もし徳川家康が関東に転封されなければ? [無断転載禁止]©2ch.net

1人間七七四年2017/03/03(金) 12:47:20.71ID:6SV0cYTD
東海地方が基盤のままでも、やはり天下を取っていたでしょうか?

2人間七七四年2017/03/03(金) 19:10:58.89ID:fW91w8gD
その場合、関東がどうなってるかが大きいな
中規模大名で分割ならまだマシ
北条がでかいまま臣従して残ってるならかなり大変そう

3人間七七四年2017/03/04(土) 10:20:26.78ID:mROtUqNC
北陸だったらどうだろうね

4人間七七四年2017/03/04(土) 10:52:28.24ID:PDsAXu4k
場所よりも家康の政治的なポジションが重要だろう
秀頼の後見人かつ家老でなければ天下は取れないと思う
もし秀次がそのまま政権継いだならなおさら無理

5人間七七四年2017/03/04(土) 12:35:26.24ID:Tq6BImkY
関東に転封されたあとのことだが、さらにどこか(おそらく東北)に転封されるかもという噂はあったようだな

6人間七七四年2017/03/04(土) 18:17:30.70ID:7SmU9Bhr
朝鮮に転封すればいい

7人間七七四年2017/03/04(土) 20:19:03.38ID:wmchd9TZ
どの道、秀吉が死ねば武将としてのキャリア・実績で家康の右に出る者はいないから、
やっぱ家康の天下になる。その場合恐らく浜松あたりが日本の首都だったわけか…

8人間七七四年2017/03/04(土) 20:54:32.23ID:TvSSW+xW
>>7
アホぬかせ

9人間七七四年2017/03/04(土) 20:58:49.34ID:Yyz7QpQu
家康公朝鮮転封、平壌1000万石。

10人間七七四年2017/03/04(土) 22:36:57.29ID:PDsAXu4k
勘違いしている人がいるが家康が台頭したのは大老だったからだ
政治的に浮上できなけりゃただの大名
無理矢理でてくれば謀反人となって死ぬだけ

11人間七七四年2017/03/05(日) 02:53:49.31ID:p8V2QYHh
秀吉に臣従後はだいたい京大坂にいるし。駿遠三甲信で内大臣なら無問題。関ヶ原後に関東にいる大名を転封して自分が入ることもできる

12人間七七四年2017/03/05(日) 11:06:39.67ID:stwP5N5X
家康に限らず幼君を奉って主家から徐々に力を抜いて簒奪するやり方って
のは珍しくも何ともない
それができるのは大義名分がいるから天下を取るかどうかはここに
かかってるな それでも移封がなけりゃ厳しくなる
なんせ大名としての力は130万石程度だから無理強いするには力が足らない
秀次が残れば家康は箸にも棒にも引っかからないだろうし、秀頼を利用できて
も力が心もとないし

13人間七七四年2017/03/05(日) 11:16:19.36ID:jvcaOt1S
東海時代の実力で大老・姻戚になれるかってことだな

14人間七七四年2017/03/05(日) 13:32:29.44ID:frWAlBnX
関東は別に北条のままでもよくないか?
関東で引き篭もってるから秀吉死後も天下への野心は低いだろう
東海に置いておくのは危険だから、東北あたりに飛ばしたらどうだろう
もっといえば蝦夷地にやって、開拓を命じる
拒否したら信雄と同じく改易
これくらいしないと豊臣の安全は測れないなw

15人間七七四年2017/03/05(日) 13:55:32.87ID:usLXmSp1
徳川家康が関東に転封されないというIFに
北条が滅びないないという、より大きなIF前提を重ねるのは良くない
スレの焦点が曖昧になる
堀秀政が若死しなかった等、家康転封以外はなるべく史実に即した前提で語るべきであろう

16人間七七四年2017/03/05(日) 14:14:22.83ID:4xvUsUbl
うむ
北条が滅んでないと秀吉は東国の平定をしなかったレベルの仮想世界になるからな

17人間七七四年2017/03/05(日) 14:15:41.31ID:IkQy2kOY
じゃあ関東は上杉が治めてるのか

18人間七七四年2017/03/05(日) 14:26:26.45ID:usLXmSp1
堀秀政か上杉景勝か
あるいは織田信雄あたりか
いずれにせよ史実の家康ほどの大領は任せられないだろう

19人間七七四年2017/03/05(日) 15:22:15.06ID:p8V2QYHh
家康を東海に置いとくなら実際に東海に配置した大名を関東に置くだろ。山内や中村あたり。秀吉死後は天正壬午の乱よろしく大混乱ですわ

20人間七七四年2017/03/05(日) 15:28:52.37ID:35r8qqEf
>>7 その場合浜松からそれほど遠くもなく、鎌倉あたりを国政の中心にすると
思う。家康は源頼朝にあこがれてたらしいしな

21人間七七四年2017/03/05(日) 15:50:07.14ID:AGgeSIKW
>>19
その場合、甲斐の浅野や信濃の仙石、石川あたりも関東だな
関東の旗頭は浅野長政あたりか

22人間七七四年2017/03/05(日) 16:15:30.93ID:AobTA2eP
なんというかアホすぎない?
家康の転封で空いた領地に入った奴らがそのまま関東に配属されるって本気で考えてるの?

23人間七七四年2017/03/05(日) 16:30:59.03ID:/m6yOzXr
東海甲信だけでも秀吉や利家死後に豊臣臣下で最高権力者になってれば
全国の大名に難癖付けまくって自分や親徳川の大名の領土増やしまくっていけるだろう
いずれ家康許さねえ、って反徳川連中が蜂起して関ヶ原に似た状態になる可能性が高いかな

24人間七七四年2017/03/05(日) 16:50:22.75ID:zoX+eKg0
>>22
甲信東海の大名は秀吉子飼いや親族がほとんど
史実の結果を知らなければ、家康の代わりに加増転封で関東に入れてもおかしくないし
なにより史実との齟齬が一番少ない

25人間七七四年2017/03/05(日) 17:42:48.87ID:HPCl8TVs
>>20
家康は三河政権たる鎌倉幕府、源頼朝の跡継ぎの正室の兄の血を引くからだろ
そりゃ三河の先輩だから尊敬もするだろう


源頼朝は嫡男の正室に、曽祖父が開発した三河国の荘園の荘官をしていた足助重長の娘を選んだ


源頼朝の曽祖父は三河県豊田市民→三河県岡崎市民
源頼朝の祖父は三河県岡崎市民
源頼朝の嫡男の正室(辻殿)は三河県豊田市民
その嫡男の息子が鎌倉鶴岡八幡宮でやらかした公暁


・吾妻鏡では辻殿を妻、若狭局を愛妾としている


・源頼家(2代目鎌倉将軍)
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡、三河県岡崎市))→由良御前→源頼朝 →頼家→公暁

・辻殿
足助(加茂)重長(三河国加茂郡足助、三河県豊田市)→辻殿(母親は源為朝の娘)→公暁


■修禅寺(静岡県伊豆市修善寺964)

木造大日如来坐像
http://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C/%E4%BF%AE%E7%A6%85%E5%AF%BA/
本尊の大日如来像は1984年に解体修理され、像内から銘文と納入品が発見された。これによって、1210年に実慶が造ったものとわかった。
実慶は「運慶願経」(1183年)に名前の見える慶派の仏師である。この修理の時点では作品は知られておらず、重要な発見となった。新聞でも報じられたそうである。
納入品は美しい布に包まれた髪の毛であった。
髪はB型とO型の血液型の人のものであるとのことで、2人分であることが判明している。1210年というのは、この地で非業の最期をとげた鎌倉幕府の2代将軍源頼家の7年忌にあたることから、頼家ゆかりの人の髪と考えられる。
『吾妻鏡』の1210年7月8日の条に頼家の妻辻殿が出家をしたという記事があり、辻殿の髪と思われる。またもうひとりは、母である北条政子である可能性がある。

26人間七七四年2017/03/05(日) 18:19:46.02ID:jvcaOt1S
>>19
あー確かにそいつらの置場所は関東しかなくなるのか

27人間七七四年2017/03/05(日) 18:53:26.59ID:LA5zJQWT
この仮定って家康の領地は一切増やさない仮定なの?
秀吉の義弟が外様の毛利より石高少ないって微妙じゃないかな。
後の徳川のように一門が多ければ別にいいけど豊臣は一門が少ないから
家康はもうちょっと強化した方がいいと思うんだが。
具体的には尾張位加増してやるべきじゃないかな、と。

28人間七七四年2017/03/05(日) 19:36:35.33ID:VKytfTOW
まあ名目上は「加増」転封だからな。据え置きならどこか増やさないと。

29人間七七四年2017/03/05(日) 19:50:57.31ID:xWrgMMcU
逆だろ
加増「転封」なんだから「転封」という負担がないなら加増も無用

30人間七七四年2017/03/05(日) 20:20:53.29ID:LA5zJQWT
>>29
うん、外様ならそれでいいと思うよ。
ただ、秀吉視点だと家康は外様とは言い難いんじゃないかな。
別に史実のように250万石もやれとは言わないよ。毛利より多い170〜180万石位は
やってもいいんじゃないのって話。
唐入りの事を考えると毛利を減らすのは微妙だし。

31人間七七四年2017/03/05(日) 20:48:48.66ID:IkQy2kOY
結城秀康に下総だけくれてやれば

32人間七七四年2017/03/05(日) 21:02:26.02ID:/m6yOzXr
>>27
東海時代の家康は120万石の毛利より1割くらい多いはず
小田原後も伊豆を加増されると思ってたから尾張ほど大加増はないだろうね

33人間七七四年2017/03/05(日) 21:15:56.31ID:81EQp5N/
関東への転封がないなら秀康も結城の養子無いかも
変わりに秀吉の養子として西国に十万石くらい貰ったり

34人間七七四年2017/03/05(日) 21:21:57.69ID:LA5zJQWT
>>32
ああ、すいません。毛利の石高勘違いしてました。
多分伊豆加増で妥当だと思います。

35人間七七四年2017/03/06(月) 02:26:46.16ID:N3rhj3sX
北条滅んで家康入れないぽっかり空いた関東、やっぱ上杉でも置くのか。じゃあ越後はってなるし、伊達の抑えは史実通り蒲生か。んーやっぱ家康を関東に移して東海道を親豊臣にするほうが実利がありそうだなあ

36人間七七四年2017/03/06(月) 03:18:04.75ID:IG62o2qC
そもそも上杉なんだから関東でええやん
上杉旧領に転封という感じで

37人間七七四年2017/03/06(月) 10:39:43.27ID:ST2Q3JMg
三河マンセーの関東統治は三河でなければ無理


有史以来、武蔵国にあった御所号は全3ヶ所

■平安時代
・吉見御所(埼玉県吉見町)
源範頼(三河守)の息子、源範円(正法寺(三河国宝飯郡、三河県豊川市)僧侶)が移り住む
範円の息子(為頼)から吉見氏と名乗る
現在も、吉見姓は三河県蒲郡市(源範頼の本拠)が日本一多い

■室町時代
・世田谷御所(東京都世田谷区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖する奥州吉良氏、三河国生まれ吉良治家(初代奥州管領、吉良貞家の息)が移り住む

■戦国時代
・蒔田御所(横浜市南区)
長瀬四郎(三河国碧海郡長瀬、三河県岡崎市)を祖とする奥州吉良氏、吉良頼康が移り住む


家康入城前の江戸城主は富永直勝

三河国設楽郡富永保を本貫とする三河富永氏
家紋は木瓜に足利二つ引両(太平記、多々良浜の戦いの功労により、家紋に足利二つ引両を与えられる)
先祖は源頼義の家来、鶴岡八幡宮社職家の三河伴氏の平松氏、源義家の郎党No.2 三河伴氏の伴助兼

38人間七七四年2017/03/06(月) 14:12:43.27ID:jnYMmvH2
>>31
下総の北部と常陸南部も良い、坂東平氏の末裔たちの統治はてこずる
佐竹には磐城を与える

39人間七七四年2017/03/08(水) 05:23:09.62ID:vKYN/0v8
>>1
それは政治が極端に変わる

というかそれってありえなくて、なんで強い徳川に大関東任せたかって言うと、関東の経済が大きいから下手なやつをつかせると反乱させられる
結果頭脳と正確がまともで有力な徳川を東日本の棟梁にしないといけない

つまりそうじゃないと、幕府は東日本を管理できないって意味で、もしそれやらなかったら、西日本だけの統一しかできない、しないって意味

そうなると、経済的に農民経済のままの遅れた東日本が残るだけで、関東なんか坂東武士団筆頭に数百のバラバラな棟梁が収めるカオス
徳川以外の誰を送って話で、隣に本性があり、あそこから兵力遅れて、関東事情に明るい徳川以外棟梁にできないだろ

40人間七七四年2017/03/08(水) 06:19:20.80ID:LE/asEub
>>39
北条も下総・常陸南部は協力はさせたが支配しきれてもなかった
あの辺の連中は上杉が来れば「お待ちしてました」北条が来れば「ご苦労様です」佐竹には「お疲れ」まあしたたか
清盛を排出した坂東平氏ながら頼朝担ぎ上げたり面倒な所
纏められたら矛先が西に向くのも歴史通り、豊臣は感じてなかったのかな?

41人間七七四年2017/03/08(水) 13:45:54.99ID:sKgn9nVW
家康が転封無しなら朝鮮の役参戦しただろう
疲弊するだろうし本人や重臣が病死する可能性もあるな

42人間七七四年2017/03/08(水) 20:41:58.11ID:0LViRR5p
あらためて、秀吉の配置はさすがだと思う。関東は家康じゃないと安定しなかったろう。

43人間七七四年2017/03/08(水) 23:31:02.25ID:eOGa913B
もし家康が肥後に転封されていたら?

44人間七七四年2017/03/09(木) 02:18:17.44ID:/EtvN6ir
>>43
家康が断るだけ
東北でも嫌がるだろうし東海には居させたくない
結局落ち着く所は関東か

45人間七七四年2017/03/10(金) 01:32:56.91ID:25tS4VfJ
関東を安定させなおかつ奥羽に睨みを効かせる

や家神

46人間七七四年2017/03/10(金) 22:56:05.09ID:j9hj2LFh
家康は八丈島に島流し

47人間七七四年2017/03/11(土) 01:15:39.75ID:F3+vgI7R
家康とやらの先祖 源為朝のようにか?


■今川記(1553年成立)

松平信光(第3代目当主)
正室:一色氏の娘

一色満範の娘の仮定する

源義家→義国→義康→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→一色公深(初代一色氏)→範氏(母親は今川国氏(初代今川氏)の娘)→範光→詮範→満範→娘→松平親忠→長親→信忠→清康→広忠→徳川家康


■熊野国造家 和田家系図

松平親忠(第4代目当主)
正室:鈴木重勝の娘

・加茂(足助)重長→足助重秀(母親は源為朝の娘)→重朝(母親は安達盛長の娘)→重方→親方→貞親→重範→鈴木重員(母親は楠木正成の娘)→重勝→娘→松平長親→信忠→清康→広忠→徳川家康




家康とやらに源義家、源義国(源姓足利氏・新田氏の祖)、足利義兼(初代源姓足利氏)、一色公深(初代一色氏)、今川国氏(初代今川氏)、吉良長氏(初代吉良氏)、源為朝、安達盛長、足助重範、楠木正成の遺伝子イン

48人間七七四年2017/03/26(日) 22:28:46.78ID:cZEsSyvT
関東に転封がなかった以外は史実どおり天下取ったとしたら幕府は何処に開いただろうな
岡崎駿府浜松→なじみあるけど微妙?
大阪→豊臣色が強すぎ?
伏見→同上
江戸→何処それ?
平地が広い、都も割と近い、良港がある、東西への睨みって条件だと尾張辺りと想像

49人間七七四年2017/03/27(月) 13:36:54.99ID:JlPFHYIt
鎌倉あり得るかな?

50人間七七四年2017/03/27(月) 15:33:48.42ID:aPoDEgId
>>48
関東の睨みとしては弱い尾張
問題起こす下総常陸
将門の出現で武家勢力台頭
下総常陸を睨んだ位置が鎌倉
隅田川の向こうは下総の江戸に本拠を置いた家康
明治維新は公武合体、京に武を入れては足利と同じで東をコントロール出来ない、江戸に公を加えるとバランスが良かった
中国ですらやや北東の北京じゃないとバランスが取れない

51人間七七四年2017/03/27(月) 19:30:09.11ID:e4irAmHj
>>49
鎌倉ありうるかもね
由緒あるし

52人間七七四年2017/03/28(火) 21:22:01.21ID:jitbO+Iw
鎌倉なんて近世城郭作るのに全く適して無いだろ
秀吉の作った大阪の繁栄を見てる家康が数段落ちる規模の町しか作れん場所に幕府開くとは思えん

53人間七七四年2017/03/28(火) 22:01:02.99ID:vpkDzMxG
その近辺に本領かまえているなら鎌倉はありだよ

54人間七七四年2017/03/29(水) 14:30:49.57ID:s6QNLFbQ
鎌倉には政庁だけ、近隣に都市を営む感じか。
藤沢や平塚辺りが候補かな

55人間七七四年2017/03/29(水) 15:40:57.23ID:hyiRqn9W
小田原じゃ不味いのか?

56人間七七四年2017/03/29(水) 21:24:25.61ID:DMXJylIg
鎌倉よりは小田原のがずっと現実的だよ
将軍家の本拠が政庁だけとかありえん

57人間七七四年2017/03/29(水) 21:28:45.86ID:u6G/SyhM
実子に結城や武田の名を継がせた家康、関東支配に気を使った事がわかる
関ヶ原後必要無かったけど

58人間七七四年2017/04/01(土) 21:15:03.58ID:vzEFtd5j
関東関係ねーわ、結城は三河縁者だからに決まってんだろう


・八田宗綱→八田知家→中条家長(猶子、三河国加茂郡高橋荘地頭)
・八田宗綱→宇都宮朝綱→宇都宮成綱→宇都宮頼綱(養父は小山政光)
・八田宗綱→寒河尼(源頼朝乳母、小山政光の後妻)→結城朝光
・小山政光(後妻は源頼朝乳母、寒河尼)→小山朝政→性空上人(改称:慶円、本證寺(三河県安城市)開基)
・小山政光(後妻は源頼朝乳母、寒河尼)→小山朝政→娘(初代吉見氏、源為頼の室)
・源義朝→源範頼(三河守)→源範円(正法寺(三河県豊川市)僧)→源為頼(初代吉見氏、室は小山朝政の娘)

■本證寺(三河県安城市野寺町野寺26)
・創建年:建永元年(1206年)頃
・開基:性空上人(改称:慶円)

性空上人(改称:慶円)は小山朝政の次男(結城朝光の甥)
・小山政光(後妻は源頼朝の乳母である寒河尼)→小山朝政→性空上人(改称:慶円)

59人間七七四年2017/04/07(金) 00:59:22.76ID:EU7TZ/SD
・豊臣秀頼 220
・北条氏直 200(伊豆・上総を召し上げ)
・徳川家康 145(伊豆を加増)
・上杉景勝 120
・毛利輝元 112
・織田信雄 109

・前田利長 84
・伊達政宗 58
・宇喜多秀家 57
・島津義弘 56
・佐竹義宣 54
・小早川秀秋 37

60人間七七四年2017/04/08(土) 23:50:36.99ID:O5k6E2d4
千を秀頼の嫁にくれってのもスゴイな。
その子供が後継いだら家康というか秀忠が外祖父になって
徳川が強大な権限握ることになる。藤原もそうやって実権握った。
その時点で徳川に天下明け渡したも同然。

61人間七七四年2017/04/09(日) 20:50:01.73ID:otuhDj88
>>60
その点からみても、徳川が豊臣を最初から滅ぼすつもりだったとは思えんのだよな。
正直共存ルートはいくらでもあったと思うんだよ。
そりゃ飾り物や操り人形になる可能性は高いけどさ、滅亡よりよほどマシだと思うんだがなあ

62人間七七四年2017/04/09(日) 23:29:05.57ID:htX/flEJ
秀頼はバカだから損得勘定もできなかった

63人間七七四年2017/04/11(火) 09:50:19.68ID:lS2GsdJG
どこで幕府を開くか

それだけの問題だろう

64人間七七四年2017/04/11(火) 15:50:09.97ID:6f/kHeAC
薩摩に転封しとけばよかったのに

65人間七七四年2017/04/11(火) 17:33:03.69ID:qu2ij/MV
秀頼の転封は一番お似合いなのは伊勢あたりかな
格をあるていど認めてやってあげくあの時点でもう主流とは言えない土地
大和とかももったいない

66人間七七四年2017/05/27(土) 22:58:59.34ID:gm7b0I44
喜連川みたいに残しといてもよかった豊家

67人間七七四年2017/05/28(日) 10:55:53.96ID:NCBq5qSx
何が悲しくて火種をのこしてやる必要がある

68人間七七四年2017/06/26(月) 20:44:26.74ID:QuL1Kpy+
徳川としては秀頼に対してはかなり譲歩したけどそれを蹴ってのアレだからなぁ、まぁ流石にこれはスレチか

69人間七七四年2017/08/29(火) 00:50:49.13ID:V6KKFcBk

70人間七七四年2017/08/29(火) 12:17:51.84ID:7v3nDi5r
北条征伐で家康はそれなりの軍功を挙げているから、まあ伊豆か相模くらいは与えんといかんだろうな。となると、180万石くらいにはなる。

関東に誰を移すかが問題だが、豊臣家の没落は秀吉晩年の失政のツケも大きいから、そんなに変わらないと思う。

71人間七七四年2017/08/29(火) 12:25:53.22ID:Arbk+uDw
関東に決まってんやんそこしかないに決まってるじゃん

もし四国に移したとしたら長宗我部が関東?薩摩なら島津が関東?

ないないわざわざただでさえ身内少ない秀吉が敵を増やすような真似しないよ。

72人間七七四年2017/08/29(火) 20:18:10.62ID:+dNzUgy7
>>48
普通に駿府じゃね?関東東海は親藩譜代で

73人間七七四年2017/08/29(火) 22:56:06.48ID:r+5e7ohU
静岡が日本の首都だったら地震でヤバそう

74人間七七四年2017/09/04(月) 21:37:39.28ID:0abb2wTZ
☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆

75人間七七四年2017/11/28(火) 00:28:46.78ID:uQGlaXVa
>>60
淀さんは浅井の子が天下を取れれば良かったわけだな。徳川が藤原氏みたいになろうとも、妹の子と自分の子が夫婦になって浅井一族の血統による天下が続くことが目的だから徳川を頼みにすらしてた。しかし当の秀頼が徳川に対し強硬派だった。

76人間七七四年2017/12/02(土) 14:55:13.95ID:zjYKlyGX
関東転封がなければ
5大老石高

徳川 ちょい加増有で130万石〜140万石?
上杉 120万石
前田 83万石
毛利 120万石
宇喜多 57万石

こうやってみると実にバランスが良いな。
前田家に難癖つけにくいし会津征伐も難しい。

この状態で三成が揉めたら、前田上杉が堂々と
仲裁に出てきて関ヶ原のような勢力図にもならない。

天下とりにいくにも時間がかかりその間に秀頼も成長していく。

77人間七七四年2017/12/24(日) 21:51:26.23ID:UDkrjuX0
>>76
家康の関東転封が無ければ上杉の会津転封も無さそうな気がする
蒲生秀郷死後に会津入るのは誰かは分からないけど、たぶん縁者で甲斐国主の浅野あたりのような

78人間七七四年2017/12/24(日) 22:51:13.02ID:oosp3WKU
>>75
シエの息子の家光が将軍になり、その系統が7代目まで続いたんだから、望みは叶ったとも言える。

79人間七七四年2017/12/25(月) 04:32:19.75ID:450VoRIB
>>60
その辺は流動的だから何とも?
敵対する家筋だから政略結婚って下手すると相手の家に吸収されるんよね。
ハプスブルク家なんて、ハンガリー王家と縁組したら相手が断絶してハンガリーの王冠がね。
百年戦争の原因だって、以前の和約でフランス王女がイングランド王に嫁いだってのが原因だし。
つまり、現フランス王は分家の傍系、本家の外孫がイングランド王って形。

もし、秀忠の系統が断絶すれば逆に徳川を吸収出来る可能性も?

80人間七七四年2018/01/16(火) 05:36:06.74ID:j6M5MAIq
>>60

この件もそうだし、関八州250石も与えてしまったこともそうだし、他の大名連中を朝鮮に出兵させて
疲弊させたうえに、家康だけ関東で太らせた件もそうだが、なんか秀吉のやったことって、家康にどうぞ
豊臣の天下を奪ってくださいっていってるの同じとしか思えないんだよなあ…

81人間七七四年2018/01/16(火) 17:47:41.81ID:cE3SClhS
秀次事件で、関白左大臣欠員、右大臣晴季も連座、そこに家康を内大臣に昇進というのも、秀吉は家康リリーフを考えてたとしか思えない。
疑似公家政権である豊臣政権では、大臣人事は最重要事項だよね。

82人間七七四年2018/01/16(火) 17:55:23.95ID:uzXmsGqn
ぶっちゃけなんにも考えてなかっただろ秀吉

83人間七七四年2018/01/16(火) 19:34:52.09ID:tnyluH/B
家康の関東移封についてはあの時点では最善手だぞ
・旧主筋で何かと目障りな信雄から領地を奪う
・家康を結びつきの強い土地から追い出して恩顧武将を東海道に配置
この二点に成功したことだけでもだけでも十分意味がある
さらに九州征伐以前から唐入りが念頭にあった秀吉にとっては家康に東国監視の役目を負わせたのも大きい
唐入り自体成功させる気だったんだから家康を手柄を立てる機会から遠ざけることにもなる
その辺が全部裏目になったのは秀次事件と秀吉の寿命が秀頼の成長を待たずに尽きたからこと

84人間七七四年2018/01/16(火) 23:08:40.21ID:VFAa87ed
>>80
現実問題として関東は大大名の配置が必要だった土地だよ
広範囲に渡る治水事業や河川の付け替えなど
小大名じゃ不可能な公共事業が急務だったわけだし

85人間七七四年2018/01/19(金) 20:16:14.69ID:N/qqGj7d
そもそも250万石全部徳川領じゃないからな
組下に配置された与力大名や別家扱いの秀康とか含めての数字だし
秀吉の肝いりで10万石与えられてた本田・井伊・榊原は事実上の独立領主扱いやし
機があればそこらへんを完全に独立させて徳川の領地削っただろう
秀吉の頭が乾煎りでいっぱいだったからやらなかっただけで

86人間七七四年2018/01/23(火) 03:29:54.30ID:j8ViEzjR
>>80
唐入り失敗前提っておかしいだろ。
秀吉からすりゃ唐入り成功前提での転封と国内待機組。

87人間七七四年2018/01/23(火) 23:27:24.46ID:tkbUfa3j
>>86
確かに文禄の役は成功前提でやった。
しかし、思ったほど成果が上がらないばかりか、病死で死屍累々の状態と
なった。実際に秀次は浅野幸長から惨状を聞いて、朝鮮出兵を止めさせ
ようとして悲劇となった。秀次は妻子ともども皆殺しとなり、浅野幸長、
菊亭晴季は配流、池田輝政は永蟄居となった。(池田は処刑される予定
だったが、家康の助命嘆願で辛うじて命拾いした)

慶長の役は、秀吉が完全に裸の王様状態だった。もう誰も成功するとは
思っていなかったが、暴君秀吉が怖かっただけ。秀次一党みたいになりたく
ないからね。

88人間七七四年2018/01/23(火) 23:31:03.88ID:tkbUfa3j
ついでに言うと、慶長は浅野幸長ら秀次一党の穴がデカかったと
言われている。浅野幸長は文禄で結構功績をあげてたからね。
で、慶長の間は能登で幽閉。

89人間七七四年2018/01/24(水) 20:18:19.70ID:v6LlvAOT
>>87
どっかで聞いた話で秀吉死後、家康が朝鮮出兵を
行おうとしてたみたい。

どう言う意図があったか知らないが関ヶ原で
中止になったらしい。

90人間七七四年2018/01/25(木) 04:37:22.44ID:+JUWpjwd
>>87
秀吉からしても無謀な慶長だとしたら
豊臣家(秀頼)にとって都合悪い秀次一派や家康を出兵させるだろ。
秀吉からすりゃ勝つ前提じゃ無きゃ辻褄合わないって。

91人間七七四年2018/01/25(木) 06:34:43.76ID:xSBV9bCi
秀吉の考えのなさがわかるってもんだな

92人間七七四年2018/01/25(木) 13:42:47.88ID:p+z75vqA
慶長はもう乾煎り自体は無理ゲーってわかってるから
半島の南部だけでも掠め取る目的だったんでそれこそ子飼い以外には行かせたくないだろう
家康ほかに下手に手柄立てられると厄介だから
手柄立てそうになった秀秋はボロッくそにこき下ろされたし

93人間七七四年2018/01/25(木) 14:08:28.72ID:xSBV9bCi
三成最低だな

94人間七七四年2018/01/26(金) 15:52:50.85ID:LSHW8wt1
鼻をそぐとかやったのが慶長の役だよね
よくもこの太閤を欺いたな、許さんっていう怒りの戦い
この件は三成より小西行長が悪いらしい

95人間七七四年2018/01/26(金) 16:57:33.07ID:oDhkpCNo
で、兵站破綻して引き上げまで苦労させられては子飼いの連中も豊臣をみかぎるわな

96人間七七四年2018/01/26(金) 17:07:42.90ID:6HTPvCo2
さっさと日本統一して大陸出兵したかったんだろう。じゃないと家康のこの厚待遇がうなずけない

97人間七七四年2018/01/26(金) 21:49:58.91ID:nL/uZn+e
>>94
三成も加担してるから同罪だろう。
だいたい、朝鮮での軍政担当が福原はじめ、三成に近い奴らばっかりだし。

98人間七七四年2018/01/27(土) 14:33:36.16ID:FMYxy1Ax
対馬の宗って被害者だよな

99人間七七四年2018/01/27(土) 14:49:23.92ID:Uf0D357R
>>98
そうか?どっちつかずなイメージがあるわ
まあ場所的にしかたないかもしれんが。

100人間七七四年2018/01/27(土) 15:03:27.06ID:JdXiU88g
いっそのこと徳川にルソンでも攻めさせ
力を削ぐとか

それぐらいしないと秀吉没後の家康を
止めさせられないかな

101人間七七四年2018/01/27(土) 15:33:58.39ID:1hF6rgaW
出兵組がみんな数千万石になる中、徳川だけ二百万のまんま据え置きでザコ化する展開もありえた

102人間七七四年2018/01/27(土) 18:59:41.00ID:dD2HjWr4
>>101
文禄の前は実際にそのような甘い夢を見ていた。
唯一、厳しい予想をして朝鮮出兵をやめさせようとしたのが千利休。
その結末はご存知の通り。

で、実際に出兵して、確かに戦争では勝つものの、疫病で将兵が
大勢死んでボロボロになった。その状況を秀次が得て、池田輝政、
木村重これ、前野長康と図って朝鮮出兵を辞めさせようとして、
秀次、木村、前野は妻子とともに皆殺し。池田もそうなる運命だったが
義父の家康の必死の助命嘆願で命だけは助かっている。

103人間七七四年2018/01/27(土) 19:05:41.12ID:dD2HjWr4
結果的に池田輝政を生かしたのは大失敗。関が原後、秀頼の隣国の
姫路に置かれて、秀頼に嫌がらせの限りを尽くしている。
石田三成、増田長盛の言う通り、家康は無視して池田輝政は督姫もろとも
族滅すべきだったね。

104人間七七四年2018/01/28(日) 01:24:40.03ID:YbeAZD5z
やっぱり秀吉最低だな

105人間七七四年2018/01/28(日) 14:35:38.61ID:P5g9Qztr
文禄の役の頃は秀吉もう呆けてたんだろうか

106人間七七四年2018/01/29(月) 13:26:07.79ID:II8NjFd6
>>103
池田輝政を族滅したら、徳川家康に挙兵の大義名分を与える。李氏朝鮮で戦いながら、徳川家康と戦うなんて片手間でできるわけないと思うが。

107人間七七四年2018/01/29(月) 15:34:19.67ID:Cm2azE4X
会津には上杉、東海甲信越には親豊臣の大名がいますぜ

108人間七七四年2018/01/29(月) 16:09:25.04ID:W+U6zSxV
>>107
当時の会津は蒲生秀行だよ。上杉景勝に代わったのは1598年正月。しかも秀行は家康の娘婿で、秀吉が家督相続直後に幼児を理由に減封しようとしたのを秀次が所領安堵して継がせようとしたから秀次に近い。

東海道筋のうち、山内、堀尾、中村、池田とかはみんな旧秀次派。南信濃松本は旧徳川の石川、甲斐の浅野は幸長が秀次派で処罰され、北信濃仙石は親徳川。

尾張の福島や近江の石田らは全員、秀次失脚で空いた領地に入った新規組で所領に見合った体制が1595年当時に築けていたのかかなり疑問。

大義名分与えたらヤバイと思う。族滅するなら家康の次女、督姫もやることになるし。

109人間七七四年2018/01/29(月) 19:11:32.02ID:RH36XuLB
関東転封せずに領地据え置きなら史実みたいな他の大老の倍以上という圧倒的石高にはならない
関東に行かなければ関東武士団の吸収も無い
家臣団を本領から切り離せず近世大名化も不可能
転封を理由に回避できた朝鮮出陣も行かされるかも

ぶっちゃけ統治失敗を責められての改易さえ回避できれば家康にはいいことばかりだった

110人間七七四年2018/01/30(火) 04:14:51.89ID:JFnFugNB
秀吉は、徳川の統治能力を嘗めてたんだろう。

111人間七七四年2018/01/30(火) 07:35:05.77ID:SnBK1QdZ
>>106
それこそ石田三成、増田長盛の思う壺。

石田三成は秀次事件でグランドデザインを描いていた。
徳川家康を連座させ上野など一部領土を剥奪し、上野に大谷吉継を配備し、
更に、中村一氏(秀次事件で改易)、山内一豊(同改易)、堀尾吉晴(同改易)、
池田輝政(族滅)、田中吉政(族滅)の後を継ぎ自ら三河、遠江、駿河を領有し、
家康の抑えとなるつもりだった。

この上で、家康が挙兵しても、上杉景勝、佐竹義重、石田三成、大谷吉継、
及び動員された全国大名にフルボッコされるだけで、むしろ憂いが取り除かれ
万々歳となるだけだ。

112人間七七四年2018/01/31(水) 00:53:58.09ID:CqshtaAZ
ただでさえ秀次虐殺に朝鮮出兵で民心離れてる状態に
そんな無茶な事したら上杉や毛利だって離れる可能性高いぞ
明日は我が身なんだから

113人間七七四年2018/01/31(水) 05:17:05.40ID:4I0NbLUz
>>106
秀吉の命令になるのだから挙兵の大義名分になる訳無いだろ。

114人間七七四年2018/01/31(水) 05:50:52.51ID:ve224ukm
池田がどうなろうと徳川のしったことじゃねえわな

115人間七七四年2018/02/01(木) 01:23:17.46ID:YOKbKBoB
秀吉は小牧長久手の敗戦を死人に口なしで池田恒興のせいにしてるんだよね
自業自得か

116人間七七四年2018/02/01(木) 01:45:06.18ID:3h8iVb8e
守将をフォローしきれない後詰めにも当然責任あるというか、むしろ秀吉が無責任なだけなんだけどな
森が突出しすぎた、ってのもあるが部下の責任にして責任のがれをするバカどもってイメージ

117人間七七四年2018/02/01(木) 05:23:15.97ID:c3fOUjyp
>>115
小牧長久手は秀吉の勝ちだろ。
家康は野戦で勝って何を得たんだ?
てか野戦で勝ったのに御輿奪われ何の益も無い和議って戦略的には家康完敗じゃね。

118人間七七四年2018/02/01(木) 05:49:29.37ID:8TMx/ORm
>>117
信雄も家康も倒せていないで勝ったもなにもないもんだw

119人間七七四年2018/02/01(木) 06:42:04.15ID:LWFJYR4h
>>117
は? 君は勉強しようね。
天下人がわずか5ヶ国の大名に母親と実妹を人質に差し出すなんて聞いたことがないよ。どこの歴史見ても。

120人間七七四年2018/02/01(木) 08:51:17.21ID:JPlWn438
公の天下を取るは、大坂にあらずして関ヶ原にあり。関ヶ原にあらずして小牧にあり。

121人間七七四年2018/02/01(木) 11:26:05.96ID:c3fOUjyp
>>118,119
野戦に勝って何を得たか具体的に述べてくれよ。
それに形式的には人質みたいだが小牧長久手の後で家康が秀吉に服属したんだけどw
戦いの後服属させられた方が勝ちって支離滅裂だわ。

122人間七七四年2018/02/01(木) 12:07:13.52ID:xtCqoytu
>>121
何を得たか。
そうだね。圧倒的に兵力数で劣りながら、天下人に引けを取らなかった東海一の弓取り、と言ったところかね。

つまり、物質的には得るものはないが、人望とか勢威においてはあるいは軍事的な手腕においては、秀吉に引けを取らなかった名将、という地位を手に入れた、というところかな。

秀吉が服従後も家康に凄く気を使っていることからもわかるでしょそれは。石高だけでなく、官位は内大臣で秀吉に次ぐナンバー2、政権内では首席大老。

家康はあの戦いで勝利したことで、将来的な資本を手に入れた。

123人間七七四年2018/02/01(木) 12:19:59.51ID:sv7T7rlu
>>121
逆に秀吉も討伐にでて被害甚大、それで相手は殺せないとか勝ったとはいえない
あげく秀吉の寿命がつきるまで両者を厚遇せざるを得なくなってるあたりどんだけつけこまれてるんだよと。

124人間七七四年2018/02/01(木) 12:36:15.74ID:c3fOUjyp
>>122
小牧長久手前には秀吉と家康には序列は無かったんだぞ。
そして小牧長久手後に秀吉に服属する家康という序列になりました。
これで家康の勝ちってあり得ないわ。

125人間七七四年2018/02/01(木) 13:14:34.42ID:sv7T7rlu
>>124
まあ和議を結んでいるので痛み分け、がせいぜいではあるがな
ただ日本国内に武威をしめして服属させないといけない秀吉からすれば大きくケチのついた話
徳川自体弱いと西国の武家になめられていたのにそんな徳川をおとせなかった豊臣なぞと面従腹背の元となったわな

126人間七七四年2018/02/01(木) 13:31:21.51ID:c3fOUjyp
>>125
織田家番頭に過ぎない秀吉と織田家と同盟してた家康が
小牧長久手後に番頭に服属しました。
同盟から服属で痛み分けってどういう理屈だよ。

127人間七七四年2018/02/01(木) 13:51:19.96ID:5QJa+JQE
家康は、小牧長久手の結果、自分を高く売ることに成功した。
あれがなかったら、甲斐、信濃あたりは難癖付けられて召し上げられたんじゃないの。

128人間七七四年2018/02/01(木) 13:58:51.22ID:xtCqoytu
>>126
政治的な配慮が、わからないのかなあ。
仮に長久手で徳川家康が大敗して秀吉に降伏したらどうなる?
当時の秀吉はまだ政権をようやく掌握したばかりで基盤は脆弱だから、家康を処断するはない。

ただし、領国は削るだろうな。結果、徳川家は豊臣政権内でも中堅の大名として組み込まれ、大老になるなんて無理。政権内では下部に位置する外様の平大名。

勝利して自分の強さを示した上で服従してナンバー2の地位を確保するのと、敗れて失って下部に甘んじるのと、どちらがいいの?

129人間七七四年2018/02/01(木) 14:15:30.98ID:b/KOD9Do
同盟相手の信雄が勝手に秀吉に降ったもんだから大義名分がなくなって軍をひいたんで
小牧終了時点では軍事的に秀吉が家康を降したとは言えないな、家康の領国は無事だったし
秀吉は徳川再征伐の準備をしていたらしくこれが実施されていればさすがに家康も
城下の盟いをすることになっただろうけど、大地震が起きてそれどころでなくなり
妹を娶せ実母を人質にしてまで上洛を要請する譲歩をせざるを得なくなった
ここまでされた敵対大名は家康以外におらず、家康も外交的引き際を心得て
すんなり上洛、秀吉にそれ以上つけ入られる隙を与えず局地的だが秀吉軍の
有力武将を討ち取る快勝を唯一記録した大名という名誉を保ちつつ
ある意味特別な客分とも言うべき地位(秀吉に手厚く要請されたという意味で)で
豊臣政権に参加しその後五大老筆頭政務執行者に繋がる地歩を築いた
ということで短期的に見れば秀吉の外交的勝利(それも家康に譲歩してかなりの
ものを与えた)だが、長期的には家康の存在を天下に重からしめることにもなった

130人間七七四年2018/02/01(木) 15:19:45.99ID:c3fOUjyp
>>127
小牧長久手前は独立した大名の家康から誰がどう召し上げるんだよ。
その独立してた家康が小牧長久手後に秀吉に服属しましたが史実。
独立から服属で勝ちとか痛み分けってどうかしてるわ。

131人間七七四年2018/02/01(木) 15:25:37.40ID:c3fOUjyp
>>128
家康は負けを最小限に抑えたんだろ。
だから負けたって言ってんだよ。

てか信雄さえ手元に置けば勝ちを野戦に負けた後でも実行出来た秀吉が一枚も二枚も上手だっただけだろ。

132人間七七四年2018/02/01(木) 15:34:53.22ID:xtCqoytu
>>130
はい?
それなら長曾我部元親、島津義久はどうなりましたか? 秀吉に征伐される前は独立した大名でしたが、征伐され敗れて、所領を没収されていますけど。

貴方のいう勝利とは、どういう意味での勝利ですか?

133人間七七四年2018/02/01(木) 15:37:17.44ID:xtCqoytu
>>131
朝廷を当時抑えているのは秀吉。
いざとなれば勅命講和というカードも使えるんだから、手の内が秀吉に多いのは当たり前かと思いますが。

134人間七七四年2018/02/01(木) 17:23:30.61ID:LWa7f7D7
>>131
秀吉相手に負けを最小限に押さえるのがどれだけ大変かと言うことだね。
北条は家康と同じ待遇を求めてごねたんじゃないかという話もあるが、結果は見ての通り。

135人間七七四年2018/02/01(木) 17:43:25.66ID:I+pAI4RC
家康は北条相手でも寡兵で講和に持ち込んでる 
今川・武田・北条と常に大国と戦ってきたからそういう経験値が違う
さすがに小田原並の多方面同時侵攻されたら東海五ヵ国なんか消し飛んだだろうけど

136人間七七四年2018/02/01(木) 18:58:34.43ID:RfbgYeP6
>>126
家康が問題外なら、それなら信雄すら殺せてない、で秀吉の目的達成できなさぶりで負け同然ってことでおしまい

137人間七七四年2018/02/01(木) 19:00:57.09ID:RfbgYeP6
>>130
服属っていってもそれからしばらく秀吉さん頭さげまくり人質だしまくりで家康さんなんとかひとつお願いしますとやってただけなんだがww
天下の泰平を理解して家康が従ったにすぎないわけで。

138人間七七四年2018/02/01(木) 19:13:49.58ID:ZBDo63ip
小牧長久手で何熱く語ってんだよw

139人間七七四年2018/02/01(木) 19:23:34.67ID:TDzWF+e8
>>126
当時の人が、織田と徳川の同盟を対等と見てたかは疑問だと思うなあ?
娘を嫁がせて中立的勢力を取り込むは、徳川も奥平に対してやってるし。
それと、織田徳川の境目近辺に所領を持ってた水野一族は、両属みたいな奇妙な立場なんだよね?
もし、完全に対等ならおかしな話だしさ?
当時の認識では、織田の傘下に水野と徳川と言う従属大名が有るって認識じゃないかなあ?
だから、織田の家老と従属大名にそんな身分差有るのかな?

140人間七七四年2018/02/01(木) 21:05:41.33ID:gqmhUzd9
まあフツーに徳川は織田の下風におかれてたわな
それはまあ仕方ない
武田も北条もいるところに緩衝材としておかれた徳川が織田に頼る面はあってもしかたない

141人間七七四年2018/02/02(金) 00:42:45.99ID:T/LNUhQs
>>132
戦闘で負けたからだろw
小牧長久手(戦闘)前にどうやって所領取るんだ?
そして戦闘には勝ったけど結果は独立(同盟)から服属って完璧な負けじゃねえか。

142人間七七四年2018/02/02(金) 13:19:03.44ID:ap4y190T
信康事件あたりから徳川は織田に従属って感じじゃないかな

143人間七七四年2018/02/02(金) 13:27:50.22ID:ES/yZHyY
>>142
最初から同盟とは名ばかりの従属だよ
一応織田としては武田北条への牽制として徳川があってほしいから同盟だけど、弱小徳川としては織田という後詰めあっての独立なので織田がないと成り立たない
織田が役にたたないなら武田と同様の関係をもつだけだったわけで徳川はかなり微妙な立場だった

144人間七七四年2018/02/02(金) 13:28:48.32ID:72KP8OSZ
>>141
服属してから時期を待って覇権を掴んだ例はいくらでもあるけど、貴方は何が言いたいのかな? そもそも家康が服属したのは、天下人が自分の実母まで人質にどうぞ、と言って差し出したのに、これで拒否したら今度は家康の度量が問われる番になるのがわからないのかな?

145人間七七四年2018/02/02(金) 13:31:52.44ID:72KP8OSZ
>>143
最初は名ばかりと違うよ。
徳川家康は武田信玄に遠州分割でコケにされた際、自分から武田信玄との同盟を破棄して上杉謙信と同盟を結んでいる。さらに、織田信長にも武田信玄との同盟を破棄して対抗しようと呼びかけている。

少なくとも当初は対等だった。

146人間七七四年2018/02/02(金) 13:47:34.26ID:ES/yZHyY
>>145
今川が徳川に攻め手をむけた時点で織田有利の同盟だったと思う
基本的に徳川は弱小すぎる

147人間七七四年2018/02/02(金) 14:41:34.42ID:/lMwb+fo
>>146
武田信玄相手にあの国力で耐えている時点で大したもの。

148人間七七四年2018/02/02(金) 15:30:16.65ID:yR+SnuMS
>>145
毛利と三村みたいな関係じゃあ無いかな?
元々毛利は安芸の北東部に領地を持つ国人で対等に近い感じで安芸備後の国人の同盟の
盟主に成っただけだし。
その時東隣の備中の三村とも同盟を結んだ。
でも、その後毛利は周防長門と大内の旧領を併合し、返す刀で石見、出雲、伯耆って尼子も
滅ぼしたんで、何時のまにか毛利の家臣みたいな立場に。
そして、毛利が三村の頭越しに宇喜多を傘下に入れたんで挙兵して滅ぼされる。
三村と宇喜多は宿敵で、例えるなら徳川の頭越しに織田が武田の臣従を認めたみたいな物。

149人間七七四年2018/02/02(金) 15:37:21.04ID:68Umiq0g
>>145
当初の頃を語るのに十数年後の外交状況を持ち出すのはどうなの?
遠州分割をめぐっての対立では、武田の書状に徳川は「織田の手先を号し」とあるから、
その頃にはもう弱い立場になってるんじゃないかな

150人間七七四年2018/02/02(金) 21:39:45.92ID:Z8EhlW2J
小牧・長久手は家康は戦術勝利をおさめたが戦略的にはボロ負けだろ
同盟相手は切り崩されるわ重心の石川はヘッドハンティングされるわで散々
秀吉の妹なんか娶らされるのもある種、屈辱だったろうね
基本的に政略結婚なんてもんは嫁を出す側の方が格上もらう方が格下だし
妹と母親を人質に取ったぞとかドヤ顔してる奴は見当違いなこと言ってる

151人間七七四年2018/02/02(金) 21:42:20.86ID:Z8EhlW2J
だから後年の千姫を秀頼の嫁にくれって頼んだのは秀吉の方が家康に屈したともいえる
もう天下のことは家康にあげるから秀頼の命だけはって意味の泣き落とし
そこんとこの呼吸がわかってないやつがハッちゃけた性で意味なかったけど

152人間七七四年2018/02/02(金) 22:15:08.59ID:wuhsND7m
>>134
家康は濃尾地震と同等以上と言われる天正地震にも救われたからな
国力差では負け必至だったけど天下を取れる人間は
運も持ってると言う好例

153人間七七四年2018/02/02(金) 23:05:11.26ID:lFD55gjD
>>150
あの国力でそこまでやらせた徳川家康の凄さがわからないものかね? 普通なら戦略戦術共にぼろ負けしていておかしくないのに。

徳川家康は武田勝頼にならず、劉秀や慕容垂の道を歩んだだけでも凄いといいたい。

あんたがいう徳川家康の戦略的勝利とは、どんなことを言うのかな?

154人間七七四年2018/02/03(土) 00:27:07.00ID:iYUfWkHZ
武田と徳川ってもうお互い不倶戴天の敵になっちまったよな。けど、武田が滅んだ時に家康は寂しかったんじゃないかな。長年の宿敵がいなくなって。

155人間七七四年2018/02/03(土) 00:50:24.41ID:sCIt8bGG
>>153
つうか、本当に危ない橋だよなあ?
小牧長久手の時は、背後の北条との同盟だけじゃあ無くて、雑賀衆や長曾我部や佐々と同盟してた
しね。
単独講和で見捨てる形に成ってるし。
九州征伐の後位に、徳川に言い掛かりでもおかしく無いんよね。
兎も角野戦で勝利の看板は大きいし。

156人間七七四年2018/02/03(土) 01:33:52.88ID:gF4fUhLD
あらためて徳川に難癖つけるとその他大勢が徳川につく可能性もあるからな

157人間七七四年2018/02/03(土) 02:57:10.35ID:rObiUBwR
>>153
それ小牧長久手で家康は負けてない
って言ってるヤツが明らかにする事だぞ。

158人間七七四年2018/02/03(土) 06:09:44.10ID:6dvsOaa+
結果論的にも、徳川が秀吉に負けてない実績だよな
小牧長久手の戦
局長戦とはいうものの、その後の豊臣の攻めての弱さ、といい結局徳川頼みの政策といい、豊臣は完全に徳川にきゃんといって腹をさらした結果しかない

豊臣は徳川に助けられて一時期政権をになえただけで徳川の世になるのも自明の理だったわな

159人間七七四年2018/02/03(土) 08:11:51.73ID:rObiUBwR
>>158
服属しましたで負けてないってどんな理屈だよ。
転封を命じる者と命じられる者になった戦いどちらが勝ちですかw

160人間七七四年2018/02/03(土) 08:50:41.69ID:lWEUDRqt
外交や政治を勝ちか負けかの1ビット判断で
評価しようとするのはちょっと単純に過ぎると思う

161人間七七四年2018/02/03(土) 11:43:38.54ID:OxgF52tF
家康が大局をみただけの話

162人間七七四年2018/02/03(土) 17:09:14.76ID:KMBpYo/q
>>159
戦いの結果服属したんじゃなくて、戦いの後に妹や母やら出して官職も与えた結果服属したんだよ
小牧長久手でケチのつけられない勝利を秀吉がしてれば、母も妹も官職も与える必要もなかった、どころか徳川減封だって出来た
ケチのつけられない勝利を秀吉がした島津北条奥州の仕置みてみ

163人間七七四年2018/02/03(土) 17:19:24.05ID:v265Dzqg
大政所を人質に差し出された時点で臣従上洛しなければ、徳川家康は天下にその狭量を問われて滅亡していただろうな。あの時点での服従は妥当だよ。

164人間七七四年2018/02/03(土) 19:04:08.07ID:Yw4LfRFf
>>162
それだよな
小牧長久手の後も別に家康は臣下の礼をとらなかった
ただし秀吉が今後さらに力をつけるのは明白、いつまでも反目していてもいずれはやばいことになる
秀吉も力攻めで時間をかけてはいずれ徳川以外が蜂起するかもしれないから懐柔するしかない
お互いに利害が一致したからこその結果だよなあ

165人間七七四年2018/02/06(火) 22:27:59.21ID:Fq8CqWd5
ぶっちゃけ家康の勝因は寿命の一言に尽きる
秀吉の方が長生きしてたら徳川は適当に解体させられてたわ

本多、井伊、榊原→大友配下の立花よろしく独立大名化
家康の遺領→秀康、秀忠、忠吉にそれぞれ分割相続

ってな感じで

166人間七七四年2018/02/06(火) 22:29:30.70ID:Fq8CqWd5
>>164
普通に臣下の礼とってますけど
つうか家康が天下取った一番の大義名分が豊臣第一の家臣なんですけど

167人間七七四年2018/02/07(水) 01:41:49.20ID:M9yJ4mHA
普通にってwww秀吉頭さげまくりでようやくとったお義理の話なのにな

168人間七七四年2018/02/12(月) 12:44:01.38ID:flZyQvAK
秀吉の北条討伐で領民は上方(大坂)に恨み持ってたから(農民武士ともに)
そんなところの領主に据えりゃいつかそいつら引き連れて
復讐にくるなんてわかりきってる。
脅威を取り除くために家康を遠ざけたというのはないだろう。

169人間七七四年2018/02/13(火) 21:28:05.81ID:NEemvGis
>>168
だから、そういう面倒な地を家康に押し付けるという目的もあった。
一揆なんて起こしてもらったら、減俸できるしね。
あと、家康を封印する目的もね。箱根を封じてしまえばかなり守りやすいし、
その上駿府(静岡)に中村一氏、掛川に山内一豊、浜松に堀尾吉晴、吉田(豊橋)
に池田輝政、岡崎に田中吉政といった信頼がおける譜代を置いている。いずれも
家康を警戒してのことだ。

で、この防衛線を破壊したのは秀吉自身。1594年に家康=輝政を結びつける
あらゆる意味で狂気の沙汰としか思えないあり得ない縁組を行った。更に翌年には
秀次事件で、上記の5大名(すべてが秀次派)を全て領土をそのままで処罰した
ため、憎しみと恨みのみを残し、防衛線を無意味なものにした。

170人間七七四年2018/02/14(水) 00:06:35.10ID:XW+zhBjC
秀吉に譜代なんていねーよ

171人間七七四年2018/02/14(水) 17:31:17.46ID:qjwNzUwY
他の連中はともかく池田はただの織田系大名だろ

172人間七七四年2018/02/14(水) 18:36:17.07ID:g57B2Ety
>>171
池田輝政は豊臣秀次の義兄(正室の兄)で秀次のナンバーツー。
豊臣家の重鎮で一門扱い。(秀次事件で一門待遇は剥奪されたけど)

173人間七七四年2018/02/14(水) 18:59:10.84ID:qsNoWV1L
池田は意外と地元人気ある大物らしいな
ソースは歴史街道
真偽はしらん

174人間七七四年2018/02/14(水) 21:56:03.32ID:g57B2Ety
>>173
若い頃は期待された。事実、豊臣秀次をナンバーツーとして補佐し、
政務軍事を問題なく支えた。

ただ、秀次事件に連座し一線から排除されたからな。
力を発揮することなく死んでいったことは無念だっただろうね。

175人間七七四年2018/02/15(木) 01:42:17.08ID:08php/WX
徳川にも重用されたんでしょ、池田

176人間七七四年2018/02/16(金) 01:11:27.10ID:g0aiL/n/
織田政権下:恒興が信長の乳兄弟、準一門待遇
豊臣政権下:輝政が秀次の義兄、準一門待遇&大大名
徳川政権下:輝政が家康の娘婿、準一門待遇&大大名+分家も大名

考えてみると池田家スゲー

177人間七七四年2018/02/16(金) 11:33:38.56ID:g59oJcbC
↓次にお前はまるで蛍大名の様だとレスする

178人間七七四年2018/02/25(日) 10:45:52.83ID:pu8d6TIa
>>176
信長存命時はそれほどでもないけどね
池田や丹羽が宿老クラスになったのは清須会議以降
勝ち馬の秀吉に乗ったおかげ
それ以前は秀吉や光秀といった軍団長クラスよりは一段格下

179人間七七四年2018/02/25(日) 12:27:00.42ID:eiel73NX
信長にも買われてたよ池田
もちろん光秀秀吉柴田丹羽あたりとはレベルが違うが。

180人間七七四年2018/04/10(火) 15:52:16.85ID:1W0WhdxL
あのころの関東のめんどくささって頼朝どころか平将門のころからの名家がごろごろいる上に、将門公や承久の乱以来のアンチ京都感情(豊臣政権は天皇権威を背景にしている)がある。
さらに反乱の神輿として足利の名を継ぐ旧八屋形みたいなのがいる。しかも、近隣の東北は津軽と南部、浅利氏に伊達や最上と問題児がたくさん。
というか常陸の佐竹だってスターリン級の大粛清をやっていることを考えれば関東だって不安定さがある。

一番調子のいい時の秀吉が、徳川家康という天下人クラスの人財でないと関東を治められないと判断したんだから、その判断は尊重したほうがいいかと。

家康なき関東と東北がどれだけ安定しているのか。
しかも唐入りをやっているということは「背後からの一突き」を関東からされかねないということ。
それに、史実では東海地方に領土を渡した豊臣恩顧の奉行衆にはどうやって行政実務の財源をやるのか。(街道の整備すら怪しい時代には税を輸送するだけでも大変)

関東をだれに統治させるにせよ、足利義昭擁立の戦で三河から尾張美濃近江を経て畿内へ進軍した経験ならやってる。
関東から畿内にいくよりも三河から畿内に行く方が近いんだから。関ヶ原の戦いで西軍がさらに不利になる可能性だってあるぞ。

>>165
どの時点での寿命かはわからんが必ずしも長生きできていればというのは違うと思う。
輝元や景勝よりも長生きしないと、下手に徳川家康遺領を分割相続をさせたら毛利と上杉が反乱を起こしかねない。
例えば清朝初期の三藩の乱の事例だってある。豊臣政権が室町幕府以上に大大名の連立政権色の強いことを無視できない。

大友から立花を独立させたことは大友家が事実上滅亡していたことを前提にしないと。

181人間七七四年2018/05/09(水) 00:35:34.94ID:XohBnCtV
秀吉死後石田三成と福島正則が太閤の遺命であるとして
毛利輝元に分割(本家70万石と穂井田系譜の秀元50万で)迫り輝元も前向きだったのに
毛利秀元と家康で図って阻止したんじゃなかったか

182人間七七四年2018/05/10(木) 20:43:39.25ID:ifAYemra
あれは輝元に実子できたから秀元に分地して独立させたいという毛利側の要望を
家康他が認可しただけだぞ

183人間七七四年2018/05/17(木) 14:54:34.22ID:G36jICDw
家康より上杉景勝が怒ったろう。
自分は賤ヶ岳のころから付き従ってるのに
小牧長久手まで反抗してた栄康が
なぜそんな厚遇されるのかと。
しかも関東はもともと関東管領上杉氏の領土で
自分が本来治めるべき土地と。

その後は僅かな加増で会津に飛ばされるわ
秀吉存命中は抑えてたが
秀吉死後一機に不満が爆発したってところだろう。
つまり最初から上杉氏を関東に移しとけば
上杉氏は大満足で
関ケ原は起こらなかった

184人間七七四年2018/05/17(木) 16:26:04.10ID:6lfiXE3a
上杉の越後から会津移転は、55万石から120万石への加増ともいわれるが、内陸部の領有になったことに不満がなかっただろうか

185人間七七四年2018/05/17(木) 17:05:16.33ID:n4RNI2SL
庄内「……」

186人間七七四年2018/05/17(木) 17:44:24.54ID:9D6+mu/g
>>184
倍増程度ならどこに移されても不満はあっただろうな
ましてや越後は石高以上に実入りはいいはず

187人間七七四年2018/05/17(木) 22:13:33.29ID:kF9DI9BX
>>183
しかし、上杉氏の関東移封となると越後を放棄することにならんか?
越後と関東のどっちをとるかという話になりそうだし。

188人間七七四年2018/05/18(金) 17:09:36.17ID:EKN/NEbD
上野・武蔵で120万石か伊豆・相模・武蔵で100万石くらいでいいのじゃない
後者は石高は低いが小田原城付き

189人間七七四年2018/05/18(金) 17:28:46.20ID:B3xEBigg
>>185
やっぱ不満があったと思います。飛び地でしたからそれが最上氏討伐(失敗)に繋がる

190人間七七四年2018/05/18(金) 18:09:52.66ID:EKN/NEbD
佐渡はともかく庄内を飛び地で残したのはわけわからんな
村上義明の領地も与えとけばよかったのに

191人間七七四年2018/05/18(金) 19:42:48.82ID:s/djVi/O
唐入りで忙しかったから東北の領地を適当に与えたとかそんなんじゃないの。
例えは悪いけど、信長の野望で最後に残った僻地を超適当にプレイして
好き勝手に領地配分したような、そんな感じ。

192人間七七四年2018/05/18(金) 19:51:32.95ID:B3xEBigg
会津若松は東国の旗頭をめぐり徳川家康と権益が抵触する地であり、そう適当に領国配分を決定できるものとも思えない。
家康よりかは役者は劣るが、堀秀政、蒲生氏郷らが封じられた、封じられようとした地である

193人間七七四年2018/05/18(金) 20:31:09.86ID:54ufI9Bg
>>192
ああいや、そこじゃなくてさ。
飛び地なんかわざわざ与えた理由の方の話。
秀吉にそこまで深い理由があったとも思えないって事。

194人間七七四年2018/05/18(金) 20:53:01.36ID:B3xEBigg
惣無事令が出たものの秀吉が小田原攻めを始める前のどさくさ紛れに攻め取った土地だとは聞いたな。上杉は、大宝寺氏以来、長年狙っていたらしい。荘内を

195人間七七四年2018/05/18(金) 23:26:49.49ID:n5Av6rDO
関東仕置では扱いに注意すべき信雄ですらあの始末だし
秀吉が上杉に気を使ってやらないといけない理由がないから
ただ単に大大名である上杉に足枷をはめただけでは

196人間七七四年2018/05/19(土) 00:50:19.36ID:d6LlEo/F
上杉は会津転封の際農民は一人たりとも連れてってはいかんと
秀吉に命令されてたらしい。
そりゃ怒るわな

197人間七七四年2018/05/19(土) 14:59:41.84ID:EWs4tFEy
>>193
わざわざ与えたじゃなくて深く考えずに残したって感じかな
上杉としては海運とか佐渡への渡航とか価値はあったのだろうけど
意図してやったのじゃなければ国替えパズルの結果か

198人間七七四年2018/05/19(土) 17:51:40.36ID:Nljf8PLr
会津転封さえなければ加賀征伐時点で上杉・前田同盟とかありえたのに
越後からの関東侵攻も慣れてるし

199人間七七四年2018/05/19(土) 21:35:53.34ID:jUSCXeQa
>>184
実質的には減俸だよ
会津は表高に対して実高低いから百万石もあったか怪しい
先祖伝来の越後奪われて領国経営一からやり直し
元々、伊達や蒲生の領地だったから領内に当然そいつらのシンパも多く
下手すりゃ工作されほうだい
実入りの多い庄内・佐渡が飛び地になったので最上を併呑しないことには死に地
120万石といわれた上杉も実際の国力は70万石もあったか怪しいレベル

200人間七七四年2018/05/19(土) 21:41:13.06ID:z8wPt5x1
毛利は優遇されて植えすぎは冷遇されたのは何故?

201人間七七四年2018/05/19(土) 21:42:26.38ID:jUSCXeQa
>>184
55万石程度じゃねえよ
移封前の上杉は越後・佐渡・庄内・川中島で90万石相当
そこから越後と川中島で60万石近く削られた代わりに会津の90万石足して120万石だけど
増えた90万石のうち半分近くが伊達の先祖伝来の領地でやろうと思えば伊達が工作し放題
残りの半分が伊達に荒らされ、蒲生が内輪もめで乱れに乱れた会津とかいう×ゲーム

202人間七七四年2018/05/19(土) 21:44:30.74ID:jUSCXeQa
>>200
秀吉と直接のコネクションがあったか否かの差
早いうちから先行投資かけた毛利と勝ち馬に乗っただけの上杉じゃそりゃ違う
本能寺時点で毛利はまだ余力あったのに対して上杉はもう三か月遅かったら武田と同じ運命辿ってた

203人間七七四年2018/05/19(土) 21:45:52.07ID:z8wPt5x1
上杉も信長に滅ぼされてたら面白かったなぁ

204人間七七四年2018/05/19(土) 22:41:37.69ID:Vzz9nKzT
秀吉政権は強力な大名家は加増転封の体で先祖代々の土地から引き剥がしたり
有力家臣を直臣扱いして主家との間に軋轢を生じさせたりして勢力削減しようとしているから
毛利も小早川は秀秋の代で縁が切れたし吉川は秀元の相続問題で割を食わされそうになったりしてるから
秀包と恵瓊の分を足しても下手したら赤字じゃないかな

205人間七七四年2018/05/19(土) 23:31:03.40ID:ssirjQ5D
>>200
毛利、優遇なんかされてないと思うがな。
豊臣政権に対する貢献を考えたら、秀吉死後の政治体制を徳川・前田の二頭体制ではなく
徳川・毛利・前田の三頭体制にしてもいい位だろう。官位ももっと高くていい。
ところが実際は上杉や宇喜多と同格扱いだ。まあ宇喜多は秀吉との関係を考えればともかく
(とはいえ、かつての直家と毛利の関係を考えれば毛利の家臣団は秀家と輝元が同格なのは不満だったろうが)
上杉と同格なのはちょっとなあ。

206人間七七四年2018/05/20(日) 11:38:44.37ID:LMyqwTn8
官位は毛利が冷遇されてるよね

宇喜多と上杉は宰相中将→中納言だが、毛利は中将を兼任せず昇進も後
秀次失脚後は前田の家格が上昇し追い抜かれるし

207人間七七四年2018/05/20(日) 13:18:38.91ID:QRpVhodK
領地は大名家に対して与えられるものだけど
官位は大名に対して与えられるものだから

輝元が他の大名ほど優秀ではなかったのでは

208人間七七四年2018/05/20(日) 20:37:45.00ID:hdbGiVKj
>>205
そもそも秀吉政権って織田政権の後継だから
織田時代からの有力者が優遇されるのは自然
織田時代の敵だった上杉・毛利は大領は安堵されても政治の中枢には
まず入り込めない枠組み
徳川政権下の外様の大大名と似たような扱い

209人間七七四年2018/05/20(日) 20:58:42.41ID:8t8nHoOf
秀吉存命中の昇進ルート

中将→権中納言
秀頼

参議兼中将→権中納言
秀次
秀長、秀保
秀忠
秀家
景勝

参議→権中納言
秀俊
輝元
隆景
利家、利勝
秀信

210人間七七四年2018/05/20(日) 22:19:19.40ID:6dZCUSnF
秀信…

211人間七七四年2018/05/21(月) 11:21:21.30ID:xDP38WQP
織田家は信雄が内府だったように官位では優遇

212人間七七四年2018/05/21(月) 11:24:46.12ID:xDP38WQP
毛利は隆景と大老2人出してるように優遇されてないってことはないかと
上杉なんか隆景の後任で大老に滑り込めたわけだし
ただ信頼の対象は隆景だった感は否めないね

213人間七七四年2018/05/21(月) 11:56:03.90ID:iaq5uELY
輝元は隆景の付録として大老になった感じが強いよな

214人間七七四年2018/05/21(月) 13:07:31.36ID:myPI1Skc
小早川隆景の厚遇は本人の能力もさることながら秀秋の養子入りも大きな要因の一つだから
豊臣家による有力家臣の取り込みという側面もあるわけでこの辺をどう評価するかで分かれるんじゃない
個人的には隆景の死後に秀秋が関ヶ原で果たした役割まで含めて考えるとマイナスといったところ

215人間七七四年2018/05/21(月) 17:46:10.18ID:FQjJ3cH2
>>214
秀秋養子以前から隆景は厚遇されてると思うが
むしろ隆景だから秀秋を強奪して毛利を救えた
他の奴が同じことしようとしたら秀吉の怒りを買って自分の改易は濃厚 本家も危ない

216人間七七四年2018/05/21(月) 18:33:23.95ID:myPI1Skc
>>215
そりゃ隆景は秀吉に器量を評価されて厚遇されているけど
小早川の家格が上がって大老入りしたのは秀秋の養子入りの後だからね
秀秋を毛利の養子にしない為に輝元の実子誕生を待たずに秀元を養子にしたことが
後に吉川も巻き込んだ相続問題につながって家中不和の火種になり
小早川家自体は秀秋の代で毛利とは縁が切れて独立されているから
>>212の言うような輝元だけではなく隆景も大老であること=毛利の優遇という図式にはならず
むしろ勢力削減されたんじゃないかという話

217人間七七四年2018/05/21(月) 19:35:39.45ID:S1Grl0Ku
散々豊臣政権に尽くしたのに、領地は大して増えず、小早川を乗っ取られ、
唐入りでの恩賞も手に入らず、扱いはただの平大老、おまけに周りの評価は隆景のオマケ扱いか。
こんなの輝元がぶち切れて当たり前だと思う。
関ヶ原の時の毛利ってどう見ても自領拡大の動きがメインになってるせいで、別スレだと
もっとやる気出せだの何だの散々な言われようだけどこんな扱いされて何が豊臣御為だと思うわ。
だったらもっと毛利が感謝したくなるような待遇しろって話だ。

それと個人的な意見だが、輝元を隆景の付属品みたいな扱いする人結構いるけど、
隆景って輝元をそういう扱いするのを凄く嫌がりそうな気がする。

218人間七七四年2018/05/21(月) 19:49:58.27ID:FQjJ3cH2
>>216
秀秋養子入り前に大老という制度は存在しない 大老制度はその翌年から

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