播磨赤松氏について語るスレ

1名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/20(木) 21:47:20ID:52Sv0tnY
三管四職

586人間七七四年2016/02/06(土) 17:44:51.82ID:/98206Mo
ツッコミポイントがいちいち細かすぎるのでわざとやってんだろ

587人間七七四年2016/02/11(木) 12:58:17.94ID:iuqkliix
足利義晴飼ってたんだよな

588人間七七四年2016/02/29(月) 00:03:13.84ID:+o2lvMaB
>>584
石の土台しかないよね。本当にガッカリだった。
しかも土台の石と石の間に隙間が多い手抜き工事だから余計にガッカリ。
かっこいい城を建てればいいのに。

589人間七七四年2016/03/23(水) 01:39:02.26ID:3SmpFp8q
真田信繁(幸村)の宿命のライバルは赤松則房をおいて他にいないんだぜ(´・ω・`)

590人間七七四年2016/03/24(木) 03:26:27.94ID:54AUrM58
↑黙れ小童ぁ!!

591人間七七四年2016/04/03(日) 14:57:41.35ID:AfH9aWV/
>>515
確か、有馬家は赤松の男系子孫
江戸時代に赤松範資の系統から養子が入って藩主になっていて、その後ずっと男系で続いていたと思う

592人間七七四年2016/04/03(日) 18:23:40.29ID:K3vI+ATb
いまは有馬記念に呼ばれることもなくなった有馬氏

593人間七七四年2016/04/03(日) 20:10:42.28ID:sNV3gBbx
>>584
エレベーターむき出しの名古屋城は最高ですよね!
今後のとれんでぃーは、名古屋を見習って「全国のお城のバリアフリー」です!

594人間七七四年2016/04/04(月) 01:12:43.43ID:Vl0YsIA2
赤松好きは黒田大嫌い系?
播磨って大変だな。

595人間七七四年2016/04/04(月) 01:14:09.26ID:Vl0YsIA2
唯一大河になったのに播磨の誰からも愛されない黒田哀れ。

596人間七七四年2016/04/07(木) 17:03:37.49ID:Glck5G/e
>>592
子孫の功績で有馬記念って名前が残っているだけでも立派

597人間七七四年2016/04/08(金) 00:50:22.31ID:k7+pBaHO
黒田も有馬も福岡県。江戸時代、赤松は福岡県で生き延びた。

598人間七七四年2016/04/09(土) 23:15:11.03ID:qsE9gURl
大同生命の本社でやってる広岡浅子展見て来た
加島屋の先祖が播磨赤松氏とか書いてあったな

599人間七七四年2016/04/11(月) 21:51:44.41ID:xPCYntMs
赤松氏の末裔自称する家なら加古郡や加古川市にいっぱいいてるよ

600人間七七四年2016/04/13(水) 18:15:10.52ID:rMvMOOsF
兵庫県の一部の地域では赤松の末裔を名乗るところが多いんだ?
自分はいま関東住みで、曾祖父の代までは福島県の北会津に住んでいたのだけど
先祖が赤松と聞いているよ。
苗字は赤松じゃない。
前にも書いたけど、幕末まで修験道の寺と、村の神社の宮司をやっていた。
赤松満祐が将軍を暗殺しているから
その関係で逃げて来たのかと思っていたけど
最近家族に話を聞いたら
戦乱か何かで逃げているけど、将軍暗殺とは関係ないと話していた。
赤松範資の子で、将軍暗殺よりも昔の人。
家系図に「父子三人剃髪す」と書いてあり
親子三人で播磨から逃げ、ひとりは鎌倉に残り、二人は東北に行った。
そして修験道の寺を開いた。
修験者になった赤松の武将が亡くなった時
寺の近くの塚に埋葬した。
炭を敷いた檀の上に座らせて
遺体に甲冑を着せて、手に本人が使っていた大きな太刀を握らせたとずっと伝わっている。

601人間七七四年2016/04/13(水) 19:27:32.69ID:ZpBlv9HT
wikiに載ってる光範、朝範、直頼、師範、則弘、則春、範実のどれか?

602人間七七四年2016/04/13(水) 22:53:47.24ID:kK67pEkl
>>600のご先祖様は戦乱か何かで逃げているけど、
将軍暗殺とは絶対に関係ないんだぜ(´・ω・`)

603人間七七四年2016/04/13(水) 22:56:05.38ID:kK67pEkl
>>601
>>600のご先祖様は将軍暗殺とは絶対に関係ないから、
詳しい話はできないんだぜ(´・ω・`)

604人間七七四年2016/04/14(木) 00:13:12.92ID:j0AQ8XLe
>>601
範実。
家系図を見たのが10年以上前だからはっきりと覚えたていないけど「則実」になっていたような記憶が・・
兄から話を聞いたのが、子供の頃か若い頃、彦五郎を名乗っていて、円心の三男の則祐の養子にもなっている人との事。
ちなみに亡くなった父が昔、鎌倉に残った赤松の子孫と会っていると話していた。
代々鎌倉に住んでいるとか言う話。

605人間七七四年2016/04/19(火) 02:20:00.97ID:js/ted0M
置塩城の登山口にある櫃蔵神社の門は、置塩城の門だと聞いたのですが、
本当でしょうか?
ネットで検索しても、そういう情報が見つからないので確信が持てません。

神社なら門ではなくて鳥居でしょうし、並みの規模のお寺の門にしては高さが高いと思います。
置塩城の遺構で、馬に乗ったまま通れる高さになっているのでは?という気が
するのですが・・・

606人間七七四年2016/04/22(金) 22:30:58.24ID:PSQHUDb9
>>605
置塩城の遺構なら、自治体もそのことを宣伝したいでしょうから、説明板を
立てたり、Webページにに説明を掲載したりすると思います。
それが見当たらないので、自治体がその門が遺構だと認識していない可能性が高いです。

私は櫃蔵神社へ行ったことがあり、その門をくぐりました。
門の瓦に赤松氏の家紋が付いていたと記憶していますし、私も城門の遺構では
ないかと思いましたが・・・

607人間七七四年2016/04/22(金) 22:56:34.44ID:+wrt6VBf

608人間七七四年2016/04/29(金) 12:56:14.68ID:hVta4xhc
まぁ、徳川は攻めたのが上田城で良かったわなぁ。
間違って置塩城攻めてたら江戸時代は無かったに違いないぜ(´・ω・`)

609人間七七四年2016/04/29(金) 18:20:24.29ID:d2r23L0/
ホンマやな
深い洞察力に脱帽や

610人間七七四年2016/05/01(日) 06:04:38.35ID:g6BOJoOo
質問です。
江戸時代の旗本の有田氏は赤松朝範(朝則)に始まる在田(有田)氏の末裔でしょうか?

赤松範資の次男・朝範(朝則)から始まった在田(有田とも)氏は、
加西市の殿原城から勢力拡張ととともに河内城、多可町の野間城へと居城を
移り、北播磨一円に勢力を伸ばしましたが、定説では天正3年(1575)、新説で
は永禄12年(1570)に東播磨制圧を目指す別所氏により滅ぼされたことになっています。

ところが、
江戸時代の旗本の有田氏が赤松氏支流の在田(有田)氏の末裔であるという
情報をググっていて見つけました。
領地は神奈川県横浜市保土ヶ谷区今井町や川崎市などに点在していたようです。
多い時には2千石を領していたとか。
ググってみると、有田吉貞、吉久、貞吉、・・・、基敦?、貞勝、・・・
という名前が出てきました。
旗本有田氏は赤松一族で播磨の在田荘の出であるとのことです。
この旗本の有田氏は播磨の野間城の在田氏の子孫なのでしょうか?

通説では野間城の在田氏は滅亡したことになっていますが、
一説では、野間城の最後の城主・在田元長が別所氏に降伏した後に隠居した
という話があります。

611人間七七四年2016/05/05(木) 09:13:31.25ID:6LO6j9jV
宍粟、430年ぶりに黒田の殿様お里入りしたよ

612人間七七四年2016/06/14(火) 09:10:39.58ID:JPeXGajU
調べて頂きたいのですが、赤松満祐の血筋が播州福崎で牛尾と姓を変え生き残ったと聞いたのですが…

613人間七七四年2016/06/17(金) 01:22:06.28ID:Isdt0I5T
最近、難しい話ばっかりだね(´・ω・`)

614人間七七四年2016/07/17(日) 00:07:17.83ID:Fgtzpn6w
>>583
政広は秀吉によって龍野城から竹田城に追ん出され
せめてもの慰めに石垣作るぐらいしか楽しみがなかったという哀しいイメージしかないw

615人間七七四年2016/07/17(日) 12:33:06.34ID:BUc2scFp
あくまでもイメージ どこぞの一人のなw

616人間七七四年2016/07/29(金) 02:36:05.66ID:vtxvWVSO
実は、真田信繁は置塩城に真田丸を作りたかったに違いないぜ(´・ω・`)

617人間七七四年2016/08/01(月) 01:15:33.66ID:rGgZxnRm
信繁はんの気持ちが分かるのはアンタ一人だけや アンタが大将

618人間七七四年2016/09/04(日) 03:15:36.77ID:BuVytXcF
秀吉なき後の豊臣政権に則房がいれば、
家康の横暴を止めることができたのになぁ(´・ω・`)

619人間七七四年2016/09/05(月) 09:45:18.66ID:wynjpYJV
ほんまほんま。則房さえ健在なら、家康はビビって天下を奪おうなんて思わなかったやろなぁ。

620人間七七四年2016/10/02(日) 02:28:26.43ID:0UFfZdnS
良く、天正初年頃の播磨は別所が20万石、小寺10万石、龍野赤松5万石って書いてあるけど
実際どんな物だったんかね?
それに黒田官兵衛の黒田家って、10万石程度の大名の家老ならせいぜい2000〜3000石って事
なんだろうか?
それじゃあ、城主とも言えんような身分の気がすんだよなあ?
それとも、この年代でも播磨は中世的雰囲気で、この程度の地侍がわらわらいたんだろうか?
なんか色々と謎ですよね。

621人間七七四年2017/01/07(土) 20:49:59.76ID:XVS/HkUg
城主に万石以上必要とかどこの江戸時代だよ
あちこちにちっこい城主様がいたのが戦国時代だろ

622人間七七四年2017/01/19(木) 11:08:32.33ID:5WDZohgR
砦レベルの拠点でも城と称するのが戦国時代

623人間七七四年2017/02/21(火) 01:38:09.36ID:idw1oyPC
北播磨の在田氏も忘れないで。

624人間七七四年2017/03/17(金) 02:16:16.69ID:oIlqc+pw
実は、柴咲コウは女戦国大名めしを演じたかったに違いないぜ(´・ω・`)

625人間七七四年2017/03/26(日) 19:00:33.44ID:qxuKJvgE
>>623
在田氏の関係者?子孫か何か?

626人間七七四年2017/03/28(火) 02:20:44.39ID:9Ttv3Np2
実は、則房NHK大河の主役にならない理由は、密かにハリウッドデビューが
進行してるからに違いないぜ(´・ω・`)

627人間七七四年2017/06/27(火) 00:10:59.26ID:nwnXBPT0
小寺豊職
神璽奪回に活躍し、赤松再興に活躍した忠臣と言われる
でも、名前の豊の字は山名氏からもらったものだろうし、赤松滅亡後は普通に山名氏に仕えてたんだよね多分

628人間七七四年2017/07/31(月) 23:46:57.55ID:HVx7NDN0
赤松は将軍に尽くしたのに残念な末路だった

629人間七七四年2017/07/31(月) 23:56:48.88ID:WIxj14iX
将軍殺してますやん

630人間七七四年2017/08/04(金) 14:05:03.52ID:gx6iDNFj
伏見宮貞成親王「このように犬死した将軍は古来から聞いた事がない」(看聞御記)

631人間七七四年2017/08/05(土) 02:10:47.30ID:gdKgrc5f
2〇〇〇い〇〇せい〇〇〇か〇まよ〇〇×だに〇〇〇だみんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
消えうせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
まーおれのことじゃーないから気にならん
か〇〇〇げ〇みんなぁぁぁぁぁぁぁぁ
消えうせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
まーおれのことじゃーないから気にならん
おどれが死ねみんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
消えうせろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
まーおれのことじゃーないから気にならん

632人間七七四年2017/08/06(日) 13:54:20.13ID:DCdwUZrD
>>630
伏見宮は日記に自業自得とまで書いてる。

633人間七七四年2017/08/08(火) 12:47:52.50ID:4IXk9HpO
>>627
小寺は赤松庶流って事らしいけど、いまいち良く分からんよね?
実はまったく関係無い奴だったりしないのかな?

634人間七七四年2018/01/05(金) 02:07:54.39ID:jl+5txmd
西郷どんがどんなもんか知らんが、
西郷隆盛が置塩城を築くことができなかったことは確かなんだぜ。
その点、赤松の足元にも及ばないんだぜ(´・ω・`)

635人間七七四年2018/01/24(水) 00:00:37.84ID:/VHOJLgP
>>634
全然面白くないからもうレスしなくていいよキミ

636人間七七四年2018/02/25(日) 04:31:55.49ID:CrFz597c
>>635
じゃぁ、代わりにおまいさんが戦国期赤松氏を褒めちぎってくれよ。
他に誰ができるんだよ。

新着レスの表示
レスを投稿する