大友氏について語ろう 3(再)

1人間七七四年2013/09/27(金) 19:16:57.42ID:kuOP0Q3N
前スレ

大友氏について語ろう2
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1268011621/

関連スレ
毛利と大友の北九州攻防戦を語ろう
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172121280/

390人間七七四年2017/10/12(木) 20:42:52.97ID:L2leHUDT
伊東って領土を保持しているときに大友の傘下に降ったの?

391人間七七四年2017/10/12(木) 22:51:44.74ID:AiUkD9dJ
伊東は府内に避難した時点で名目でも残った土地を全部大友に譲っていたはずだから、
日向半国位は大友の支配下にあったと言っていいかも。
それにしたって、大友の栄華は短い。

392人間七七四年2017/10/13(金) 01:23:52.21ID:nnQxgb+i
伊東が傘下の時肥前は完全にコントロール外かな?

393人間七七四年2017/10/13(金) 07:00:36.21ID:RZCLsRZp
今山の戦いで龍造寺をぶち殺せなかっただけでもダメだな

394人間七七四年2017/10/13(金) 12:33:26.84ID:uNyMiTlm
毛利とも多年に渡って戦って負けてないし弱いとはいえないと思う

395人間七七四年2017/10/13(金) 22:36:12.75ID:TdqSU+hw
義鑑時代は豊後と筑後半国だから勢力拡大はちゃんとしている
栄華が短いのはどの地方大大名も同じ
卑下することはない

396人間七七四年2017/10/14(土) 01:20:43.81ID:V/OJ3KSZ
宗麟の肥後に対する支配体制ってどんなもんなの
義武倒して以降も直接人を送り込んだり軍を出したりしてるのかな

397人間七七四年2017/10/14(土) 03:18:38.13ID:R/2XU3MB
>>395
大内でも義隆期が最大領土だし
武田も勝頼期、北条も氏政氏直期が最大領土だしな

398人間七七四年2017/10/14(土) 10:08:59.79ID:Z334X48L
>>396
小原鑑元という豊後国人衆の有力者を方分という役職で肥後守護代として送りだしている
のちに鑑元には謀反をおこされるが鎮圧し、別の人物を肥後方分としてまた送っている

>>391
耳川の戦いは二次日向出兵で一次の時に日向北部の土持氏を滅ぼしているので日向半国領有は間違いない

>>392
佐嘉城包囲戦(今山)の時に竜造寺氏は人質を出して降伏し、宗麟は肥前の諸豪族に領土安堵状を送っている
この後、龍造寺氏に心底に叛意があったとしても表面上はこの時、大友家臣になった

399人間七七四年2017/10/14(土) 19:13:03.61ID:pRY9H9II
>>396
阿蘇、相良は大友の傘下に入っていた。
相良は、毛利との戦いで大友方に援軍出したりしてる。(1569年)

城氏とか他の国人も大友に従っていた。
海外から輸入した大砲が、肥後国玉名の高瀬に荷揚げされ
運搬の手配を城氏が行っている。(1576年)

加藤清正のような直接的な統治ではないが
肥後は大友の支配下だった。

400人間七七四年2017/10/17(火) 03:40:37.76ID:rlJ9/VOC
>>399
大友宗麟が支配地を広げていることは疑いない。
しかし直接統治(この表現が正しいかどうかはともかく)には至らなかった土地が多い。
既存の支配層を温存した、あるいはせざるをえなかったからか。

肥後では小原鑑元の死後、隈部家が赤星家を相手に戦争を起こしているが
こんな勝手を許すようでは支配下に置いていたとはいいがたいのでは。

また、大友と毛利の争い中に、相良家を島津家が攻め始めるが、
碌に援軍を出してもいない。肥後の衆を動員している気配もない。

肥後南部ででは特に、大友の支配は名目だけ。
その権威はともかく、権力はだれも相手にしていなかったのが実情。

401人間七七四年2017/10/17(火) 06:14:16.52ID:R5ha4ccl
宗麟期の六州守護って九州におけるミニ足利幕府的な権威だったのかなって

402人間七七四年2017/10/17(火) 12:18:21.88ID:rlJ9/VOC
>>401
守護職を独占してもいたからそれはないだろう。
でも方分=守護ならわからんが。

義鎮が丹生島城に籠っていたのは、足利義政的と言えない事もない気がする。

403人間七七四年2017/10/18(水) 21:45:12.03ID:xPHNrHew
九州探題でもある

404人間七七四年2017/10/19(木) 03:53:46.65ID:bzDSj9yp
大友義鎮の九州探題職は伊達晴宗が陸奥守護補任から奥州探題とみなされている件と性質が一緒
三好政権の影響力が全国的に及んでいる証拠と見做す向きがあるけど
むしろ足利一門を無視した人事のせいで畿内の幕府が全国を代表する政体としての建前を名実共に失った事例だと思う

つまりミニ足利幕府説を支持するという訳なんだけど、この場合はあくまで畿内の権威の借り受けみたいなもので
畿内とのパイプを大友が独占しておかないと権威が維持出来そうにもない
代替わり時同じように補任される確証がないから、大友は足利一門ではないので
将軍家と三好の政治闘争の間隙で実現できた義鎮一代限りの裏ワザとでもいうか

405人間七七四年2017/10/20(金) 00:39:42.27ID:bvEV+mUj
大友家の直接支配の届きにくい地域とかについては、調停などは引き受けるけど
各々の武将は自力救済してたのがその頃の戦国時代かなあって。
そうなると六州丸々大友領国とはやっぱ言えないかなって思うのね
ミニ足利幕府ってのはそういう感じの意図のレスだった

406名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 12:07:58.57ID:+xeoL4Sf
>>405
義鎮はあまり調停していない…よね
紛争の結果は勝った者次第、という意味では、室町幕府そっくりかも。

>>404
相良の修理大夫、阿蘇の従二位(これは義鑑時代だけど)と
みんな結構独自のルートで幕府や朝廷に接触している気がする

407人間七七四年2017/10/23(月) 22:59:34.41ID:VvJEJQ2L
大友ひいきの人で六州の太守をやたら強調してる人がいたから
そのくらいはやってると思ってた

408人間七七四年2017/10/24(火) 16:54:01.05ID:aV0GdqNh
大友が好き、というよりも、立花道雪が仕えた結果、大友家は大きくなった、というのを強調したいのだろうかと。

立花家は評判が良いから

409人間七七四年2017/10/24(火) 16:59:22.67ID:+O2kBzJS
1570年くらいから、大友宗麟の全盛期を築き支えた家臣は次々に死んでるよね。吉弘、吉岡、臼杵。これに耳川で武闘派がたくさん死んで、残ったのは道雪と高橋くらい。

その2人も相次いで死に、誰もいなくなった。

410人間七七四年2017/10/24(火) 17:10:26.66ID:XPyqWMj4
吉弘統幸は宗茂世代か

411人間七七四年2017/10/24(火) 17:45:54.51ID:sB3whcHd
名将が何人も忠誠を尽くしたんだからそれなりの魅力がある人物だったんだろうね
雑魚の反乱はめちゃ多かったけどw

412人間七七四年2017/10/24(火) 18:43:40.54ID:qerDpKnv
大友はもうちょい内政能力があればね

413人間七七四年2017/10/25(水) 09:18:49.15ID:uhsbxIRA
織田や毛利のような新興勢力じゃないから、効率よく支配体制を構築するには既存の勢力に権限を多く残してやる必要があったんだろう。
そういえば内政が上手で有名な北条の領国では中央集権が進んで官僚もいたらしいからな

大友には三老や近習は居ても、官僚は居なかった気がする

414人間七七四年2017/10/25(水) 14:03:13.64ID:VwCbjHhz
加判衆同紋衆の下に吏僚は・・・いないか

415sage2017/10/27(金) 00:44:05.91ID:pzOWz1gS
大内には京の文化が花開いたというが、府内はキリスト教文化が花開いたの?

416人間七七四年2017/10/28(土) 09:23:41.96ID:YFKrbwpc
オレの書き込みに大した差はないので、まことがあせっているのは
ハッキング阻止が上手く行っていると思われる

417人間七七四年2017/10/28(土) 14:00:59.11ID:eGMRWv8r
とうぜんおまいらこれには行ったろうな

大友氏館跡発掘調査20周年記念特別展「威信の舞台 ―よみがえる大友館―」
http://www.city.oita.oita.jp/www/contents/1502946717372/

418人間七七四年2017/10/30(月) 21:10:51.31ID:m+YC2PFZ
大分は遠い……行きたいなあ
誰かレビューしてくれないかな

419人間七七四年2017/11/10(金) 21:33:23.09ID:divPWA0i
大友宗麟・吉統親子の盛衰はドラマチックだと思う
一般に好まれる毛利島津武田のようなファミリーヒストリーの枠組でドラマを構築するのは難易度高いけど

420人間七七四年2017/11/18(土) 06:12:54.36ID:miIqrRrw
>>419
離婚や不道徳で大友家のドロドロは楽しめるな

武田家や織田家なんかにくらべたら血なまぐさくないのかもしれないけど

421人間七七四年2017/11/23(木) 00:04:18.02ID:tCZ3kZsX
>>413
官僚制というか職位と権限の細分化はかなり進んでいた。

豊後国内の方分は郡単位、豊後以外の方分は国単位で、権限は行政権のみ。
各地の城督(城代)は付近の城と寄子の管理のみで行政権は基本的になし。
しかも、基本的に地元の職位には就けない。

422人間七七四年2017/11/24(金) 20:12:27.62ID:+80/bSrl
>>417
行ってきたよ
マニアには興味深いけど、一般にはどうかね?
大友館とかしょぼすぎて再建してもたいして観光の目玉になりそうにないわ

423人間七七四年2017/11/24(金) 23:02:33.79ID:7rh9FqsG
今日栂牟礼城址に行ってきた。
死ぬかと思った。

途中から尾根伝いに上っていかなきゃいけなくてさ〜道とかないし。
しかもなぜか帰りだけ迷ってしばし谷間を彷徨ってた。
惟治公におちょくられたのかも。

424人間七七四年2017/11/25(土) 01:12:13.40ID:q8pniASU

425人間七七四年2017/11/25(土) 02:11:18.44ID:9PeIpFMs
>>>423
俺も以前登った時に、同じような経験したよ
行きは道をロストし、鹿撃ち猟師とバッタリ出会い
帰りは反対側の麓に降りてしまい
下山後、車まで戻るのに車道を1時間以上歩いたよ。

426人間七七四年2017/11/25(土) 03:49:13.32ID:cS494rup
杏葉紋のデザインって、重すぎずシンプルすぎずかっこいいですよね。
いつから使用していたんだろう?鎌倉初期の小田原時代?

427人間七七四年2017/11/28(火) 01:41:28.47ID:fmUExCD0
丹生島城跡も行ってきたよ。
全体が高台になってて中にグラウンドや中堀がある珍しい場所だった。

でも国崩しヒャッハーは一次資料じゃないらしいね?
だとしたらどうやって撃退したのかしら

428人間七七四年2017/12/06(水) 23:38:12.05ID:6A884PSu
つーか安部龍が宗麟本出しとるやないか!
早速に読む!

429人間七七四年2017/12/07(木) 07:49:53.89ID:ZqXRlNmJ
>>427
当時は周囲海でほぼ島だったんだからまあ攻めにくいわな

430人間七七四年2017/12/07(木) 15:14:19.81ID:/rTR22lN
>>427

補給の問題がでかかった思うよ。周辺の住民をことごとく
城に入れたということは、恐らく住民達はあるだけの食
糧を持って入城しただろうからな。島津勢は現地調達が
難かったに違いない。その昔、恐らあの毛利元就が尼子
の大軍に責められた郡山籠城戦から学んだんだと思う。元就の知恵だな。

431人間七七四年2017/12/07(木) 18:46:30.76ID:ZqXRlNmJ

432人間七七四年2017/12/07(木) 20:39:53.90ID:X4hfDyf0
>>431
彼、丹生島まで行ったのか

433人間七七四年2017/12/21(木) 12:10:02.44ID:6zEsULgL
これ行ってきた

合戦絵図の世界~語り継がれる戦国の「記憶」~
http://www.city.usuki.oita.jp/article/2017120500011/

合戦絵図をせっせと集めてるみたいで所蔵品が多かった
企画以外に常設で臼杵城の史料展示が結構あってそっちのほうがおもしろかった
http://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014030500155/

434人間七七四年2017/12/23(土) 14:46:25.79ID:SQX86Fbz
豊薩合戦は名エピソードの宝庫日本人好みの祖国防衛シチュなんだから
大分人はもっと盛り上げればいいのに江戸250年間の小藩分割で上書きされて一体感がないのかな?

435人間七七四年2017/12/23(土) 15:11:11.28ID:IDskwck1
戸次川と比べるとインパクトが弱いんだろうね。臼杵、佐伯、竹田とかで各個に戦ってた感じだし
島津軍撤退時の追撃戦で惟定か親次が家久か義弘を討ち取れてれば違ったんだろうけど

436人間七七四年2017/12/23(土) 21:53:39.94ID:6M0v+IYe
戸次川で豊後勢が主体となって戦っていたら勝っても負けても大分県の一大事として現代まで語られたのにね

437人間七七四年2017/12/24(日) 15:32:38.37ID:JNLVm8GM
>>434
豊薩合戦だけじゃなく壮絶すぎる戦国話は
戦後のGHQに「これアウト、学校教育ではスルーしてね」
とお達しがあったていうけとマジかなぁ

438人間七七四年2018/01/16(火) 23:08:03.39ID:ApGDTVlK
宗麟の娘、大友若菜姫とかいうオリキャラ小説が幕末に大ヒットしてたらしいから
蘭学の普及とかでキリシタン者=絶対悪っていう価値観は幕末頃には薄れてたのかな

439人間七七四年2018/02/19(月) 19:37:04.08ID:K2Q2Jezg
やはり宗麟は間違ってなかったのか?

http://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1518962820/

440人間七七四年2018/02/19(月) 23:20:38.27ID:HmMYAtKO
>>438
ほえ、幕末に妖術合戦ありの小説があるなんて凄いねえ

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