もしハワイ王国が独立維持していたら・・・? [無断転載禁止]©2ch.net

109Traveler2017/10/30(月) 17:32:57.71ID:9QCLuKx5
>>106続き

王族ケクオカラニは、二世が数々のタブー廃止の改革に着手したことを憤る保守層の代表格だった。かれはケアラケクア湾に程近い
己の故郷に隠遁したが、彼の隠棲地は不安にかられた司祭たちの拠点になってしまう。司祭クアワはケクオカラニを担ぎあげ、王朝
交代を企図した。危機感をおぼえた二世とカアフマヌらは武器の輸入に腐心しつつ、王母ケオプオラニらを派遣して懐柔を試みたが
決裂、内戦が勃発する。ケクオカラニの軍勢はカイルアの地まで進撃したものの、多勢に無勢で王軍に抗しきれず、海岸に後退した
しかるにそこには、砲を備えたカヌー船団が待ち受けていた。善戦空しくケクオカラニは左胸に被弾し、戦死。傍で健闘していた彼
の妻マノノは、夫の死を見てすぐに降服し助命を嘆願したが、左こめかみに銃撃を受け絶命した。時に1819年12月10日のことである

この叛乱鎮圧のあと、ハワイ版の廃仏毀釈運動が猛威を振るう。王族ホアピリの陣頭指揮でハマクアの神殿と偶像が破壊されたのを
皮切りに、破壊は全土に波及。辛うじて駆け込み寺ホナウナウだけが、例外とされた。なおホアピリが、ケクオカラニを焚きつけた
司祭クアワを処刑したのは言うまでもない。その後数年にわたって弾圧は吹き荒れ、「ハワイは無宗教という奇妙な光景が続いた」
(歴史家ジャルベス)。例のサーストン夫人も、以下のように生々しい証言を残している。

「偶像に固執する司祭が王の前に引っ立てられ、棄教の証拠として女の椀からポイを食べるよう、命じられた。彼はどうしても出来
なかった。それを見た王は彼にウィスキー一本一気飲みを命じ、木に斜めに縛り付け窒息させた。死体は一晩放置された。朝になり
人々は死体を木から降ろすと、かかとに縄をつけ村中を引き回し、それにも飽きると死体をカヌーに乗せ海に出て捨ててしまった」

新着レスの表示
レスを投稿する