もしハワイ王国が独立維持していたら・・・? [無断転載禁止]©2ch.net

106Traveler2017/10/29(日) 14:42:59.58ID:IxC7BstV
>>105続き

カメハメハの死後、王太子リホリホは10日ほどの服喪を終えてコナの王宮で即位。カメハメハ二世となる。しかしこの時、彼の実母である
ケオプオラニおよびカメハメハ最愛の妻カアフマヌの二大巨頭を含む王族の女性らは、おりしも米国から来た宣教師夫妻と接触していた影響
からか、男尊女卑社会における「男女は食卓の席を別にせよ」というタブーの打破を目論んでいた。しかし王族の保守層は、タブーの遵守を
望んだ。板挟みになったリホリホは王宮を去ったが、追って来たカアフマヌの説得に遭い、やけになって側近と共に船で沖合に逃げ、2日間
も泥酔する。だがカアフマヌはカヌーを遣わした。観念したリホリホは、王宮の饗宴に参加する。外国人も交えた席ではあったが男女は別席
だった。意を決した王は、ヤングに命じて豚と鶏を切り分けさせ、王女の隣に座って旺盛な食欲で食べ始め、他の者にも男女同席を要請した

恐れ驚き、凝視していた原住民らは、王が死なないのを見て「アイ・カプ(食事のタブー)は破られた!」と叫んだ。「混乱を極めた食事の
後、王は命令を発した。全ての偶像を倒すべし、神殿を破壊すべし、司祭の権力は没収すべしと」と、宣教師の妻サーストン夫人は記録して
いる。かくして自由な食事「アイ・ノア」が、王国全土に布令された。なおカウアイ島のカウムアリイ王は、喜んでこれを受けいれたという

カメハメハの死から3か月経った、1819年 8月。>104で先述したフランスのフレシネ艦長が、西欧人として初めて大王死後の王都を訪問した
フレシネの部下アラゴが2人の男に案内され、王宮の神殿にあるカメハメハの遺体安置小屋に参拝に向う。所謂「もがりのみや」が、ハワイ
にもあった事がわかる。その掘っ立て小屋の入口で案内役は、呪文を唱えだした。意味は分らなかったが「カメハメハ」の名は確かに聞いた

そのあと案内役は地面をひっかき、かかとで踏むように踊り回った。アラゴたちにも同じようにやるよう指示したので、従った。入口は二重
の帳が垂れていて、中を見られなかった。アラゴが剣で帳を開けて中を覗こうとすると、周囲の見張りたちが恐ろしい叫び声で制止したので
慌てて止めた。だが隣の神殿には入った。すると「住民らは恐れと混乱の顔で固唾をのんで見守り、我々が境内に入ると近くの住民らは一斉
に跪き、次に腹ばいになった。だが彼らが立ち上がったとき、天からの火で我らが罰されないのを見て驚いていた」と、アラゴは書いている
タブーの侵犯が、天罰はどうあれ目潰しや生贄レベルの厳罰対象だったのは確かである。西洋人の振舞いが、様々なタブーを崩し始めていた

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