【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)7【ダメ工作員】

1底名無し沼さん (ワッチョイ b2b8-zNTQ)2018/01/12(金) 11:41:42.97ID:upG+dttv0
 
板中を荒らしながら病的な自演とスパムを続ける「栗木ハンター」。
アフィ目的は明らかですが、その来歴や栗城スレ(まとめwiki)の妨害、当スレでの執拗な埋立てなどから
栗城ネット工作員である可能性が濃厚です。
 
ここは、現在もっとも不快な荒らしである「栗木ハンター(通称ワイエディ)」をヲチりつつ
登山キャンプ板の正常化を願い、情報を共有していくためのスレッドです。


【!】異常者にご注意ください【!】
(ワイエディ [123.255.128.*]) 栗木ハンター主回線
(エーイモ [1.114(115).*.*]) 別回線
(ササクッテロ*) 別回線 末尾*ラ〜ロは動的
(ワッチョイ [175.177.5.*]) 埋立荒らし
(JP [103.75.118.*]) 埋立荒らし
(アウアウカー [182.251.242.*]) 埋立荒らし
(アウアウウー [106.133.56.*]) 埋立荒らし
 ※他にも回線あり


■ ご覧の皆さまへ
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☆ オリジナルはこちら!
【栗城史多まとめ @ ウィキ】
登山や活動・関係者等の詳細なまとめ。
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/
http://www44.atwiki.jp/kuriki_fan/m/ [モバイル版]
【知恵袋のベストアンサー】
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1146998496
【オクサマファイル】
的確な指摘です。ご一読を。
http://baby01.net/blog/364
(当板「栗城スレ」や「海彦山彦ブログ/栗城下山劇場」もおすすめです)


※前スレ
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)6【ダメ工作員】
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1515669648/1-41
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured

298底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:04:10.41ID:GFydl90A0
流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつける。西
宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、や
がて豪華な本社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞
できる貴重な建物である。−49−写真西宮本殿の写真図西宮
本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝した地で
あり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている
。さらに、788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山に
は、大塚社として日本武尊を分祀したと伝えられる。現在この
地は、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を祀る祠が建
てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火
祭(鎮火祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石
上に御輿が安置され、神事が行われる。ここで読まれる祝詞の
一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。写真御鞍石の
写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点在している平
面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作
品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖図
以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って
修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、い
つの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、
景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがあ
る。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に示す要素が点在して
いる平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多く
の富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の
対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの
芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある。
写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅
間大社図以下に示す要素が点在している平面図・神立山本殿

299底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:09:13.20ID:78FOTcTx0
る。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺、正面に1
間の向拝が付いている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続し
ている。県指定文化財として保護されている。[透塀]本殿周囲
を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含め
たより広い範囲を囲む1棟−51−の計2棟で、総延長は36間
に及ぶ。県指定文化財として保護されている。[楼門]三間一戸
、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついてい
る。楼門の左右には随身像が安置してある。静岡県指定文化財と
して保護されている。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼
門から東西に伸びる回廊は、昭和9年(1934)に付加された
ものである。・手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清
めるために手や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれ
の灯籠が境内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に
石造りの鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄進されたも
のである。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱
塗りの鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執
り行われる馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝
が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことに始まる
と言われ、室町時代の初期にはすでに神事が行われていたとの記
録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えられてい
る。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、池に下り
るための石段が組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の
神田川への流出口に石造りの橋が架けられている。春秋の大祭に
はこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされる。寛文10年(
1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋
)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛
文10年の絵図には既に描かれているが、大正4年(1915)
に石造りに改められた。写真輪橋の写真図輪橋の平面図絵図寛文
10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査により、
護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出さ
れた。石垣は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。
また、石垣で正方形に囲繞された敷地内で建物跡の礎石が確認

300底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:09:36.91ID:78FOTcTx0
場、中宮の社、小屋等がおかれていた。ここの役場は、古くは中宮三社の神供料と
して役銭を納めた場所である。後年は登山切手改め所となった。小屋については、
江戸後期には4軒があったが、すでに武田信玄の1566年の文書に「中宮之室」
という名称があり、戦国時代からこの地に小屋が設けられ−48−ていたことがわ
かる。最盛期には18軒が所在したと伝えられている。写真五合目周辺の写真・烏
帽子岩七合五勺に烏帽子の形をした岩があり、これを烏帽子岩という。ここにて富
士講中興の祖と称される食行身禄が、1733年に31日間の断食修行を経て入定
した。「甲斐国志」にも「享保十八六月十三日富士行者身禄ガ入定ノ地ナリ小屋ア
リ身禄ノ木像ヲ安置ス流レヲ汲者年々此に登拝ス」とあり、江戸後期にはすでに身
禄の聖地として信者が登拝していたことがわかる。現在も富士講の聖地として重要
な地である。写真烏帽子岩の写真A6北口本宮冨士浅間神社図以下に示す要素が点
在している平面図北口本宮冨士浅間神社は、富士講とのつながりが強く1730年
代に富士講の指導者である村上光清の寄進によって境内の建造物群の修復工事が行
われ、現在にみる境内の景観の礎が形成された。社殿の背後には登山門があり、こ
の神社を起点として富士山頂まで吉田口登山道が延びている。富士講や吉田御師と
密接な関係を持ちながら発展した神社である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素
として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地、吉田口登山道の起
点などがある。・本殿本殿は、1615年、都留郡の領主鳥居土佐守成次によって
建立された。桁行一間・梁間二間の規模で、入母屋造の建物を身舎としてその前面
に唐破風造の向拝一間をつけた形式をとり、独自な本殿形式が採用されている。各
部に漆塗り、極彩色をほどこし、彫刻・金具を配して豪華絢爛な装飾を展開し、桃
山式建築の装飾的技法の多様性を示すとともに、すぐれた意匠をみせる顕著な建物
である。写真本殿の写真図本殿の図・東宮本殿東宮本殿は、1223年北条義時の
創建とも伝えられるが、現社殿は1561年武田信玄が浅間本社として造営した

301底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:10:03.35ID:GFydl90A0
北側にある丘陵地一帯は神立山と称される。神立山及び富士山
本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶岩流
に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積
物の層で−50−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのた
め指定地内の一部では溶岩礫が露出し、縄状溶岩も散見される
。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋沢堀沿
いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1
670)の浅間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建
築物が描かれ、発掘調査で石畳や護摩堂跡が確認されている。
写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の「湧玉池
」は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山
に降った雨や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の
溶岩層間を流れ、溶岩流末端で湧出して池になったものである
。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉
池、下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池
の水で心身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連
の深い池であった。現在も富士山山開きの7月1日には、湧玉
池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細平面図・社叢
神立山表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の
樹木が生育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。ま
た、野鳥の生息に適した環境でもあり、「野鳥の森」碑が建て
られている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀・楼門)浅間大
社は、社伝によれば大同元年(806)に造営されたという。
かつての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の
総本社として崇められている。現在の社殿は、慶長9〜11年
(1604〜06)に徳川家康が造営したものである。写真社
殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財で
ある。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他
に例を見ない。1階下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階
上層は桁行3間・梁間2間の三間社流造で共に桧皮葺である。
明治40年(1907)5月27日古社寺保存法により特別保
護建造物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護さ

302底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:15:42.63ID:78FOTcTx0
れた。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有していたと考えら
れる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地
堂へ造作し直された可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完
掘写真(平面写真)図平面図・随身像慶長19年(1614)2
月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下山住番匠石
川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作
」と記され、市指定有形文化財として保護されている。写真随

303底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:16:10.61ID:78FOTcTx0
のである。本殿は身舎梁間一間、桁行一間で正面に一間の向拝をつける一間社流造
の形式である。東宮本殿は、本社本殿はもとより西宮本殿に比較してやや小規模で
あるが、構造形式や蟇股に挿入した彫刻などに室町時代の手法を示しており、三殿
中最も古い建物である。写真東宮本殿の写真図東宮本殿の図・西宮本殿西宮本殿は
、1594年谷村城主浅野左右衛門佐氏重により東宮に替わる本殿として建立され
たが、1615年、鳥居成次の本殿建立により現在地に移され西宮となった。本殿
の形式は東宮と同じ一間社流造であるが、両側面と背面は二間で一間の向拝をつけ
る。西宮本殿は、桃山時代の装飾的要素を多分に取り入れていて、やがて豪華な本
社本殿建築へと発展する過程を、両者並べて鑑賞できる貴重な建物である。−49
−写真西宮本殿の写真図西宮本殿の図・大塚山社誌では、日本武尊が富士山を遙拝
した地であり、ここを浅間明神の創建にかかわる場所と位置づけている。さらに、
788年には新たに浅間明神を建て、この大塚山には、大塚社として日本武尊を分
祀したと伝えられる。現在この地は、流山状の小高い丘をなしており、日本武尊を
祀る祠が建てられている。写真大塚山の写真図大塚山の図・御鞍石吉田火祭(鎮火
祭)の際の御輿行在所。吉田火祭の本日にこの御鞍石上に御輿が安置され、神事が
行われる。ここで読まれる祝詞の一節から、この地が諏訪明神旧鎮座地とされる。
写真御鞍石の写真図御鞍石の図A7西湖図以下に示す要素が点在している平面図富
士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、
いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり
、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自
然地形(湖水)などがある。写真西湖の写真A8精進湖図以下に示す要素が点在し
ている平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によっ
て行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景
勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する

304底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:16:37.06ID:GFydl90A0
ている。写真本殿全体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図
(幣殿・拝殿含む)[幣殿]本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行
3間・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図に
は幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分
に「作合三間四間ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全
景がよく見えるように描かれたと推測される。県指定文化財と
して保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床は幣
殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻造で
、屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。三方に縁を
巡らせ、背面は幣殿に接続している。県指定文化財として保護
されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外側、本殿
横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−
51−の計2棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化財とし
て保護されている。[楼門]三間一戸、重層入母屋造で、屋根
は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左右には随
身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている
。写真楼門全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸び
る回廊は、昭和9年(1934)に付加されたものである。・
手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清めるために手
や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境
内各所に設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの
鳥居が建てられている。昭和33年3月に寄進されたものであ
る。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそれぞれ朱塗り
の鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り
行われる馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝
が富士の裾野で巻狩を行った際、流鏑馬を奉納したことに始ま
ると言われ、室町時代の初期にはすでに神事が行われていたと
の記録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えら
れている。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、
池に下りるための石段が組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧
玉池南側の神田川への流出口に石造りの橋が架けられている。
春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされ

305底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:21:23.17ID:78FOTcTx0
像全体の写真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられている
。大正7年5月に奉献されたものである。・御神幸道首標の碑明
治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の首標
が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十
一月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれて
いる。昭和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見さ
れ、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三御子
神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮
本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」
が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が置かれ
ている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の際、神の宿っ
た鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、神路枚橋
)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路
橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(1670)の絵図で
は西側にのみ架けられている。写真橋全体の写真絵図寛文10年
の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図
・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至る
までの区域は北山溶岩流上に展開している。また、遥拝所が位置
する小高い丘陵は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の
西岸には、天母山(二子山)溶岩流、万野風穴溶岩流で構成され
る丘陵地が展開する。よって、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近
の北山溶岩流を含め、4つの異なる溶岩流地形が広がっているこ
とになる。遥拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,00
0年前の噴火によって流出した比較的新しい溶岩流であるため、
この部分は他の区域と比べて植生の回復は遅れていたと考えられ
る。そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見
渡せていたため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考え
られる。写真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・
社叢目通りの幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9
,780uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定さ
れている。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠
屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山

306底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:21:47.99ID:78FOTcTx0
要素として、自然地形(湖水)などがある。写真精進湖の写真A9本栖湖図以下に
示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多く
の富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられ
ている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)や中ノ倉峠からの展望などがある
。写真本栖湖の写真A信仰に関わる周辺のものB1富士山本宮浅間大社図以下に示
す要素が点在している平面図・神立山本殿の北側にある丘陵地一帯は神立山と称さ
れる。神立山及び富士山本宮浅間大社の基盤を構成する地形は、新富士火山旧期溶
岩流に分類される富士宮溶岩流と、溶岩流直上に広がる扇状地堆積物の層で−50
−構成され、溶岩流の末端部にあたる。そのため指定地内の一部では溶岩礫が露出
し、縄状溶岩も散見される。また、当該地区は風致地区・保安林にも指定され、渋
沢堀沿いの散策路以外は立ち入りが禁止されている。寛文10年(1670)の浅
間大社境内絵図では神立山に信仰関連の様々な建築物が描かれ、発掘調査で石畳や
護摩堂跡が確認されている。写真神立山の写真・湧玉池(上池、下池)本殿東側の
「湧玉池」は、国指定特別天然記念物となっている。湧玉池は、富士山に降った雨
や雪が地下水となり、被圧によって富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末端で
湧出して池になったものである。禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池
のみを湧玉池、下池から下流を御手洗川と呼んだ。登山者や道者が湧玉池の水で心
身を清めた後山中へ向かうという、富士山信仰と関連の深い池であった。現在も富
士山山開きの7月1日には、湧玉池で禊神事が行われる。写真湧玉池の写真図詳細
平面図・社叢神立山表層部は約3万8千uにわたってスダジイ、ケヤキ等の樹木が
生育しており、富士宮市保存樹林に指定されている。また、野鳥の生息に適した環
境でもあり、「野鳥の森」碑が建てられている。・社殿(本殿・拝殿・幣殿・透塀
・楼門)浅間大社は、社伝によれば大同元年(806)に造営されたという。か

307底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:22:12.47ID:GFydl90A0
。寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている
。・輪橋(太鼓橋)本殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が
架けられている。寛文10年の絵図には既に描かれているが、
大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真
図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成
20年の発掘調査により、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成
された石垣と建物跡が検出された。石垣は樵石積みで組まれ、
平面形は正方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞さ

308底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:26:59.76ID:78FOTcTx0
浅間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」において、これに同行し
た大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾立
石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の宿っ
た鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾であ
り、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2
つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登る
ための石段が組まれている。現在あるものは戦中もしくは戦後に
改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m四方
が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶
岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築さ
れている。石塁下から祭祀に用いられたと思われる土師器が出土
しているため、それらが用いられた12世紀から15世紀、もし
くは後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図
石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリート製の
玉垣が設置されている。戦中もしくは戦後に設けられたものと考
えられる。また、遥拝所入口には鉄製の門扉が取り付けられてい
る。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うことを目的として
築造されたと推定される施設である。南北約15.2m、東西約
7.6mの長方形で、30〜40p程度の溶岩を用いて石列等に
よって組まれている。富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に
向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所
が、向かって右側に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝所
の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建て
られている。昭和6年(1931)に建立されたものである。・
参道石鳥居から籠屋まで参道が続いている。B3村山浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩流村山浅間神
社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付
の間は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区
は標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に
位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼ば
れる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた。ま
たこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側

309底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:27:23.41ID:78FOTcTx0
ての駿河国の一宮で、現在は全国1300余の浅間神社の総本社として崇められて
いる。現在の社殿は、慶長9〜11年(1604〜06)に徳川家康が造営したも
のである。写真社殿全体の写真図社殿平面図[本殿]本殿は国指定重要文化財であ
る。「浅間造」と称する棟高45尺の二重の楼閣造構造で他に例を見ない。1階下
層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、2階上層は桁行3間・梁間2間の三間社流造で
共に桧皮葺である。明治40年(1907)5月27日古社寺保存法により特別

310底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:27:50.91ID:GFydl90A0
た敷地内で建物跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で
、南側に入口を有していたと考えられる。発掘調査後に、江戸
時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「本地堂」とする記載が確
認されており、最終的に護摩堂から本地堂へ造作し直された可
能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)
図平面図・随身像慶長19年(1614)2月に建立された。
背銘には、左側の像は「甲州河内下山住番匠石川清助作」、右
−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作」と記され、
市指定有形文化財として保護されている。写真随身像全体の写
真・狛犬参道の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7
年5月に奉献されたものである。・御神幸道首標の碑明治以前
に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の首標が、
池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一
月とされ、「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれて
いる。昭和59年(1984)に浅間大社境内の土中から発見
され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に、淺間第三
御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・
七之宮本殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅
間神社」が建てられている。・鉾立石楼門前の石段には、鉾立
石が置かれている。明治の初めまで行われていた山宮御神幸の
際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神
路橋、神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている
。島の西側が神路橋、東側が神路枚橋であるが、寛文10年(
1670)の絵図では西側にのみ架けられている。写真橋全体
の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要
素が点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居か
ら参道を経て参籠所に至るまでの区域は北山溶岩流上に展開し
ている。また、遥拝所が位置する小高い丘陵は青沢溶岩流の先
端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子山)溶
岩流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よって
、山宮浅間神社周辺には、籠屋付近の北山溶岩流を含め、4つ
の異なる溶岩流地形が広がっていることになる。遥拝所の基

311底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:33:56.44ID:78FOTcTx0
ら大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因
の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチョウ]−5
4−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念物に指定され
た。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根
が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の
乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰を集めていた。また以
前はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現在でも祭祀
でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然記念
物に指定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。
境内の多くのスギの中で最大のもので目通り9.9m、枝張り東
西17.5m、南北31m、樹高47mもある。中心部には高さ
8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の樹齢とされ
るが、実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境
内には胸高直径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本
、スダジイ1本などの大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹
されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林に指定されてい
る。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境
内社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左
座に大山祗命、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照
大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2
年(1913)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化した
ため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられてい
る。写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の
文保年間(1317〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊
が村山に興法寺を開いたと伝えられている。その興法寺の建物と
して現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主尊と
する。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸
時代末期の建造と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに変えられ
ている。桁行5間・梁間7間、入母屋造、鉄板葺きで、南面に出
入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡らしている。
写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者

312底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:34:20.21ID:78FOTcTx0
護建造物に指定され、以後、国指定重要文化財として保護されている。写真本殿全
体の写真(幣殿・拝殿含む)図本殿平面図(幣殿・拝殿含む)[幣殿]本殿と拝殿
をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3間の両下造、屋根は檜皮葺、寛文年間の古絵図
には幣殿は描かれていないが、現在幣殿として使われている部分に「作合三間四間
ひはだぶき」と書き込まれており、本殿の全景がよく見えるように描かれたと推測
される。県指定文化財として保護されている。[拝殿]桁行5間・梁間3間で、床
は幣殿より2段高くなっている。正面が入母屋造、背面が切妻造で、屋根は檜皮葺
、正面に1間の向拝が付いている。三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している
。県指定文化財として保護されている。[透塀]本殿周囲を囲む1棟と、その外側
、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めたより広い範囲を囲む1棟−51−の計2
棟で、総延長は36間に及ぶ。県指定文化財として保護されている。[楼門]三間
一戸、重層入母屋造で、屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。楼門の左
右には随身像が安置してある。静岡県指定文化財として保護されている。写真楼門
全体の写真図楼門平面図・廻廊楼門から東西に伸びる回廊は、昭和9年(1934
)に付加されたものである。・手水舎楼門の南西側に、参拝者が参拝前に身を清め
るために手や口をすすぐ、手水舎がある。・灯籠大小それぞれの灯籠が境内各所に
設置されている。・石鳥居本殿へ続く参道に石造りの鳥居が建てられている。昭和
33年3月に寄進されたものである。・東鳥居・西鳥居桜の馬場の東端と西端にそ
れぞれ朱塗りの鳥居が建てられている。・桜の馬場浅間大社流鏑馬式が執り行われ
る馬場が約200mに渡って東西に伸びている。源頼朝が富士の裾野で巻狩を行っ
た際、流鏑馬を奉納したことに始まると言われ、室町時代の初期にはすでに神事が
行われていたとの記録が残っている。馬場に沿って両側に御神木の桜が植えられて
いる。・禊所湧玉池の上池と下池の境部分が禊所とされ、池に下りるための石段が
組まれている。・神幸橋(湧玉橋)湧玉池南側の神田川への流出口に石造りの橋

313底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:34:44.56ID:GFydl90A0
となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によって
流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区域
と比べて植生の回復は遅れていたと考えられる。そのために、
樹木等に遮られることなく富士山の山頂まで見渡せていたため
、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写真
溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通り
の幹周が3mを超える巨木4本を含むスギ林が、約9,780
uの社叢を形成しており、富士宮市の保存樹林に指定されてい
る。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠屋が
建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅
間神社を往復する祭儀「山宮御神幸」において、これに同行し
た大宮司以下の諸職が一夜参籠した場所である。−53−・鉾
立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」で神の
宿った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山
弾であり、籠屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1
つの計2つが置かれている。・石段(参道)遥拝所が位置する
丘陵へ登るための石段が組まれている。現在あるものは戦中も
しくは戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周
辺約45m四方が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩
流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上げて構築され、部分的に遺物を
含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用いられたと
思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた12
世紀から15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定
される。写真石塁の写真図石塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所
の周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されている。戦中もし
くは戦後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口に
は鉄製の門扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝
礼し、祭儀を行うことを目的として築造されたと推定される施
設である。南北約15.2m、東西約7.6mの長方形で、3
0〜40p程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。
富士山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀
を行う際の大宮司席、公文・案主席、献饌所が、向かって右

314底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:40:39.96ID:78FOTcTx0
、富士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.
5m、奥行き約4mの長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底
に石を敷きつめ周囲は石積みとなっている。造成年代は不明。水
垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段から樋
で落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行の
ときの主尊とされる不動明王の石像が安置されている。写真水

315底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:41:05.94ID:78FOTcTx0
架けられている。春秋の大祭にはこの橋を通って山宮御神幸が出発したとされる。
寛文10年(1671)の絵図では橋に屋根が葺かれている。・輪橋(太鼓橋)本
殿へと向かう参道に、鏡池を渡る輪橋が架けられている。寛文10年の絵図には既
に描かれているが、大正4年(1915)に石造りに改められた。写真輪橋の写真
図輪橋の平面図絵図寛文10年の絵図・護摩堂跡(推定)平成20年の発掘調査に
より、護摩堂跡と考えられる溶岩礫で構成された石垣と建物跡が検出された。石垣
は樵石積みで組まれ、平面形は正方形となっている。また、石垣で正方形に囲繞さ
れた敷地内で建物跡の礎石が確認された。桁行3間・梁間4間で、南側に入口を有
していたと考えられる。発掘調査後に、江戸時代終わり頃の地誌でこの建物跡を「
本地堂」とする記載が確認されており、最終的に護摩堂から本地堂へ造作し直され
た可能性がある。写真護摩堂の発掘調査時の完掘写真(平面写真)図平面図・随身
像慶長19年(1614)2月に建立された。背銘には、左側の像は「甲州河内下
山住番匠石川清助作」、右−52−側の像は「大工山城國上原住櫻井三蔵作」と記
され、市指定有形文化財として保護されている。写真随身像全体の写真・狛犬参道
の石鳥居両側に、狛犬が建てられている。大正7年5月に奉献されたものである。
・御神幸道首標の碑明治以前に行われていた「山宮御神幸」における、御神幸道の
首標が、池畔に立てられている。造立年は元禄年(1691)未年十一月とされ、
「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれている。昭和59年(1984)
に浅間大社境内の土中から発見され、現在地に再建された。・三之宮本殿横西側に
、淺間第三御子神を祀る境内社「三之宮浅間神社」が建てられている。・七之宮本
殿横東側に、淺間第七御子神を祀る境内社「七之宮浅間神社」が建てられている。
・鉾立石楼門前の石段には、鉾立石が置かれている。明治の初めまで行われていた
山宮御神幸の際、神の宿った鉾を立てて休めた自然石である。・欄干橋(神路橋、
神路枚橋)池畔と川中島を結ぶ橋が2本架けられている。島の西側が神路橋、東

316底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:41:33.22ID:GFydl90A0
に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝所の写真図遥拝所
の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。
昭和6年(1931)に建立されたものである。・参道石鳥居
から籠屋まで参道が続いている。B3村山浅間神社図以下に示
す要素が点在している平面図・元村山溶岩流村山浅間神社は、
新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間
は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は
標高が高く、他の集落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に
位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東側に「竜頭ヶ池」と呼
ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてきた
。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社
西側から大沢川となる。これらの水源は、村山の集落を成立さ
せた要因の一つである。・御神木(イチョウ、大スギ)[イチ
ョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然記念
物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m
、枝張り東西19m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発
達も著しい。気根が数多く垂下する。気根の先端に針を刺して
祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性の信仰
を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られていた
といわれ、現在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31
年5月24日に県天然記念物に指定された。村山浅間神社の御
神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で最大のも
ので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、南北31m、樹
高47mもある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内
板では約1,000年の樹齢とされるが、実際にはおよそ40
0〜600年と推定される。・社叢境内には胸高直径0.7m
以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ1本などの
大樹も見られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキやスギ
である。富士宮市の保存樹林に指定されている。・浅間神社社
殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境内社富士浅間七
社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命
、彦火々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・

317底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:47:04.64ID:78FOTcTx0
離場の写真・護摩壇大日堂東側にあり、正面には不動明王の石像
が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸
い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時
安政四年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられ
る。周囲の正方形の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見
られ、造成時期が異なっているものと思われる。写真護摩壇の写
真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなっ
たところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しか
し、神仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日
堂の間から裏山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神
社(祭神大己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と
呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十
七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の
社殿は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登
る石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮守
社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年
の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村
山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置されている
。明治16年(1883)に設置されたものである。・石段(参
道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂へ続くも
のの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された
狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下
に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢500年を超えるス
ギの巨木が22本あり、中には樹高37m、目通りの太さが7m
を超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として保
護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれ
ば、天元4年(961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したと
の記録がある。その後の記録として社殿の存在が確認できるのは
、大永4年(1524)と記された修築時の棟札による。現在の
社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真
社殿の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用

318底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:47:37.70ID:78FOTcTx0
が神路枚橋であるが、寛文10年(1670)の絵図では西側にのみ架けられてい
る。写真橋全体の写真絵図寛文10年の絵図B2山宮浅間神社図以下に示す要素が
点在している平面図・溶岩流地形山宮浅間神社の石鳥居から参道を経て参籠所に至
るまでの区域は北山溶岩流上に展開している。また、遥拝所が位置する小高い丘陵
は青沢溶岩流の先端部である。さらに、涸れ沢の西岸には、天母山(二子山)溶岩
流、万野風穴溶岩流で構成される丘陵地が展開する。よって、山宮浅間神社周辺に
は、籠屋付近の北山溶岩流を含め、4つの異なる溶岩流地形が広がっていることに
なる。遥拝所の基盤となっている青沢溶岩流は、約2,000年前の噴火によって
流出した比較的新しい溶岩流であるため、この部分は他の区域と比べて植生の回復
は遅れていたと考えられる。そのために、樹木等に遮られることなく富士山の山頂
まで見渡せていたため、この場所で山を遥拝する行為が行われたと考えられる。写
真溶岩流地形の写真図溶岩流の拡散している模式図・社叢目通りの幹周が3mを超
える巨木4本を含むスギ林が、約9,780uの社叢を形成しており、富士宮市の
保存樹林に指定されている。・籠屋(参籠所)遥拝所へ登る手前の平坦な土地に籠
屋が建てられている。籠屋は、神の宿った御鉾が浅間大社と山宮浅間神社を往復す
る祭儀「山宮御神幸」において、これに同行した大宮司以下の諸職が一夜参籠した
場所である。−53−・鉾立石籠屋をくぐり遥拝所へ続く参道に、「山宮御神幸」
で神の宿った鉾を休めるための「鉾立石」が置かれている。石は火山弾であり、籠
屋をくぐってすぐの位置に1つ、石段の手前に1つの計2つが置かれている。・石
段(参道)遥拝所が位置する丘陵へ登るための石段が組まれている。現在あるもの
は戦中もしくは戦後に改築されたものと考えられる。・石塁遥拝所の周辺約45m
四方が石塁により方形に区切られている。青沢溶岩流の溶岩塊上に溶岩礫を積み上
げて構築され、部分的に遺物を含む土層上に構築されている。石塁下から祭祀に用
いられたと思われる土師器が出土しているため、それらが用いられた12世紀か

319底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:47:56.91ID:GFydl90A0
弉諾尊・伊弉冉尊を祀っている。現在の社殿は大正2年(19
13)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老朽化したため、
その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。
写真社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文
保年間(1317〜1318)に、末代上人の流れをくむ頼尊
が村山に興法寺を開いたと伝えられている。その興法寺の建物
として現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主
尊とする。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴など

320底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 10:53:35.40ID:78FOTcTx0
れる神輿を納めた神輿殿が、境内地西側に建てられている。・狛
犬境内には、社殿前と石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置さ
れている。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は平成1
3年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てら
れている。登り口のものは平成13年に、階段を登ったところに
あるものは、それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納さ
れたものである。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の
2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−
56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10m
ほどは石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコ
ンクリート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗り
のコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(196
6)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として
奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社八
坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内
社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物である。B
5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢(
浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に
参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物
である大樹が生育している。・ハルニレ昭和38年(1963)
2月19日に静岡県の天然記念物に指定された。根回り約6m、
目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北2
3.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木で、
静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか見当た
らないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマザクラ昭
和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約1
30年で、根回り2.08m、目通り1.75m、樹高約10m
、枝張東西13.8m、南北9.5m。別名をオオヤマザクラと
称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南限である。県内ではま
れな樹種である。・根上がりモミ平成3年5月1日に小山町の天
然記念物に指定された。樹齢約300年で、根回り4.61m、
目通り3.07m、樹高27m。この根上り群は約150年生

321底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 10:54:00.06ID:78FOTcTx0
15世紀、もしくは後の時代に築造されたものと推定される。写真石塁の写真図石
塁の平面図・断面図・玉垣遥拝所の周囲にはコンクリート製の玉垣が設置されてい
る。戦中もしくは戦後に設けられたものと考えられる。また、遥拝所入口には鉄製
の門扉が取り付けられている。・遥拝所富士山を直接拝礼し、祭儀を行うことを目
的として築造されたと推定される施設である。南北約15.2m、東西約7.6m
の長方形で、30〜40p程度の溶岩を用いて石列等によって組まれている。富

322底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 10:54:29.30ID:GFydl90A0
ら江戸時代末期の建造と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに
変えられている。桁行5間・梁間7間、入母屋造、鉄板葺きで
、南面に出入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡
らしている。写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行
者及び修験者が、富士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場
所で、間口約6.5m、奥行き約4mの長方形で、深さ約0.
6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みとなっている
。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧
水を引き、上の段から樋で落とし垢離を取るようにしてある。
水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石像
が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東側に
あり、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四
囲を石で囲んだ一辺5.3mの丸い石組となっている。丸い石
組の前に置かれた葛石には、「干時安政四年九月」と刻まれ、
安政4年(1857)造立と考えられる。周囲の正方形の石組
みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異な
っているものと思われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総
鎮守社)−55−護摩壇裏手の一段高くなったところに末代上
人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しかし、神仏分離令
により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏
山に登ったところに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大
己貴命)」として祀られた。現在は「高根総鎮守」と呼ばれ、
元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五月十七日奉
再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿
は、平成15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る
石段の途中に、石鳥居が建てられている。昭和28年(195
3)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神社(高嶺総鎮
守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成1
5年の再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水
鉢)村山浅間神社へと続く参道入口の左側に、手水舎が設置さ
れている。明治16年(1883)に設置されたものである。
・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、

323底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:00:08.71ID:78FOTcTx0
山を拝む方向に祭壇が位置し、祭壇に向かって左側に祭儀を行う際の大宮司席、公
文・案主席、献饌所が、向かって右側に別当・供僧席が設けられている。写真遥拝
所の写真図遥拝所の平面図・石鳥居境内地の南端に、石鳥居が建てられている。昭
和6年(1931)に建立されたものである。・参道石鳥居から籠屋まで参道が続
いている。B3村山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・元村山溶岩
流村山浅間神社は、新富士旧期溶岩の元村山溶岩流末端部付近にあたる。見付の間
は平地で、両見付から先は急傾斜地となっている。村山地区は標高が高く、他の集
落と急傾斜地で隔絶された一段高い場所に位置する。・水源地(竜頭ヶ池)社叢東
側に「竜頭ヶ池」と呼ばれる湧水池があり、水垢離や生活用水として利用されてき
た。またこの湧水を水源とする村山沢は南流して渓谷を刻み神社西側から大沢川と
なる。これらの水源は、村山の集落を成立させた要因の一つである。・御神木(イ
チョウ、大スギ)[イチョウ]−54−昭和43年(1968)7月2日に県天然
記念物に指定された。目通り8m、根回り9.15m、樹高26m、枝張り東西1
9m南北14mで、樹勢よく乳状下垂気根の発達も著しい。気根が数多く垂下する
。気根の先端に針を刺して祈願すると妊産婦の乳の出がよくなると伝えられ、女性
の信仰を集めていた。また以前はウロの中に大日如来が祀られていたといわれ、現
在でも祭祀でしめ縄を張る。[大スギ]昭和31年5月24日に県天然記念物に指
定された。村山浅間神社の御神木と称される巨木である。境内の多くのスギの中で
最大のもので目通り9.9m、枝張り東西17.5m、南北31m、樹高47mも
ある。中心部には高さ8mに及ぶ空洞がある。案内板では約1,000年の樹齢と
されるが、実際にはおよそ400〜600年と推定される。・社叢境内には胸高直
径0.7m以上のスギが39本ある。アカガシ3本、スダジイ1本などの大樹も見
られるが、裏山の大半は戦後植樹されたヒノキやスギである。富士宮市の保存樹林
に指定されている。・浅間神社社殿村山浅間神社社殿は、神仏分離令によって境

324底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:00:37.13ID:GFydl90A0
日堂へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5
年に奉納された狛犬2体が、参道脇に設置されている。B4須
山浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・社叢樹齢
500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高37m
、目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体が市
指定天然記念物として保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対
馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(961)に駿河国司
・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録とし
て社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524)と記さ
れた修築時の棟札による。現在の社殿は、文政6年(1823
)に再建されたとされている。写真社殿の写真図社殿の図面・
神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿殿
が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内には、社殿前と
石段手前の参道脇に計二対の狛犬が設置されている。社殿前の
一対は平成12年に、参道脇の一対は平成13年に奉納された
ものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。登り
口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは、
それぞれ寛保2年(1742)、文政6年に奉納されたもので
ある。・手水舎石段に至る参道の脇と、社務所西側の2箇所に
、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−56−
年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほど
は石畳が敷かれ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコン
クリート製の階段が続いている。・鳥居参道入口には、朱塗り
のコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41年(19
66)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社と
して奉幣を受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮
神社八坂大神、八幡大神、愛鷹大神、子安大神、疱瘡守護神を
祀る境内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測される建物
である。B5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平
面図・社叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広が
っている。特に参道南側の部分を浅間の杜と呼び、静岡県や小
山町の天然記念物である大樹が生育している。・ハルニレ昭

325底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:06:33.10ID:78FOTcTx0
高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、
歴史的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのでき
ない資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある。
・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡る可
能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時
の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理解するこ
とができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅

326底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:06:59.70ID:78FOTcTx0
社富士浅間七社を相殿として造られ、中座に木花開耶姫命、左座に大山祗命、彦火
々出見命、瓊々杵命、右座に大日霊貴(天照大神)・伊弉諾尊・伊弉冉尊を祀って
いる。現在の社殿は大正2年(1913)に改築されたものだが、幣殿と拝殿は老
朽化したため、その後さらに鉄筋コンクリート一部木造に建替えられている。写真
社殿の写真図社殿の図面・大日堂(興法寺)鎌倉時代の文保年間(1317〜13
18)に、末代上人の流れをくむ頼尊が村山に興法寺を開いたと伝えられている。
その興法寺の建物として現存する唯一の堂で、富士山の本尊である大日如来を主尊
とする。現在の建物は、部材の状況や絵様彫刻の特徴などから江戸時代末期の建造
と考えられるが、外壁は波鉄板板張りに変えられている。桁行5間・梁間7間、入
母屋造、鉄板葺きで、南面に出入り口を開き、前面と両側面に幅一間の回り縁を巡
らしている。写真社殿の写真図社殿の図面・水垢離場山伏修行者及び修験者が、富
士登拝の道者が垢離をとって身を浄めた場所で、間口約6.5m、奥行き約4mの
長方形で、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ周囲は石積みとなってい
る。造成年代は不明。水垢離場へは社叢裏手の沢に湧く龍頭池湧水を引き、上の段
から樋で落とし垢離を取るようにしてある。水の落ち口には山伏修行のときの主尊
とされる不動明王の石像が安置されている。写真水垢離場の写真・護摩壇大日堂東
側にあり、正面には不動明王の石像が祀られている。護摩壇は、四囲を石で囲んだ
一辺5.3mの丸い石組となっている。丸い石組の前に置かれた葛石には、「干時
安政四年九月」と刻まれ、安政4年(1857)造立と考えられる。周囲の正方形
の石組みと中央の丸い石組みは石材に違いが見られ、造成時期が異なっているもの
と思われる。写真護摩壇の写真・氏神社(高嶺総鎮守社)−55−護摩壇裏手の一
段高くなったところに末代上人を祀る大棟梁権現社があったとされる。しかし、神
仏分離令により廃され、代わりに村山浅間神社社殿と大日堂の間から裏山に登った
ところに大棟梁権現社を遷し「富士大神社(祭神大己貴命)」として祀られた。

327底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:07:25.33ID:GFydl90A0
38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定さ
れた。根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東
西28.10m、南北23.50m、樹齢約500年。北日本
の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少なく当社以外の
小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育
している。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天
然記念物に指定された。樹齢約130年で、根回り2.08m
、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南
北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方
型で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根
上がりモミ平成3年5月1日に小山町の天然記念物に指定され
た。樹齢約300年で、根回り4.61m、目通り3.07m
、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨によ
り流亡しながらモミが成長したため、根が爪を立てた状態で生
育し、根上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれ
ている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造
物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享
保3年(1718)に再建された。その後蟻害や老朽化により
改修したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが
今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権
現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年
間の遺構を残した流造りとなっている。−57−構造は、拝殿
が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風
付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、
向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真
図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付
きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随神と
して配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破してお
り、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時
に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門
、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に組物は

328底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:12:24.72ID:78FOTcTx0
の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆と
される。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以
下に示す要素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は
、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初
とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もある
。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、95
8年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二合目
にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている。修行
や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置づけられる二合
目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能して
きた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点で
ある二合目や本殿などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合
目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶
姫を祭神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(
708)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の
社という。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して
、富士山が霊験所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰
拠点は南口の村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の
信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、161
2年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって
桃山時代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らか
にされている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3
m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも
彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も
当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の遺構
としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿の図面
B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒の案内を
し、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊である。御師屋
敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷
地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍的価値を構成する
諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅などがある。・旧
外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式の典型的な御師住

329底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:12:57.76ID:78FOTcTx0
在は「高根総鎮守」と呼ばれ、元村山集落の氏神社となっている。「明治十八年五
月十七日奉再建冨士大神社」と記された棟札が残されている。現在の社殿は、平成
15年に再建された。・石鳥居村山浅間神社へと登る石段の途中に、石鳥居が建て
られている。昭和28年(1953)に建立されたものである。・氏神社鳥居氏神
社(高嶺総鎮守社)へと登る参道の入口に、鳥居が建てられている。平成15年の
再建に合わせて建てられたものである。・手水舎(手水鉢)村山浅間神社へと続く
参道入口の左側に、手水舎が設置されている。明治16年(1883)に設置され
たものである。・石段(参道)段の入り口が、村山浅間神社へ続くものと、大日堂
へ続くものの2本が平行して造られている。・狛犬昭和5年に奉納された狛犬2体
が、参道脇に設置されている。B4須山浅間神社図以下に示す要素が点在している
平面図・社叢樹齢500年を超えるスギの巨木が22本あり、中には樹高37m、
目通りの太さが7mを超えるものも見られる。社叢全体が市指定天然記念物として
保護されている。・社殿大禰宜・渡邊対馬守安吉の社伝旧記によれば、天元4年(
961)に駿河国司・平兼盛が社殿を修理したとの記録がある。その後の記録とし
て社殿の存在が確認できるのは、大永4年(1524)と記された修築時の棟札に
よる。現在の社殿は、文政6年(1823)に再建されたとされている。写真社殿
の写真図社殿の図面・神輿殿須山浅間神社の例大祭で使用される神輿を納めた神輿
殿が、境内地西側に建てられている。・狛犬境内には、社殿前と石段手前の参道脇
に計二対の狛犬が設置されている。社殿前の一対は平成12年に、参道脇の一対は
平成13年に奉納されたものである。・灯籠参道の両脇に灯籠が建てられている。
登り口のものは平成13年に、階段を登ったところにあるものは、それぞれ寛保2
年(1742)、文政6年に奉納されたものである。・手水舎石段に至る参道の脇
と、社務所西側の2箇所に、手水舎が建てられている。社務所そばには、文政7−
56−年と刻まれた水盤も置かれている。・参道鳥居から10mほどは石畳が敷

330底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:13:16.82ID:GFydl90A0
組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入口には、
花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二
山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納された。
・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居
が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両側に、富士塚
が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治
より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く
残されている。多くは、数多く富士登山が成就されたことを

331底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:18:09.08ID:78FOTcTx0
であり、棟札から1768年に建設されたものであることが判明
している。また、主屋は「平面座敷型」をとっており、近世にな
って御師住宅の様式が確立される以前の御師住宅として最古の部
類の建築物である。離座敷は、富士講が盛んになるととともに主
屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から主屋の東側に増
設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前
に配置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有
している。写真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐
野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の
前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式になる
。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南
寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主
屋台所の前方に建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻
造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な
改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅として
の形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的
少ない社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐
野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している
平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象とし
て数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品と
ゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然
地形(湖水)などがある。写真山中湖の写真B10河口湖図以下
に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行す
る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代
も変わらず巡拝の対象として数えられている。また、景勝の地で
もあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖
の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍
野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八
大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な
普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湧水)がある

332底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:18:35.70ID:78FOTcTx0
れ、その後社殿の位置する高台へ登るためにコンクリート製の階段が続いている。
・鳥居参道入口には、朱塗りのコンクリート製の鳥居が建てられている。昭和41
年(1966)に奉納されたものである。・石碑鳥居の東側に、郷社として奉幣を
受けていたことを示す碑が建てられている。・古宮神社八坂大神、八幡大神、愛鷹
大神、子安大神、疱瘡守護神を祀る境内社である。覆屋の中にあり、旧本殿と推測
される建物である。B5冨士浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図・

333底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:19:04.29ID:GFydl90A0
謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたもので、境内地の
西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富
士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図
以下に示す要素が点在している平面図河口浅間神社は、864
〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、北麓でも浅間神社
が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史
的背景と相俟って、富士山信仰を語る上で欠かすことのできな
い資産である。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、富
士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡
る可能性がある。建立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり
、当時の富士山及び噴火ということに対する当時の考え方を理
解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知の
再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公
弁親王の筆とされる。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御
室浅間神社図以下に示す要素が点在している平面図−58−冨
士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭場を
しつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社で
あるとする文献もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参
拝に苦渋するため、958年、河口湖畔に現在の里宮が建立さ
れたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷
地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の
拠点として位置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神とし
ての里宮が一体となって機能してきた。顕著な普遍的価値を構
成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿などがあ
る。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮
)が鎮座した。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年
代は詳らかでないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をし
つらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、
平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験
所の一として広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口

334底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:25:08.74ID:78FOTcTx0
B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在している平面図船津
胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である村上光清により
発見され、富士講の開祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明
神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普遍的価値を構成する諸
要素には、宗教的な意義付けがされている地形空間(溶岩樹型)
などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は、承平噴火(937)で
流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様
々な樹型が複雑に交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ
下がった溶岩が肋骨のように見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤
色を帯び、あたかも内臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎
内の名称はこれに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える
。・無戸室浅間神社・石造物群1673年、富士講道者村上光清
により現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間
明神が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつ
むろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号
を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以
下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、1892年
に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)である。
顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがさ
れている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内
樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁
に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見
え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の
御胎内として信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田
胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭
神である木花開耶姫が祀られている。樹型内に入ると横穴の正面
には、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴
浅間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩
流人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約
5,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末端部近くに位置して
いる。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴出し
、西方に約5q、標高差にして約700mの扇状地をつくる溶

335底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:25:32.50ID:78FOTcTx0
叢(浅間の杜)社殿周囲と、参道の南側に社叢が広がっている。特に参道南側の部
分を浅間の杜と呼び、静岡県や小山町の天然記念物である大樹が生育している。・
ハルニレ昭和38年(1963)2月19日に静岡県の天然記念物に指定された。
根回り約6m、目通り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北23
.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木で、静岡県では極めて少
なく当社以外の小山町内では数本しか見当たらないが、境内には10本が生育して
いる。・エゾヤマザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された。
樹齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75m、樹高約10m、枝張東
西13.8m、南北9.5m。別名をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型
で、静岡県が南限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3年5
月1日に小山町の天然記念物に指定された。樹齢約300年で、根回り4.61m
、目通り3.07m、樹高27m。この根上り群は約150年生のモミの根本にブ
ナ、イヌシデの種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しながらモミ
が成長したため、根が爪を立てた状態で生育し、根上がりになったと考えられる。
縁結びの木とも呼ばれている。・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建
造物)に指定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年(1718
)に再建された。その後蟻害や老朽化により改修したものの、部材は享保年間(1
716〜36)のものが今なお使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結し
た権現造である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の遺構を残し
た流造りとなっている。−57−構造は、拝殿が桁行5間・梁間2間の入母屋造で
、向拝1間、正面千鳥破風付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社
流造、向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真図社殿の図面
・楼門二階建ての随神門で、上層の周囲に高欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩
窓神、南の豊岩窓神が随神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに

336底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:25:59.96ID:GFydl90A0
村山であるが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点と
して行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当
時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時
代建築様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにさ
れている。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m
、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも
彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩
も当初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の
遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿
の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒
の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ
る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み
路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普遍的
価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家住宅
などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設された
ものであることが判明している。また、主屋は「平面座敷型」
をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立される以前
の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、富士
講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがある
などの理由から主屋の東側に増設されたとみられる。ただし、
御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上吉田の一般的
な御師住宅に比して独自の構成を有している。写真主屋等の写
真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部
二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を
背面南寄りに神殿部を付設した形式になる。居室及び座敷部は
間口11.8m、奥行き15.5m、正面南寄りに式台、背面
北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に
建つ。土蔵造りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの
覆屋をかけてい−59−る。この住宅は、部分的な改変や増設
がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅としての形態を
、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少な

337底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:30:46.25ID:78FOTcTx0
流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶
岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行
ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所
の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下
るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶岩が抜
けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入口となり

338底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:31:10.09ID:78FOTcTx0
破しており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された当時に再建され
たものと考えられる。楼門の構造は、三間一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。
軒廻りは二軒繁垂木に組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道
入口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束には「不二山」と刻
まれている。明治33年(1900)に奉納された。・裏参道鳥居西側駐車場から
本殿へ至る裏参道の入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両
側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士講講碑群明治より昭
和にかけて、各地の富士講より寄進された記念碑が多く残されている。多くは、数
多く富士登山が成就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証としたも
ので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てられている。写真富士講
講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B6河口浅間神社図以下に示す要素が点在し
ている平面図河口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機に、
北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社である可能性が高い。現
在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っており、歴史的背景と相俟って、富
士山信仰を語る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を構成す
る諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建造物群や境内地などがある
。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は、平安時代の865年に遡る可能性がある。建
立目的は富士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火ということに対
する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1697年に谷村藩主秋本喬知
の再建。銅製の扁額に記された「三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされ
る。写真社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要素が点在し
ている平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀初めに吉田口登山道二合目に祭
場をしつらえたのが最初とされ、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献
もある。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、958年、河

339底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:31:36.44ID:GFydl90A0
社家の一遺例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家
住宅現状平面図B9山中湖図以下に示す要素が点在している平
面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが多くの富士
講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象と
して数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作
品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湖水)などがある。写真山中湖の写真B10河口
湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡
って修行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが
、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数えられている。ま
た、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著
な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)など
がある。写真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が
点在している平面図忍野八海は、富士山の伏流水による八つの
湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地
(霊場)であった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として
、自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す
要素が点在している平面図船津胎内樹型は、1673年に富士
講の指導者である村上光清により発見され、富士講の開祖であ
る長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型船津胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に
交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あ
たかも内臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称は
これに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える。・無戸
室浅間神社・石造物群1673年、富士講道者村上光清により
現船津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神
が遷宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむ
ろ)に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社

340底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:37:03.88ID:78FOTcTx0
洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲
部手前中央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く
、奥に入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部までは
約80mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴
の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生)人穴集落では主に製炭
と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・クヌ
ギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の消費
が減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギに改植
された。御神木に相当する大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅
間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基の碑塔が存
在する。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみ
ると、一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。
建立目的によって大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した
墓碑・供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願
する「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する
「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」
が最も多い。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道
洞穴入口や浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南
から北へ伸びている。現在はコンクリートで覆われている。・建
物跡大小2つの建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。
西側に規模の大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり
、大規模なものの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周
辺には石積みが施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が
、建物跡南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで
約34m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して2
1段の石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列
が参道跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔
群などを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地
の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている
。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺
構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部
が溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B

341底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:37:27.58ID:78FOTcTx0
湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二合目にあった社殿も里宮の広い境
内に敷地内に移設されている。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位
置づけられる二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能して
きた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素としては、信仰拠点である二合目や本殿
などがある。・吉田口二合目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座し
た。御室浅間神社は木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかでないが、社殿には
和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが最初とされる。冨士山中最初の社とい
う。なお、平安末期には浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一と
して広く知られていた。冨士修験の信仰拠点は南口の村山であるが、北口の二合目
、御室の地にも山内の信仰拠点として行者堂が設置されていた。・本殿本殿は、1
612年に当時の甲斐国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築
様式の神社建物に再建されたことが棟札から明らかにされている。大規模な入母屋
造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐
破風妻などにも彫刻を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当
初のものを良く残しており、建築年代の確実なこの時期の遺構としては大変貴重な
建造物である。写真本殿の写真図本殿の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師
住宅は、富士講徒の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊である
。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して引き込み路を設け、敷地を流れ
る水路の奥に建物がある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類
に入る旧外川家住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り形式
の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建設されたものであることが判
明している。また、主屋は「平面座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の
様式が確立される以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。離座敷は、富
士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限りがあるなどの理由から

342底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:37:53.05ID:GFydl90A0
を無戸室浅間神社と名付けた。−60−B13吉田胎内樹型図
以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189
2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義
付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹
型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1
溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が
肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩(

343底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:44:24.40ID:78FOTcTx0
屋の東側に増設されたとみられる。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配
置され、上吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写真主屋等
の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、蔵主屋は一部二階、切妻造、
妻入の居室及び座敷部の前面北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式
になる。居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南寄りに式台
、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は主屋台所の前方に建つ。土蔵

344底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:44:52.67ID:GFydl90A0
花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。・洞内の
石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があって富士講
にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られている。樹
型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠がある。B
14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要素が点在
している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富士火山旧期溶
岩(約11,000年前から約5,000年前)に属する犬涼
み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶岩流は、標高
1,206mの犬涼み山から噴出し、西方に約5q、標高差に
して約700mの扇状地をつくる溶岩流である。写真溶岩流の
写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞穴は、天正年間に
富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行ったとされる洞穴で
ある。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所の溶岩洞穴のうち
、西端部の最も低い位置にあり、溶岩が流れ下るとき溶岩表面
が冷やされて固化した後、内部の溶けた溶岩が抜けて空洞がで
きたものである。洞穴の南西の端が進入口となり、洞穴中央部
でくの字型に曲がっている。入口から約30mの屈曲部手前中
央には、直径約5mの溶岩柱がある。全体として幅広く、奥に
入ると広々として平坦な空間となっている。最奥部までは約8
0mで、そのまま閉塞していると考えられる。写真溶岩洞穴の
写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生)人穴集落では主に製炭
と農業を中心とした生活が営まれたため、薪炭材のコナラ・ク
ヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭和30年代に薪炭の
消費が減少し、境内地とその周辺は建材としてのヒノキ・スギ
に改植された。御神木に相当する大樹等は存在しない。・碑塔
群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者が建立した232基
の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が刻まれたもの89
基についてみると、一番古い碑塔は寛文4年(1664)建立
のものである。建立目的によって大きく分類すると、個人の戒
名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑供養碑」、修行に
よる大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講
の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整

345底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:45:34.79ID:78FOTcTx0
5白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、古
富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫岩と
平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。写真写
が崖面として露出しており、両層の境目や上部の溶岩流の間から
水が湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝

346底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-jusK)2018/01/13(土) 11:50:38.60ID:78FOTcTx0
同時に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、
白糸の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メー
トルを流れ落ちる芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面
では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸
の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも
呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったも
のであり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また
、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の名
前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。・植物白
糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指定地内に
は、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相がある。・富士
講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆盛した富士講の
祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸の滝で垢離をと
り修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白糸の滝を訪れる
者や、白糸の滝で修行を行う者がいたことが知られている。幕末
の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を行った富士講の信者の
記録がある。指定地内には富士講の信者が建てた石碑があり、「
仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や、「食行身禄」と記さ
れたもの(白糸の滝滝つぼ右岸)等がある。・白糸の滝の勝景白
糸の滝の、数多の白い糸を垂らしたように落ちる優美な勝景があ
る。写真景勝の写真・音止の勝景音止の滝の、轟音をたてて落ち
る雄大な勝景がある。写真景勝の写真・富士山の展望指定地では
、白糸の滝と音止の滝の勝景とともに、見事な富士山が望まれる
。写真展望の写真・富士の巻狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4
年(1193)に源頼朝が行ったいわゆる富士の巻狩にまつわる
伝承がある。音止の滝の名前は、富士の巻狩に関係する曽我兄弟
の仇討ち伝承に由来するもので、兄弟が仇討ちの相−63−談を
している間は水音を止めたことから名づけられたという。また、
鬢撫水には、富士の巻狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直し
たという伝承がある。・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くから詩歌
に詠まれてきており、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を
詠んだ歌碑がある。・標識名勝及び天然記念物であることを明

347底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-XhTK)2018/01/13(土) 11:51:03.56ID:78FOTcTx0
りであるが、東西に庇を付けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この
住宅は、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師の住宅として
の形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。全国でも比較的少ない社家の一遺
例として重要である。写真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以
下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八海巡りが
多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡拝の対象として数え
られている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普
遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある。写真山中湖の写
真B10河口湖図以下に示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修
行する内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡
拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆか
りが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがあ
る。写真河口湖の写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍野
八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに八大竜王を祀る冨士信
仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕著な普遍的価値を構成する諸要素として、
自然地形(湧水)がある。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在している平
面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である村上光清により発見され
、富士講の開祖である長谷川角行が洞穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型で
ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地
形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹型は、承平噴火(937)
で流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑
に交叉して形作られている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え
、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出したあとの胸控の如
く見える。胎内の名称はこれに基づくものであり、極めて貴重な形態と言える。

348底名無し沼さん (ワッチョイ 9e0c-53ns)2018/01/13(土) 11:51:31.98ID:GFydl90A0
される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61−写真碑塔群の写
真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社社殿のある平場
へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている。現在はコン
クリートで覆われている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞
穴直上の平場で検出されている。西側に規模の大きな1棟と、
その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なものの方がより
古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積みが施されて
いる。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場か
ら斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている
。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の石段が構築
されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り
口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ
機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通
る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出されている。昭和初
期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検
出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶
岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15
白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富士泥流
堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、
古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫
岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。
写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩流の
ひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度にあ
る。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、
白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境目に
はマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達し
ている。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収
縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。
白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を繰
り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の
平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、こ
の多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流

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