家康の伊賀越えについて考える©2ch.net

1人間七七四年 転載ダメ©2ch.net2015/08/19(水) 22:28:58.43ID:NHDbLQx+
脱出経路や梅雪の横死、正信の動向など不明瞭な点がまだ多い
家康の伊賀越えについて考えてみましょう。
スレと無関係な話題での煽りや荒らし、コピペ連投は禁止でお願いします。

家康に同行した家臣
酒井忠次、石川数正、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、本多正盛、石川康通、
服部正成、高木広正、大久保忠隣、菅沼定政、久野宗朝、本多信俊、阿部正勝、
牧野康成、三宅正次、高力清長、大久保忠佐、渡辺守綱、森川氏俊、酒井重勝、
多田三吉、花井吉高、鳥居おます、内藤新五郎、都筑亀蔵、松平玄成、菅沼定利、
永井直勝、永田瀬兵衛、松下光綱、都筑長三郎、三浦おかめ、青木長三郎

その他の同行者
茶屋四郎次郎、長谷川秀一、西尾吉次、穴山梅雪など

32人間七七四年2015/10/09(金) 03:51:07.85ID:9Bw7Fh6M
俺は三河人だからそこらへんの事はなんとなくわかる

33人間七七四年2015/10/09(金) 08:37:33.03ID:A1MnsPs8
古城の風景読んでたら藤枝市にある碑に、伊賀路を越え伊勢の白子に着き、若松の浦から船で常滑に着き、
そこから大崎へって由来が書いてあるみたいだけど、信憑性はどんなものだろう

34人間七七四年2015/10/09(金) 18:00:47.76ID:ilmmse9H
伊勢湾を渡る海路の当事者が残した記録に由来するから、
海上コースの特定については信憑性が高い方だろう

35人間七七四年2015/10/15(木) 13:59:43.99ID:3qr46MEn
案内したのが孫三だったかな

36人間七七四年2015/10/19(月) 11:20:56.43ID:pTUurQGG
>>3
信楽と伊勢の間には伊賀があるのだが、
最短ルートになる伊賀をわざわざ迂回した上、
わずか一日行程で伊勢に出たというソースは?

37人間七七四年2015/10/20(火) 17:57:48.72ID:g0vcWtFV
>>36
>>3のルートに対しての疑問は前にも出てるけど、何の回答もないね。
書いた奴は菅沼遼太っぽいけど、もう見てないと思う。

38人間七七四年2015/10/20(火) 20:39:37.79ID:HQmZax1Z
明智子孫は明智光秀のためなら
どんな難癖をつけても他の武将に責任を押しつけ容赦なく陥れるから要注意な
家康や秀吉も黒幕にされているがまじでないからなw
家康ファンも騙されんなよ
信長もさんざん明智オタによって悪口言われているから
信長と家康は生前はとても仲がよく光秀オタが言うような悪い関係ではないから

39人間七七四年2015/10/23(金) 08:37:36.32ID:Nw95Rxj6
明智憲三郎の本能寺の変の真実とか織田信長の真実とか、研究者の間では実際どの程度の評価なんだろ

40人間七七四年2015/10/24(土) 10:16:53.66ID:/eBPFP+K
笑われてるだけだろ

41人間七七四年2015/10/24(土) 11:08:57.42ID:2sivPjrP
子孫の実証を伴わない発言をいちいち真に受ける学者はいない。

42人間七七四年2015/10/26(月) 20:30:39.14ID:a39aXXKW
だな
ぶんしょなら

43人間七七四年2015/10/26(月) 20:34:52.39ID:a39aXXKW
文書ならともかく(偽文書含めて)
子孫の独自研究なんて見向きもしないと思う。

44人間七七四年2015/10/26(月) 20:38:39.08ID:5uRXoytO
何気に200人位死んでる神君伊賀越

45人間七七四年2015/10/28(水) 11:02:08.31ID:1YsW3g3k
梅雪一行約40人が壊滅として、襲撃側の死者がどれだけあったか
家康一行を襲撃した側がどれだけ死んだか

これらを合わせて200人くらいて話?
具体的に、その内わけは?

46人間七七四年2015/10/28(水) 23:43:30.01ID:R3OBjf5w
アンチ徳川、秀吉信者が食いついてきた話なだけじゃないの

47人間七七四年2015/10/29(木) 15:26:05.40ID:RWsuwQSB
マンカスなめなめ!

48人間七七四年2015/10/30(金) 23:49:49.22ID:FkhCYqEh
一番の問題は結局、どの経路を通ったなのか、なんだよな

49人間七七四年2015/11/05(木) 12:53:49.89ID:i8Ca9rtF
江の大移動(神君伊賀越え−安土城−清洲城)は可能か?
http://taiga.reichsarchiv.jp/item/1729

50人間七七四年2015/11/05(木) 22:58:26.79ID:JNBybszB
菅沼遼太って間抜けだなあ

51人間七七四年2015/12/01(火) 13:03:15.73ID:SgfQsf1F
伊賀にコネを持つ服部正成が同行していたのは幸運だった

52人間七七四年2015/12/04(金) 20:06:34.44ID:eqIPgeEp
伊賀者って本当に役にたったのか
江戸時代甲賀者は与力待遇だったのに
伊賀者は同心に過ぎなかったって見たことが
ある気がする

53人間七七四年2015/12/05(土) 13:44:38.60ID:7uypUnY1
>>52
それは、江戸時代初期に伊賀組が不祥事(労使闘争)を起こして失脚したことから来る、
「江戸時代全般での伊賀者の地位の低さ」という認識からの評価だろう
失脚前は、甲賀組と同等以上の待遇だったはず

54人間七七四年2015/12/06(日) 17:28:10.95ID:j/u/LyDv
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55人間七七四年2015/12/07(月) 11:17:01.29ID:TLWn5wX7
半蔵も大名にこそなれなかったけど、大身旗本には為れたしな
槍半蔵の方は子が大名になったけど

56孫三の子孫2015/12/30(水) 00:47:17.78ID:USl8QZO2
私の先祖は小川孫三といい、白子から三河へ(私が30数年前に調べたら常滑まで)舟で送ったと当家で伝わっています。
詳細は山岡荘八全集『徳川家康』第四巻の343〜346ページ参照。

家康を助けたことで白子に帰れなくなった孫三を家康は後年、駿河国の藤枝に土地を与えられました。
藤枝は晩年鯛の天ぷらを食べたとされる田中城の城下で、東海道の宿場町となってからはお役ご免(税金免除)の御朱印状(現存する)を賜わり、かつ白子という町名が付けられました。
その経緯は孫三の直系子孫の小川眼科医院の前の石碑にも書かれています。

毎年の久能山東照宮での儀式には招かれており、数年前には徳川家現当主からも改めて感謝の言葉をかけられたそうです。

伊賀越えは白子浜に着くまでが有名ですが、海を渡れたことも大きな出来事だと思いますし、子孫まで税金免除にして恩義に応えた家康の人柄も評価されていいと思います。

57人間七七四年2015/12/30(水) 11:01:50.60ID:WF0zjDFo
藤枝市白子の小川さんですか。関係者のご子孫が光臨ですね!

船で直接三河大浜に着いたと言う説もありますが、
知多半島の先を回って、志摩水軍に見つかるリスクを犯すよりは、
伊勢湾をまっすぐ横切っていったん常滑に上陸するほうが現実的だと、私も思います。

58人間七七四年2015/12/30(水) 13:15:13.75ID:7X/69COl
なんで堺から船で逃げんかったんやろね?

59人間七七四年2015/12/30(水) 20:33:12.91ID:ttBruKEP
安全安心な船確保できる保証がないから

60人間七七四年2015/12/30(水) 20:50:13.27ID:WF0zjDFo
本能寺の変を知ったときは家康一行は四条畷にいたとなってるから、
堺へ戻るのは危険すぎるんじゃないか?

61人間七七四年2016/01/19(火) 12:19:33.09ID:NClk4hEh
>>57
志摩水軍って明智方だったの?

62人間七七四年2016/01/19(火) 15:40:08.63ID:wLDGL0tr
>>61
志摩水軍は織田信雄配下。
本能寺直後では敵とも味方とも言えないので、襲われるリスクはある。

63人間七七四年2016/02/02(火) 22:36:23.24ID:OlC3pxfz
本多正信も同行してた説とかあるみたいだけど、実際のところどうだろう

64人間七七四年2016/02/14(日) 17:07:11.00ID:ASi8S2Xv
真田丸で、服部半蔵が、伊賀は我が故郷とか言って、ものすごく道に詳しかったw
この半蔵は、毎年、盆正月にでも、伊賀のおじちゃんの家に遊びに行ってたのか?

65人間七七四年2016/02/14(日) 22:18:53.49ID:GvpFTwSD
江が同行していたはずだけど
真田丸では出てなかったな

66人間七七四年2016/02/16(火) 01:10:55.35ID:O79C/Ou6
信長の伊賀攻め

本能寺

家康の伊賀越え

67人間七七四年2016/04/17(日) 13:01:02.01ID:/ITwSmsl
神君の活躍の逸話とか幾らでも盛れそうなのに、
伊賀越えに関してはあまり無いね

68人間七七四年2016/05/31(火) 20:33:19.06ID:3cl/TbUx
家康の伝記漫画でも数コマくらいの扱いだしな。
幾多の戦場を踏破し、三方ヶ原では武田兵に追われつつ生還した徳川家臣団や家康本人としてはさほどの難事ではなかったということでしょ。

69人間七七四年2016/06/26(日) 11:58:31.43ID:rTPIz+yS
なんか子孫が大河ドラマにあやかって、同じ道を歩いたみたいだね

70人間七七四年2016/06/26(日) 13:16:51.80ID:SQew/k6m
服部正成と茶屋四郎次郎が効いてる気がする

71人間七七四年2016/07/26(火) 02:01:38.80ID:OmnMGrww
そもそも実際あったのかもわからない
徳川が最後まで織田に尽くしていたという評判をあげる要素にしかならない
後で幾らでも創作できるわな

72人間七七四年2016/07/26(火) 18:54:59.87ID:hoq0iV1A
>>71は投稿先を間違えたのかな?
伊賀越え事件とは関連性が皆無だよなぁ

73人間七七四年2016/10/12(水) 21:04:00.86ID:ktSFSVBB
ルート三通りくらい説があるんだっけ

74人間七七四年2016/11/12(土) 11:29:10.98ID:EahFoBFd
大して危険ではなかったと言う人もいるみたいだが
護衛の200の兵が討ち取られたみたいだから
危うい場面はあったと思うんだが

75人間七七四年2016/12/07(水) 01:34:25.55ID:6+sjOs66
陰謀説になっちゃうけど、堺から船にしなかったのは
本能寺を脱出したかもしれない信長親子を仕留めるべく
特殊部隊を連れて探索していたからというのはどうだ?

76人間七七四年2017/02/04(土) 15:51:04.90ID:z3KK7o/3
現代でも山に行きゃ分かるけど、道以外の場所を通るなど出来ない
険しすぎてそっちの方が生命の危険
クマも出るかもしれないし
待ち伏せされようとも、ちゃんとした道を行くしかないんだよな

77人間七七四年2017/07/26(水) 14:34:30.84ID:1ZdsxNm4
家康の伊賀越えは、もう古い。
ナウでヤングな若者にとって、大海人皇子の伊賀越えの考察がニューウェーブでイマい。

78人間七七四年2017/07/28(金) 01:01:37.75ID:xLbqDlAq
落ち武者狩りの土民が襲ってきても撃退してたんだろ
強すぎる

79人間七七四年2017/07/28(金) 09:23:27.98ID:AmeCYa2K
土民は何故に家康だけ討ち漏らしたのか?
伊賀モノは第六天魔王に怨みがあるからな・・・やはり黒幕は

80人間七七四年2017/09/04(月) 11:49:10.06ID:MnBK1s6s
よっぽどぼろぼろになってなきゃ落ち武者狩りなんてないよ
逃げてきたと言っても無傷の武装集団

81人間七七四年2017/09/05(火) 19:12:38.82ID:GoJpLong
>>74
護衛に200人の伊賀者を雇って、襲撃者を討ち取った

の間違いじゃないの?

82人間七七四年2018/01/21(日) 12:01:17.43ID:knYkT3vM
【アメリカ国際スパイ博物館】日本の5大忍者の研究『ダンゾウは、幻術を使って牛を丸ごと飲み込んだ』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1516495828/l50

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