文禄・慶長の役はどうすれば日本軍が勝てたか? [無断転載禁止]©2ch.net

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1人間七七四年2016/12/19(月) 07:17:41.40ID:zRT2zeic
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872某研究者2017/10/20(金) 22:59:34.28ID:gD5BUIpu
明の一部の歩兵が柳刃刀を振るう前に
銃撃と前衛の騎馬武者の槍突撃及び
足軽が此れを後方から長槍で支援している最中に明兵が敗走し
足軽が刀を振るう局面が余り無い可能性も有るのかだが
一部の騎馬武者が槍では決着が突かず刀で
柳刃刀も持つ兵と斬り合いと成る例も有る程度なのかだが
籐牌兵に槍の間合いの内側に斬り込まれた場合も同様なのかだが

873某研究者2017/10/20(金) 23:20:57.06ID:gD5BUIpu
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0d/Kang_Yingqian_being_overrun.jpg
上のサルフの戦いの絵の明の銃兵も
装甲は多いが白兵戦では何処迄戦えるのかだろうし
藤牌兵は鎧は無い様にも見えるから
清の騎兵に白兵戦を挑まれれば容易に撃破されていたと言う事なのかだが
銃兵には柳刃刀は無いかも知れぬし
彼等は足軽の刀でも倒せたと言う事なのかだが

874某研究者2017/10/21(土) 15:50:06.80ID:l3X0JKHQ
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562193181/
上の倭寇図巻の藤牌兵は兜は無いが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562203326/
上のサルフの戦いの絵では兜・脛当が有る様にも見えるが
胴鎧や篭手も現実には装備されている可能性は有るのかだが

875某研究者2017/10/21(土) 18:19:12.22ID:l3X0JKHQ
https://www.youtube.com/watch?v=-KzpTLZ_e40
籐牌兵も上の様に槍兵を一方的に撃破出来る物なのかだが
同種の円盾兵はテルシオでは後で編成から外されていただろうが
足軽は兎も角騎馬武者相手では踏み込んでも組打ちに持ち込まれて
盾で拘束される左側からやられると言う様な事も有るのかだが
鈎槍で盾で防護出来ぬ足(特に左足か)を
正面から突き斬られて装甲が有れば斬られぬ迄も転倒した後
槍で打撃或いは突かれてやられる様な可能性も有るのかだが

876某研究者2017/10/21(土) 19:30:58.49ID:l3X0JKHQ
通常の槍でも足を斬る攻撃は出来るだろうが
装甲が有る場合は余り打撃を与えられない可能性も有るのかだが

http://ejercitodeflandes.blogspot.jp/2012/06/rodela-rodelero.html
スペインのロデレロも足に装甲は無いし
一番重装備なハルバード兵や
ドッペルゾルドナーも腿に迄装甲は無いだろうが
藤牌兵はどうなのかだが
装甲が確実に装備されている古い絵は見ないが


https://www.pinterest.jp/pin/67483694388574283/
ローマ兵もダキア戦争時はダキア人の両手剣ファルクスを防ぐ為に
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562204628/
通常は装甲の無い手足に鉄板が追加されているし
ファルクスで盾で防護し難い手足が狙われた事を意味している訳だろうか
兜も筋が補強されている訳だろうか

877某研究者2017/10/23(月) 19:58:29.39ID:nu1baX3w
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232821/
上の騎兵が持つ方天戟は装飾が多いが
儀礼専用なのかだが
装飾が余り無い物を歩兵が持つ例も有るが
此れは戦闘用の可能性も有るのかだが

878某研究者2017/10/24(火) 15:57:54.02ID:CAvqGfxT
足軽の刀は雑兵物語に有る様に
手足を斬る訓練は幾らかしているかもしれぬし
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561201946/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232817/
上の明軍槍兵は手足に恐らく装甲は無いから
明軍槍兵の刀が足軽の胴に打撃を与える前に
手足が日本刀で斬られる可能性も有るのかだが
胴の無い足軽の場合は其の限りでは無いと言う事なのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562232816/
上は日本刀を持つ親衛隊・静粛隊だろうし
足には恐らく装甲は無いから歩兵だろうが
こちらには腕には装甲は有るが
此れは精鋭歩兵と言う事なのかだが
藤牌を持つ兵はこうした装甲は有るのかだが

879某研究者2017/10/24(火) 23:19:11.78ID:CAvqGfxT
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248736/
上の抗倭図巻の右の盾とフックを持つ兵は腕にも装甲は有るのかだが
こうした兵は何処迄居たのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248590/
上の倭寇図巻のフックを持つ兵の装甲は胴鎧だけなのかだが
兜が有る可能性は有るのかだが
フックは機能が限定されるし
実際は鈎槍装備と言う事は無いのかだが

880人間七七四年2017/10/24(火) 23:33:40.09ID:CAvqGfxT
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561158616/
右の様な重装歩兵は古い絵では今の所見ないし
鎧は唐の時代の形式の物に類似しているから
現実に使われた物では無い可能性も有るのかだが

881某研究者2017/10/30(月) 08:00:45.65ID:PVYK5yDX
小田原城攻城戦では大鉄砲+大筒が1000門使われたと言うし
此れの一部は船にも搭載されていたと言う事なのかだが
大部分は当初陸戦に回っていたのかだが
後で船の装備率は増えたと言う事なのかだが

882某研究者2017/10/30(月) 17:45:15.18ID:PVYK5yDX
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562322586/
上の1520年成立の清水寺縁起絵巻の歩兵の兜は
https://i.pinimg.com/originals/3f/a6/1e/3fa61e57fbb0e2eade60cb84213bf858.jpg
上の明歩兵の兜に似ているが
こうした兜は明が15世紀に日本人を師とした
日本刀部隊を導入する事に伴う
軍事交流の影響で日本に入った可能性も有るのかだが
宋の軍にも似た様な兜は有ったかも知れぬが
南北朝期の絵にはこうした兜は無い訳だろうか
こうした兜も大量生産に適した陣笠に置き換えられたが
騎馬武者に似た様な形状の兜鉢が
変わり兜等で残ったと言う事なのかだが

http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/242051720/?lang=ja
上の秋夜長絵巻にはシコロが短い簡易兜の様な物が有るが
此れは明の兜の影響で出て来たのかだが

883人間七七四年2017/10/30(月) 21:34:33.67ID:8kFcc8JE
日本史を大局的に見て、
勝つ必要なかったろ

884人間七七四年2017/11/01(水) 20:14:07.48ID:WorznKot
>>883
朝鮮半島の東岸をある程度の幅で領有して、そのまま沿海州にまで進出すれば日本海を内海化できるぞ

885人間七七四年2017/11/03(金) 17:15:07.16ID:HbhKPt86
北島万次が資料集出してるけどあれどう?

886某研究者2017/11/11(土) 15:45:37.92ID:RK6ysS+5
サルフの戦いでは女真兵は
戦車を下馬した騎兵で排除後乗馬突撃をしたと言うが
日本軍が明軍戦車部隊に対して同様の事は有るのかだが
戦車に対し手銃の射程外から大筒で出来る限りダメージを与えた後
下馬突撃をし戦車排除後
近距離から雑兵物語に有る様な射撃をしたと言う可能性も高いのかだが
必要なら明軍の奪った戦車も盾にした可能性も有るだろうが
長尾懸かりの様な騎兵突撃は無いと言う事なのかだが

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarhu#/media/File:Pan_Zongyan_being_overrun.jpg
女真兵も盾で防護され銃もそれなりに有る明の陣地に
こんな突撃をすれば大損害は必至だろうが
士気の高さで何とかしたのかだが
鎧も12kg程度なら下馬突撃は出来ると言う事だろうか
明軍の砲も散弾が詰まるかも知れぬが
綿襖甲でも近距離では貫通していた可能性は有るのかだが
装甲が無い顔等に散弾が命中した例も多いのかだが

887某研究者2017/11/11(土) 16:00:57.81ID:RK6ysS+5
明軍の砲等の散弾を日本軍の垣盾や車竹束が止めた例は有るのかだが
明軍の手銃の通常弾も近距離では
車竹束は兎も角垣盾は貫通する可能性は有る訳だろうか

888某研究者2017/11/11(土) 17:34:21.22ID:RK6ysS+5
https://twitter.com/fuwarin/status/730729541254053888
この垣盾も然程大型では無いし
銃の時代の厚みを増した物なのかだが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561347188/
上の垣盾もほぼ同じサイズに見えるが
厚さは可成り有るのかだが
こうした物でも明軍の手銃は近距離では
貫通していたのかだが
 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9D%9F
対大筒用の幅120cmの竹束も有るが此れは移動式では無いだろうが
フランキ砲迄止まる物なのかだが
石を詰めても果たしてどうなのかだが

http://www.eniguma49.sa kura.ne.jp/gunnzi,heiki/sonota/senngokuheuki/senngokuheiki1.html
>大阪夏の陣に登場した鉄製の装甲板を全面に施した押車です、2名ないし3名の兵が後から車を押して2名程の兵が台車に登場し鉄砲、弓を撃ちかけながら前進する仕組みです、
全面の装甲板は厚さ五寸(16,5cm)の木製板の上に厚さ3寸(10,5cm)の鋼鉄製の板が張り付けれていました、更にその装甲板は鉄製の支柱で補強されています、
>、この大盾車も大筒の様な大口径の大砲の砲弾は無理としてもフランキ砲や大鉄砲などの比較的口径の小さい大砲の砲撃からは十分に身を守れたのでしょう。

幾らか移動出来る様な
10cm等の鉄板でフランキ砲も防ぐ様な盾も大阪の陣では有ったが
大阪の陣以前にこんな物は有ったのかだが


http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/187731504
大阪冬の陣図では土を詰めた米俵が防弾に使われているが
大筒を止める様な厚みの物は構築されたのかだが
竹束が置き難い地形のみの使用なのかだが

889人間七七四年2017/11/16(木) 18:12:10.12ID:+hHnRHK0
したたかさが無いよ
明には手を出しません、朝鮮内の要請で兵を出したまで
とかのらりくらりやっとけば怒らせない方が良いのに太平洋戦争でも大国怒らせた
正直日本が統治し税収が上がり一部配当を明に渡せばお互いwinwinだよ、明も生き延びたのに
ロシアの進出を許してしまった

890某研究者2017/11/20(月) 21:07:19.59ID:cQqsa4Tn
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1017093315
>文禄二年七月二十七日、秀吉、朝鮮沿海築城の守備兵数を規定(中略)また、城に備えつけの兵器・弾薬・糧秣などの数量も決めた。
小早川隆景の加徳島城(支城を含む)や鍋島直茂の金海城(支城を含む)の例をあげれば、次の通りである。
一、士卒人員 五千人
一、鉄砲 二百挺(内訳、大筒一、五十匁筒一〇、三十匁筒一〇,二十匁筒一〇,十三匁筒四、六匁筒一〇、ニ匁半筒一五〇
また島津義弘の巨済島城では
一、士卒人員 二千人
一、鉄砲 百挺(内訳、大筒一、五十匁筒一〇,三十匁筒五、二十匁筒五,十三匁筒二、六匁筒一〇、ニ匁半筒七二

板屋船の12cmの松の盾板を100mで貫ける様な筒は
13匁以上かも知れぬが
水軍では無いが小早川軍は35門
島津軍は23門程度と言う事なのかだが
50mなら6匁でも貫けるかも知れぬが
棒火矢の射程に入る可能性も有るのかだが
100mでは果たして貫通出来るのかだが

891某研究者2017/11/20(月) 21:23:09.35ID:cQqsa4Tn
明・朝鮮軍の砲は大型の物は
片舷に集中は出来ないかも知れぬが
日本軍の50匁筒以下の物等は集中可能と言う事かも知れぬが

明・朝鮮軍の小型砲の棒火矢は
何処迄装備されているのかだが
射程・威力はどうなのかだが
鉄甲船の装甲は貫通出来ぬ可能性も有るのかだが

892某研究者2017/11/22(水) 15:25:44.92ID:x9dPPNCd
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1063800596.html
>騎兵の基本的な単位もまた12名の分隊である。
>騎兵の分隊には分隊長、多様な武器を装備した10名の兵士(マスケット銃2挺、火槍2本、
>三叉の槍2本、槍2本、メイス2本。何名かは同時に弓矢を携帯する)、そして伝令がいる。
>騎兵も歩兵と同様に分隊、小隊、中隊、大隊、連隊、旅団に組織される。
>戦場での騎兵旅団は2699名から2988名にまで増援され、1152張の弓、432挺のマスケット銃、
>60門の虎蹲砲(軽量の野戦砲)をもつ。
>大量の銃と火砲が配備されていることから、これらは騎兵というよりむしろ竜騎兵、
>騎馬で移動する歩兵であったようである。

明騎兵は大刀でさえ標準装備では無いのかだが
標準で無い装備をした騎兵が居た可能性は有るのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e6/Ming_soldiers_04.jpg
上の抗倭図巻には標準装備では無いかも知れぬ斧を持つ兵も居るが
馬印的な意味合いが強いのかだが

893某研究者2017/11/22(水) 15:56:30.12ID:x9dPPNCd
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1063800596.html
>歩兵
歩兵の基本的な単位は12名の分隊である。分隊は2種類に分けられる。
1つはマスケット兵の分隊で、分隊長、10名の銃手、伝令からなる。
もう1つは"殺手"の分隊で、分隊長、10名の様々な近接兵器をもった殺手、伝令からなる。
同種の分隊を3つ合わせて37名の小隊になり、3つの小隊がさらに112名の中隊を構成する。
マスケット兵の中隊は合計で90挺のマスケット銃をもつ。
4つの中隊が449名の大隊を構成し、2つの大隊(マスケット兵と殺手)で899名の連隊になる。
3つの連隊が2699名の旅団(323名の士官、2160名の兵士、216名の伝令)を構成し、
1080挺のマスケット銃と216張の弓をもつ。

明軍歩兵の様々な近接兵器と言うのも
倭寇図巻等を見る限り
藤牌+刀(或いは剣)・槍・大刀・フック系統の武器の
4種類程度と言う事なのかだが
此れ以外の武器を持つ兵も小数居た可能性は有るのかだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%BA%E3%83%8F
歩兵用の鐺鈀は戚継光登場以前は
標準装備では無い可能性も有るのかだが

894人間七七四年2017/11/25(土) 15:54:50.84ID:PpxCLaaF
諦めろ

895某研究者2017/11/27(月) 14:50:58.86ID:WWEaW/8N
https://twitter.com/boukenkyuu/status/935021854019874817
朝鮮歩兵の鎧も
この構造だと肩の外側に重量が掛かるが 
腕の動作性はどうなのかだが 
甲冑が軽ければ問題は生じず 
古い大鎧や清の鎧同様に腹のスペースで矢の衝撃を吸収し 
貫通し難くも出来ると言う事なのかだが

896某研究者2017/11/27(月) 14:56:31.15ID:WWEaW/8N
>>895
歩兵は低コストの綿襖甲が基本かも知れぬし 
この小札鎧は騎兵用の可能性は無いのかだが

897某研究者2017/11/27(月) 19:46:16.98ID:WWEaW/8N
足軽胴は大き目に作ってあると言うから
同様に胴にはスペースが有るかも知れぬが
草摺の重量は腰の帯で支えると言う方向だろうか

898某研究者2017/11/27(月) 22:35:07.90ID:WWEaW/8N
騎馬武者の甲冑は胴下部にはスペースは無いかも知れぬが 
厚みは足軽胴より増していると言う事だろうか
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561202272/
明の上の甲冑も胴下部にはスペースは無いが
http://www.gaopu.com/mindai.html
(腹にスペースの有る)歩兵用甲冑より恐らく装甲は厚いと言う事だろうか

足軽胴も確か胴を帯の上に乗せて 
重量を腰部に負担させていたかも知れぬが 
腹にスペースが有る状態でも此れは出来るのかどうかだが
https://i.imgur.com/sl39glz.gif
上の様な形で揺糸を帯で引く事で可能と言う事なのかだが

899某研究者2017/11/27(月) 23:06:37.75ID:WWEaW/8N
http://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0046166
雑兵物語だと刀は胴の下に有るが
鉄砲・弓足軽の刀が天神差では無いし
現実を反映していない可能性も有るのかだが
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Kuroda_Nagamasa.jpg
上の恐らく可成り古い黒田長政の肖像画や
https://ameblo.jp/oshijo-omotenashi/image-10724422914-10893568010.html
右の足軽の格好をした者と同様に
胴直下の草摺と胴の隙間の揺糸部分に
巻かれると言うのが正しいと言う事かも知れぬが

900某研究者2017/11/27(月) 23:37:08.02ID:WWEaW/8N
揺糸の胴と草摺の隙間の部分は
http://ikkaiyoroi.com/kenkyuu.htm
鎧直垂の帯と
上ではやや上に有るが佩楯の帯が下に有り
場合に依っては更に鎖や亀甲金も下に有るだろうから
戦国期の狭い隙間の部分であれば
革の草摺程度の防御力は有り得ると言う事なのかだが

901某研究者2017/12/05(火) 14:17:49.37ID:rq2Y7Byd
大袖や馬鎧で明軍の弓を
野戦で防いでいた可能性は果たして有るのかどうかだが
銃でのアウトレンジと高速の追撃・離脱を考慮して
馬鎧はそう多くは無く
装備率は精々大阪冬の陣図に書かれる
程度の可能性も有るのかだが

902某研究者2017/12/08(金) 15:02:39.53ID:T/1ycyj0
http://tihourekisimatome.blog.jp/archives/1063800596.html
>後期明軍の話が出てたので参考のために
戚継光「練兵実紀」にある対モンゴル戦のための部隊編成
(というか洋書からの引き写しです)
車兵

車兵旅団の戦車(防御用のワゴン)にはそれぞれ10名の分隊2個が配置されている。
分隊長、御者、2名のラバ追い、6名の砲手からなる第1の分隊は、戦車のところで
2門の旋回砲を操作する。
分隊長、4名のマスケット兵、4名の近接武器をもった兵士、伝令からなる第2の分隊は、
戦車に乗るか、またはその周囲で戦う。
2つの戦車が小隊を構成し、2個小隊が中隊、4個中隊が大隊、4個大隊が連隊、2個連隊が
旅団となる。旅団にはさらに別の17台の戦車が付属し、その内8台は"大将軍"と呼ばれる
大型砲が搭載され、残りの9台には太鼓や火箭やその他の物資を積んである。
合計で、3109名の車兵旅団は145台の戦車と、8門の大型砲、256門の旋回砲、
512挺のマスケット銃を装備している。

この明軍の戦車の装甲は対モンゴル用なら
銃を防ぐ様な物では無い可能性も有るのかだが
対倭寇・日本軍用に重装甲の物が
別に用意された可能性は有るのかだが
碧蹄館の火器部隊がそうした重装甲の戦車を装備していた可能性は
有るのかどうかだが
こうした物が有るとしても10匁筒以上の筒で砲・手銃の射程外から
装甲を貫通されていた可能性も
有ると言う事なのかだが

明・朝鮮軍の鳥銃部隊も
精度はどうなのかだが
投降した日本人が教官なら精度を重視している可能性も有るだろうが
そうした兵は日本軍の火縄銃の上手い者が
遠距離から優先的に狙撃していた可能性も有るのかだが
遠距離から奇襲を受ける率は高まる可能性は有るだろうが
此れは弓でも行える事だろうか

903某研究者2017/12/08(金) 15:38:21.75ID:T/1ycyj0
http://koukisya.web.fc2.com/kayaku4.htm
>この後台頭してきた、優秀な騎兵兵力を有する後金との戦闘でも、明軍の火器部隊は、野戦において完全に圧倒されている。
1618年のサルホの戦いでは、4月21日 南下する後金軍に対し明軍は迎撃のため、撫順城に一万の援軍を送り、郊外で対峙した。
明軍は火砲を使用したが、風向きのため自らの発砲煙に邪魔され、そこを突撃されて大敗する。

こうした場合は風向きを考慮して遠距離では弓を使用し
火器は上手い者の小数以外は
至近距離での発砲をすれば未だましと成ったのかだが


>三月初め、吉林に立てこもった後金軍に対し、悪天候の中、杜林は松明を建てて砲撃した。後金軍は逆にそれを利用し、接近し松明の付近に矢を集中し、また明軍の本営を霧にまぎれて攻撃し潰滅させた。
その報を聞いた馬林軍は塹壕を掘り、防御陣形をとり、また本営から離れた所に車兵を配置して騎兵突撃を防ごうとしたが、後金軍は騎兵の一部を迂回させ馬林軍を挟撃し大敗させた。また劉廷軍は三方面から包囲され潰滅し、
劉廷軍所属の朝鮮の鳥銃隊も、一度斉射をした間隙に騎兵突撃を受けて崩壊した。

この鳥銃部隊は多段射撃は無かったのかだが

904某研究者2017/12/14(木) 18:56:57.34ID:rmJ8XVI7
サルフの戦い等の籐牌兵は胸甲が無いが
弓は兎も角銃弾は防げたのかどうかだが
http://ejercitodeflandes.blogspot.jp/2012/06/rodela-rodelero.html
スペインのロデレロも板金の胸甲が有る例は少ないが
こちらは盾が鉄製だろうが
100mの2匁クラス筒程度は止まるのかも知れぬが
6匁は無理と言う事なのかだが

905某研究者2017/12/17(日) 13:11:34.34ID:kxmwKxv9
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarh%C5%AB
サルフの戦いの絵の明軍を見ると車輪付き盾や
低い土塁は有るが
馬防柵や戦車は使用していないし
これが有れば清の下馬騎兵・乗馬騎兵共に簡単に突入は
許さなかった可能性も有るのかだが
フス派の様な戦車陣や
長篠の様な野戦築城が成されていれば
山海関の様なヌルハチの戦死迄有り得たのかどうかだが

906某研究者2017/12/17(日) 13:29:09.67ID:kxmwKxv9
https://blogs.yahoo.co.jp/baron0742/68795733.html
長篠の陣地の場合土塁の上に馬防柵が有り
その後方にも銃丸の様な溝の有る土塁が有ると言う構造なのかだが
この様な物を清騎兵も下馬してさえ何処迄突破出来るのかだが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E7%AF%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/File:Battle_of_Nagashino.jpg
長篠合戦図を見ると全体にこうした物迄は無いと言う事なのかだが

907某研究者2017/12/17(日) 13:45:10.61ID:kxmwKxv9
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Sarh%C5%AB#/media/File:Pan_Zongyan_being_overrun.jpg
上を見ると明軍陣地は清下馬騎兵突入前にも
土塁後方が盾で完全に塞がれていた訳では無い様に見えるし
最初から隙間が有って此処にも
歩兵敗走後騎兵の突入を可成り受けたと言う事なのかだが

908某研究者2017/12/17(日) 15:15:52.31ID:kxmwKxv9
>>907
日本軍に野戦築城された陣地が無い場合でも
碧蹄館の様に地形を利用すれば
同様の結果と成る可能性も有るのかだが

909某研究者2017/12/17(日) 16:19:54.88ID:kxmwKxv9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%95%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
>ヌルハチは夜襲によって銃砲の優位を封じたうえで
混乱した敵軍を各個撃破することにより大軍を打ち破った。

夜間でも馬防柵やフス派の戦車を盾にしての至近距離からの銃撃は
防げる訳では無いだろうが
碧蹄館の様に地形しか無い場合では厄介な可能性も有るのかだが
馬防柵や戦車陣が有っても
視界の悪さを利用して兵を一点集中される可能性は
有ると言う事なのかだが
こうした事をしても籠城した明軍は破れなかった訳だろうか

910某研究者2017/12/17(日) 16:40:04.68ID:kxmwKxv9
>>909
>馬防柵や戦車陣が有っても
>視界の悪さを利用して兵を一点集中される可能性は
>有ると言う事なのかだが

そうした場所に備の機動力を利用して
予備兵力を迅速に移動する必要も有るだろうが
同様の夜襲に日本軍は割に慣れているかも知れぬが

911某研究者2017/12/17(日) 21:01:01.07ID:kxmwKxv9
https://weaponsandwarfare.files.wordpress.com/2016/06/2248153548_0638f1fc71_o.jpg
馬防柵から上の様な至近距離で弓を撃たれれば
清の綿襖甲でもダメージは受け得ると言う事なのかだが
柵を登る敵を槍で攻撃も出来るだろうが
清の弓での反撃は垣盾や土塁の銃丸で
防ぐ必要は有ると言う事だろうか
泗川で島津軍が用いた
散弾を詰めた砲での攻撃も
夜間の一点集中攻撃を目論む敵の威嚇には
有用なのかどうかだが

912人間七七四年2017/12/18(月) 19:17:49.59ID:anmZfisp
戦略が間違ってるというか戦争の最終的な目標が曖昧模糊なので、
そもそもこれでは勝てません。

ベトナム戦争、イラク戦争とかもそうだけど、
しっかりした分析と目標と過程への構想がなくて、
強大な軍事力があるんだから、事態が万事都合よく上手くいくという
阿呆な妄想でおっぱじめた戦争が勝った試しはないのです。

913人間七七四年2017/12/18(月) 23:09:08.34ID:VwQ808CG
>>912
もともと戦略とか目標とかは無くて、国内の軍事力を外に向けておかないといつ自分に向かってくるか分からないっていう焦りから始めた戦争なんじゃね?
戦の才能と個人的なカリスマで天下統一までは果たせたけど、その後の安定した統治システムを築くことが出来なかった秀吉の限界がそこだった

914人間七七四年2017/12/23(土) 01:04:53.48ID:0E3/LYPQ
前提、当時は兵站学のような秩序だった理論はなく、補給は策源地からの輸送と現地調達を適宜組み合わせて賄っていた
1、本土からの海路輸送は敵海軍の妨害を受けつつも補給不全には至らなかった
2、朝鮮軍が弱体過ぎたため一気に兵站線が伸び切った
3、朝鮮半島の痩せた土地では現地調達が困難だった
敗因、朝鮮軍の敗走が結果的に焦土戦術の様な状況になり日本軍を苦しめた

どうすれば勝てたか
内陸へ攻め込まず、本土からの補給が十分届く範囲に強固な防衛陣地を形成する
長距離行軍してくる明軍に決戦を挑み、防御の利を活かし之を粉砕する

915人間七七四年2018/01/23(火) 16:30:56.03ID:aB52pBuN
勝ってはいけない戦争
かかわっちゃいけない相手

916某研究者2018/01/27(土) 23:19:30.42ID:BK2VbK5L
騎馬民族が得意な
シミターの馬の速度を生かして横に斬り抜けると言う様な攻撃を受ければ 
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/The_helmet_of_a_Mongolian_army.JPG
こうした尖った兜は引っ掛かって首がやられる危険は無いのかだが

止まってシミターを切り下ろす場合でも 
半身に構えている相手に真上から切り下ろす様な 
命中率の低い攻撃は何処迄するのかだが 
打撃武器でも同様なのかだが

三叉槍の枝の突きが尖った兜に掛かり 
体勢が崩されたり落馬する危険も有るかも知れぬが 
三叉槍登場は明時代以降であり 
清の兵は此れを用いたのかどうかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248736/
https://www.pinterest.jp/pin/343610646562248590/
倭寇図巻等での明歩兵の大量の鎌の様な武器の装備は 
尖った蒙古鉢を掛ける為の物の可能性も有るのかだが

https://www.pinterest.jp/pin/343610646561241614/
清の兜のこう言う頂部の軸も 
鎌で掛けられていたのかだが  
https://www.pinterest.jp/pin/343610646561239380/
明騎兵の兜は余り尖らないが 
頂部に軸の様な物が有るから 
此処を日本の鍵槍で掛けられていた可能性は有るのかだが

917某研究者2018/01/27(土) 23:32:52.66ID:BK2VbK5L
頭形兜に革や紙が被された烏帽子形等の
上に長い変わり兜が馬の速度を利用したシミターを受けた場合
烏帽子部分は上手く切断され首がやられる危険は無いと言う事は有るのかだが
革では流石に衝撃を受ける危険は無いのかだが
立物も紙や真鍮・木の薄い物では容易に曲がる或いは
切断されるのかだが

918某研究者2018/01/27(土) 23:40:00.18ID:BK2VbK5L
立物を鍵槍で掛け落馬させると言うのも 
基本的に太い木の物や本物の鹿等の角を使用する物でも無い限り・基部の鉄の部分以外は困難なのかだが 
やや体勢を崩したり拘束する事は可能なのかだが 
頭立や脇立の基部の鉄芯は掛けられ易いと言う事は無いのかだが

919某研究者2018/02/03(土) 22:42:55.14ID:auu0Wfdr
碧蹄館で立花宗茂等が以前した様に
木を弓に対する盾とした可能性が有るのでは無いかと前に書いたが
https://www.pinterest.jp/pin/343610646563605793/
前九年合戦絵巻で木を盾にして射撃をしている様な場面も有るから
宗茂以前もそうした戦術は使われていた可能性も有るのかだが

920人間七七四年2018/02/14(水) 10:02:46.19ID:wQVmlPDV
西日本の弱兵ではなく精強な東日本の兵を派兵していればな
特に我慢強い東北の兵は寒さにも強いので活躍できたはず

921人間七七四年2018/02/14(水) 15:10:07.77ID:01X8/iJE
>>920
九州勢は精強だったろ、寒さに弱いだけで

922人間七七四年2018/02/18(日) 22:11:11.07ID:dOJH622b
せめて東北で雪中行軍の演習をするべきだったな

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