関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15

1人間七七四年2018/06/07(木) 10:31:53.47ID:iRzdXPIr
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/

343人間七七四年2018/06/17(日) 22:00:39.94ID:7ZQOjnUT
清洲が落ちたらは戦術論ではなく東軍の士気低下や政治的な効果が主眼だろう

344人間七七四年2018/06/17(日) 22:05:28.51ID:ENs01cGO
>>336
秀吉が秀次一派にした仕打ちよりはるかにマシじゃないの、それ?
別に大したことじゃないと思うけど。

345人間七七四年2018/06/17(日) 23:25:31.10ID:7Mlu6lx0
>>344
秀次一派を族滅してでも秀頼を後継にするというのはまぁよくある御家騒動でしょ
対して正則の場合、すでに自分の進退を握ってる相手である徳川家との縁戚を手ひどく反故にしたわけで、なんでそんなことしたのレベルじゃないかな
発狂してたってのがほんとなら話も変わるかもだけど

とはいえその後も城修繕で問題起こしまくってるから、ほんと正則耄碌してたか福島家中が暴走状態だったんじゃないかなー感

346人間七七四年2018/06/17(日) 23:47:18.73ID:7vNREQnC
JCOMで関ヶ原の特集やってるな

347人間七七四年2018/06/18(月) 00:06:14.90ID:Cr4UKMtG
そもそも徳川本体が到着する前に東の圧勝なんだから
最初から西軍に勝ち目がなかった
つまり西は長期戦じゃ勝負にならないから関ヶ原を戦場にして東の戦力が整う前に叩こうとした

348人間七七四年2018/06/18(月) 00:40:15.05ID:YZi1kWT/
>>344
福島正之は秀次と似たような関係やなぁ正則の姉の子供らしいが
関ヶ原前に婚姻させて1608年に餓死
まさか餓死させた後8年も家康が生きるとは思ってなかったかも知れんけど
しかも満天姫は子供居たんだぞ、浅はか過ぎるわ
因みに1605年には秀忠は将軍に就任してる

っで正則が川中島に転封されるが、最初は津軽が予定されていた
なんの因果か津軽信枚の正室が満天姫や

まぁ結局のところこの福島正之と満天姫の子供も短慮で福島家再興を夢見て暴走し満天姫に毒殺されるんやが

349人間七七四年2018/06/18(月) 02:30:35.52ID:Iuoq8kOO
>>299
しかしさあ、そのセリフを秀頼公の許可なく清須城を家康に献上した男が言うんだから
恥知らずは強い。

350人間七七四年2018/06/18(月) 03:18:07.65ID:Faz+QtQ1
秀頼公関ケ原の時7歳なのにどう許可取れと
年少だから家康が政務やってたのに

351人間七七四年2018/06/18(月) 04:44:10.33ID:dOvB57et
献上と言うより、進軍するのに城を開けておきますから使ってくれっていう建前がまずあるよな
あげたわけじゃないっていう。

352人間七七四年2018/06/18(月) 05:02:33.31ID:LJ8/JdIQ
>>350
家康は政務なんてやってないぞ?
豊臣家の金で鷹狩りやってるだけで。

353人間七七四年2018/06/18(月) 05:29:48.54ID:S2w/cMSJ
>>352
お前は何を言っているんだ。
秀吉死後の豊臣政権なんかトラブルが発生しまくってて、大変だぞ。
息抜きしてないとまではいわんが、何もしてないはさすがにありえん。
政務とらずに遊んで過ごせるんだったら、家康だって年なんだからそうしたかったろうよ。
もう隠居したっていい位なのに、秀吉が遺言で政務やれって言うから仕方なくやってたんだが。
実際家康幕府開いたら2年で隠居したしな。

354人間七七四年2018/06/18(月) 05:39:53.25ID:LJ8/JdIQ
>>353
どんだけお人良しなんだ?殆どの問題は家康絡みだろうが

355人間七七四年2018/06/18(月) 07:23:38.78ID:SMYwoJHR
>>354
武断派に三成が殺されそうになってたり奉行らが事を荒げてたり
宇喜多が勝手にゴタゴタしてたり豊臣の屋体骨がガタガタだったのは
家康なんも関係ないかと

356人間七七四年2018/06/18(月) 07:57:58.63ID:tQ7IsK/9
脳内で持論が完成しちゃってて
家康の悪口を言いたいだけなんだろ

357人間七七四年2018/06/18(月) 09:12:30.68ID:Faz+QtQ1
パート15にも渡るこのスレでいまだに秀吉没後の家康の忙しさ分かってないとか、もはや僕は文字一ミクロンも読めませんって自己紹介ですやん

358人間七七四年2018/06/18(月) 09:56:44.03ID:cRUr5VOE
パートワンからのヤツはおらへんやろ

359人間七七四年2018/06/18(月) 20:42:11.56ID:/KLorNgO
西軍、というか石田の美濃・尾張方面の展望としては、
7月30日付真田昌幸宛石田三成書状からは、
美濃、尾張(福島が味方する前提かな?)で人留めを実施して
上杉征伐から帰ってくる者一人一人をねちねちと問い詰めるつもりでいた。

しかし戦況は刻一刻と変化していき、
8月5日付真田昌幸・信之・信繁宛石田三成書状では、
福島説得中、だめなら伊勢方面隊といっしょに清洲を攻撃するつもり、となる。
上杉征伐から帰ってきた連中(東軍先発隊)が尾張、三河辺りまで来ていると認識はしている。

8月6日付真田昌幸宛石田三成書状では
上杉征伐から帰って連中はほぼ東軍という認識になっていると読み取れる。
同時に加賀野井重望という者が三河池鯉鮒で口論になって水野忠重を刺殺したらしい、
同場に居た堀尾吉晴も負傷
と報じ(発生日時は7月19日か?)し、
中村一氏も病死した(7月17日死去か?)と報じている。

池鯉鮒事件と中村一氏病死については、8月10日付佐竹義宣宛石田三成書状でも報じられている。


これらのことから、西軍は諜報活動を怠っていたと思っていたが、
人数は少なかったかもしれないが、浜松、三河、尾張辺りに物見は出していたと思われる。
で、8月6日に浜松、三河方面からの物見が帰ってきて、早速書状に認めたのではないかなと。

ちなみに家康も池鯉鮒事件については
7月25日付上田清兵衛・鈴木次兵衛・鈴木久兵衛(水野忠重家臣)宛徳川家康書状で
水野勝成を後継とするよう伝えている。

次に東軍先発隊については、一団丸ごと清洲に向かったのではなく、
先発隊と後続隊があった模様で、少なくとも池田輝政、藤堂高虎、井伊、本多は後続。
8月5日付福島正則宛徳川家康書状では、
池田輝政、藤堂高虎、井伊直政を送ったのでよく相談し云々。

あとは参考として8月11日付田中吉次(非吉政)宛加藤嘉明書状に
今日池鯉鮒まで来た、城下を通してほしい、とある。

360人間七七四年2018/06/18(月) 21:10:09.37ID:/KLorNgO
で、>>359に個人的解説を付け加えると、「一人一人問い詰める」とか三成の
嫌らしい性格がよく出ていると思う。そんなだから嫌われるってわからないのかな?
しかもわざわざ書状に書くとか。

で、東軍先発隊清洲集結については、清洲以西の者が留まるのはわからんでもないが、
清洲以東、浅野、中村、山内あたりが来だしたあたりで、「なんかおかしい」と疑念を持ち、
8月6日、物見帰還で、井伊、本多東海道行軍中の報告で確信に至ったのではないかと思う。

361人間七七四年2018/06/18(月) 21:23:57.16ID:/KLorNgO
>>358
わたしもPart6か7あたりからだからねぇ、それ以前がどんなかんじだったのかよくわからん。

362人間七七四年2018/06/18(月) 21:26:04.33ID:NGQvJs9k
>>358
私はPart3辺りからですね。さすがに最初のスレにはいなかったなあ。

363人間七七四年2018/06/18(月) 21:29:04.48ID:b+/wP4uI
>>360
我らが上
我らが正義という気持ちが強かったのかな
書状を時系列に並べてどのように認識していてどう変化したのかを見れば
どこでやり直しすればよかったか分かりやすいと思う

364人間七七四年2018/06/18(月) 21:41:22.34ID:aGMy1ziU
東軍大名だって秀次事件や朝鮮出兵で学習しているからな
奉行が糾弾騒動を起こしたら低姿勢をとったり糾弾を受け入れてはいけない
奉行を殺すつもりで反発しないと自分の身が危ない

三成たちは秀吉時代の感覚が抜けず、昔と同じノリで糾弾すれば
会津に向かった大名が自分たちに頭を下げに戻ってくると考えていたけど
こういう時代錯誤な発想が西軍の敗因と言ってもいいくらいだろう

365人間七七四年2018/06/18(月) 21:54:11.19ID:6cNcisZh
>>363
スタートで豊臣御為を掲げたようなもんだからなあ。
まあ家康に対抗するには豊臣の権威に縋るしかないし、これ自体は割とうまい手だったんだが。
多分一番書状(内府違いの条々)にダメージ受けたの家康だと思うし。
問題は諸大名(上杉征伐に参加した連中の大半)にほとんど書状の効果が出てないんだよね。

366人間七七四年2018/06/18(月) 22:01:40.06ID:Cd19vIht
豊臣家の同意を得ての挙兵ならもう少しいい展開になっていただろうけどねえ
後からでも同意は得られる(あるいは必要ない)と思っていたならそれこそ主家軽視の暴挙になってしまう

367人間七七四年2018/06/18(月) 22:17:35.46ID:/KLorNgO
>>363
8月6日に石田は西上する軍勢は東軍と認識していたと仮定するなら、
西軍の尾張進攻作戦は8月6日からなら問題ないと思う。

368人間七七四年2018/06/18(月) 22:26:24.28ID:stWCMYZ7
しばしば豊臣家の同意とか意思とかいう方がいらっしゃるけど、具体的に誰の意思が豊臣家の意思になるんですか?
家康?秀忠?利長?淀殿?北政所?はたまた当時小学校1年生相当の秀頼?あるいは木下一族や浅野親子?

369人間七七四年2018/06/18(月) 22:26:59.05ID:HMwuHlh7
>>367
その日からは無理。>>2を見る限り、石田と小西が大垣に入ったのが10日だから。
指揮官役が多分いないので行動が出来ん。
で、14日には東軍部隊が清州に入ってるんで事実上最速でも4日しか時間がない。
ほぼタイムオーバーだな。
おまけに小早川が17日には独自行動を開始するんでそっちを無視する事が出来ん。

370人間七七四年2018/06/18(月) 22:45:16.37ID:/KLorNgO
>>369
秀信と犬山城衆がいるよ?あと尾張侵攻作戦発動に伴い大垣城詰めを小西か
石田のみにするという手もある。

言っとくけどわたしは清洲攻略には否定的なのであまり突っ込まないでね。
手段はあるよ、というだけだから。それが成功するかは別で。

371人間七七四年2018/06/18(月) 22:52:55.04ID:Cd19vIht
>>368
本来であれば秀頼だけど幼児なので淀殿、北政所、あるいは家康が秀頼の承認を得る形を目指す
一番いいのはその人たちの連署だね
そこまでいけば豊臣家の意思と強弁することもできる

372人間七七四年2018/06/18(月) 23:40:07.83ID:/KLorNgO
それと個人的に思うことは宇喜多秀家の大坂出陣が遅いんだよね。
先発隊明石掃部を北伊勢に送ってはいるが、自身が大坂出陣し京の醍醐を
通ったのが8月15日。
草津到着が8月16〜17日くらいかな?
たしかに伏見攻略後2週間近く大坂でなにしてた、ってかんじ。
何で読んだか忘れたけど、大坂でぼけっとしてるので奉行衆に促されて秀家も出陣したとか?
浪人の徴募、訓練してたとかいう説も聞いたような気がするが、
せめて8月10日に草津にいてくれれば木曽川渡河迎撃も十分間に合う。
石田も8月6日に尾張方面の危険な兆候を掴んだのなら宇喜多秀家にすぐさま
出陣を促すべきだったと思う。草津で待機でいいから。

373人間七七四年2018/06/19(火) 00:06:39.37ID:Tr9XkNNw
>>372
いきなり草津か。
まあ秀忠の背後を襲うのも有りか。中山道は西軍が多いし真田と挟み撃ちして撃破も良し。
上州沼田から武蔵を睨めば家康は江戸に釘付けだな。

374人間七七四年2018/06/19(火) 00:08:18.87ID:kIQIZBzq
近江草津な

375人間七七四年2018/06/19(火) 00:19:32.53ID:Tr9XkNNw
>>374
でもさあ、中山道には敵はいないし、上田で攻防を繰り広げている秀忠を討ち取れば、
岐阜城なんかよりよほど心理効果はデカいんじゃないか?
先に動いて大打撃を与えてこそ西軍に活路は開ける。
美濃主攻ってのはこういう事だろう。

376人間七七四年2018/06/19(火) 00:26:55.55ID:gWu2Sb69
>>375
中山道進軍するにはまず美濃の東濃を制圧しなければならない。

377人間七七四年2018/06/19(火) 00:27:40.13ID:udle3Haq
岐阜と桑名に兵を籠めて堅持する間に宇喜多隊が暴れ回る訳か。
秀忠撃破後に真田昌幸を軍師に関東を窺えば上杉は関東乱入も可能だな。
伊達の石高は上杉の半分だから、直江兼続を残しておけば抑えられる。

378人間七七四年2018/06/19(火) 00:40:15.09ID:34nVJTKm
>>376
うむ。苗木城までも西軍だからな。
東美濃を抑えた西軍の電撃戦で秀忠の首は討ち取られた。
慌てた仙石秀久の返り忠で碓氷の天険は封鎖され東軍の通過は不可能になった。

379人間七七四年2018/06/19(火) 00:40:40.57ID:yNbePYZn
>>372
浪人の募集と訓練をしていたというのが本当なら、そっちを手抜くのは問題になるね。
宇喜多騒動で結構な数の上級武士が出奔して、そこから1年くらいなので軍の再建が不十分だった可能性もある。

あるいは輝元と秀家が権力闘争していた可能性もあるのかな。この仮説を裏付ける資料は多分ないけど。
朝廷工作をしていたのかもしれないし、周辺の寺社やなんかへの工作かもしれない。

380人間七七四年2018/06/19(火) 02:34:38.96ID:ABCMkZaW
>>355
池田輝政・福島正則・加藤清正・黒田長政
この四人は家康の娘婿だぞ。実の娘は池田輝政だけだがな。
これで家康関係ないとか草生えるだろ。

宇喜田の騒動は大谷と榊原で収拾が付きそうだったのを
家康が榊原に仲裁を辞めさせたために悪化した。

どっちも見事に関わってるだろ。

381人間七七四年2018/06/19(火) 06:46:55.27ID:6PEKWOM5
>>380
家康が政務を担当してるんだから事態の収拾に家康が関わるのは当たり前だろ。
事態放置する方がむしろ問題だ。大体両事件の家康の宇喜多や石田に関する処分はかなり軽いぞ。
宇喜多は家臣数名の追放処分にすぎないし(蒲生騒動と比較してみよう)
石田の処分については清正とかは軽すぎるとか怒ってて、家康を排除しようとか言ってるんだが。

382人間七七四年2018/06/19(火) 06:56:19.08ID:lPCLQlaL
>>381
年寄爲五人、御算用聞候共、相究候て、内府、大納言殿へ懸御目、請取を
 取候而、秀ョ樣被成御成人、御算用かた御尋之時、右御兩人之請取を
 懸 御目候へと、被成 御意候事、


家康に政務を見ろなんて書いてない。
三成達五奉行(五大老)が政務を行い、最後に利家と家康に
確認して貰え。という程の意味。

そもそも五大老(年寄)とは俗に言う五奉行の事であって
利家・家康・宇喜田・上杉・毛利が五奉行であるというのが最近の定説。

383人間七七四年2018/06/19(火) 07:38:32.41ID:fyC6ZgIJ
>>382
そういう説もあるというだけで定説ではない。勝手に定説にするな。

384人間七七四年2018/06/19(火) 08:01:08.88ID:i0FL4KjH
>>382
財政の決済は家康・利家とも読めるのだが
これは本来は主君の役割

385人間七七四年2018/06/19(火) 08:04:35.79ID:S/wG+CEC
淀が決裁権を行使すればよかったのに
淀は実質的には豊臣政権のトップでしょ?

386人間七七四年2018/06/19(火) 08:09:42.32ID:Wp2nkCuu
秀吉は新しい役目を作ってそれに家康を専念させるとか考えなかったのかね
検非違使や征夷大将軍的なもので蝦夷地・樺太・シベリア探検と開発を家康の役目とするとか。

387人間七七四年2018/06/19(火) 08:32:27.11ID:i0FL4KjH
秀吉生前から豊臣政権にとって家康は欠くべき存在なのに

388人間七七四年2018/06/19(火) 08:33:03.38ID:udle3Haq
>>381
>事態の収拾に家康が関わるのは当たり前なのに、
>大谷と榊原で収拾が付きそうだったのを
>家康が榊原に仲裁を辞めさせたために悪化した。
見事に事態を放置していて大問題じゃん。

389人間七七四年2018/06/19(火) 08:37:02.14ID:iWQNRtXT
俗に言う五大老、家康利家他は秀吉遺言において「五人の衆」と呼ばれている。
俗に言う浅野や三成などの五奉行は「五人の者」と呼ばれている。
五人の者(つまり奉行)が出した文書では五人の者のことを年寄と呼び、五人の衆のことを奉行と呼んでいる。
しかしながら五人の者以外の、公家や大名などの書簡や手紙などでは家康他五人の衆を年寄と呼び、三成他の五人の者を奉行と呼んでいる。
>>382が出しているのは浅野長政子孫の広島浅野藩に残っていたものでは?

それに政務というのが年貢の徴収や大坂城の管理みたいな日常的雑務の類ではないのか?
武家政権において大切なのは、大名間の紛争調停と領地宛行や家督継承の承認、寺社や公家の荘園保護、これらを強制執行するための武力制裁の発動になる。これを奉行だけで行えたのか?

なお、大老呼びは東照大権現がただの家老では不都合だったのか、不敬とみなされるのを恐れたのか、大老制度成立以降の江戸時代になってから呼ばれるようになった。

晩年の秀吉は「その人が聞きたい秀吉遺言」を乱発していた可能性もあると思う。
自分はちゃんと確認していないけど、景勝を除く四大老五奉行で「これ以上秀吉が領地についてうわごとを言っても無視しようぜ!」とかいう誓紙があるそうだし。

390人間七七四年2018/06/19(火) 08:45:09.15ID:iWQNRtXT
>>386
松前氏の既得権はどうするのかというのは無視して。

合戦における出撃順にもマナーがあって、基本的には領地が近い順に出撃する。
蝦夷やシベリアへの出兵になるなら一番最初に出撃する権利を得るのが津軽や南部、次に秋田や伊達最上など、その後に上杉や蒲生、佐竹などがきて、ようやく徳川に出陣できる権利が発生する。
文禄の役におけるが比較的わかりやすいかな?概ね領地が朝鮮に近い順になってるから。

391人間七七四年2018/06/19(火) 09:01:53.68ID:Wp2nkCuu
>>390
お取り潰しに決まってんじゃん
蠣崎なんてwww

ちなみに幕末時、幕府は松前から領土を召し上げて蝦夷地を直轄地にしてるし。
でもあまり経営が上手くいかなくて結局は放棄して松前に返してあげた

392人間七七四年2018/06/19(火) 12:09:41.43ID:ikldi7m5
宇喜多騒動でいつ大谷と榊原だけで事態が収拾しそうなタイミングがあったの?

393人間七七四年2018/06/19(火) 15:10:21.96ID:KH0nOMSI
>>392
ソースは司馬遼太郎だったりしてw

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