【泰皇】周の後半春秋戦国4【皇帝】 [無断転載禁止]©2ch.net

1陝西富平人@無断転載は禁止2017/05/19(金) 18:30:26.25ID:+IlyX3Ww0
前前々スレ
戦国春秋
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161616606/

前々スレ
【◆O.K.H.I.T.】周の後半春秋戦国2【五覇七雄】
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1326989163/

前スレ
【西帝】周の後半春秋戦国3【東帝】
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1421609428/

158名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/04(金) 22:39:27.22ID:rAq+lGYi0
実物は知らんから勝手なイメージになるけど傲慢さはいい勝負じゃまいか?ベクトルが異なるだけで
せっかくのリスクヘッジ婚姻を感情的行為で台無しにするあたり欒家が肥大化ぶんお気楽になった感じ

159名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/05(土) 14:41:03.53ID:t86Yujie0
>>157
士鞅、そんな事を言ってたっけ?
しばらく左伝も読んでないせいかど忘れしてるな

160名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/05(土) 22:38:17.39ID:AO0jBEwX0
>>156の解説には既視感を覚えるのでたぶん宮城谷作品っぽい。

161名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 10:13:22.57ID:1/s4U9Wa0
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1170418381/323-332
晋の六卿スレでこの件についての議論があったな。

162名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 16:38:35.67ID:ciyBlx/v0
子産のおかげで士カイはわりとセーフな扱いなんかね

163名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 17:20:28.78ID:Jut8JTto0

164名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 17:43:23.78ID:tEhOndwz0
石虎の遼東遠征って海路も使って侵攻しているし
規模は小さいけど隋唐の高句麗遠征の雛形と言える戦役かもしれない

遼東・朝鮮半島は中華王朝にとって正しく鬼門だな

165名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 17:47:24.60ID:tEhOndwz0
誤爆した

166名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 18:19:01.06ID:KkyU6mTX0
唐の太宗李世民も遼東・朝鮮で少なくない犠牲者を出して敗北やからな〜

167名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 18:28:02.14ID:1/s4U9Wa0
なぜ誤爆に構ってしまうのか?w

168名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/06(日) 18:43:35.67ID:tEhOndwz0
殷代から燕のあたりが開けているのは結構不思議
孤竹とかどうやって建国されたんだろ(軌道修正)

169名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/08(火) 22:03:08.12ID:cFfemUkx0
フェニキア人「古代人の植民力舐めんなよ!」
ギリシャ人「同上」


孤竹の伝承はおそらく虚構だと思われ

170名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 21:07:39.67ID:SPMT+GMV0
地中海世界やオリエントと比較すると東アジアは全体的に後進だが
東周時代ぐらいになるとユーラシア大陸から海を隔てた日本列島も青銅器時代に入るし
中原から遠く離れた周辺地域とてなかなか侮れない

171名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 21:16:09.26ID:EtBU26uN0
楚国って横死、反乱多すぎない?名君でも余裕で晩年悲惨だし

172名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/09(水) 21:24:03.26ID:3PR3xoL20
「日本では弥生時代に鉄器と青銅器がほぼ同時に伝わったと言われており、青銅器は祭器として
のみ利用され、青銅器時代を経ずにそのまま鉄器時代に移行したと考えられている。」

173名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 17:04:47.57ID:gQTi/XU40
日本は地域によるね、かなり早い時期に青銅器の使用が始まった場所もあるし
ま、なんにせよ新発見が相次ぐ流動的な分野だから確定的なことは言えないけど

>>171
周〜春秋を勝ち抜け戦国列強に名を連ねた強国楚は最もマシな部類だぞ

174名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 20:30:26.46ID:EqBno+hz0
当たり前のことだが
国家政権が担当する面積や人口が大きければ大きいほど乱は数多く発生する
楚国にその手の事件が多いのは事実でしょう
だからと言って楚が他国に比べて不穏という訳ではないけど

175名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/10(木) 20:33:04.70ID:EqBno+hz0
史書の関心が一部の国に偏向し情報の偏在が極めて激しい時代だからなんとも言えんわ

176名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/12(土) 09:39:15.38ID:DzRhyv6G0
晋が分裂しなかったら・・・
若しくは再統一していたら・・・

177名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/13(日) 20:10:24.76ID:HdlX8IIU0
平凡社の春秋左氏伝買おうと思って図書館で試し読みして見た
黄色本は絶版だからあのデカイ奴だけど字が小さすぎてキツすぎる
kindleか黄色本の再販しないかなあ

178名無しさん@お腹いっぱい。2017/08/22(火) 22:49:44.61ID:zQe13gdc0
西周を滅ぼした申はいつの間に楚に滅ぼされたんだろうか

179名無しさん@お腹いっぱい。2017/10/26(木) 21:53:20.85ID:GqXpsN2M0
各国による自国こそ中国中原でお前ら夷敵だの証明面白かった

180名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 11:35:55.84ID:aY7ex3Zk0
中国の周ー春秋における週の王の実態はなかった。
これは徴税、上下の意味で

そもそも考古学的証拠上商は人口3-5万の集落、周は10-15万が限界の集落群に過ぎなかった。
そして他国の歴史がそうであるように、ただの古い集落、首長国でしかなかったのが実態

ここで王政、中間の支配、上下礼儀は存在してなかった。つまり王でも中間帝でもない

ただ最古の集落、大首長的崇敬、ルーツ的崇敬は持たれてたようだが、中原全国は周の支流民族、部落ですらない。
諸王も血縁者というのは無理のある創作

これは幼稚かつ安易な起源論の曲解で、戦国各国は別のバラバラの民族、部族であり、各首長と諸王の混血性、外交性は歴史上存在しない。
その部分は単に構成の三項ごていのような神話的ルーツとして作られただけで、完全に別別で部族が存在する。

もっとも秦などの内陸部は塩の入手のために周より後発的に集落が発達した。
塩商人であろう周人の立場が少々強かったくらいだが、周自体に上下支配を作れる力はなかった。

181名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 11:48:41.92ID:aY7ex3Zk0
そして戦国といいつつ、これ事実上秦VS蘇の二大国VS北部連合の二国史ないし三国志だった

そしてこれ西安平原穀倉帯の秦は人口大国で古き王国
蘇は沿岸野蛮人で文化的に同時期のたいわん、フィリピン、大和のマレー系原住文化と告示しすぎてて、その類型と分かる
そして北部は周というのが最初から最後まで王らしいイニシアチブを発揮せず、バラバラの部落連合であり
「最初から周王の実態はなく周首長国だけがあった」ことを裏付けてる。

そして実質的に民族的には北部5雄と蘇の秦以外はすべて沿岸マレー系部族文化集団であり
西部の秦だけ唯一王国として違う歴史と文化を持ってる

そして秦はあの時代の技術水準でもっとも農地に適した穀倉帯で、たいして他の6国は農地以外の狩猟採集の比率が大きいから人口少なく、ただの集落的社会しか作れなかった。

だから基礎人口+農業科で秦が優位で農耕の延長で真っ先に王国システムを作り上げた。
そして全土を支配できた。

たいして他の国はまともな対策や連携とれなくて、所詮少数部族、首長国だったことを裏付ける。
そして後の中国は西安長安穀倉帯をベースに、長江沿岸→黄河沿岸に穀倉帯を発達させていく

これが今日の中華のルーツ

この古代史は憶測と創造加筆でかかれたしきなどを固着化して、考古学的検証全然できてないの。
そして考古学より共産党が優先して「ただただ古く作る」だけで、古いだけのつまらない作為で歪みまくってんのが古代史

182名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/07(水) 12:03:15.99ID:aY7ex3Zk0
ようは中華は
BC1000年中華は北部商周連合が華北にいてこれは25万の典型的な周大首長連合を作った

そして全土を探検して内陸塩交易を行って、内陸農業開発ができる産業地盤を作った。
周系は黄河流域、蘇のルーツ文化はおそらく周華北文化よりも古い文化として長江流域に塩交易を行った

しかしこの2つの文化は塩と漁業文化が中心の日本、台湾、フィリピンにもともとあるスタンダードなマレー系文化、集団の延長で農業大人口を要しなかった。

ところが塩交易が発達した時代、内陸西安でも農業拡大が(塩を買えるから)可能になり、ここに少数系としてBC2000年頃からルーツのあるインド系?インドシナ(ベトナムタイ系,?)らしき部族が
おそらく夏とされる雲南系?などの集団の延長としていついた。

そして塩が手に入ればせいあんは当時の鉄や銅じゃなく素手と木具中心の農耕開発で用意に農地拡大できたため大穀倉+大人工化を達して、農業社会型王政、王国を先に作れた。
その時系列は秦史どうりである

たいして他の戦国7国は塩交易と秦交易による農業収入(但し輸送しゅだんが限られるので輸入量は少ない)
沿岸漁業などの収入と、交易+狩猟採集があったことと、沿岸部、北部は当時の技術では農耕開発に適さない
ないし小規模の領域しか開発できないから、農業科+農業大人口化+農業大人口化に遅れた

それこそ銅器があろうと、中国の人口はBC1000年まで全土50-100万と周辺日本、インドシナ半島の総人口と大差ないくらい開拓されてなかった。
しかし秦は一国で大農業科+人工拡大をおこなって単独で100-200万の大人口集中圏を作った。
はたは単独で他6雄=日本=インドシナ半島級の人口を要した

これで真っ先に先進大国となってアジア古代王国としてのルーツを作る。いわば秦は始帝国にして、アジア初王国でもあった。

そして大農業+穀倉+人口+王国化を一方的に成し遂げたからこそ、ごく短期間で中原を征服した。
この局地的な農業集約社会、ないし王国が一方的に集落を征服するのは、東アジアに限らず世界史のスタンダードである

むしろ世界史のスタンダードからすれば、1王の征服が正しい歴史で複数王の相克パターンがマイナーな事例である。
よって秦のみ1強国、1大人口穀倉帯で自然的に覇者として勝利したというのが正しい歴史解釈

そもそも漢意向ですら人口と農業は秦にあたるせいあん、長安が中心、中間で、その沿線的に長江沿岸、黄河沿岸が発達する。
たいして北部や沿岸は少人工しか要さず発達が遅い
これはもともとその地域は農耕が不適切で穀倉帯、農業集約に適さないことの裏付け
すなわち「他6国は滅んだんじゃなく、最初から、半狩猟採集文化で農業発達せず人工は少なかっただけで、秦→漢以後も人口少なかった」ということである。

183名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/14(水) 17:42:53.84ID:evFrqCGl0

184名無しさん@お腹いっぱい。2018/03/14(水) 18:49:31.91ID:n9hU+eNB0
楚だねー

185名無しさん@お腹いっぱい。2018/04/26(木) 19:30:56.68ID:88tgIdqO0
>>182
河東の岩塩にすら触れられん、駄文だなw

食貨志読んで出直せw

186名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/26(土) 20:42:58.83ID:duhox+eN0
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪

187名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/28(月) 23:01:51.88ID:sCZ1AVXo0
どういしゆ

188名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/30(水) 02:21:51.43ID:Hzqc8fCE0
>>82
覇者はそうなんじゃね
征夷大将軍みたいだ

189名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 22:42:23.14ID:cZ6mKy/c0
楚って元々殷のことなんだっけ

190名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 23:03:08.29ID:ZzBLO8c00
元が殷(商)は宋

191名無しさん@お腹いっぱい。2018/05/31(木) 23:05:49.47ID:d7vNnVQx0
楚は南方の異民族で野蛮人だから周王の権威とか知らんと言って王号を称した。

192名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:03:26.82ID:56sAjAqD0
項羽と劉邦の国「楚」の驚くべきルーツ!ついに歴史文献が出土し、楚は長江の国では無かったことが明らかに!?

清華大学所蔵戦国竹簡「楚居」の研究を元に、「楚」はもともと南方一帯を指した蔑称であり、西周時代以前は一つの国家のことでは無かった。北方から南下した「商」(殷)集団(殷そのものでは無い)が、楚王の祖先だと考えられる。

193名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:04:10.24ID:56sAjAqD0
西周から見て、イバラが生えてる未開の地が「楚」。
しかし、その楚は、長江流域に対しては「商」(殷)として接した。

194名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:04:35.68ID:56sAjAqD0
楚」と、「殷」(商)「周」の関係

中間にある「上洛・商県」は、殷末の周から「楚」と呼ばれた(周で出土した周原甲骨文より)

しかし、西周時代の周は、漢水の南側を「楚」(イバラだらけの未開の地)と呼んでいる(西周の青銅器の銘文より)

だが、その頃、楚王の祖先は商県にいた!

195名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:05:23.20ID:56sAjAqD0
殷末の周原甲骨に出てくる「楚」は、商県にいた「楚王室の祖先」を指している可能性がありますが、次の西周時代に討伐対象になった南方の「楚」は、たぶん別の国です。

196名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:06:05.06ID:56sAjAqD0
従って「楚」は蔑称ですが、戦国時代の遺跡から出土した竹簡の歴史記録「楚居」には、楚王室の祖先が帝王切開で生まれ、殷の名医がイバラで母体を縫合したので、「楚」と呼ばれたという楚人の理解が記されていました。
この話も、これまで全く知られておらず、世紀の大発見でした。

197名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:06:55.14ID:56sAjAqD0
そこで気になるのが、春秋戦国の「楚」の祖先集団が、殷周時代には「商」(弘農郡商県、上洛県)の地にいたと主張している『楚居』の記述なのです。
殷王盤庚(ばんこう)の孫娘と結婚し、「京宗」という理想的な土地で暮らしたという故事からすると、「楚」だと思っているものの正体は「殷」(商)だと

198名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:07:26.81ID:56sAjAqD0
春秋時代の楚は、南方の蛮夷の勢力に対しては「中原の国家」(殷系勢力)として臨んでいたが、

中原の国家に対しては「蛮夷の勢力」(だが、周との深いつながりがあると主張)だとして、介入を受けないことを第一としていたように思います。

199名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/03(日) 01:08:02.87ID:56sAjAqD0
「楚」は、西周側がある方面の集団に対して用いた蔑称だとすると、途中で蔑称だった「楚」を自称に変える動きがあったと考えられ、
そうすると、西周時代の対外戦争に登場する「楚」と、春秋戦国の楚国の祖先は別の集団だった可能性も出てきそうですね。『楚居』の記述を肯定して、西周金文を尊重すると

200名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/08(金) 22:49:45.26ID:Qu41ud4v0
片山晋呉ってすごい名前だよな
この時代を意識して付けられたんだろうか?

201名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/09(土) 03:20:39.60ID:OLtm6zBv0
三国時代末「破竹の勢い」の故事からかもしれん

202名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/10(日) 02:28:34.91ID:OYMiTotd0
晋と呉ならそこもか
五代十国の後晋と呉はほとんど交わりないか

203名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/16(土) 07:58:52.42ID:QMyVAjao0
資治通鑑読んでるんだが戦国四君はけっこう辛辣な評価されてんだな。
とくに孟嘗君は斉ビン王と同じ評価って

204李侯2018/06/18(月) 11:21:56.36ID:IE7l8pdz0
平原君とか人間味があって好きだけどなあ

205名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/18(月) 13:04:08.47ID:cumxvhrj0
【天竜人だな、皇族″】 日本軍が敵国のアメリカから燃料を買っていた事実、なぜ教科書に載せない?
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1529288795/l50

天皇は、国民ではなく、国賊の象徴だろwww

206名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/19(火) 17:10:47.35ID:eU8vT5L10
俺だったらこっちを選ぶな
https://goo.gl/fjwkS3

207名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/20(水) 00:02:01.45ID:p57bzw350
>>204
わかる、エロ本の場所暴かれた中2の気分だわ

208名無しさん@お腹いっぱい。2018/06/20(水) 23:08:43.68ID:XDHdos0g0
中国古代史を学びたかったが
良いのが東大とか早稲田と言われると何だかなあ

新着レスの表示
レスを投稿する