◆◆◆仏教は不幸な死は前世が悪いと言う◆◆◆ [無断転載禁止]©2ch.net

1名無しさん@京都板じゃないよ2017/06/05(月) 04:14:51.03ID:AnwFu+vUK
前世なんて、あるか無いかもわからないのに
宗派によって違うと言う人もいたが、どうやら
救いようがない。

462名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 01:19:09.49ID:Iji2hvCkK
冷静であろうとなかろうと熱い心を持った人。
優しい心を持った人が根拠もなく平気で死者を
冒涜するような教えを肯定したりしない。

463名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 01:45:34.36ID:Iji2hvCkK
特定の宗教なんか信じる気はないが
不幸な死は前世が悪いなんてことにせず
来世に埋め合わせがあるとしたほうが
どんなによかったか

464名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 01:57:53.67ID:Gu3TZVB+0
>>459
自分が想定してる人物像だけで論理を展開してることが、そもそもナンセンス。

プラス、上の方の書き込みが、「多少乱暴でも熱い心を持った」という人物を、暴力で人を傷つける人間と決めつけてるとも思わない。

仏教が死者を冒涜してるというのは、
仏教への理解不足から来ていると私は思う。このスレの最初のほうに、もうあなたの誤解を解けるような書き込みが複数あったよ。私が書いたものじゃないけど。

465名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 02:00:26.40ID:Gu3TZVB+0
>>461
その実感、分かる。
自分の悪因は作らないようにしようと思うけど、別に他者を救わないとか助けないとか、ないよね。
むしろ救おうとするね。

466名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 02:02:51.69ID:Iji2hvCkK
>>464
また、解釈の違いと言う話か?

467名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 02:59:46.04ID:Iji2hvCkK
三世とは(コトバンク)
仏教。前世、現世、来世または
過去世、現在世、未来世。

過去世とは(はてなダイアリー)
前世(ぜんせ)とも言う

前世(goowiki)
仏教では三世のうちの過去世にあたる

業(goowiki)
業そのものは善悪に応じて果報が生じ
死によっても失われず

468名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 03:05:36.06ID:Iji2hvCkK
離檀料
戒名差別
三世因果

469名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 03:07:00.14ID:Iji2hvCkK
因果応報
三世因果
六道輪廻
自業自得
業報

470名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 03:08:04.23ID:Iji2hvCkK
前世、現世、来世。三世にわたり
偶然は無く、全てに原因があると
いう教えが仏教の三世因果の教え

471名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 10:12:33.27ID:ZlHiwQbma
ブッダのことば・スッタニパータ・第1章・140〜142

第1 蛇の章 7.賤民経 

140.
聖典を読誦する家に生まれ 
いつも聖なる言葉(真言)に親しんでゐる婆羅門であつても
よからぬカルマ(行為・業)をしばしばしてゐるものがゐる

141.
そのやうなものはこの世にあつては非難され
“未来に於いては”苦難の世界へゆくこととなる
彼の<婆羅門という高貴な身分での>生まれは 彼が苦悩の世界へゆき
非難されることをなんら妨げない

142
生まれによつて賤民なのではなく
生まれによつて高貴なのでもない
カルマ(行為・業)によつて賤民となり
カルマ(行為・業)によつて高貴な人ともなるのである

472名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 11:13:34.63ID:9xfkjuAX0
現在の今、今、今の連続があるのみ。過去はもう存在しない。未来も今だ存在しない。有るのは現在の連続のみ。
悪い行い良い行いは存在しない、私を苦しめ後悔をさせる行為が悪い行いである。
例えば人を殺したとする。これは悪か。悪ならば私を殺にさせていった因縁もある。
これ全部も悪となる。悪因悪果ではなく悪因苦果だな。しかも果からみて初めて悪因が知れる。今の行為が悪なのか善なのかわからない。またこの先どのような結果をもたらすかも分からない。しかもこれは有我という自分があるという考えが前提の話。
本来は無我であり空だとすると、悪や善、苦楽は存在しない。しかし有我見において
存在する。

473名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/12(火) 15:21:08.27ID:+L1qlehd0
(゚∀゚)
└O」 ポン!

474名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 02:52:40.34ID:DnU+Cb97K

475名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 16:24:58.92ID:Bf6CGqeV0
「この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵り退け、他人が与えようとするのを妨げる人々、
−−かれらは、地獄、畜生の胎内、ヤマ(閻魔)の世界に生まれる。
もしも人間の状態になっても、貧窮の家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯を得ることが難しい。
愚者たちは、それを来世で得ようと望むが、彼らにはそれが得られない。
現世ではこの報いがあり、死後には悪いところに堕ちる」

「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、
もの惜しみをしない人々が、
ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、
彼らは天界に生まれて、そこで輝く。
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。
また〔来世には〕他人の蓄えた財物を、他化自在天のように、喜び楽しむ。
現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる」
(相応部経典1-59『もの惜しみ』)

476名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 17:53:43.35ID:Bf6CGqeV0
>>183
何故か対談中は忘れていましたが、
業は身口意の三業などで理解できるとおり基本的には結果を伴う行為のことであり、
その行為の結果は自業自得として本人に帰属するので、「個識別性」はあるのが当然ですね。

田中2さんの体験や記憶が鈴木さんに乗り移ったりしないのと同じです。
記憶も体験も行為もその結果も我(アートマン)ではありませんね。


「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、
奴僕も、雇人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、
どれもすべて連れて行くことはできない。
すべてを捨てて行くのである。
人が身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、それこそ、かれ自身のものである。
人はそれを取って受けて、行くのである。
それは、かれに従うものである。
影が人に従って行くように。
それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。
功徳は、あの世で人々のよりどころとなる。」
(サンユッタニカーヤ「子がいない」)

「無常 忽(たちま)ちにいたるときは国王大臣親暱(しんじつ)従僕(じゅうぼく)妻子珍宝たすくる無し、
唯独り黄泉(こうせん)に趣(おもむ)くのみなり、
己に随い行くは只(ただ)是れ善悪 業等(ごっとう)のみなり。」
(修証義第一章「総序」)

477名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 17:55:48.41ID:Bf6CGqeV0
>>476
もスレチ失礼σ^_^;

478名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 19:30:57.96ID:DnU+Cb97K
>>182
> >>181
> お葬式も役所で手続きして遺体は自家用車で運ぶんでしょ?
> そこまでやらないと徹底したことになりませんよ。
>
> 坊主にゃ頼らないけど葬儀会社の世話になるやら、石屋の世話になるじゃあ甘い。
> 墓石だっていらないはずだ。
> 織田信長は安土城の材料に真っ先に先祖代々の墓石を使い、代わりに木の柱を立てて、
> 筆で織田家の墓ってかいたんだから。あなたもそこまでやらないとね。
> 往古からの貴族や豪族の末裔じゃないんでしょ?
> どこの馬のクソかもわからないんだからすぐ絶えちゃうような家のために葬式と言うセレモニーをして、
> 一夜限りの豪華な祭壇の使用料をたんまり葬儀社に払って、未来永劫残る石の墓を立てるなんてもったいな〜い。
>
> ホームセンターでやっすい節穴だらけの柱か板買ってきて地面にぶっ刺しとけばいいんですよ。
> 後は黒マジックでなんか書けば?
> どうせ三回忌も持たずに墓参りもしなくなるし(笑)
>
> 一番いいのは生ゴミに少しずつ骨いれて捨てればゼロ円だね。
> でもこれは犯罪だからね。やっちゃダメだよ。

479名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 22:21:26.80ID:fHd3aaAsa
後生、後報を認める仏教
http://www.homyou.hello-work.jp/ron3.html

480名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:09:33.01ID:DnU+Cb97K
釈迦の二枚舌

481名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:44:57.02ID:ZPxvKrMr0
仏教徒には不妄語戒という戒があって、嘘をついてはいけないことになっています。
出家は特に命を掛けて戒を護っています。
その出家修行者が、過去世を語ることの意味を、一度よく考えて欲しい。

仏陀も、仏弟子も、過去世を見て、過去世の話をしているはずですよ。
過去世をみたから、過去世があるよと言っているはずです。

経典に照らして説明すると、清浄道論における、七段階のうち渡疑清浄にいたると
観禅の洞察智が縁摂受智といわれる段階まで深まり、その段階でいくつもの過去世
を思い出して、過去世で形成した業が、そのようにその後の輪廻で果を結ぶかを見て
いくそうです。

そして、その前提として禅定の修行があり、禅定に入る修行の段階でも、さまざまな
見性体験をして、修行者はそういう道が本当にあることを知ります。

482名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:46:58.96ID:ZPxvKrMr0
過去世の記憶は、今世の自我の中にはありません。
脳みそのなかにあるわけでもありません。
今使っている、この脳みそは、過去世には存在していませんでしたからね。
そんなところに、過去世の記憶はないのです。

しかし、瞑想で自我を脱ぎ捨てた状態の意識は、すべてを覚えています。

483名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:48:31.90ID:ZPxvKrMr0
神通力というのも、自我のなかから出てくるものではありません。
自己が修行して、自己が身につけるわけでもありません。
人間自我に備わる力は、あくまで人間の力であって、神通ではありません。

神通というのは、人間自我を脱ぎ捨てた状態で、人間自我の外側に
もともとあるものなのです。

484名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:50:55.76ID:ZPxvKrMr0
過去世はありますし、解脱していない限り、来世もあります。
業と業の報いはありますよ。

身体の死が、業と業果の終わりではありませんよ。
業が身体を生みだし、生命たらしめているからです。

485名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:52:31.53ID:ZPxvKrMr0
過去世や来世が、あるかないか分からないのだったら
なぜ仏陀や仏弟子が過去世や来世の話をするのでしょうか。

あるのか、ないのか分からないことを、あるといったら、それは嘘でしょ。

486名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/14(木) 23:54:43.39ID:4H5k9iDXH
仏教よりジャイナ教の方が哲学的

487名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:00:14.42ID:7rpd6crV0
仏教はとても現実的です。

人間意識状態というのは、瞑想によって思考から抜け出した状態と比較すると、
夢の中のようにもやっとしています。
人間はそれを現実だと思っていますが、ある視点から見れば、それはある種の錯覚です。
人間には人間の現実がありますし、それは確かに存在はしていますが、確かな実在では
ありません。
視点が固定されていることが問題なのです。

488名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:02:25.31ID:7rpd6crV0
瞑想の修行を積むと、ご自身で分かるようになっていきます。
ご自身で、というのは言葉の上での話で、実際にやることは
まず自我を脱ぎ捨てることです。

瞑想の修行とは、三学(戒定慧)のことです。
別の言い方をすると、四諦、とくのその道諦である八正道のことを指します。

ポイントは、自分で確かめられる、ということです。

489名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:05:12.90ID:7rpd6crV0
夢の意識があれこれと考えて生みだした概念は、
どれだけ立派であっても、しょせんは夢です。
仏道は、現実に目覚めることを教えます。

490名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:13:27.15ID:UECYhnqr0
瞑想中の意識こそが夢
みんな騙されちゃ駄目よ

491名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:16:50.95ID:7rpd6crV0
夢とは、睡眠中にみるものですが、瞑想中は眠っていません。
それは居眠りです。

幻覚とは、感覚によるものですが、瞑想中は五感を感じていません。
(身体そのものを気にしていません)。

妄想とは、思考によるものですが、瞑想中は思考していません。
(思考と意識は別ものです)

492名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:18:18.26ID:7rpd6crV0
瞑想中に居眠りしていたら、頭は下がり、背中は丸く、コックリコックリしているので
見た目にもすぐに分かります。

瞑想が成功している時は、まっすぐ坐って石のように何時間もピクリとも動かない状態になります。

493名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:26:07.60ID:7rpd6crV0
思考と意識が別物、について補足します。

人は何かに熱中していると、周囲の物音が聞こえていないということがあります。
皆さんも経験したことがあると思います。
このことは、五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)全てについて同様のことが言えます。

三昧に入れるぐらいまで、徹底的に瞑想をしない人(従ってほとんどの人)は、一生
知らないまま死ぬことになると思いますが、思考も音や感覚のように、何かに熱中して
いる時はスルーできます。

そして、自我の実感を形成しているのが、五感+思考・感情なのです。
ここをスルーできれば、天動説を信じる人が、宇宙空間に飛び出して、外から丸い地球を
眺めるような、実体験にもとづく洞察体験が起きるでしょう。

眼耳鼻舌身意
        ↑
        コレ

494名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:29:29.18ID:7rpd6crV0
        コレとは別
        ↓
色声香味触法

495名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:33:37.31ID:7rpd6crV0
幻覚とは、五感によるものです。
妄想とは、思考によるものです。

みなさん、しっかり五感と思考のなかに居るのではありませんか。
顛倒夢想とはどういうことでしょうか。

ぜひご自身で確かめて見て下さい。

496名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:36:39.80ID:tGkVg9Kb0
>>495
「貴方の”ソレ”」が、「妄想でない」、
ということは、どのように担保されるのでしょう?

497名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:45:13.59ID:7rpd6crV0
理論と観測による確認です。
ただし、観察対象は物質ではなく精神。
物理現象ではなく精神現象です。

従って、唯物論を前提とする科学の作法で証明することはできません。
(唯物論という前提が間違ってるからですけどね。)

仏教の基本概念のひとつに、仏法の性質を示す、法の六徳というものがあります。
法は賢者によって、めいめい自ら証される、というものです。

平たく言うと、自分で確かめる他ありません。

498名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:46:17.62ID:UECYhnqr0
その意見発表したくてウズウズしているエゴをまず捨てることですな

499名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:48:41.16ID:7rpd6crV0
現代人の多くは、ひどい迷信を信じています。
2500年前と、さして変わっていません。

例えば、現代人は、心を脳みそで説明します。
脳みそは物質ですから、脳みそで精神を説明するのは、
換言すれば、精神は物質だと言っているのと同じです。

神経伝達物質等の働きによる脳内現象は、物理現象ですから
脳内現象で精神現象を説明するのは、換言すれば
精神現象は物理現象だと言っているのと同じことです。

瞑想の智慧からみると、率直に言って、
原始人級のひどい迷信です。
それでいながら、現代人の多くは、自分たちのことを
えらく理性的で文化的だと思っているわけです。

500名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 00:52:40.20ID:7rpd6crV0
わたしの世俗におけるミッションは、仏法が迷信でないことを
伝えることで、世俗におけるわたしのお勤め、仕事なのです。

世間を離れて修行に専念する時期になれば、人と話すことも
ほとんどなくなります。

達磨大師や、弘法大師のような大物が登場するまで、誰も
仏法について話すことができないのであれば、日本における
仏教復興は諦めねばなりません。

501名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 01:09:38.35ID:UECYhnqr0
>>499
心配しなくても現代人も受験前とか初詣とかお宮参りとか七五三で願掛けしてるし、
生まれ変わったら◯◯になりたいという輪廻転生を信じている若い子は多いし、
宿業退治とか宿命転換とかで拝み屋やカルト宗教が横行しているし、
そういう信仰や迷信から離れたマインドフルネスも近年ブームになっている。

君が心配しなくても大丈夫。
それと君の連投癖は呆れられてまた病気発生とか思われるのが関の山なので、大事なことを伝えたいのならなるべくは連投は避けた方が良い。

2ちゃん〜5ちゃんでは連投や長文は嫌われるよ。

502名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 01:14:32.29ID:gLbpEEap0
>>497
私は貴方の言ってること、分かるよ〜。
体験して、知っているから。
でも貴方もお分かりだと思うけど、
言葉でどれだけ言っても、分からない、信じられない人がほとんどだろうね...。

よく5ちゃんに、それを書き込もうとおもったね(笑)嫌味じゃなくて、真面目だね〜という意味で。
私は、私自身の修行をコツコツ続けつつ、縁があった人には伝える、くらいかなぁ。

503名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 01:52:17.82ID:bMGzhLM00
ブッダと真理の教えとに対して信仰心あり、修行者の集いに対して熱烈な尊敬心を持っているならば、
彼らは天界に生まれて、そこで輝く。・・・・・・・・・・・
もしも人間の状態になっても、富貴な家に生まれる。
そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。・・・・・・・・・・

この思想からいろいろな考えが生まれる。一つは浄土、とか極楽思想。良い行いの者は次の世に浄土に生まれる。
悪い行いの者は地獄に落ちるとなる。
もう一つは、この世で王族や裕福なのは前世の行いが良かった結果だ。反対に貧乏なのは前世の行いが悪いからだ。
この世で体が不自由なのは前世の報いだとなる。さらに何が来世に往くのか。過去世から何がこの世に来たのか
霊魂のような不変な我が有るのかないのかという問題がでてくる。
仏教はどう答えるのか。

504名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 06:39:41.69ID:7rpd6crV0
例えば、
海の表面に波や泡沫が生まれては、消えていくのを見る時、
泡沫や波を実体視しているとどう見えるかというと、
あの泡沫はどこへ行ったのか、この泡沫はどから来たのかと考えることになる。
しかし、泡沫も波も、海から生みだされているのであって、泡沫や波を始点として海があるわけではない。

同様に、
個々の自我が生まれては、消えて行くのを見る時、
個々の自我を実体視していると、どう見えるかというと、
あの自我はどこへ行ったのか、この自我はどこから来たのかと考えることになる。
しかし、自我は、自我を生みだしているメカニズム(業や五蘊)から生じているのであって、個々の自我が
世界の自然の摂理を内包しているわけではない。
自然の摂理の中に自我が生じている。

個々の泡沫や波は、どこから来ただろうか。
どこからも来ていないし、何処へも行かない。海で起きる現象が生滅している。

個々の自我は、どこから来ただろうか。
何が流転するのか、と考えるのは、実は質問の前提が間違っている。
仏教用語で、有身見という。

505名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 06:44:30.64ID:7rpd6crV0
× 内包しているわけではない
○ 包摂しているわけではない

506名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 06:59:48.04ID:Y3kqicmla
ID真っ赤にして連投している人をNGID登録したらものすごくスッキリしたw

507名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/15(金) 10:27:46.26ID:bMGzhLM00
質問にそもそも間違いな質問というのがあるのかどうか。
また質問に対して答えが間違いというのもあるのかどうか。
井上靖作家はその泡の喩えを海ではなく川で喩えている。何故ならその海自身も変化して常でないと言うことを表したかったのだろう。
また仏教では不一不異をいう。この世とあの世では何が往くのか。過去世と現在ではどうか。泡で言うなら浮き沈みする泡は同じか異なっているのか。全体の泡の量は変化しているのか。
一であるなら無常無我の仏教論理に反する。かといって異なら縁起の思想や因縁に反する。海を空として考えれば、 本質は空であるから縁によって有と無の相をあらわすという所は賛同できる。この世とあの世の自分は同じではない。かといって異なってもいない。

508名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/20(水) 21:12:29.39ID:rTfKLQdj0
生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。
かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(天)に生まれるであろう。
しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。

ひとびとは因縁があって善い領域におもむくのである。ひとびとは因縁があって悪い領域におもむくのである。ひとびとは因縁があって完き安らぎ(ニルヴァーナ)に入るのである。
このように、このことは因縁にもとづいているのである。(『感興のことば=ウダーナヴァルガ』)

人間の身を受けることは難しい。死すべき人々に寿命があるのも難しい。正しい教えを聞くのも難しい。もろもろのみ仏の出現したもうことも難しい。
存在の世界の彼の岸にいたり、未来の煩悩を離れ、過去の煩悩を離れ、また現在の煩悩を離れねばならぬ。
意(こころ)を一切のところにおいて解脱せしむれば、なんじはふたたび生と死の苦しみを受くることがないであろう。(『法句経=ダンマパダ』)

509名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/21(木) 09:37:35.66ID:qFcBL5gk0
この世で他人のした悪い行ないを見ては、ひとは非難するであろうが、その悪い行ないを自からしてはならない。
悪人は実に(自分の)業に束縛されている。


詐欺や慢心をともない、正しくない行ないにより、あるいは他人から企まれて、人々を傷けるならば、その人々は深い坑の中に堕ちる。
人々は実に(各自の)業に縛せられている。


人がもしも善または悪の行ないをなすならば、かれは自分のした一つ一つの業の相続者となる。
実に業は滅びないからである。


或る物が人に役立つあいだは、その人は(他人から)掠奪する。次いで他の人々がかれから掠め取る。
(他人から)掠め取った人が、掠奪されるのである。

510名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/22(金) 23:29:50.90ID:UVuq0BaH0
【第二十七章 観察(40〜41)】@『感興のことば(ウダーナヴァルガ)』

40.ここなる人が苦しみを見ないというのは、見ない人が(個人存在の諸要素の集合が)アートマンであると見ることなのである。
⇨例えば五蘊の集合をアートマンと見る

しかし(すべてが)苦しみであると明らかに見るときに、ここなる人は「(何ものかが)アートマンである」とうことを、つねにさらに吟味して見るのである。
⇨例えば色はアートマンであるか、受はアートマンであるか、想はアートマンであるか、行はアートマンであるか、識はアートマンであるか
と吟味して見る
⇨この場合の結果は五蘊無我

41.(無明に)覆われて凡夫は、諸のつくり出されたものを苦しみであるとは見ないのであるが、その(無明が)あるが故に、すがたをさらに吟味して見るということが起るのである。
⇨煩悩即菩提

この(無明が)消失したときには、すがたをさらに吟味して見るということも消滅するのである。
⇨解脱
「たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、
そのように聖者は名称と身体から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」
「滅びてしまった者には、それを測(はか)る基準が存在しない。
かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。
あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」
http://suttanipata.com/acyaafaafafaaea/

という感じでしょうか?

511名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/22(金) 23:31:26.99ID:UVuq0BaH0
>>510
スレ違い失礼

512名無しさん@京都板じゃないよ2018/06/23(土) 16:21:48.63ID:ljzTNq7Y0

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