一人でキャンプに行く人 104夜目 [転載禁止]

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山道であり、その登エムゾネ山道を管理する地域の浅間大社が山役銭を
徴収していた。これらの地域は互いに山役銭などを巡り、争いを起
こしている。特に内院散銭は相当額になるため、争いの火種になり
やすかった。例えば須走村への配分だけでも1年で76両を越えた
といい、一エムゾネ戸に約一両が配当される計算になるという。内院散
銭の権利は、大名などに与えられた権利を根拠に主に3地域によっ
て争われた。「村山」と「須走」と「大宮」である。村山において
は、1533年(天文2年)に村山三坊の「辻之坊」が今川氏輝に
よエムゾネり内院散銭の取得権を与えられている。須走は1577年(
天正5年)に武田氏により薬師堂(現在の久須志神社)の開帳日の
内院散銭の取得権が与えられている。大宮は1609年(慶長14
年)に徳川家康が内院散銭を浅間大社に寄進し、内院散銭のエムゾネ取
得の優位権を得ている。浅間大社の大宮司が村山より登る際は山役
銭を取られたので、村山を避け「須走」から登拝する慣例などもあ
った。新規に出来た登山道である現富士吉田口は、登山道を管理し
ている「須走」に許可なく、浅間大社の大宮司富士エムゾネ信安など富
士氏が自分たちに山役銭を支払えば、「須走」の登山道を利用する
にも関わらず勝手に山がけ(登山道を作り山小屋を建てる)の許可
を与えたことで論争となり、「河口」と「吉田」は1810年に登
山ルートや山役銭の徴収方法で論争を起こエムゾネし、「大宮」と「吉
田」では薬師堂における役銭の配分で争っている過去などがある。
元禄の争論元禄16年(1703年)に散銭や山小屋経営を巡り須
走村が富士浅間神社本宮(浅間大社)を訴えた争論が元禄の争論で
ある。須走村側は東口本宮冨士浅エムゾネ間神社の神主や御師らが、浅
間大社の大宮司富士信安など富士氏らを相手取り寺社奉行に訴え出
た。訴えは三か条であった。1つは浅間大社が吉田村の者に薬師嶽
の小屋掛けを認めたことへの不服、2つ目は浅間大社側が造営した
薬師堂の棟札に「富士本エムゾネ宮が入仏を勤める」という旨の記坪糖

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