1底名無し沼さん2018/01/06(土) 01:22:13.96ID:1Twqnt2o
231底名無し沼さん2018/04/02(月) 17:39:44.08ID:M66FLLUF
6、
神経症者は「この山」に登らなければいけないと思い込む。
自分の体力にあった山に登ればいいのだが、神経症型の人はそうは思えない。
神経症型の人が「この山」に執着するのは親の価値観なのだろう。
小さい頃の親を始めとする周囲の人の期待の内面化である。
実は楽しく登ればどの山でもいいのである。
皆に賞賛される自分、脚光を浴びる自分、そんな自分でなければ気がすまない。
理想像への強迫的執着である。実際の自分がその様に能力が無いのだから、
自分がなれるもので満足するというのが心理的健康である.
233底名無し沼さん2018/04/02(月) 18:01:01.70ID:M66FLLUF
7、
神経症者は、「こう」ならなければ満足できないというものがある。
しかし実際の自分はその様になる能力が無い。
あるいは本質的に自分の適性に、それは向いていない。
それにもかかわらず、神経症者はその様な地位に向けて強迫的な努力をすることになる。
おそらく大人になっても小さい頃の挫折を受け入れられないでいるのであろう。
なんとかして自分を嘲笑したものを見返してやりたい、
なんとかして親の失望を取り返したい、そんなものが無意識の領域にあるに違いない。
親が深い失望のため息をついたことによって受けた心の傷かも知れない。
自分の臆病に対して仲間があざ笑った時の心の傷がいつまでも無意識の中に残っているのかも知れない
「べつにこれ以上偉くならなくてもいい」と思えないということが、理想像への強迫的執着である。
実際の自分がその様に能力が無いのだから、
自分がなれるもので満足するというのが心理的健康である.
234底名無し沼さん2018/04/02(月) 18:08:42.16ID:M66FLLUF
8、
神経症者にとって実際の自分は軽蔑の対象でしかない。責める対象としての自分なのである。
もう一方に愛される自分、人々から尊敬される自分がいる。それが理想の自分である。
この理想の自分と実際の自分の緊張関係から強迫性が生まれる。
強迫的になってしまう人は誰からも教えてもらっていないのだろう。
小さい頃、優しく教えてくれる母親がいなかったのだろう。
神経症者はいつまでも名誉、賞賛を強迫的に追い求め、
ついに現実の自分の人生に満足することが出来ないままで人生を終わることになる,
235底名無し沼さん2018/04/02(月) 18:27:30.91ID:M66FLLUF
9、
神経症者は苦労すれば幸せになれると錯覚している。
神経症者は「負け犬の生き方はイヤだ」と言う。
他人を軽蔑しなければ生きていけないほど深刻な劣等感を持っているという事なのである。
それだけ苦しいと言うことなのである。
人を軽蔑しなければ生きていけない。
神経症的名声追及の過程には復讐的勝利への衝動が隠されている。
強迫的に名声を求める人は心の底に屈辱感を抑圧している.
236底名無し沼さん2018/04/02(月) 18:35:09.05ID:M66FLLUF
10、
神経症者には、見返してやりたいと言う復讐的な気持ちが最初にあるから、
現実の自分には不可能としか考えられない様な大成功を求める。
見返すために必要な成功、それが自分に対する非現実的な期待である。
もともと無理なことを望んでいるのだから出来るわけがない。
現実の自分を無視してしまうのはまず見返してやりたいと言う、
復讐的な気持ちが無意識の領域で先行するからである。
例え成功をして見返したと思っても、その時点での屈辱感を癒すものでしかない。
自分のコンプレックスを処理しておかなければ、またすぐに惨めになるだろう.
237底名無し沼さん2018/04/02(月) 18:47:26.88ID:M66FLLUF
11、
神経症の人は名声さえあればすべてが解決できると思っている。
皆から賞賛を得ようとする。
心の傷が深刻であれば深刻であるほど人はその傷を認めない。
親から受けた嘲笑を無意識の領域へと追いやる。
逃避することで実際の自分を受け入れることが出来なくなる。
挫折を人は受け入れることを避けようとする。
神経症の人は自分でない自分になろうと努力する。
努力の動機は「見返してやりたい」である。
復讐を動機とした努力は孤独への道である。
「見返してやりたい」と努力する人は神経症。
自分の価値を信じて努力する人は心理的に健康な人.
病気なのだろうけど、”挨拶されたい自分”を客観的に自己分析出来てるのは偉いと思う
239底名無し沼さん2018/04/02(月) 20:24:41.47ID:M66FLLUF
12、
神経症者は常に人と自分を対立した者と思い、いつも人と張り合っている。
現実に利害が対立しているわけでもないのに、神経症者は物凄い対抗意識を持つ。
何ら現実に対抗しているのではないのに、強い対抗意識を持つ。
いちいち人と張り合わずにはいられない。
神経症的競走は現実の利害対立なしに競走することである。
神経症者が自分の目的が分かっていないから自分の価値を感じられないからである。
要するに自分に自信がなく、価値が見いだせずに、他人との比較においてのみ考えようとするからである。
神経症者は、いつも誰が「より」魅力的であるか、誰が「より」人気があるか、等を気にしていると言う。
とにかく神経症的競走をしている人は他人の成功、失敗が気になる。
他人の成功が面白くない。自分の価値を下げると感じるからである。
自分と他人を対立して考えるからである。
人が何処の山に行ったかが気になる.
240底名無し沼さん2018/04/02(月) 20:36:21.44ID:M66FLLUF
13、
神経症的競走をする人は、負けたと思ったときに、
[あの葡萄は酸っぱい]と言う解釈で他人の優位に立とうとする。
神経症的競走をする人は、「敗者」につきものの感情を抑圧するということである。
葛藤に苦しみ、不安にさいなまれることになる。
いつまでも成長できないまま人を愛することができず、
いつも不機嫌に苦しむことになる。
神経症的競走をする人が、自分の心の葛藤を解釈で解決しようとしても無理である.
241底名無し沼さん2018/04/02(月) 20:41:43.67ID:M66FLLUF
14、
神経症者は周囲に優位するばかりでなく
その優位を相手にも認めさせようとするから余計いがみ合いが激しくなる。
心のふれあいのない関係はお互いが必要なことがなくなった時に、
すごく残酷な形で終わりになる。神経症的競走はこんな関係なのである。
相手も優位しようとしている。その相手にこちらの優位を認めさせようとしているのであるから、
こちらの優位を認めるはずがない。
お互いに相手の優位を認めるはずがないのにその優位を認めさせようと激しくいがみ合う.
242底名無し沼さん2018/04/02(月) 20:49:19.77ID:M66FLLUF
15、
神経症的競走心を持つものは人よりも成功したい、多くのことを成就したいと思うばかりではなく、
自分のしたことがユニークで例外的でないと気にいらない。
神経症者はスーパー・マンを目指す。
そして自分は人々の幸せに役に立っているという実感を求める。
社会に貢献できる喜びを求めない。
成功はその人に自信を与えない。
だから次々により大きな成功を求めさせるのである。
こういう人は常に皆に注目されていたい。
何時も周囲の人に自分を認めさせよう、認めさせようとする。
そして無理に自分の重要性を認めさせようとするから、かえって皆に嫌われる。
それが不安を増大させ、余計に自分のしたことの価値を誇張する。
自分のしたことの価値を誇張するのは自分が望むように相手が自分を認めてくれないからである.
244底名無し沼さん2018/04/02(月) 20:52:15.42ID:M66FLLUF
16、
神経症的競走には復讐心が隠されている。
従って自分が成功することよりも他人が負けることが重要になる。
自分が幸せになるよりも、他人が不幸せになることが重要になる。
神経症的競走をする人は、私だけが成功しなければ気に入らない。
自分以外の人が注目を浴びると気に入らない。
それは自分以外の人に対する敵意である。
自分の満足が他人との関係で決まる。
神経症的競走をする人は成功することが怖い。その能力に自信がないからである。
そうなると残された道は他人の足を引っ張ることしかない。
要するに他人の足を引っ張ることが仕事になる。
復讐心を動機として努力して「俺は成功した」と思った時が
成功の恐怖の時である.
245底名無し沼さん2018/04/02(月) 21:00:09.22ID:M66FLLUF
17 、
何故、神経症者は山を登り、
見えざる敵と戦い続け、そんなに身構えて生きなければならないのか?
何故、深刻な劣等感を抱える者は、医療やボランティアに従事し、
感謝を要求せずにはいられないのか?
心の葛藤を解釈で解決しようとしても無理である。
心の底を見つめることの方が、解釈よりもはるかに重要である.
246底名無し沼さん2018/04/02(月) 21:37:09.92ID:M66FLLUF
18、
神経症者は山登りには興味がないが、頂上にいたい。
神経症者の目的は自己実現ではなく、自己栄光化である。だからトラブルを起こす。
深刻な劣等感に悩んでいる人の最大の問題は、他者に対する優越にしか関心がないことである。
劣等感が強ければ、人と親しくなるよりも、人から尊敬されることを求める。
そして、常に相手に優越しようとするから人と親しくはなれない。
自分への失望があるだけに、他人に自分を尊敬させようとする。
普通の人より自分に失望している人のほうが、他人に尊敬してもらいたがる。
人に尊敬と感謝を求めるときには、人は無理を始めている。
そして、無理しているから尊敬と感謝がほしい。
実際の自分以上に自分を見せようとすることで、
実は実際の自分を自分が卑しめていることになる。
劣等感は成功によって消えるものではなく、逆に深刻になっている。
劣等感をバネにして頑張れば、成功しても失敗しても劣等感は強化される.
247底名無し沼さん2018/04/02(月) 21:45:05.08ID:M66FLLUF
19、
人は劣等感を解消しようと努力すればするほど逆に劣等感を深刻化していく。
屈辱感を乗り越えようとして、「俺はすごいんだ」と、その場を心理的に収めるが何の解決にならない。
神経症的解決である。
過去の屈辱感が優越の願望を生む。優越する事で心の葛藤を解決しようとする。
優越することの障害となる人が出てくる機会が普通の人より多くなる。その人を許せない。
優越したいという神経症的要求を妨害する人が許せない。
そして努力の方向が不幸への道となる。
深刻化した劣等感を解消することが全てに優先するようになる。
劣等感は依存症のようなものである。
劣等感の深刻な人は優越感を求めまいと思っても優越感を求めないではいられない。
アルコール依存症のようである。いちいち人と張り合わずにはいられない。
競争に勝てばその時はホッとする。しかし心の葛藤は深刻化している。
競争に勝っても負けても劣等感は深刻になっている。優越がその動機だからである。
劣等感の深刻化したのが神経症である。
年齢とともに神経症は悪化する。神経症の冷酷な心理法則に従って、不幸な人はより不幸になる、
葛藤を安易に解決しようとした結果である。
人は自分の神経症がどんどん悪化しているのだと気がつかない。
優越感は地獄への切符である.
248底名無し沼さん2018/04/02(月) 22:05:08.45ID:M66FLLUF
20、
神経症者の自己栄光化は心の葛藤を解決する手段なのである。
子供の求める栄光は親の劣等感の部分である。
親の子供への期待こそ親の劣等感の部分なのである。
劣等感のある親ほど子供が良い成績だと喜ぶ。
自分が好きでもない職業につこうと努力したりする。人の眼を意識した行動ばかりをする。
心の傷を癒そうと、自分の適性を殺すという犠牲を払って栄光を求める。
人を意識した行動を続けるために、本当の自信をつける機会がさらになくなってしまう。
それにも関わらず必死で自信を求めて居る。
虚勢によって人の上に自分を引き上げても残念ながら自信は出来ない。
周囲の評価をねらっていると、いつになっても本当の自信は身につかない。
神経症者は周囲から特別に偉い人として扱ってもらえることを期待する。
自分はいつも人より特別に扱われるような資格があると思っている。
自分が自分の生き方を納得していないから、周囲の人に偉大な人間として扱ってもらいたいのである。
自分が普通の人になってしまうと心の葛藤と直面しなければならない。
つまり普通の人になれば、屈辱感を味あわなければならない。
自己を栄光化することが出来れば屈辱感を味あわなくてすむ。
神経症者は虚勢を張って威張っているが、心の底では人が羨ましい。
周囲から「自分の事を何様と思っているのだろう」と思われる。
こういう人々は本当の自信をつける機会をもてないまま年をとってしまった人達なのである。
自己栄光化は、弱さの象徴である.
250底名無し沼さん2018/04/04(水) 23:51:49.27ID:DXq2AUWM
しつこいパクリブログ宣伝はNGぶっこんでスッキリだろ
栗城なんてどーーーーーーーうでもいいし、詐欺に合うやつはどうしたって騙されるしな
騙されて余程悔しかったんだろ
ま、結局バカの見本みたいな奴が騙されるんだろうが
キチガイ相手にキチガイがブログを始め、さらにキチガイがリンクを貼る
負の連鎖は怖いな
でも、まあ好きにやればいいと思う(笑)
ブログやってるのと貼りつけてるのは同じキチガイなんだけどね
キチガイの
キチガイによる
キチガイのための
自演
栗城は、
壁登ってまーす
↓
サングラスに写った景色がおかしい
↓
これ平地に横になってるだけじゃんwww
のコンボが一番ウケたな
変な追求ブログみたいの要らんよ
黙って泳がしてニヤヲチするのが一番面白いのにな
栗城は言い訳が面白いからそっとしておけよ
そもそも騙される方も悪いんだよ
まあ栗城だしね
アンチブログまで立ててるのは単なる被害者なのだろう
普通は騙されないから(笑)
自分から挨拶してこない人は半々ぐらいだが、こちらから挨拶すると99%挨拶返される
これが現実だろ
>>268
そうだよ
でもここはヒキニーのネタスレだからそれじゃダメなんだよ
もっと煽られるような極端さがないと 270底名無し沼さん2018/04/17(火) 21:21:46.12ID:65Hzp8Sr
ハッキリ言ってだぞ、山登りに行くからにはストレス発散したいが大いなる理由なんだ。それも人間関係とかのな。
だからなるべく人が少ないアウトドアのマイナーな山行ってんのに、そこでも人間が居るんだから世話ねえわ
誰が登山に来てまで挨拶なんかするかってのw
俺はいつもすれ違う時は相手から挨拶されてもガン無視してやるw
相手の舌打ちが聞こえる時もしょっちゅうだわwww
山に来てまで人なんかと関わりたくはない
んでなw
>>270
何の関わり合いもない他人に挨拶なんてする義務は1mmもないし、それはお前の自由だ
オレも中年の男に対しては決してこちらから挨拶しないし、もしそれで舌打ちするような相手だったら無視して正解だったという事だな
しかし登山の目的が普段の鬱屈した人間関係のストレス解消とはもったいない 挨拶はあったほうが気持ちいいと思うけど、挨拶がないとか怒ってるのは気持ち悪いな
単純に関わり合いたくない
>>272
リアルはそれでいいけど
ここはネタスレなんだから多少批判されるような内容で投稿しないとスレ進まないしのびない >>268
北海道だと自分から挨拶してくるのは3割ちょい
まあ基本されてから返すオレが言えた義理じゃないけど(笑)
北海道は地元民の他に結構数、道外どころか外人が多いのだけど、オレ的自分から挨拶する地方ランキング
1位:白人
2位:関西人
3位:道民
ーーーー超えられない壁ーーーー
関東、東北人
という感じだな
関東、東北人も挨拶すれば返すし、話かければそれなりに対応するけど、なんか変なオーラ纏ってるね >>277
地方から関東もん、東京人が好かれていると思ってるのか? 東京は地方出身者の寄り合い世帯
江戸っ子なんて一握りだよ