本能寺の変の真実 [転載禁止]©2ch.net

1人間七七四年2015/07/05(日) 07:30:39.20ID:Ov6I6rt1
天正10(1582)年6月2日、天下統一を目前にした織田信長が家臣の明智光秀の謀反によって宿泊していた本能寺を急襲されて死亡した事件。
果たして本能寺の変の黒幕は誰なのか?
明智光秀の単独犯なのか?羽柴秀吉なのか?徳川家康なのか?足利義昭なのか?朝廷なのか?
本能寺の変についていろいろ考察・検討していきましょう。

2人間七七四年2015/07/06(月) 07:54:16.00ID:9vIML4Ub
どちらにせよ明智光秀のせいで稀代の英雄・織田信長が死んだ。
明智光秀許すまじ!

3人間七七四年2015/07/06(月) 19:16:16.56ID:96KnTD7k
黒幕じゃなく、真犯人は誰か?という問題

4人間七七四年2015/07/06(月) 23:08:38.12ID:/Nj2FKuF
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫)

この本はたいへんよくできている。光秀が細川の家来だったことや、愛宕百韻のところは必見。
読んでその他の間違いに気付くようになったら、自分がレベルアップした証拠。

5人間七七四年2015/07/07(火) 06:59:12.47ID:WkIAe3Qf
>>4 徳川家光がじつは、春日局の実子だった、という巻末の説が興味深いよ。
家光の母親は春日局だった、と書かれている本が、徳川家の文庫にあったから。

家光は、家康の家、光秀の光、をとったものだという。本能寺を襲撃した先手衆の一人、本城という
者が書いた覚え書きには、「家康を討つとばかり思っていた」という記述がある。
信長は、本当に家康を討つつもりだったのだという。本能寺の南側から侵入したのは本城という男だが、
北側からは斉藤利三がまっさきに突入して、明智軍の重臣ではあるが、まさに最前線で指揮をとっており、
手柄は筆頭。その娘が春日局なのだから。

斉藤利三や光秀が殺されたことを家康は気にしていて、孫に家光という名前をつけた、という。
ただ、これは著者の勇み足による推測であって、家光の生まれる1年前に春日局は子供を生んでいる。
この事実は極めて重要で、
乳母として採用されて教育係とはいうが、乳を与える本当の乳母として採用されたし、
春日局が実の母親だと書いた本は、他の箇所がいろいろ間違いがある本で信用性が足りないので、
実の母親説や家光の光は光秀からという説は、怪しいと思われる。

6人間七七四年2015/07/08(水) 16:10:01.53ID:omoogp5d
松平定知氏「本能寺の変仕組んだのは黒田勘兵衛では」と分析
2014.01.04 16:00

毛利輝元との和平交渉とそれに続く(明智光秀討伐の)中国大返しの手際の良さをみると、私は黒田官兵衛が本能寺の変を仕組んだのではないかとさえ思っていますが、この高松城址の地(岡山市)に立ってみて、その読みに自信を深めました。
というのは、高松城は難攻不落だったので豊臣秀吉は織田信長に援軍を要請したとされていますが、現場を見る限り、深い堀も壮大な石垣もない平城で、とても難攻不落とは思えないからです。

http://www.news-postseven.com/archives/20140104_234455.html

7人間七七四年2015/07/08(水) 17:55:16.52ID:mdrEttqQ
松平定知見なくなったな

8人間七七四年2015/07/08(水) 18:05:35.57ID:f+yZGOd9
どっかで教授やってんじゃなかったっけ?
その勢いで歴史分析までしちゃってんだろうが黒田説なんて論外だよな。

で、>>5の信長が家康討つ云々も、光秀が家臣騙すために言った嘘だと思うけど。
当時は本願寺書記官の日記に「家康接待のため信長奔走」ってのもあるんよ。
信長が家康にお礼しようと思って走り回ってる様子が伝わってくる。

9人間七七四年2015/07/08(水) 19:11:00.84ID:AmNtM5vg
信長公記では、浅井長政も家康も、信長の「舎弟」と記述されているね。
信長の手紙からは、長政相手だと、もうほとんど子分扱いしてしまっているが、
家康への手紙となると、うってかわって、信長はずいぶん気を使って丁重なのだという。

浅井長政はそれを根にもって裏切ったともいえるという説があるのだが、
家康は若いころから、信長から一目おかれている。
家康は信長の家臣ではないので、領地の配置換えなどもされない。

なお、信康事件では、信長は「家康に任せる」と言っただけで、切腹は命じていない。

10人間七七四年2015/07/08(水) 19:17:41.88ID:AmNtM5vg
>>8 「家康接待のため信長奔走」は、武田攻めのあと、
帰路は富士山見物しながら家康から、接待攻めにあったことの返礼もあるね。

信長公記による富士山見物の箇所は、太田牛一も従事したようで、
富士山をほめちぎって、その浮かれっぷりのはしゃいだ記述は、全軍有頂天といった感じだ。

ただ、信長にとってはこれは一生で最後の娯楽休暇、となったようで、たった3ヶ月後に死ぬ。

11人間七七四年2015/07/08(水) 19:45:39.74ID:AmNtM5vg
本能寺で、信長は最初、弓をとって戦ったが、弦が切れたので、
今度はヤリを持って戦ったが、腕に傷を追ったので部屋に退いて、自害した、
ということになっている。

が、フロイスによる文書では、腕を鉄砲で撃たれてしまったので、部屋で自害した
となっている。また、信長公記の尊経閣本では
「その後、御長刀(なぎなた)取らせられ候ところに、御肘に鉄砲あたり、引き退き候」
となっている。
全く予想外なことに、これが事実らしい。信長が鉄砲で撃たれるのは、これで3回目で、
3度目の正直とでもいうか。
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/a391e78107d1f3dcf60cf4a01aa20cf4

12人間七七四年2015/07/09(木) 07:42:46.51ID:bfDpwyJ1
信長が家康を本気で討つつもりだった説は、根拠となる文書が3つもあるので、無視できない。
1つは、本城惣右衛門 覚書。「家康を討つとばかり思っていた」という記述がある。
光秀が家臣騙すために言った嘘か、または兵が勝手に解釈したともとれる。
2つめは、フロイスの報告書。「京に向かうことになって兵たちはいぶかり始め、
家康を殺すためであろうと」という箇所がある。これも、想像で家康を討つのだろうという説かも。
3つめは、老人雑話。言った人は当時の名医で、信長や細川、秀吉と直接やりとりがあった。
その医者が言うには、「信長は、機を見て家康を討つつもりだった」と断言。
上記3者は、いずれも相互に関係がない人たちで、それが同じ証言をしている、ということは
事実である可能性が(も)ある、ということだ。

13人間七七四年2015/07/09(木) 12:24:23.26ID:BhjrFYla
歴史人7月号が本能寺の変の特集だね

http://www.kk-bestsellers.com/magazine/history/index.htm

14人間七七四年2015/07/09(木) 12:30:31.42ID:NOivQVOW
>>12
その説明だと特に重要なのは名医の証言だろうが、この人ウィキにはこうあるよ。
>永禄年間に祖父が信長に圧せられ出奔、京都に隠棲。江戸時代肥後熊本藩主加藤に仕え…

本能寺変の頃、10代後半で祖父さんと京都にいたかも知れんけど、信長とは接点ないよ。
ってことは当時京に流れてた噂を耳にしたってだけで、他の二つの証言と同種類。
雑魚証言が3つあるってだけで、さほど有力な証拠にはならない。

15人間七七四年2015/07/09(木) 13:19:37.87ID:bfDpwyJ1
>>14は、やるのう。あらためて元ネタを探し出して、見たら、10代後半で=18歳や。
信長とは接点なかったよ。細川藤孝、羽柴秀吉と交際があったとのことだ。
当時京に流れてた噂であっても、細川や秀吉と直接会話して確認することもできた医者が言った
のであれば、雑魚証言とまでは言えないわな。
http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/74241f29f111c575cd621d8410c2fad5

16人間七七四年2015/07/09(木) 13:51:28.39ID:bfDpwyJ1
老人雑話の原文をちょいと調べてみたよ。
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/t176/image/1/t176s0034.html
左ページに、「一 明智乱ノ時ハ」の記述がそう。以下、改行位置も同じ。
"明智乱の時は、東照宮は堺に御座す。信長は羽柴藤五郎
に命じて家康に堺を見せよとて付けて遣す。実は(先にて?)隙
をみて害する謀なりとぞ"「老人雑話」

17人間七七四年2015/07/09(木) 16:39:46.22ID:IizzZEeS
家康に謀反の気配が有ったのならともかく、北条、伊達、西に毛利、島津、大友などの
強敵控えていて、家康の利用価値はまだまだ有ったから、暗殺はありえない

18人間七七四年2015/07/09(木) 17:18:17.13ID:NOivQVOW
うん、あと信長がホントに暗殺考えてたら、北畠にやったような方法だと思うな。
家康の時だけなんで大げさにやり方変えるのかと…

19142015/07/09(木) 17:23:07.21ID:NOivQVOW
>>15-16
とても丁寧にありがとう。そこまで言うなら雑魚の表現は撤回します。
ただそれでもその史料は秋刀魚レベルじゃないかなぁと。

戦国時代を体験した本人が書いたわけでもなく別の人が代筆。
しかも変から100年後。細川や秀吉から聞いたと明言してるわけでもない。
史料内容もこういう解釈だってできる。
「明智の乱の時、…信長は側近に家康を案内するよう命じた。(そういやこんな噂も当時あった)隙を見て害する謀りだったって」

本願寺書記官の日記も、このネタに関しては史料として最高級ってわけじゃないだろうけど、
信長が接待準備に奔走してるまさにその時、話を聞いた書記官本人が書き残してる。重要度はこっちの方がはるかに上じゃないかな。

20人間七七四年2015/07/09(木) 17:56:09.13ID:bfDpwyJ1
>>19の14には、かなわんな。
変から100年後?!。その医者は100歳まで生きたが、18歳のとき本能寺の変で、
晩年になってから友人に語ったとして(その友人が執筆)、
変から70年くらいも経っている。そんなに年月が経ってから語ったのでは、信憑性は落ちるわな。

本願寺の日記の方が、当日執筆だからそちらが一次資料だ。

21人間七七四年2015/07/09(木) 18:20:53.59ID:bfDpwyJ1
では、本能寺の変が起きた、まさにその当日の日記の原文が、たまたまネットで見つかったから引用。
徳川家忠が書き残している。なお、これは老人雑話とは関係なし。

www.komazawa-u.ac.jp/files/766/ietada_yokoku02_hon-noji.pdf
↑勝手にダウンロードされるので、注意。

本能寺の変で、信長と信忠が死んだこと、家康は堺にいることなど、正確な情報が伝わっている。
毛利家へ伝わった本能寺情報とは大違いだ。
この中で
「穴山者腹
 切候」
とある。雑兵共200余で、穴山の連れ一行を殺害し、穴山は切腹させた、と見なすのが新説だ。
家康と伊賀者を合わせた約200人でな。
武田攻めでは、木曽義昌が功労の筆頭だが、穴山も2番目に信長から感謝されている。
その穴山は、まさか殺されるとは思っていなかっただろう。多分。

2214、192015/07/10(金) 12:58:37.41ID:5ePWD8cs
>>20-21
同意ありがとう、感謝です。 で、そうだね、変から100年は大雑把でした。

それで徳川と毛利の織田情報獲得力の違い。
これはもともと持ってるパイプの太さ違うからじゃ?

穴山の殺害は例えば信長公記では「一揆にやられた」って書いてたと思う。あれって家康への配慮かね?
信公記と家忠日記?では家忠日記の方が信憑性高いもんな。

23人間七七四年2015/07/10(金) 23:47:37.57ID:EKHr8Fte
信長公記の神君伊賀超えは、すごくあっさり書いてあるね。
信長公記の一番最後の記述のところ。「一揆にやられた」って書いてあるわ。

家康公、和泉堺より引取り退かれし事
然るに、徳川家康公、穴山梅雪、長谷川竹、和泉の堺にて、信長公御父子御生
害の由承り、取る物も取り敢へず、宇治田原越えにて、退かれ侯ところ、一揆ど
もさし合ひ、穴山梅雪生害なり。徳川公、長谷川竹、桑名より舟にめされ、熱田
湊へ船着なり。

24人間七七四年2015/07/11(土) 00:00:34.90ID:UcJRfww6
家忠は、黒人を見て「名は弥助、身の丈六尺二分」と書いた。
六尺二分とはずいぶん細かい数値だ。約187.8cm。
身長180センチのオイラの経験からいって、鴨居の高さ(180センチ)で頭をぶつけることがある
ことから想像すると、弥助が鴨居で目のあたりまで隠れる、ということから家忠は、
身長を算出したと思われる。家忠はけっこう細かく、正確に書く。信憑性は高いだろう。

25人間七七四年2015/07/11(土) 00:11:52.78ID:UcJRfww6
>>22 信長公記は、信長本人のことは正確に書くよう太田牛一は努めているが、
家康に関しては、信長よりもずっとずっと配慮している。
なるべく呼び捨てにはしないようにしているし、言い回しも敬語を使ったり
(例 「家康公、陣を懸させられ」)
信康事件などは、丸ごとカット。牛一が信長公記を書いた晩年のころは、家康は征夷大将軍だもんで。
穴山梅雪の殺害は、一揆に殺されたとも家康に殺されたとも、両方の説があったが、牛一としては
どちらが正確とは判別つかなかったろうから、家康に殺されたとは書けなかっただろう。配慮だな。

26人間七七四年2015/07/11(土) 19:24:00.15ID:pUtn5X/f
信長公記って原本あるの?かなり修正されてるんじゃない?
時の権力者の黒部分は書かないだろうし
だいたい女なんていなかったらしいのに、信長は女達を真っ先に逃したとか
腹切って死んだとかどうなのよ?大田牛一さん
ある人の推理によると秀吉の手下がまっさきに信長と信忠を殺害して死体を持ちだしてどこかへ隠したとか
だから死体が見つからなかったらしい

27人間七七四年2015/07/11(土) 19:47:23.06ID:UcJRfww6
答える気にもならない・・・↑

28人間七七四年2015/07/12(日) 11:05:29.43ID:z77Vrog8
>>24
家忠って絵も描くから(一部が絵日記)目算上手かったのかもね。24の憶測も鋭い。
>>25
穴山事件で牛一が気使ったのは、徳川様の武田統治に不都合が生じませんように… だったかも?

29人間七七四年2015/07/13(月) 09:23:08.62ID:zmv4AoV9
家忠日記は、日記といっても、実際は

備忘録

だからな。だから落書きも書き加えたり。

30人間七七四年2015/07/13(月) 23:01:37.02ID:zmv4AoV9
織田信長 四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ!

という本が7/22に発売される。
著者は、思い込みが激しい性格ではあるが、資料分析や読み物としては、充分おもしろい。
前著の「本能寺の変 431年目の真実」はヒット作。

31人間七七四年2015/07/14(火) 11:34:05.91ID:RVy+EkRf
>>27
あなたの推理はどうなの?歴史学上に残る推理なんでしょうね

32人間七七四年2015/07/14(火) 23:17:05.27ID:byWDYIjK
大田牛一は、本能寺にいた女から、信長の最後について話を聞いたんだよ。
能寺にまっさきに突入した本城という兵も、本能寺の中で女をつかまえて斉藤利三に引き渡している。

>>26は「だいたい女なんていなかったらしいのに」とか言っている時点ですでに却下。

33人間七七四年2015/07/15(水) 00:25:21.33ID:+sNn3xLv
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1261910946/l10
「尊経閣15冊 信長記」は、信長公記の中でも異色の内容で、信長の最後は、ひじに銃創を受けたとか
光秀は田んぼの中をはいつくばって隠れていたところを百姓達が討ち取った、と、異説が載っている。

牛一の自筆本ではなく写本なので、異説は半ば無視されてきたが、
フロイスの記録(本能寺で信長の背中に矢が刺さって、それを抜いて戦ったとかの例の話だ)
が本能寺の変のわずか4ヶ月後に報告されており、銃創だの田んぼの件は、フロイスの文中と
同じなのである。すなわち、「尊経閣15冊 信長記」が自筆本よりも、さらに古い時代に書かれたものである、
という可能性が出て来た。信康事件でも、「信康が不慮に狂乱」と、謀反ではないけれども
個人の性格がおかしくなったとぼかしているので、
古い順からいえば、安土日記(信長を、上様と表現)、尊経閣15冊、池田本(又は建勲神社本)ということになる。
なお、尊経閣15冊は、池田本で池田を顕彰して、すり消して加筆された部分が、尊経閣15冊でも同じ内容が
載っているから、
古い順からいえば、安土日記(信長を、上様と表現)、池田本(又は建勲神社本)、尊経閣15冊、
ともとれる。
ただ、すり消して書き換えた部分が、尊経閣15冊は池田本とは、書き方が違う。言い回しが違う。
よって池田本を書き写したものではない。という、摩訶不思議な内容を示しているので、
現在、調査中である。オイラはその報告が雑誌に乗せられたのを読んでいるだけ。

34人間七七四年2015/07/15(水) 07:39:13.07ID:+sNn3xLv
もし、「尊経閣15冊 信長記」が最古の原稿(を元にして書いた本)だとすれば、
これには、長篠では鉄砲三千梃と書いてあるので、じつは3000梃が正しい、ということにもなる。
建勲神社本では1000梃だけど、これは晩年になってからの自筆本。

文中の語彙をこまかく顕彰して、どちらが古いか精査しなくてはならないのだが、大変ややこしくて、
明智が必要だマジで。名探偵 明智小五郎ね。

35人間七七四年2015/07/16(木) 00:03:36.68ID:MypS4Uul
読み手都合なだけなんじゃね? 
輝政がおもろいからもっと読みたい。他にないの?と言ってできたのが 
池田本だがこの時すでに実は成立していた可能性は否定できまい。 
 
要するに何が言いたいのかというと何種類かすでに書いてあって 
読み手に合わせて薦める版を変えていたんじゃないかなと。 
どっちがどっちを写本してなんじゃなくすでに両方存在したみたいな感じ。

36人間七七四年2015/07/16(木) 08:34:15.25ID:VkJRgxib
何種類かあるよね。
太田牛一が「書いてある本をいますぐお渡ししたいところですが、書き写したいという人が
いて貸し出してあるので、今できません」と書いた手紙がある。
牛一は、手元の日記やメモ帳のたばから、信長公記を書いてまとめたわけだけど、
15冊にまとめて書いたのは、晩年になってから。それまでは1冊とか2冊、を部分的に作り上げて
(大阪の本願寺の戦いとか)、これは人にあげたり、書き写されたりしていた。当時も、欲しいという人が
いるんだからしょうがない。
で、あげちゃっているから、牛一は手元にその本がない。また信長公記の本を書こうとすると、
また原稿のメモ帳のたばから、またまた書き写したりして作り上げることになるから、
前回の本とは言い回しが違ってくる。書き方が微妙に違ってくる。また、いろんな新しい情報が
武士から回顧話として聞くことがあるから、それを書き加えたりして、その言った本人が
書かれた本を欲しがるものだから、(家老クラスの人からなので、断れない。天皇に近い身分の女の人からも、
宮内の乱交事件!の話があって、聞いた牛一は、女の人にも読めるようひらがなで本を作って、贈呈してる)
まさに、信長公記の各種本は、内容が微妙に何種類もありすぎる。

37人間七七四年2015/07/16(木) 08:50:24.53ID:VkJRgxib
>>35池田本だがこの時すでに実は成立していた可能性は否定できまい。

すでに成立していたよ。墨書きした本を、すり消して(ツバ付けてか?)、その上に
池田輝政の名前を入れて、戦に参加して活躍したことを書いてある。
すり消したということは、すでに本が書かれていた、ということだ。

これが池田本の特徴でもあるから、写本したものでも、池田輝政の記事がそのまま書き写されている
ものは、全て池田本自筆本の後年になってから書き写されたもの、と見なすことができる。
つまり池田本自筆本の内容さえチェックしておけば、他の池田系写本は無視してもOK。
書き写し間違い、下手くそ?な字を読み間違いして別の漢字で書いたりした誤字が時々あるから。

38人間七七四年2015/07/16(木) 09:13:48.22ID:VkJRgxib
信長公記 池田本の、すり消し書き換えでは、池田恒興をた讃えるため、他人の武将名をすり消して
池田の名前を上書き(消した人名は、行の最後に改めて追記。)したことが有名だけど、

本能寺に関わることで、光秀の句の「天が下しる」を、
牛一がすり消して書き換えた!
ことも、ひときわ注目すべき箇所だろう。
「天が下しる」とは、「天下を統べる」という謀反の表明でもあるが、
じつは、原文は「天が下なる」で、「統べる」という意味はない。

紹巴も「あめが下なる」とあったものを、
誰かが自分をおとしめるため「下しる」に直したんだ、と泣いて弁明。

39人間七七四年2015/07/29(水) 22:53:17.16ID:C2HwSZlj
>>30
明智光秀の子孫を自称してる人の本ね。
あの人が書いた本ならろくな本じゃないだろう。

40人間七七四年2015/07/30(木) 12:44:26.27ID:gYgq3QtP
子孫氏の本、ちょっと見ただけで矛盾点ドバドバだもんな。

子孫が言う謀反理由「シナと土岐氏を守りたかったから」

シナの件は「陛下守りますッ」と宣言した信長を討ったとすれば辻褄合うけど、土岐氏守りたかったは嘘だろうしね。
実際土岐氏を保護した実績あるのは織田家で、子孫氏の主張めっちゃくちゃ。史料無視しまくり。

こんな感じだもん、子孫氏に信長脳は捜査できないよな〜と思うわな。
光秀もこういうぷっつんキャラだったら面白いけど。

41人間七七四年2015/08/05(水) 23:30:13.02ID:i9SfThnL
子孫本、上のコメントで触れているように、あまりにひどい。
ただ、そのひどさは独特で、さまざまな点を緻密に細部まで解明したように書いているだけに、
かえって、すごいとんでもになってしまった。
家康を招き、明智軍を呼び寄せ、信長が座をはずして家康を明智に打たせる、というところにいたっては、
架空戦記顔負けで笑うほかない。こんな筋書きがありえないことは、子供でもわかるのでは。
(時間あわせータイミング、家康に気づかせないことの難しさ、信長を危険にさらすことなど、ありえないことだらけだが、
なにより、こんなことをするなら、信忠が討てば済むことだ)
家康が危険を感じながらも、安土城では大丈夫だろうと信長の接待に応じたというところもむちゃくちゃ。
安土城で大丈夫という理由もひどいが、そこで「袋のねずみ」になることを認めているのだから、
安土城では暗殺までは出来ないと仮に判断できても、家康が行くわけがない。
土岐問題もぜんぜん説得力がない。

42人間七七四年2015/08/06(木) 08:05:34.55ID:Q4WKXhgW
ああ、あの本ね。
光秀と家康が組んでいたとしたら家康が伊賀越えであんな死ぬほどの苦労をしたことの説明がつかないわな。

43人間七七四年2015/08/06(木) 12:38:58.68ID:mwXD5lfi
家康が伊賀を通過していないどころか甲賀郡の蒲生や山中や和田らから
人質まで取って案内させており、安全に通過してるのに
なんで神君伊賀越えとか捏造してるんだろね。
実際のルートは
6/2和泉堺から南山城路を通り山城国宇治田原山口館宿泊(徒歩十三里)
6/3南近江路を通り近江国甲賀郡信楽小川館宿泊(徒歩六里)
6/4北伊勢路から伊勢路に出て伊勢国長太から海路で深夜には三河着へ(徒歩十七里)

信雄が伊勢から出陣していて、
日野と北伊勢の間の土山(東海道の土山宿・現在の甲賀市)に陣取っていたって話だし
もしこの時に家康が危機的だったとすれば、それは信長暗殺に関わっていたので、
信雄の襲撃を恐れて逃げていたことにしかならん。
臣従を強制された家康は安土城で信長に土下座して、
本能寺の変決行の時の光秀家臣は家康を討ち取りに行くと誤解してたし、
本能寺の変当日の家康は、 なぜか早朝から京に向かっていたし、
信長討ち取りを聞くと、 家康が通過できた安全な道を後から付いてきていた穴山を
殺すように村々に金を配り落ち武者狩りを唆して、織田軍を避けるように逃げてるからなあ。
さらに三河に帰り着くや信長の仇討ちとか声高に主張して尾張を火事場泥棒しようとして、
秀吉から光秀を速攻で片付けたから帰れよって恫喝されてるからな。

44人間七七四年2015/08/07(金) 07:47:19.90ID:09r0sRWh
俺は本能寺の変の黒幕は黒田官兵衛だと思う

45人間七七四年2015/08/08(土) 08:51:16.47ID:3M0JCx1v
え〜!黒幕は濃姫じゃないの?

46人間七七四年2015/08/08(土) 12:42:09.80ID:FGomAlle
もちろん濃姫です。
かつて、自分が濃姫黒幕の歴史小説を書いたことがあるので間違いありません。

47人間七七四年2015/08/08(土) 13:05:41.77ID:fLZlD+MB
光秀弁護隊は人のせいにするの好きだよなw

48人間七七四年2015/08/08(土) 20:06:37.95ID:1jbUhCiP
光秀は母親を人質に出して降伏を勧めたのに、その城主を信長に殺された
信長の方もその状況で光秀と理性的に向き合えるはずはない
普通に考えて気まず過ぎる関係だ
今後全ての古文書が見つかっても、謀反の理由が若干増減するだけだろうな

49人間七七四年2015/08/08(土) 21:02:43.23ID:FGomAlle
>>48
タイムスリップしてきたの?

50人間七七四年2015/08/09(日) 07:51:11.65ID:p8oZi4Rl
>>45
どうして本能寺の変の黒幕は濃姫だと思うのですか?

>>46
その濃姫黒幕の歴史小説のタイトルを教えてください

51人間七七四年2015/08/11(火) 15:29:31.99ID:Du16TS0N
濃姫とかいつ死んだかも定かではないだろう

52人間七七四年2015/08/14(金) 16:48:34.57ID:Xclu+RIE
>>42
伊賀越苦労したとは徳川筋の供述にすぎないからw

53人間七七四年2015/08/16(日) 22:50:34.30ID:jPEiKVau
46です。
先に見解を提出した45さんに敬意を表して、45さんのレスの後にしようと思ったのですがw
表題は「武略夜話ーー真相黒幕本能寺(正史)」です。
「武略夜話」は「武功夜話」からとったもので、一筋の過誤もなく史実に忠実であろうとする姿勢を表明しています。
「武略」は、いうまでもなく、「武士のうそを武略という」との光秀の言葉からです。
この中では、光秀の優れた武略を多く描いています。
なお、濃姫が黒幕の中心ですが、ほかにも多勢います。

54人間七七四年2015/08/22(土) 17:11:53.20ID:vbHJuXnk
3/2 家康、穴山信君へ甲斐国乱入にあたり甲斐国を進呈する約束について、
年貢収入が無くとも2年・3年は織田信長より扶持が加えられるように取り成す。
こもし首尾通りにならなければ徳川家康が「合力」することを誓約。

という文書が『記録御用所本古文書』にある。この文書はじつは、信長に対して、
家康と穴山が連合して、謀反を起こすことを約束した秘密文書だ。
穴山には甲斐一国を与える約束をして裏切らせたのに、信長は穴山の所領安堵だけ
して、他の領地は没収してしまった。家康は、2、3年は信長と交渉すると言って
いるが、それでも駄目だったときは、家康は穴山と組んで実力行使をする!と
宣言している文書。

55人間七七四年2015/08/22(土) 17:21:56.60ID:vbHJuXnk
信長と家康の同盟は長く続いたことで有名だが、当時の同盟とは、実際には結婚などの縁組みで行う。
信長と家康の間の婚姻関係は、徳姫と信康の間の結婚で結ばれていたが、これはご存知のとおり、破綻してしまっている。
また、佐久間の追放では、他の家来で光秀が筆頭に好評価されており、秀吉が二番手に評価されているが、
この中に家康の名前はない。信長は家康を家来のように扱ってはいるが、家康は一国一城の主であり、
気を使う相手であり、信長の家来ではない。穴山と家康が組んでいるとなれば、じつに50万石以上の大兵力であり、
両人ともまとめて始末してしまえば安心できる。家康は信長を内心嫌っており、信長が死んだあとは
猛スピードで甲斐や信濃を占領してしまっている。明智光秀の討伐軍を出したのはその後になってから。

56人間七七四年2015/08/22(土) 20:22:25.37ID:vbHJuXnk
信長は、意外と謀反を起こされがちな性格のようで、
浅井長政を最初として、足利義昭、松永久秀、武田信玄、といった面々であり、家臣NO1の光秀に
さえ謀反されるありさまで、これは謀反とされる側からの意見としては、
信長の気質である「狡兎死して走狗烹らる(兎が死ねば忠実な猟犬も最後は煮て食われる)」を
あらかじめ察知して、煮られる前に縁を切られたのが実情である。

57人間七七四年2015/08/22(土) 23:31:13.26ID:dHU0eFiv
義昭、信玄の謀反w
長政だって、謀反とはいえない。

58人間七七四年2015/08/24(月) 00:09:54.44ID:jD8v0QjB
>>40
シナを守りたかったなんて書いてないだろ
むしろシナ遠征が億劫だったという内容だったような

59人間七七四年2015/08/24(月) 09:16:10.94ID:2yF95Rgb
あの本の致命傷なのは、光秀が裏切ったのは、シナ遠征を防ぐため
という主旨のことだろ

60人間七七四年2015/08/24(月) 09:47:55.35ID:+cWWnY3E
新事実とか言うから明智家に伝わる未公開文書でも出てきたのかと思ったら
既知の文書を都合良いように解釈しただけだったからな
結論ありきの文献読みを否定してるくせに
自分が同じことしてるから話にならん
既知の文献なんて今まで数多の歴史学者が新解釈を披露しては爆死してるのに
アクセスできる先行研究にも文献にも制限のある素人が新発見なんてできるわけない

61人間七七四年2015/08/24(月) 13:10:23.11ID:2yF95Rgb
新事実の件では、「雨が下しる」の句は、しる=統べる の意味だったが、
本来の句は、「雨が下なる」と書いてあったことだな。既知の文書なのに皆気付かなかった。
信長公記にも「雨が下なる」と書いてある。牛一自筆の2冊のうち片方だが。
これを指摘したのは、別の研究者だけど。

62人間七七四年2015/08/24(月) 13:23:37.96ID:2yF95Rgb
というか、「雨がくだしる」「水上まさる庭のまつ山」「流れの末をせきとめて」と書いてある
セットの句は(信長公記の町田本を含む)、これは間違いだと指摘したのは秀逸だけどな。
連歌の規則に反しているから、と単純明快。ほとんどの日本人は連歌のことなんてしらないから。

連歌らしく、季節を歌ったら(今回は5月=現代でいえば6月ごろ)、次の句は、その季節を
織り込まなければならない。なのに「庭のまつ山」とか松を書いてしまっている。すなわち誤り。
本来の句は「夏山」になっている。
なんでわざわざ偽造したかというと、連歌の他の参加者が光秀の協力者で死罪にされるのを防ぐため、
書き換えたから。

63人間七七四年2015/08/24(月) 13:42:10.79ID:2yF95Rgb
「ときは今」は、土岐氏を暗示していることは正しい。=明智でもある。一族ね。
「ときは今、雨が下なる五月かな」これは表向きの意味は、「今は雨の時期だね」といったところだが
裏の意味は(和歌はわざと別の意味を含ませるのはよくあること)、「土岐氏は雨ざらしとなってい衰退している」と読んでる。
2句は「みなかみまさる庭の夏山」は、みなかみ=川の上流のこと。連歌らしく意味をつなげると、
「土岐氏の先祖よりも、いまの時の一族の人(=光秀)の方が、成長著しいですよ」と言ってる。
3句目も意味をつなげる。連歌だから。「花落つる 池の流れをせきとめて」は、土岐氏の本家筋である
池田氏は落ちぶれてしまっているので、そっちで土岐氏の本流とするのは辞めて、明智光秀さんの家系を
本家筋にしてしまいましょう、と言ってる。
これらの点を初めて指摘したのは、明智氏の子孫の本だな。

64人間七七四年2015/08/24(月) 18:07:02.20ID:B+PIsCoJ
男明智憲三郎、真昼に怒涛の連レス

65人間七七四年2015/08/26(水) 02:09:51.11ID:/Y6zW0YX
>>59
中国遠征を防ぐためじゃなくて、光秀自身が海外遠征が嫌だっただけという説だろ。
「シナ」を守るとか、「シナ」遠征を防ぐとか、何?

66人間七七四年2015/08/26(水) 02:51:52.37ID:ky5aQkzZ
中国を守る為とかアホか

67人間七七四年2015/08/26(水) 12:45:21.56ID:nimmOTQ/
明智憲三郎は謀反人明智光秀のために
やりたい放題の解釈出しまくりで、まじで迷惑な存在
明智憲三郎により悪党にされたのは朝廷、秀吉、家康などなど

68人間七七四年2015/08/26(水) 22:34:22.75ID:nNrHniMj
>>66
明智憲三郎の本はご都合主義で言い訳がましいとは思うが、
「中国を守る為」とかは書いてない。>>67が適当な事を言っているだけ。

69人間七七四年2015/08/27(木) 00:49:37.79ID:6Z33olLC
>>67
本能寺の変をめぐる解釈は百出で、賛成できないもの、どうしようもないと思うものも多いが、
さすがに、謀反がいいのか悪いのかなどの儒教思想レベルの論議はそうない(ゼロではないが)。
子孫本はまったく賛成できないが、だからといって、だれを悪党にしたかどうか
などのところで批判するのは少々おそまつだ。

70人間七七四年2015/08/27(木) 07:38:36.98ID:T9KkKNOQ
徳川の関与を指摘=徳川を悪党にした
ってどんな論理矛盾だよw
史実評価と善悪を切り離せない低能w

71人間七七四年2015/08/27(木) 08:05:07.84ID:kJv3H8Se
ご先祖様の悪評を何とかしたいってのが執筆動機だろ
それじゃ内容がカスみたいなものになるのは当然
子供の頃光秀の子孫ってことでいじめられたのかもな

72人間七七四年2015/08/29(土) 12:10:31.38ID:Od6BJHXP
うちの母親は、平家の系統ということで(源氏に対して)悪者と周りから言われ
自分もそう思い込んで、小さいころほとんど欝になったらしいw
スレチ失礼

73人間七七四年2015/08/30(日) 12:03:51.80ID:Q8PbxBwh
>>72
それ半島系の特徴だろ親が民族民族と騒ぎ
自分から来た日本で幸せになれなかったのを全部日本のせいにするから
子のアイデンティティがグチャグチャ
家族のエゴ丸出しなのを儒教道徳だとか言い理性が無いのに理性を相手に求める身勝手さ
その性格が災いして尚更仲間で孤立してウツになるパターン
親の性格のせいで不幸だ

74人間七七四年2015/09/01(火) 21:38:47.52ID:sjilQqcF
横からだけど >民族民族と騒ぎ

憲三郎先生を思い出してしまいましたすいません
あでも先生の場合は民族でなく「土岐一族土岐一族」だなw

75人間七七四年2015/09/03(木) 06:59:06.64ID:5ZQUHYLm
憲三郎「先生」か。呼称としては、敬意を感じるね。

ともあれ、無視できないのは、資料の根拠を示しているところだ。
フロイスの文書、家忠の日記、信長公記の系統のうちの異本、など、解釈で見解がわかれるとしても
なにしろ証拠となる記述をセンセは指摘しているのだから、
センセの本はトンデモ本として無視することはできないだろうよ。

76人間七七四年2015/09/03(木) 07:03:55.78ID:5ZQUHYLm
藤本正行の本にしても、桶狭間の正面攻撃説が否定されなかったすべての理由は、
信長公記から引用したから、に尽きる。

オイラが読んだ限りでは、憲三郎先生が調べる緻密さでは、藤本正行を上回る。ただ、ムラがある。

77人間七七四年2015/09/03(木) 07:40:01.88ID:Dav/J1vM
>>75
本人かよw
一般的にトンデモ本と言われてる本だって
ちゃんと根拠や資料に基づく主張くらいはしてるだろ
件の本は自身で否定してる結論ありきや三面記事的な文献読みを平気でしてる上に
キモである家康暗殺計画周りがgdgdすぎて完璧なトンデモ本だよ

78人間七七四年2015/09/03(木) 18:44:04.24ID:MuOb4CmO
信長公記は聖書なんで、一言一句そのまま読むのが正しいんです!って説か。

79人間七七四年2015/09/03(木) 19:00:06.42ID:5ZQUHYLm
甫庵信長記から派生した後世の文書を
根拠や資料として主張したものは、全否定な。

話にもならんわ。面白いからよく引用されるけれどね。

80人間七七四年2015/09/04(金) 03:29:43.93ID:OysXUsUb
なかには「信長公記」と「信長記」を勘違いまたは同じだと思ってる奴もいるだろう

81人間七七四年2015/09/04(金) 06:17:18.51ID:AsOGjiH/
信長公記と信長記という区別の仕方は、わかりにくい。
ここでいう信長記は、甫庵信長記と表記するやり方を支持するね。
信長公記は、なにしろ異本のひとつに「信長記」と書かれたものがあるからだ。甫庵のは除く。

82人間七七四年2015/09/04(金) 13:04:35.87ID:t05OisXd
80種類以上ある信長公記系のどの公記をソースにしてるのか
まず明記しろよ糞織田厨。
まったくどれをベースに話しているかわかんねぇよアホ

83人間七七四年2015/09/04(金) 18:24:26.64ID:AsOGjiH/
言葉使いの悪い人は、そういう脅迫めいた言い方をする人とは、実社会ならば、すぐ縁を切るね。
またいずれは追放されるものだ。危険人物というか犯罪予備軍だからね。
ネットだから生き残っているようなものだ。じゃあね。

84人間七七四年2015/09/05(土) 10:05:40.91ID:+a5UREQx
菅沼くんは持論が砕けそうな時に、誰が見てもその場しのぎの言い訳(例えば>>82)をするから、
キチガイ扱いされるんだよ。
もっと真摯に相手と会話しないと。

85人間七七四年2015/09/11(金) 17:39:26.69ID:1WZgMgTy
俺は本能寺の変の真犯人(黒幕)は秀吉だと思う。
中国大返しが不自然なほど早すぎるしあらかじめ本能寺の変が起こることを知っていたとしか思えない。

86人間七七四年2015/09/11(金) 18:02:24.98ID:7MQXmXU3
>>81
津本陽の著書に「信長私記」というのがあったな

87人間七七四年2015/09/11(金) 18:21:25.35ID:boXbsUGJ
光秀がアルツハイマー病だった説を推したい

88人間七七四年2015/09/12(土) 16:08:00.42ID:z4DO+RJz
光秀は単なる詐欺師で信長を騙して佐久間を追い出した
将としての価値はあまりなく信長にゴマをすって領地を得た
問題なのは子孫と司馬遼太郎
最後に信長を己の欲にかられて裏切った光秀だが
そんな光秀をあまりにも美化しすぎ

はっきり言うと光秀は単なる詐欺師でゲス野郎で美化するために多くのこじつけ解釈が使われている

89人間七七四年2015/09/12(土) 17:30:18.36ID:q3XOHb+x
織田厨は光秀が憎くて仕方ないらしいけど、秀吉はノータッチなんだよね
しかめ織田厨の崇拝する信長像だって軍記や小説で作られた物なんだけどそこは疑いもせず司馬ガーとか
歴史認識が酷い
信長好きってのは馬鹿発見器みたいなもの
見た物、読んだ物を鵜呑みにして調べようともせず盲信する。精神的にも幼く、知識も浅い
全ての信長好きがそうでないのは解るけど、そういうおバカが多い

90人間七七四年2015/09/12(土) 17:38:56.30ID:baO+klxs
秀吉と本能寺の関わりが不明なのに秀吉に言及するほうがどうかしてるぞ

91人間七七四年2015/09/12(土) 20:22:55.03ID:8KsEJhxi
>>85
実際にはそんな不自然なほど早いわけじゃなかったそうだけどね。
秀吉スゲーと思わせるための秀吉自身の宣伝工作によるところが大きくて。

92人間七七四年2015/09/12(土) 22:29:18.35ID:q3XOHb+x
秀吉を疑ってるわけではないけど、早くなきゃ山崎で秀吉は勝てなかった
遅いと遅いほど、光秀の勧誘工作が進むんだから
単純に宣伝の為ってだけだと辻褄が合わなくなる
勿論、秀吉としても調略工作は必要だから宣伝が無かったわけじゃないだろうけど

93人間七七四年2015/09/12(土) 23:58:26.97ID:baO+klxs
本能寺で秀吉黒幕説を唱えるなら秀吉が信長を殺さなきゃいけなかった理由位教えてくれよ
その後が上手く行き過ぎたからってのだけじゃなくてさ

94人間七七四年2015/09/13(日) 00:36:36.45ID:HSdh/8B8
秀吉黒幕説を唱えているわけではないが

・単純に野望から
・信長嫌いで
・粛清を予測した
・日本のため(信長では天下統一が無理と判断)

95人間七七四年2015/09/13(日) 01:00:45.25ID:a6d6kedL
これ全部織田家臣なら誰でも当てはめられる理由ですね

96人間七七四年2015/09/13(日) 01:04:07.07ID:a6d6kedL
あ、誰でもと言うのは言い過ぎだ
有力な織田家臣というのに訂正

97人間七七四年2015/09/13(日) 01:05:55.09ID:EYqDM7Do
秀吉黒幕論がほかの黒幕論と違う点は、信長打倒の後、黒幕が実行者を裏切って倒したところにある。
そうだとすると、光秀にとっては、どこかの時点までは秀吉を黒幕と捉えていて
どこかの時点で裏切りを知って対決の体勢に入ったことになる。
その転換点はどこなのか。
それ以前に、秀吉を黒幕(同盟軍、等々)と打ち出さなかった理由は何なのか、
秀吉の裏切りを知った以降、それをどうあつかったのか(なぜ、裏切りを宣伝しなかったのか
宣伝したが秀吉がもみ消したのか、宣伝することが不利と判断したのか、など)
この辺の基本的な説明を見たことがないように思う。
ぜひ、説明してほしい。

98人間七七四年2015/09/13(日) 01:12:45.63ID:ElJs2tzR
光秀と秀吉が口裏合わせて裏切って、それも秀吉が裏切ったという俺が今考えた説はどうだろうか?

99人間七七四年2015/09/13(日) 01:34:52.53ID:a6d6kedL
>>94
秀吉が黒幕であるとして彼が本能寺の変を利用して織田家の権力を握るには
・毛利が追撃をしてこない
・光秀との戦いに勝つ(光秀の協力者であることが露見しない)
・跡継ぎの信忠が討ち死にして三法師だけが生き残る
・清洲会議で信雄信孝を押しのけて三法師を跡継ぎにする
・柴田勝家との争いに勝利する
これだけのハードルがあるわけで秀吉の野望説はちょっと考えにくい
粛清を予測するなら信行を擁立した過去のある勝家が黒幕になるほうが自然だと思う

100人間七七四年2015/09/13(日) 02:13:28.03ID:rdiuOdjD
そこは大事な見落しがある
言い出しっぺが秀吉でないというだけで、複数の織田家臣の共謀と考えるのが自然
勝家も明智とは一切戦ってない。細川と筒井は変後に不自然な変わり身をした。毛利は何故か何もしてない。この辺り、共謀者間で揉めて利害が放散してた証拠
加えて秀吉の天下が濃厚になった時期、清洲会議に出席してた織田の有力家臣は信雄と秀吉以外全員が死んでる
丹羽は死因不明、池田は合戦中の戦死等どうにも胡散臭い
本能寺の裏側を知ってる連中同士が信長死後に揉めて、一人勝ちした秀吉が政権樹立前に口封じしたと見るのは自然

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