戦国時代っていつからいつまでなの?

1人間七七四年2008/07/19(土) 17:52:10ID:WZArfc7R
戦国時代の始期と終期について議論しましょう

始期
1)享徳の乱(1455年)
2)応仁の乱(1467年)
3)長享の乱(1487年)
4)明応の政変(1493年)

終期
A)室町幕府崩壊(1573年)
B)小田原の役(1590年)
C)関が原の戦い(1600年)
D)大阪の陣(1615年)

86人間七七四年2010/01/14(木) 22:32:57ID:aBUeBX7t
「戦国」と「戦乱」の区別がつかない椰子が集まるスレは、ここですか?

87人間七七四年2010/01/17(日) 00:48:50ID:kacgjo6p
信長上洛説が少ないねぇ。
応仁の乱で室町幕府の実権がなくなる→政治的に空白の時代
この政治的に空白の時代を戦国時代というんじゃないのかね?
だから信長の上洛で織田政権ができたんだから信長上洛が戦国時代の終わりだと思う。

秀吉の全国統一が戦国時代の終わりという説が多いけど、
日本列島すべてがひとつの勢力の支配下になったこと事態が
秀吉以前では稀なんじゃないのか?
たとえば奥州藤原氏なんか朝廷から独立した勢力だったと思うんだが、
それをもって平安時代は戦国の世だなんていわないよね?


88人間七七四年2010/01/17(日) 01:16:19ID:xxBlnurE
> 応仁の乱で室町幕府の実権がなくなる→政治的に空白の時代

まずここが間違い

89人間七七四年2010/01/17(日) 01:31:08ID:kacgjo6p
>>88
kwsk

90人間七七四年2010/01/17(日) 01:40:25ID:xxBlnurE
詳しくもなにも、書き込みするならその時期の歴史書くらい読みなよ。

当時も中央の政権、権力がそれなりに全国に影響力を持った形で存在していたことなんて
普通に解るだろ。

91人間七七四年2010/01/17(日) 01:48:46ID:kacgjo6p
dクス。
調べてみるお。

92人間七七四年2010/04/13(火) 06:00:08ID:DObfkkTS
>>14
文化的って言ったら、戦国時代も安土桃山時代も江戸時代初期も、庶民も十分文化的だけどな。
まあ言いたい事は分からないでも無いけど。

93人間七七四年2010/07/25(日) 02:48:31ID:xe7Qczxi
保守

94人間七七四年2010/11/13(土) 08:20:06ID:k1f2dQWh
保全

95人間七七四年2010/12/02(木) 20:30:17ID:p9UYnNMF
1500〜1600年

96人間七七四年2010/12/09(木) 07:32:06ID:M/GPscy2
戦国時代の定義を
「中央政権の弱体化で社会秩序が乱れ戦乱が各地で起きている状態で、
 新秩序や支配体制が全国に普及するまでの間」
と捉えるなら
応仁の乱〜秀吉天下統一達成まで

と言いたいところだが
それだと豊臣政権時代が短すぎてアレなので
終わりは家康天下統一達成(大坂夏の陣)まで
とするのが妥当だな

室町時代は義昭京追放まで
江戸時代は家康征夷大将軍就任から

97人間七七四年2010/12/11(土) 09:37:51ID:7Aq3ov0S
室町幕府は中央権力が弱すぎて統制が効かなくなったのがハッキリしないから揉めているのだが。
少なくても応仁の乱は決定的要因じゃない。

98人間七七四年2010/12/12(日) 02:21:02ID:oqQqk+j+
戦国始期は応仁の乱でいいと思う。

幕府権力の失墜に関しては決定的じゃないけど、
足軽の活躍や、全国規模での合戦の常態化、
あってはならない首都での大規模長期間戦闘、
守護大名の疲弊による守護代や国人勢力の台頭など、
転機とするには十分な要素が揃ってると思う。

幕府権力の「決定的な」失墜を条件に持ち出すと、
義昭追放まで戦国時代は訪れないことになるから変だ。

99人間七七四年2010/12/13(月) 22:04:29ID:XDzY7obJ
それだったら、享徳の乱の開始時が始期じゃないとおかしい。
朝敵に指定された足利成氏が結果的にもともと影響力が及んでいなかった伊豆一国の喪失だけで安堵されて、足利幕府の軍事力を退けたのだから。
応仁の乱は単に京都で発生したというだけで、名だたる武将が死んだわけでもなかったし、被害だって後の天文法華の乱の際の類焼の方が大きかったという説もある位だ。

100人間七七四年2010/12/14(火) 00:23:04ID:E/5ppm+p
享徳の乱と応仁の乱の大きな違い

享徳の乱…地方の戦乱。幕府が積極的に介入
応仁の乱…中央二分の戦乱。幕府機能せず

101人間七七四年2010/12/21(火) 23:32:34ID:T7cn+ws4
応仁の乱の後は京の間近の近江ですら六角氏が戦国大名らしい振る舞いをして楯突くからな

102人間七七四年2010/12/23(木) 07:49:56ID:2h42FUk/
いや、守護が反抗的なのは応仁の乱以前からだし
応仁の乱の原因の1つとされる斯波氏の内紛だって、斯波義敏が享徳の乱鎮圧のために出兵を命じられたのに抗命したために義政に守護を放逐されたのが原因。

103人間七七四年2011/01/30(日) 00:59:03ID:dolmGcMW
いや荘園横領して在地領主と結びついて独自の権力を打ち立てる、
あからさまに戦国大名らしい行為だし

104関連スレ2011/04/06(水) 15:28:59.43ID:TD5RMyAa

105人間七七四年2011/07/10(日) 22:17:18.95ID:MOJXEtLW
age

106人間七七四年2011/07/11(月) 00:36:13.62ID:qzILMOIL
戦国始期はめーおーのせーへん

107人間七七四年2011/07/11(月) 00:39:54.60ID:qzILMOIL
秀吉天下統一か大阪の陣終結が戦国終期と言うのなら
安土桃山時代とはいったい何だったのか

108人間七七四年2011/07/11(月) 00:44:40.27ID:qzILMOIL
>>55
こじつけ臭いも何も1573年の時点で
足利義昭は征夷大将軍職を解任されていないので
室町幕府は滅亡してはおりまへん

109人間七七四年2011/07/11(月) 00:46:55.82ID:6mFvO5r/
>>107
戦国期の中のカテゴリでいいんじゃね?

110人間七七四年2011/07/11(月) 08:48:09.41ID:Wvsug0ij
個人的には明応の政変〜秀吉の北条氏討伐までだと思う

111人間七七四年2011/07/16(土) 00:11:36.63ID:iX/IUgFx
戦国時代の定義は、勢力乱立による司法制度の崩壊だと思う。(NHK高校講座でいう自力救済の時代)
そして東日本のほうが早く戦国時代に突入したはず。

個人的には、
関東、享徳の乱1454年、独立勢力である古河公方の誕生
関西、応仁の乱1471年、朝倉氏の戦国大名化
だと思う。

112人間七七四年2011/08/14(日) 12:28:16.65ID:fzRh0Sw9
当事者たちの認識はどうだったのだろうか

113人間七七四年2012/06/27(水) 12:28:08.23ID:YfNlQqVd
明応の政変が教科書で戦国時代の始まりと書かれる日は、まだ遠そうだ(´・ω・`)

114人間七七四年2014/01/25(土) 15:18:38.90ID:3IDerC3G
嘉吉の乱で将軍が殺されるという異常事態が発生した時点で乱世の様相を呈している

115人間七七四年2014/01/25(土) 15:46:46.70ID:yeYwaWZt
禅秀の乱からって言う人がいたなあ

116人間七七四年2014/03/28(金) 19:17:14.55ID:l87umxsz
>>112
すごいぶっちゃけると秀吉の政権が成立するまで室町時代という意識

117人間七七四年2014/12/20(土) 17:23:07.89ID:ono1/wqy
禅秀の乱は十分な幕府軍が存在してると思った。

118人間七七四年2015/04/17(金) 21:56:35.51ID:ZqpO40F3
応仁の乱までには南朝があったから応仁の乱は南朝断絶という意味もあったから、始まりは応仁の乱からだな。ちなみに南北朝時代は遅くても久明親王が
将軍になってからで、それ以前だと宗尊親王将軍就任か、四条天皇崩御も該当するだろう。逆に終わりは島原の乱だね。島原の乱でポルトガルと国交断絶
して鎖国になったことによる変化が大きいし、ポルトガルと国交回復するまではあまり変わらなかったんだからね。
>>108そうだよね。信長は家康を将軍に引き上げたきっかけを作っただけにしかすぎません。で家光が持ち上げただけです。
秀吉が太政大臣になって義昭が将軍やめるまで、室町幕府はありました。安土桃山時代は南北朝時代同様に室町時代の一部にしかすぎません。
>>14そうだね。島原の乱で鎖国したことにより戦乱がなくなって、それが明暦の大火のころには定着し、江戸再建が行われそれがが終わって
元禄文化という町人文化ができましたからね。
>>24朝鮮出兵に注ぎ込みたかったからだよ。余計なことするなということでね。

119人間七七四年2015/04/17(金) 22:23:23.63ID:fFXLKoVY
播磨限定なら、嘉吉の乱から秀吉の播磨統一まで。
日本全国なら応仁の乱から秀吉の天下統一まで。

120人間七七四年2015/04/18(土) 21:03:08.02ID:EpRzH8OB
応仁〜徳川幕府成立まででいいんじゃないの?
秀吉は関白止まりで征位大将軍になれてないじゃん

121人間七七四年2015/04/27(月) 01:33:13.97ID:rK7MXsWU
そっか。そう言えば、明治天皇も征位大将軍になれてないな。

122人間七七四年2016/06/05(日) 02:13:57.53ID:nI4fR5do
元亀までは室町時代
だから、戦国時代は天正元年〜天正18年までの18年間

123人間七七四年2016/06/12(日) 22:28:23.79ID:vdbr9mIT
>>121
本当にお前はバカだな
明治天皇は征夷大将軍を廃止し、自身が軍権の長となっている。
征夷大将軍の上位存在だ。


逆に関白と征夷大将軍のどっちが偉いと言われたら、諸説紛々としか言えないだろ
征夷大将軍は親王も任官出来る非常に高い地位だ。
軍権の頂点といえる。
武家政権の荒廃と内戦の時代を戦国時代と規定したい人にとれば、
武家政権の復興は徳川家康の征夷大将軍任官を持ってなし得たのだから徳川幕府成立をもって戦国時代終了だろ

124人間七七四年2017/03/11(土) 05:57:36.97ID:Q5+AAdq1
age

125人間七七四年2017/03/13(月) 22:53:26.41ID:i0AQ5VSY
現代でも業績のある著名人の死が「ひとつの時代の終わり」などと評されることが多い。
東山文化の代表者 足利義政の死去(1490年)が「室町時代の終わり」という感じがする。
応仁の乱も亨徳の乱も嘉吉の変も「室町時代」にひっくるめてしまうのも乱暴かもしれんが、
情緒的にはここから次の局面である気がする。昭和63年と平成元年の間に違いはないが、何か時代の一区切りを感じた人は多かったはずだ。
それと同様に徳川家康の死去か「最後の戦国大名」伊達政宗の死去(1636年)が、
情緒的な意味で「戦国の終わり」と言えるかな。

126人間七七四年2017/03/14(火) 10:37:45.56ID:f5Hv66+N
業績のある著名人の死が「ひとつの時代の終わり」というなら足利義教の死こそがが室町の終焉だろう
情緒的には幼君であった傀儡将軍義政の誕生が戦国の始まりといえる

127人間七七四年2017/03/14(火) 15:07:33.50ID:/sxmwIjQ
>>126
磯田センセイはテレビで永享の乱(1438年)が戦国の始まりとか言ってた。
まあ、それも含めて嘉吉の変が「室町時代」のターニングポイントという指摘は
そのとおりだと思う。>>125では東山文化の時期を「戦国時代」と切り離すことによって、
「室町時代」の精神を持っていた最後の政治家として足利義政の方をチョイスした。
近年の研究では応仁・文明の乱後の幕府が全国政権としての一定の機能をまだ有していた事実を以て、
明応の政変以降を戦国時代とみる傾向がある。応仁の大乱の遠因且つ東山文化のパトロンである義政の死去は
当時の人々には「ひとつの時代の終わり」と感じられたのでは、と勝手に推測してみた。
義教の死を今後の大乱の始まりと感じるのは以降の歴史を知っている我々後世の人間の後知恵であって、
 「情緒的」というコトバを用いたのは当時の人々の気持ちを想像しての話。義教の在職期間は13年程であったし、
その恐怖政治ゆえに義教の死は 世人には安堵感と「これで義持時代に戻れる」という期待感があったのではないか?
とりあえずは20年余の小康状態があったしね。(関東除く)

128人間七七四年2017/03/14(火) 21:45:02.11ID:mF9yuJWS
応仁の乱も元を辿ると義教が守護家の相続に介入しまくったのが原因と言えない事も無い

129人間七七四年2017/03/14(火) 22:40:57.63ID:fFszi63S
赤松vs山名が応仁の乱の大きな要因なのだから、義教が原因であることは確かだろう。
ただし、戦国時代の始まりは、守護の在京義務の放棄が始まった時期からだと思う。

130人間七七四年2017/03/21(火) 23:39:36.08ID:aYeSHJG0
早すぎた信長  赤松政則  

131人間七七四年2017/03/22(水) 14:37:49.39ID:NpQIq7ID
早すぎた光秀 赤松満祐

132人間七七四年2017/03/25(土) 11:57:35.83ID:B6+kOeJd
九州は大内盛見・渋川家対少弐満貞・大友持直あたりからすでに戦国時代に入ってる感じがある

133人間七七四年2017/09/24(日) 22:04:54.43ID:H+U0Pozc
先進地帯は早くから動乱が起こるからね

134人間七七四年2018/01/21(日) 12:00:16.92ID:knYkT3vM
【アメリカ国際スパイ博物館】日本の5大忍者の研究『ダンゾウは、幻術を使って牛を丸ごと飲み込んだ』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1516495828/l50

135人間七七四年2018/01/24(水) 03:03:47.58ID:uLxrmmvR
大坂の陣

136人間七七四年2018/01/24(水) 10:37:29.93ID:DAUm9IyJ
権威での支配から実力での支配に変わった時から戦国時代じゃないのかな

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