【泰皇】周の後半春秋戦国4【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net

1陝西富平人@無断転載は禁止2017/05/19(金) 18:30:26.25ID:+IlyX3Ww0
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戦国春秋
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161616606/

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【西帝】周の後半春秋戦国3【東帝】
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183名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/14(水) 17:42:53.84ID:evFrqCGl0

184名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/14(水) 18:49:31.91ID:n9hU+eNB0
楚だねー

185名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 19:30:56.68ID:88tgIdqO0
>>182
河東の岩塩にすら触れられん、駄文だなw

食貨志読んで出直せw

186名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/26(土) 20:42:58.83ID:duhox+eN0
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

187名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/28(月) 23:01:51.88ID:sCZ1AVXo0
どういしゆ

188名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/30(水) 02:21:51.43ID:Hzqc8fCE0
>>82
覇者はそうなんじゃね
征夷大将軍みたいだ

189名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 22:42:23.14ID:cZ6mKy/c0
楚って元々殷のことなんだっけ

190名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 23:03:08.29ID:ZzBLO8c00
元が殷(商)は宋

191名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 23:05:49.47ID:d7vNnVQx0
楚は南方の異民族で野蛮人だから周王の権威とか知らんと言って王号を称した。

192名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:03:26.82ID:56sAjAqD0
項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?

清華大学所蔵戦国竹簡「楚居」の研究を元に、「楚」はもともと南方一帯を指した蔑称であり、西周時代以前は一つの国家のことでは無かった。北方から南下した「商」(殷)集団(殷そのものでは無い)が、楚王の祖先だと考えられる。

193名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:04:10.24ID:56sAjAqD0
西周から見て、イバラが生えてる未開の地が「楚」。
しかし、その楚は、長江流域に対しては「商」(殷)として接した。

194名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:04:35.68ID:56sAjAqD0
楚」と、「殷」(商)「周」の関係

中間にある「上洛・商県」は、殷末の周から「楚」と呼ばれた(周で出土した周原甲骨文より)

しかし、西周時代の周は、漢水の南側を「楚」(イバラだらけの未開の地)と呼んでいる(西周の青銅器の銘文より)

だが、その頃、楚王の祖先は商県にいた!

195名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:05:23.20ID:56sAjAqD0
殷末の周原甲骨に出てくる「楚」は、商県にいた「楚王室の祖先」を指している可能性がありますが、次の西周時代に討伐対象になった南方の「楚」は、たぶん別の国です。

196名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:06:05.06ID:56sAjAqD0
従って「楚」は蔑称ですが、戦国時代の遺跡から出土した竹簡の歴史記録「楚居」には、楚王室の祖先が帝王切開で生まれ、殷の名医がイバラで母体を縫合したので、「楚」と呼ばれたという楚人の理解が記されていました。
この話も、これまで全く知られておらず、世紀の大発見でした。

197名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:06:55.14ID:56sAjAqD0
そこで気になるのが、春秋戦国の「楚」の祖先集団が、殷周時代には「商」(弘農郡商県、上洛県)の地にいたと主張している『楚居』の記述なのです。
殷王盤庚(ばんこう)の孫娘と結婚し、「京宗」という理想的な土地で暮らしたという故事からすると、「楚」だと思っているものの正体は「殷」(商)だと

198名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:07:26.81ID:56sAjAqD0
春秋時代の楚は、南方の蛮夷の勢力に対しては「中原の国家」(殷系勢力)として臨んでいたが、

中原の国家に対しては「蛮夷の勢力」(だが、周との深いつながりがあると主張)だとして、介入を受けないことを第一としていたように思います。

199名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:08:02.87ID:56sAjAqD0
「楚」は、西周側がある方面の集団に対して用いた蔑称だとすると、途中で蔑称だった「楚」を自称に変える動きがあったと考えられ、
そうすると、西周時代の対外戦争に登場する「楚」と、春秋戦国の楚国の祖先は別の集団だった可能性も出てきそうですね。『楚居』の記述を肯定して、西周金文を尊重すると

200名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 22:49:45.26ID:Qu41ud4v0
片山晋呉ってすごい名前だよな
この時代を意識して付けられたんだろうか?

201名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 03:20:39.60ID:OLtm6zBv0
三国時代末「破竹の勢い」の故事からかもしれん

202名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 02:28:34.91ID:OYMiTotd0
晋と呉ならそこもか
五代十国の後晋と呉はほとんど交わりないか

203名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/16(土) 07:58:52.42ID:QMyVAjao0
資治通鑑読んでるんだが戦国四君はけっこう辛辣な評価されてんだな。
とくに孟嘗君は斉ビン王と同じ評価って

204李侯2018/06/18(月) 11:21:56.36ID:IE7l8pdz0
平原君とか人間味があって好きだけどなあ

205名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 13:04:08.47ID:cumxvhrj0
【天竜人だな、皇族″】 日本軍が敵国のアメリカから燃料を買っていた事実、なぜ教科書に載せない?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529288795/l50

天皇は、国民ではなく、国賊の象徴だろwww

206名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/19(火) 17:10:47.35ID:eU8vT5L10
俺だったらこっちを選ぶな
https://goo.gl/fjwkS3

207名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/20(水) 00:02:01.45ID:p57bzw350
>>204
わかる、エロ本の場所暴かれた中2の気分だわ

208名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/20(水) 23:08:43.68ID:XDHdos0g0
中国古代史を学びたかったが
良いのが東大とか早稲田と言われると何だかなあ

209名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/22(金) 12:30:39.01ID:OW/RjJXB0
古代史は面白い

210名無しさん@お腹いっぱい。2018/07/24(火) 22:20:13.57ID:qKzswfGE0
韓国の教授 「劉邦が漢をたてる以前三千年間、中国は韓国の一部だった」
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1532351516/

211名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/26(日) 01:12:55.12ID:b/vwGToC0
西周と東周に分裂した頃について知りたい
(質問しても違うって言っても東周時代のこと言われる)
(幽王の時代じゃなくて戦国末期の頃が知りたいのに)

212名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/26(日) 02:32:29.12ID:neeOqnr60
紀元前441年 31代 考王が弟の姫掲を河南に封じ西周の桓公とした。(西周公)
紀元前368年趙の成侯は韓とともに周を攻めて周を分割した。
この時西周公の末弟 公子班を東周公として封じて周の領土を削ったらしい。
この時の西周公が恵公で東周公も恵公なんでややこしい。
3分された周はますます弱体化した。最後の周王 赧王は自立を諦めて西周の
武公を頼って西周に遷都した。王都だった成周は東周のものになった。

213名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/27(月) 18:44:19.13ID:OfTvUpf00
>>203
司馬光の戦国期人物評は司馬は司馬でも司馬遷とかなりノリが違ってて面白いね、俺は結構好き。
一番好きなのは春秋戦国の著名人を軒並み無能&ゴミカス認定する韓非史観だがw

214名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/28(火) 01:28:06.89ID:VIT7OvFV0
元々周本来の領土は大きくないってことなのかねえ
周の領土を削って作ったのは鄭ぐらいかね

215名無しさん@お腹いっぱい。2018/08/28(火) 02:24:39.66ID:TalSe1Gk0
???

216名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/07(金) 03:55:16.87ID:BXnOwDTP0
東周は春秋時代の初期に
放棄した首都を取り返そうとかしなかったんだろうか

217名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/07(金) 13:58:24.82ID:2owJwID30
楚を滅亡寸前まで追い詰めた、伍子胥と孫武ってやっぱりすごいな

218名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/07(金) 14:17:15.72ID:2owJwID30
>>210
韓国朝鮮人て本当に世界一劣ってるよな 無知無能無礼無学

219名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/09(日) 11:55:42.90ID:Ggry1Zuk0
いつもの連投さん、ほとんど荒らしと化してるな〜
(好意的に見て)無理矢理中英版を盛り上げようとしていると考えても稚拙すぎる

220名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/09(日) 15:50:28.91ID:P20AwBOY0
>>216
宗周近辺が遊牧民の手に落ちていて、放棄せざるをえなかった
秦への切り取り次第委任という形にしたのは現実的な判断

周六師を支えた内諸侯も徐々に姿を消し、殷八師はそれよりも前に実体を無くしていただろう
晋/鄭の助力なくしては最早成り立たず、鄭の勢力削減にも失敗したから
もうお手上げ状態で、むしろ戦国末期までよく生き延びたものだ

221名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/09(日) 23:37:14.40ID:Ggry1Zuk0
内諸侯や○○師は多少齧ってる人じゃないと意味わからんよ
まあそもそも圧倒的資料不足故にまともな解説は不可能な質問だけどね

222名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 00:28:59.08ID:4H6crhGt0
東周初期は平王派と携王派に別れて20年近く争い、
諸侯の加勢でやっと平王が王朝を再統一できたという有様
王朝内部の混乱による人材の喪失と組織の崩壊、
諸侯への褒賞や、敵味方による収奪が多数あったことは想像に難くない
それらの負債を払い終えた頃には、鄭のような大諸侯とはいえない国にすら敗北を喫している

東周初期の王朝の実力は既に並の諸侯程度、
宣王期ですら敗北続きの異民族に勝っての関中回復など夢物語だったろう

223名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 00:51:02.35ID:dWoihnJE0
216氏は携王平定後の東周王朝が宗周王畿(関中)を取り返そうとしたか否かを聞いているのでは?
想像上の現実的判断云々ではなく

224名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 05:48:24.50ID:75NGHJBM0
20年もやっていたのか
伯服に長男という意味の名前をつけているから他の子に愛情ないんだろうな

225名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 08:46:19.44ID:VDIA9L2P0
史料少なすぎて想像多めになるだろ

226名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/10(月) 12:24:33.48ID:dWoihnJE0
もちろんその通りだけど、想像の方向も見当違い気味ですし

また想像を支える資料が極めて貧弱なのでちょっとでも新発見があればすぐに覆ってしまう
夢物語に終わったとはいえ東周王朝には各方面の経略を試みた形跡がある
さっさと故地回復を諦めて放棄したと断定するのは危険だと思うよ

227名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/12(水) 23:19:17.22ID:oKb0G8SQ0

228名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/12(水) 23:21:15.54ID:xQLRst1u0
諸侯の力を借りたとはいえ東周王朝を建ててある程度まで勢力は維持できた平王はなかなか凄いのではと思えてきた

229名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/13(木) 03:40:49.57ID:LJnzXgVI0
父祖が励んでいたであろう王朝の中原支配が思わぬ形で功を奏したと言えるかも
なんとか王権が安定し得る空間が存在した?のはデカい

君主に気概があっても応仁の乱後の足利将軍みたく王城の地にヤバい奴しかいない状況ではどうにもならん

230名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/13(木) 23:18:46.64ID:prOytI3n0
確かに凄いですよね
でもそのおかげで楚に呉とその呉を滅ぼした越を認識させ、後に越を攻め滅ぼして楚の領土が広がる事に…
その領土が広がり国力を増した楚の首都を陥落し二度も遷都させ、領土国力を半減させた白起もとんでもない
秦の統一って陶侯白起の頃に他国を削りまくったおかげなんですよね
始皇帝・王翦が美味しいとこをいただいただけな感じが…楚はすでに国力半減、韓魏は度々連合ごと白起に滅殺され韓は三晋時の領土を失い旧鄭のみ、魏も領土を削られ続け国力低下
趙は長平の大敗で兵力激減、斉は合従軍に滅亡寸前まで追い込まれた後遺症で弱体化、燕は楽毅を追い出し趙に負け続け
合従は陶侯時代の事で、実質燕以外の五国は陶侯白起に弱体化されていた
強国秦の基は商鞅の改革だけど、陶侯白起が五国を弱体化させてなければ後の王翦の活躍も始皇帝の統一もあり得なかったように思う

231名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/13(木) 23:54:56.24ID:LJnzXgVI0
派手に勘違いしてんぞ
楚の平王ではなく周の平王の話ですよ

232名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/17(月) 19:08:09.94ID:CEQlzRqe0
周の平王はいまいちどういう人格か見えてこないから語りづらいんだよな
鄭の荘公とのエピソードを見てると諸侯に気をつかってる苦労人なイメージがあるけど

233名無しさん@お腹いっぱい。2018/09/19(水) 00:42:42.73ID:Db4DrolM0
そりゃ諸侯のおかげで王朝存続できたんだから

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