桶狭間合戦の真実

1人間七七四年2013/12/29(日) 10:51:18.71ID:WoKpCiox
桶狭間合戦は2万5千の大軍今川義元軍をたった3千の織田信長軍が打ち負かしたと言われています。
最近では桶狭間合戦は奇襲ではなく正攻法だったという説もありますがどうなのでしょうか?
改めて桶狭間合戦についてみなさんで検討してみましょう。

763人間七七四年2016/11/23(水) 09:21:26.25ID:fRWdHM4A
初めて聞いたわ

764人間七七四年2016/11/23(水) 18:27:09.67ID:14aZu323
信長公記にも大高城に兵糧入れてそのまま滞陣したのは家康の部隊ってはっきり書かれてる
藤本氏もそのように言ってる

765人間七七四年2016/11/23(水) 19:48:52.32ID:bwkiIcSS
>>762
実際に大高城に行った事ある?
あそこから桶狭間〜鳴海方面は大高緑地公園の丘陵地帯に阻まれて見通しは利かないぞ
目視で確認は無理

766人間七七四年2016/11/24(木) 01:25:25.21ID:67gvRJ3N
桶狭間の戦いで本当に活躍したのは忍びだったけど忍びだから名前が出せないってこの前のアニメ「信長の忍び」で放送してた

767人間七七四年2016/11/24(木) 23:30:38.72ID:sorsmlwI
信長公記の記述では信長の勘違い攻撃だったことしか読み取れない

768人間七七四年2016/11/25(金) 01:29:04.99ID:JXLq0ZSM
と言う事にしたくてしょうがない菅沼

769人間七七四年2016/11/25(金) 18:32:03.04ID:ZTJoEgQ7
藤本正行は菅沼だったのか

770人間七七四年2016/12/12(月) 23:19:25.07ID:msssbrfl
信長公記に、「突撃前に沓掛のクスノキが雷で倒れたという描写があるから、別働隊が奥地の沓掛まで迂回していたんだ」
って説があるらしいな。無理があるけどでも気になる描写ではある

771人間七七四年2016/12/13(火) 21:42:02.65ID:HXGkHa9l
まったく無理があるとも言い切れないだろう
中島砦から沓掛手前の二村山まで距離にして10キロも無い
二村山は鳴海、大高、岡崎まで視界が確保できる要所だから
兵力を分散させても押さえておきたいと信長が考えても不思議はない

772人間七七四年2016/12/17(土) 23:51:44.52ID:apKu/4T4
藤本正行「桶狭間の戦い」読んだけど、やっぱり藤本説よう分からん
この人は他人の説を打ちのめすときは生き生きとする割に、自説の主張がほんと曖昧で困る

「偶然突っ込んだら偶然旗本に突き当たった」って主張がとにかくしたいらしくて、
まえがきで「私の説では、なぜ少勢の信長が今川の大軍を正面から破ることができたのか、図式的な説明がしにくい」
って自分で書いておきながら結局曖昧。

・今川軍の先陣が崩れてそれが旗本に波及した
・決戦が当時の通例と違って午後に行われたから今川軍は油断した

ってのが辛うじて読み取れる主張なんだけど、
「少勢の信長が今川の大軍を正面から破ることができた」理由の説明としてはちょっと弱すぎる
しかも、「兵力差以外と無かった説」も棄却してて、「織田2千対今川2万」の構図のままでだからね

あと、よく言われる、
「信長は砦を複数築き、今川軍を分散させるのを狙った」
って俺はそう考えてるんだけど、その主張に対しては、
藤本「分散させるにしては丸根と鷲津が接近しすぎているから違う」って、よう分からん

773人間七七四年2016/12/18(日) 10:33:40.47ID:KxNG/5L3
信頼できる資料が少なすぎるからな
結局は欠落してる情報を想像で補う他に無いから
他の人からの批判を避けようと思ったら曖昧にせざるを得ない

分散させるにしては丸根と鷲津が接近しすぎているってのはあくまで丸根と鷲津だけの話しだしな
大高南方や鳴海を囲む砦群を無視してる

俺はあくまで2000と言う数字は信長が直接率いていた本隊であって
後続部隊が続々と鳴海方面に到着していたんではないかと思っている
そんな状況で戦力を分散させるのはまずいと考えた義元が引き上げにかかったところを
豪雨が襲い、混乱が起こったところを織田軍が強襲したんじゃないかと思っているんだが

774人間七七四年2017/02/27(月) 23:53:51.94ID:xlr/bfpd
信長公記見る限りでは信長の勘違いで攻撃した部隊がたまたま義元の部隊だったとしか読み取れないからね

775人間七七四年2017/03/01(水) 21:23:41.60ID:NflgNfJz
今川義元が海道一の弓取りと言われた大方の功績は太原雪斎の政治、戦の手腕によるところであって
義元の能力、特に戦を直接指揮するような事においては経験値1の素人同然だったんだから
尾張平定で戦いまくっていた信長からしたら
2500対5000だったとしても、2500対25000だったとしても、突撃したらまさになんとなく勝っちゃう事もあり得たんじゃね

776人間七七四年2017/04/03(月) 19:35:34.47ID:aRMxPfXH
今川軍として先鋒として配置されてて、信長の軍勢が細い道を一列になってやってきたとき、
顔面に打ち付けてくる大粒の雨と、木も横倒しになるほどのゴウゴウの暴風雨が
向かい風でかかってきて、その中に織田軍が追い風に乗って突っ込んできたら?。

皆、逃げるだろ。義元の本陣まで一気に破られてしまったのは、向かい風の暴風が原因。

777人間七七四年2017/04/03(月) 20:26:16.69ID:bUw53Twe
そもそも木が横倒しになるほどの暴風の中で戦闘は不可能

778人間七七四年2017/04/03(月) 21:56:41.21ID:WEKhE1pz
追い風だったら突撃の勢いが倍増するのでは

779人間七七四年2017/04/03(月) 22:41:46.15ID:5mTyaYy3
織田勢の兵の勢いが凄過ぎて今川勢の兵が恐くて逃げちゃったんじゃないの?
戦ってるの人間だからな。

780人間七七四年2017/04/03(月) 23:16:03.17ID:UyJvw5Mc
木が倒れる程の暴風の中で人は立ち上がる事も儘ならんというのが分からんとは…
木より先に人間が吹っ飛ぶから

781人間七七四年2017/04/04(火) 14:18:53.72ID:hxrbWjAS
吹っ飛びながら突撃したのでは

782人間七七四年2017/04/04(火) 16:39:15.95ID:mFd4Qx8B
ファンタジー桶狭間

783人間七七四年2017/04/29(土) 19:07:26.29ID:3wju+6Bs
今川の兵は、水をまくるが如く、後ろへくぱっと崩れなり。
くぱあとね。

784人間七七四年2017/05/26(金) 04:48:50.91ID:j8cjvz8V
「桶狭間非奇襲説」って、藤本正行と小室直樹が割と同時期に発表してるようなんだけど、
どっちが先に言ったの?

785人間七七四年2017/05/26(金) 10:54:38.59ID:wOrI13sx
小室圭

786人間七七四年2017/05/26(金) 17:09:22.87ID:j8cjvz8V
読み返したら「最近、奇襲迂回を否定する説が出てきてる」って小室直樹の方の本に書いてあったから、
少なくとも発端ではなかったわみなさんありがとうございました

787人間七七四年2017/05/30(火) 07:49:50.23ID:O4gDFWmE
信長は地元だから雷雨の移動パターンは知ってただろう、義元本陣に移動するのに賭けたのでは
俺の住んでるところだと南西から雷雨雲が地上へ黒い雨を降らしながら迫ってくる

788人間七七四年2017/06/09(金) 22:47:42.65ID:p4C9/SeG
雷雨の移動パターンは、たいてい 西から東へ だろ。
でもそんな天気を予報してそれに賭けるかなあ。外れたら死ぬから
やらんだろ。

789人間七七四年2017/06/11(日) 11:08:40.82ID:LBoed8oz
義元本陣はおけはざま山
本陣を置くぐらいだから当然見晴らしもよかっただろう

790人間七七四年2017/07/09(日) 09:36:21.21ID:f+qiuL9H
戦前の帝国陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史 桶狭間役』で桶狭間の戦いは奇襲攻撃だったなんて勝手に書いちゃったもんだから桶狭間=奇襲説が今でも通説としてまかり通ってる。
『信長公記』には奇襲なんて一言も書いていなくちゃんと正面攻撃したって書いてある。

791人間七七四年2017/07/09(日) 09:54:35.69ID:IMg5PVdp
奇襲は奇襲だよ
夜まで続いた軍議では信長は一切出陣すると告げずに、
いきなり深夜にわずかな供回りだけで清州城を出陣したんだから

792人間七七四年2017/07/10(月) 02:07:24.12ID:nLBQOGTr
奇襲は奇襲なんだろうけどルートが迂回攻撃か正面攻撃かが問題だな

793人間七七四年2017/07/10(月) 05:20:40.16ID:wlBqWMTc
ただのヤケクソ突撃

794人間七七四年2017/07/19(水) 07:04:06.37ID:wZSWlbkp
https://video.twimg.com/ext_tw_video/887192253428449280/pu/vid/720x720/kOKftqkNwurS1yhk.mp4

今川軍は左側。右側から織田軍が追い風にノって突っ込んできた。

795人間七七四年2017/07/23(日) 23:41:27.59ID:4GpUyDPl
もったいないから簡単に書くね
桶狭間の合戦の勝因は完全なる情報戦
ただ単なる運任せの奇襲による奇跡的な勝利ではなく、見事な戦略的勝利なんだよね

796人間七七四年2017/07/30(日) 22:11:44.42ID:Exwyg46d
>>795 ふーん。じゃあ、あの武者どもは
徹夜で食糧運びした兵だと
勘違いして味方の兵に教えた件はどうなるんだよ。

797人間七七四年2017/08/15(火) 13:39:22.85ID:8Ou7Nsfy
>>796
休養充分の元気な敵に突っ込めと言われるよりも疲れた敵に突っ込むぞと言われた方が勝てそうな気がしない?

798人間七七四年2017/08/15(火) 22:07:08.63ID:/3iYifzB
NHK教育を見て53366倍賢く桶狭間の戦い(c)2ch.net
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/liveetv/1502797690/

799人間七七四年2017/09/04(月) 14:28:32.17ID:k89VeiSL
兵数が間違ってるんだろうな
織田軍は実際には10000いて、今川は15000だったと考えるのが妥当だろう
いくら大将を倒したと言っても、22000の兵力差があったら残存兵力にかき消されてしまう
指揮系統が乱れてたと言っても残存兵力も死にとうないし、物理的に追撃の手が足りない
主だったネームドまで尽く討ち死になんて考えられないね

800人間七七四年2017/09/04(月) 21:48:00.57ID:aeDUO9Vq
今川は荷駄・輜重隊(運送部隊のことね)も入れて2万5千くらい。織田は戦闘部隊だけで5千くらいと考えるのが妥当でしょう。

801人間七七四年2017/09/04(月) 21:56:58.81ID:3rmoyr/J
織田には六角の援軍がいたとか最近話題になってなかったっけ?

802人間七七四年2017/09/04(月) 22:30:33.13ID:st50f2Xp
なにそれ

803人間七七四年2017/09/04(月) 22:34:09.41ID:SkjDDDkN
まだ一向宗門徒が合力したっていうほうが現実味がありそう

804人間七七四年2017/09/04(月) 22:40:27.92ID:3rmoyr/J

805人間七七四年2017/09/04(月) 23:21:26.48ID:SkjDDDkN
>>804
織田六角同盟の証拠が義昭上洛のための書状だってことだけど、それこそ義昭を上洛させるためだけに手を組んだんじゃないのかなあ
上洛前まで実際に手を組んでいたなら美濃攻めにも力を借りていそうな気もするが

てか、義昭のwiki見てビックリしたんだけど、織田と浅井の縁組みを義賢が和田惟政に斡旋させてるんか

806人間七七四年2017/09/04(月) 23:41:26.50ID:st50f2Xp
義昭の上洛するから協力しろ書状なんて誰彼構わず発給してそう

807人間七七四年2017/09/04(月) 23:50:41.45ID:3rmoyr/J
>>805
ここら辺の尾張・美濃・近江・越前の関係性は奇々怪々
一応援軍の戦死者の記述とか書いてあるけど亀山から桑名経由で援軍が来たことになるけど桶狭間の時すら織田と長島ってあんまり関係良くないはずなんだよなぁ

808人間七七四年2017/09/05(火) 19:21:17.34ID:GoJpLong
結果としての奇襲
信長は奇襲を掛けるつもりは無かった
義元はタイミング悪く、不意を突かれた
奇襲作戦ではなかった
飽くまでも結果

809人間七七四年2017/09/05(火) 19:40:45.78ID:58c0faYJ
>>804
面白いと思うが遠国で272人も討ち死にするほどの義理が六角に無いよなw

810人間七七四年2017/11/23(木) 11:16:26.65ID:3zTuxiiQ
272人も討ち死にしたなら、名のある武将が数名いるはず。
その武将の名前が本当であるかどうか調べれば真偽はすぐわかるわな。

今川方の武将名はすでにネット上で出ている。
久野氏忠、井伊直盛、松井宗信など46名
六角の武将の名前が出てないのは、もうすでに充分怪しい。名前だしたらバレるからな。

811人間七七四年2017/11/23(木) 11:35:18.70ID:3zTuxiiQ
ただ、桶狭間合戦当日、信長が朝まで清洲城に居たのは、
美濃国とは交戦状態にあったためもある。また尾張一国を統一したとはいえ、
尾張と美濃が接するあたりは織田の一族に任せてあるとはいえ、信長とは仲が
よくない。その一族からは桶狭間に援軍を出してもらってないし、後年、追放
(織田信清)。
だから桶狭間合戦のとき、信長は清洲城にて西方の勢力(六角含む)とも何らかの
関わりや考慮があったとは一考できる。

812人間七七四年2017/11/24(金) 08:01:27.98ID:5cFQJ6kB
>>488
大田牛一は桶狭間に参戦したかどうかは
信長公記を読んだ限りでは、参加したようにもとれる。
「あの武者ども、宵に兵糧」と信長が訓示したときは
近くで聞いているようだし、泥田の中で水しぶきをあげるのを
若武者が追いかけて首をとる、とかは見たようである。
大田牛一は敵兵の首は穫ってない。

813人間七七四年2018/02/11(日) 13:33:40.49ID:Pk2QzkR/
美濃斉藤道三は織田の後ろ盾になってなかったか?
織田斉藤連合なら今川と互角、
今川義元が討ち取られたからって
武田も容易には弔い合戦に出られないだろう

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