もしハワイ王国が独立維持していたら・・・? [無断転載禁止]©2ch.net

112Traveler2017/11/02(木) 22:21:11.16ID:stSn+wTt
>>111続き

ロシア人コツビューは「1825年のホノルルにおいて、米国の宣教師ビンガムは専制君主の如し」と記述している。彼によれば二世の遺体を
本国に持ち帰ったバイロン卿は、イギリスから人形や影絵などのお土産も持参していた。然るにバイロンが島民に影絵芝居を披露しようと
準備している場へ、ビンガム師が登場。「悦楽を覚えると、ハワイ人は堕落して神への恐れを忘れる」なる理屈で、中止に追いやる。その
場にいたコツビューは、突然娯楽を奪われた島民らが不満の呟き一つ漏らさず従う従順さに驚き、「賢い政府ならこの純真な人々を容易く
文明化できよう」と述べている。だが首相カラニモクだけが「カメハメハよ、あなたは死ぬのが早すぎた!」とそっと呟き、悔し涙を見せ
たという。コツビューはビンガムの専制を「きつく弦を張る弓は折れる」と喩え、「ある晴れた日突然彼の星は堕ち、あっという間に権威
は無くなるだろう。今でさえ不満は充満しているのだから」と批判している。1830年には神技フラさえ退廃的とされ公的な場で禁じられた

いっぽうカメハメハ二世の外遊に随伴したフランス人リーブの要請もあり、フランスからもカトリック布教団が到来した。然しビンガムら
の反発及びフランスの経済進出を嫌う英米商人の圧力により、実権を握ったカラニモクはカトリックの弾圧に乗り出す。彼がカトリックの
洗礼を受けた最古参の王族であることを思えば、皮肉な展開であった。カメハメハ三世は1829年から10年間、カトリック布教を禁ずる法令
を出し、弾圧は公然化。改宗強要の監禁・拷問まで起きた。しかし1839年、フランス・フィリップ王の命を受けたM.ラプラス艦長率いる
フランス軍艦が来襲。「弾圧を続けるならホノルルを砲撃する」と恫喝された三世は、仰天して布教自由を宣言。表向きは弾圧も納まった

いずれにせよプロテスタントとカトリックの対立は象徴的であった。ハワイの歴史は、ハワイ人の関知しない所で回り始めていたのである

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