずか、起こせずか、大したことなくか分からんけども、今の時代の俺達が名前を覚える事はなかったのは確か

157名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/08(水) 01:03:44.17ID:JVuMnYSN0
二世皇帝の政治(内政)は始皇帝リスペクトだし特別でたらめでもないような
扶蘇に関しては母親の出自が気になる

>>153
一次資料から引っ張って来たと思しき無味乾燥な記述や数字以外の
読み物として面白い部分は作家司馬遷の手腕で印象操作されまくってるからねw

158名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/10(金) 00:24:35.15ID:4KQjAAT20
(ノД`)・゜・。

159名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/16(木) 01:01:26.33ID:mhikCLQG0
管仲×鮑叔

160名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/17(金) 09:43:20.39ID:v4uJvUEg0
管鮑の交わりアッー!

161名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/17(金) 11:36:23.84ID:Mr7kCGcz0
アホ?

162名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/17(金) 14:51:12.90ID:HTwpX0110
刎頸

163名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/27(月) 01:07:37.44ID:l0RoH/eN0
教えて欲しいのですが
昔の漢人の姓名二文字が多いですけど
清朝末期にはほとんど三文字になってるのはなぜですか?
同時期の満州民族や蒙古人の中国名は二文字ばかりなのに

164名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/27(月) 01:52:34.92ID:e5bptIYF0
愛新覚羅溥儀なんて6文字じゃね。

165名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/27(月) 03:29:29.93ID:l0RoH/eN0
はい、本来の三文字以上の民族名もあったり名乗ったりしてますけど中国名の事です
日清戦争頃の歴史関係の本を見ていたら
漢族が三文字で満州族とか北方系の民族の中国名が二文字ばかりなんでなぜかなとふと思ったので
ググってみたものの全くわからないのでここで聞けばわかるかなと

166名無しさん@お腹いっぱい。2015/04/27(月) 03:50:12.54ID:jH+qhQqV0
ここは史記スレだぜ
ちなみに史記が担当する先秦期はわりと二字姓が多い

167名無しさん@お腹いっぱい。2015/09/12(土) 20:58:14.81ID:aXqBKIcO0
それにしてもすごい仕事だよなあ。
司馬遷は史記を、娘だかに託して死んだらしいね。

168名無しさん@お腹いっぱい。2015/10/16(金) 01:09:15.43ID:GCdHg1gd0
宋代に司馬遷が密かに名山に蔵していた史記の真本が
発見されたという話がある。

169名無しさん@お腹いっぱい。2015/10/24(土) 10:29:06.84ID:CH1aLgn50
>>168
映画敦煌みたいだなw

170名無しさん@お腹いっぱい。2015/12/08(火) 09:41:22.59ID:1WogWZ920
中国「史記がある(^^)」
日本「四季がある(-_-)」

171名無しさん@お腹いっぱい。2016/06/11(土) 11:55:55.41ID:BVGJlH/v0
紀元前206年ころの鴻門の会を実際はどんな風だったのかじかで見たかった

172名無しさん@お腹いっぱい。2016/06/11(土) 13:05:10.34ID:wye9tq040
項羽と劉邦がアッー!

173名無しさん@お腹いっぱい。2016/07/15(金) 19:04:04.18ID:SzmrOvEI0
慶応の学生です。

大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにムサシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。



チャンネルさくらでの特番でも

1時間55分ぐらいから、パネラーが明らかに工作がある選挙区があった。比例票が全くはいっていない県があるという発言。
それを遮るように狂ったように否定しまくる元国会議員
https://www.youtube.com/watch?v=DMRrZoY_czY



実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。

今回の三宅洋平の得票に戻るが0時00分現在で東京都合計で18万8千票である。
区部合計では、13万票 そのうち千代田区では、たったの1千票。

港区では5千500票 新宿区では6千500票、文京区では4千票 台東区では3,500票 墨田区では4千票 品川区では7,569票 目黒区では10,000票 
大田区では12,000票 世田谷区では20,000票 渋谷区では8,000票 中野区では8千票 杉並区では1万7千票、北区では4,500票 板橋区では1500票 
練馬区では1万2千票 葛飾区では500票、江戸川区では5,000票 八王子市では6,000票、立川市では2500票 武蔵野市では3,500票 三鷹市では4,500票 と続く。

豊島区ではなんとゼロ票 中央区ではゼロ票。江東区ではゼロ票、荒川区ではゼロ票 足立区ではゼロ票 通常、こんなことは考えられない。

174名無しさん@お腹いっぱい。2016/09/18(日) 08:30:15.52ID:jSHdRp5W0
司馬遷は尊敬する。聖と付く人は数多くいるけど、
史聖は司馬遷だけらしい。

175名無しさん@お腹いっぱい。2016/10/07(金) 10:42:02.58ID:URHXo1Bs0
簡単に手に入るもので一番いいのはちくまの史記?

176名無しさん@お腹いっぱい。2017/02/27(月) 15:59:51.54ID:BagRi4Be0
徳間の70年台のクソ古い古本安かったから買ったら殷の最後からしか書いてないのな
最初だけ買い足さないといけない・・・

1771762017/03/12(日) 15:53:10.05ID:ogJpynDC0
と思ったら更に古い平凡社のを見つけてしまった・・・
こっちは表以外完訳で200円・・・おいしいです
徳間が無駄になったくさいけどこっちは本文載ってるし時系列なんでこっちメインで
書いてないところは平凡社で補完すれば無駄にならないかな

178名無しさん@お腹いっぱい。2017/03/15(水) 02:34:44.91ID:mQ4c8od50
これは本当なの?
普通にショックだね・・
https://goo.gl/qP1Azu

179名無しさん@お腹いっぱい。2017/06/11(日) 17:37:06.20ID:L3xwXlrm0
人に名を尋ねるときは先ずは自分から名乗る

というのは万国共通の常識だと思いますが
史記にもそういう記述があると聞きました。ですが検索してもどのようなやり取りなのか出てきません
ほんとうに史記にそのようなことが書かれているのでしょうか?

180名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/27(日) 01:23:22.07ID:RAhea6Ss0
春秋や戦国は、色々な民族が入り乱れてて、楚はミャオ族系で秦は羌と同族かも知れないんだっけ?

もしそれが本当なら秦は恐らく同族であろう周を滅ぼしたことになるね。

北方異民族は割と定期的に何かしてきてなんなら漢族化してるけど、南方の異民族は北方以上にバカにされてる気がする。

項羽に対する南方蔑視的な感情も強かったのだろうか

181名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/09(土) 00:15:29.56ID:3O9SwZfY0
こいつは前科者

182名無しさん@お腹いっぱい。2017/09/10(日) 22:28:24.47ID:+H0k7QvA0
鄭成功

183名無しさん@お腹いっぱい。2017/11/11(土) 12:41:22.23ID:sOjIrdqO0
史記の内容は明らかな司馬による政権批判と、暗に王権に倫理教育を施すために寓話を創造した的な意図が強い部分がある

とくに「考古学的に矛盾し、国、エピソード自体が嘘くさい」商に関するエピソードだとか
ああいうのは諸権力批判神話として創造した可能性が強い

例えば酒池肉林の単語とかおかしくて、この単語は司馬の創作ないし、戦国以降の創作の可能性が非常に強い

酒池肉林って元は「大量の風呂のような樽酒と子豚の丸焼き」を直接さす単語だ
そして、これの意味はようは腐敗をいみする。ところが中国の腐という単語は、実は秦以降ー漢代に生まれた造語で、権力批判をさすいみ
つまりこの単語って「肉欲に塗れた府」を揶揄するのが走りであり、こういう権力腐敗という概念も秦ー漢に生まれた概念だった

ようはこの酒池肉林という造語は司馬ないし儒家が、漢代の腐敗を批判して作った創造エピソードの可能性が極めて強い

包絡なんかは、むしろ司馬が受けた官刑の「焼けるような痛み」のエピソードをもとに作った神話の可能性が極めて強い

実は封神演義というエピソードはむしろ初めて司馬によって発見された寓話であり、史記によるところが大きく、記録的には史記の記述をルーツとする
そして考古学上、商は小さな集落民だったので王権、強権も紛争も少なかった時代でいんしゅう紛争が考古学と矛盾する

つまり司馬はまるごといんしゅう紛争を権力批判神話、王権諌神話として作ったのではあるまいか?

それこそ春秋ー蘇漢戦争までの歴史はエピソードとして大衆が知ってるから、歪曲、創造を加えにくい
だから紂王のエピソードは作れるが、紂王のエピソードはまんま王権批判神話そのものでしかない。

しかしこの神話が神話とばれにくいのは、文書の書き方に巧妙なレトリミングが施されてるからだ
それは「三皇、5帝は神話である」「歴史的な要素が濃くなるのはかの商周紛争から」
とレトリミングによって神話の商周紛争を歴史にして、三皇ごていを批判するダイナミックな論説があるから、神話の商周紛争が歴史と誤解できるレトリミングになる

むしろこのエピソードは「三皇五帝という王権神話の否定」「紂王という悪王を捏造する典型的な王権批判神話」と全面的な王権否定パラノイアと受け取れる
けどかれが受けた処遇を考えれば、こういうパラノイアを持って当たり前

でこういう前提があるから「そもそも商周戦争嘘くさくないか」「神話じゃね?」「始皇帝だって無理だろ、嘘くさい」
と中国では19世紀までは、史記を歴史とみなさない向きもかなりあった

実は始皇帝までの歴史は「極めてうさんくさい司馬の創造」って解釈される傾向が多くて
思考帝廟とか採掘されるまで、存在や所業が信じられてなかった

尚紂王と同等に、実は始皇帝も悪王に中傷批判されてる。ようは史記の内容全般は典型的な「王権批判説にすぎない」とする解釈は実は19世紀まで一般的だったんだよ

で歴史的には中国の王権権力はこの司馬の王権批判神話の影響を受けて、王権が後漢より弱体化して
腐敗を極めて、かえって悪循環を生むようになる。司馬の狙いで王権が新だから、後漢は腐敗して司馬が王に慣れた
しかし、それで王権の健全性、機能性が喪失して後漢、魏漢、普漢自体が滅ぶとこまでいっちゃったのが歴史

そして史記があるからこそ、低俗な腐敗と、低俗な王権批判キャンペーンの繰り返しという低レベルな政治の繰り返しになる
結果中原王朝の無機能化までいって、結果遊牧朝によって王権機能が回復される矛盾までいく

184名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 12:26:45.75ID:1yrZFTdp0
史記って実は広大な偽書だったんだよな。
この広大な捏造が中国の古代史研究を謝らせて混乱させた

@根本的に史記は司馬が武漢王権を否定、批判する広大なテーマ(報復)ありきで作った捏造と憎悪の歴史

A前提として紂王=悪、始皇帝=悪とし暗に武漢を悪と誹謗しつつ
老子、瞬、司馬を善とする幼稚なミスリードを前提として事態を作為する

Bこの作為が多数散りばめられ、このために存在しない老子などが捏造されてる。老子を筆頭に多数の人物を司馬は作成して
また紂王という空想的な存在も権力批判につかえるから捏造とした

Cあわせ三皇は今日ではここにじょか、ふぎ、しんのうあたりを当てる。ところが司馬では三皇という概念、単語を捏造しつつ
ふぎなどの注釈が少なく神話と切り捨てられる
これは「歴史として存在する三皇神話を切り捨てつつ、捏造したぎょうしゅん、紂王の捏造を歴史とミスリードさせるための幼稚なロジックなのである」
つまりあえて三皇5帝を神話切り捨てするがために、あえて三皇5帝という単語を作りざっくり否定するドラスティック、極端な解釈が
それ自体が神話の紂王を実在させてる

ようは広大に中国神話、古代史をこじらせた王権批判盲導が史記であった。尚まおずどんは史記を否定すべきで、否定しなかったのは痛恨のミス

185名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 12:32:14.96ID:1yrZFTdp0
それこそまおずどんは「こうしが悪で始皇帝が善」といった
これは実は長らく中国を支配した幼稚な史記の歪曲に基づく王権やっかみ史観、権力やっかみが中国を支配した幼稚な病魔であった

それを批判するロジックとしてこう批判あたりは成立してる。
あれで「史記はねタミと復讐の捏造」と批判できれば面白かった

クズまおずどんのテロは妬みと盲導の史記を前提とする政治、歴史、社会学が生み出してしまった
そしてそれが官僚の暴走と腐敗ー王の監督の崩壊とほうとうという腐敗を生む

それこそ始皇帝や武漢の治世はそれに比べればマシだった。
すべては史記が多大にミスリードしたから生んだ

186名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 12:38:46.49ID:1yrZFTdp0
史記のヨタに気づけなければ馬鹿

それこそ史記は実は漢代まではそこまで鵜呑みにされなかった。ようは「史記は復讐盲導」と理解されてきた
けどこれがりゅうえんの乱あたりで「りゅうえんは悪王だ、りゅうえんは紂王だ(だから紂王は実在する)」ってテーマになり
その後中国の王政が内ゲバや混乱で狂い出す

その後に人口増加もあって官僚主義が栄えて
「紂王ーりゅうえんは悪で官僚が主導する。王のほうとうはだめだが最悪ほうとうしてもいいや」
って所詮官僚腐敗政治を極める

けど後世近代的に「始皇帝ただしいんやない」とか王がいうんだけど、そしたらそれを盛大に官僚が誹謗する祭りが起きる

所詮左翼の虚偽正義、誹謗正義として史記が乱用され社会が歪む
そしてこういうルサンチ中傷を肯定したのが能無し司馬で、今日の左派ーメディアはこの司馬ルサンチ誹謗の影響を受け社会を混乱させている

187名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 12:51:57.64ID:1yrZFTdp0
それこそ中国の神話は所詮3皇に始まる

3皇の内容は濃厚信奉と水難の恐れであり、古代ー現在まで中国において水害は最大の驚異だった
そして歴史上度々洪水が起きてきた。その恐怖がふぎとじょかを生む

その後中国は所詮商周とされる文化を有無がこれは考古学上は夏ー
商ー周の継承文化で、せんと、移動はあるが王政とえきせいかくめいせんそうは考古学上発生してない。
なんせ人口と社会が小さいからそんな戦争は起きない

この商周戦争はしきや儒家や作家が捏造したファンタジーである

でその後一気に時代が飛んでこうしー戦国あたりからやっとまともな人命、人物が現れだし
実存しそうな人物の歴史は、やっとこうしから始まる。こうしと戦国初期の三雄あたりが最初期の人物である

そして戦国は秦が物理的な根拠をもって強かった。秦は
@大農業集中圏で農地が最大で人口多し
A沿岸国じゃないため塩輸入業(日量数トンの需要)が塩商人ー塩税収ー塩商人より強い政府を生み出す。
たいしてそのたの戦国は塩を個人で製造+格安購入できなかったから塩財源と政府を作れず役人、軍人を多数扶養できなかった
つまりこれが農業生産×人口×政府力で秦が勝った最大要因である

よって必然的に唯一かつ巨大な政府が戦国の覇者となった。たいし税収+政府が弱いから、他のくには明確強い王権政府と、持続的な政府国家産業を育成できず、競争に負けた

B統一以後の製作も手伝い人口と社会は西部集約して、旗人が多数となり今日の中国を形成した。
秦は秦人国で、漢ですら秦人国だった。実は漢人はほぼ秦人であり、すでにこの時代周人、オリジナル漢人は少数部族であった


で史記で歴史が歪曲されたのが中国の古代史

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