もしハワイ王国が独立維持していたら・・・? [無断転載禁止]©2ch.net

1Traveler2017/08/15(火) 23:18:51.16ID:jqYpeis2
太平洋戦争も起きていなかったかもしれない

2Traveler2017/08/16(水) 10:53:44.70ID:e9qMfYBh
ハワイの独立維持には、少なくともキャプテンクックが到来する前段階である程度、
社会の統一と文明水準が成立している必要がある
最低でも、文字(及び初歩的な算術)と鉄器が不可欠だと思われる

ググって見るとハワイには、ラテライト土壌がある。つまり製鉄技術が無かっただけ
で、鉄資源は皆無ではない。鉄の利用法が分かっていれば、農耕の効率を上げて人口
も増えただろうし、軍事力も強化されていた。また文字は文明の要として不可欠だ

なおハワイはほかのポリネシア諸島とも行き来があったから、文字と鉄器は交易を
活発化させ、サモアやトンガやタヒチ、さらにマオリにも波及した可能性がある
そうなれば、ポリネシアン・トライアングル自体の歴史が変わったかもしれない

3Traveler2017/08/17(木) 09:15:32.30ID:zT03zy23
ハワイ併合は、明治日本に衝撃を与えた
東郷平八郎が威嚇砲撃を行ったら、調子こいていたアメリカ人がびびってアメリカ国旗
をおろしてしまったことは有名
ハワイ王国が健在だったら、たとえアメリカの同盟国でアメリカ海軍の軍事基地常駐と
いう形式だったにしろ、日本の危機感や不安は解消できたかもしれない

4Traveler2017/08/17(木) 09:28:56.57ID:gFUHPmPh
サイト歯科相模原日吉サンテラス歯科藤沢なのはな内科スマイル歯科アイ整形外科亀有リリオ歯科八王寺アクロスみなみの歯科足立ハート新宿くろさか歯科熊本ファミリー歯科桜台歯科森林公園滑川モール歯科小田原めぐみ歯科保土ヶ谷西谷富士見おとなこどもeedd

5Traveler2017/08/19(土) 16:20:41.09ID:MlTYU2rP
ハワイ王朝がアメリカの保護国という形で残っただけでも、太平洋戦争は様相を変えた
だろうね。ハワイ王が日米角逐の緩衝材になったはずだから

6Traveler2017/08/20(日) 02:09:33.42ID:oqLe9B/r
そっちも しってる きいたから

7Traveler2017/08/20(日) 02:10:27.14ID:oqLe9B/r
てrびかな いちるいやくかな いちるいはてれびからだから てれびだ

8Traveler2017/08/20(日) 02:12:33.17ID:oqLe9B/r
- さんのついったの|さんとしごとなかま?のひとのだっけ

9Traveler2017/08/20(日) 13:48:42.18ID:PXnkuZHR
ZEP 有難う
飯塚 最後まで御馳走様でした
お家も時間も仲間

10Traveler2017/08/20(日) 17:42:50.29ID:GVpO9G7S
単純に土人国家だったろうな
白人の保養地になったから今がある
ポリネシアのほかの島々とおなじ感じ

11Traveler2017/08/20(日) 18:53:26.13ID:dCRBWe32
それな

12Traveler2017/08/20(日) 19:59:09.63ID:PlMudi++
唐澤貴洋(観光中に出したらハワイ観光終わるナリ…)
唐澤貴洋(そうだ、大声出して音をかき消すナリ!)
唐澤貴洋「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
ガイド「唐澤貴洋くん、ど、どうしたんだいきなり大声出して」
唐澤貴洋「なんでもな(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ)」
火山「ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ(噴火)」

13Traveler2017/08/20(日) 20:21:44.94ID:szQQiwu5
ハワイのばあい原住民が疫病カタストロフで激減した広大な土地を、白人の移民集団が
埋めてしまったからな。多少の文明があっても、運命は変わらなかったかもしれない

西洋と接触した時点で30万人だった人口が、そのあと1世紀で5万人に転落したという

14Traveler2017/08/21(月) 10:18:51.80ID:Pl6a2n23
プレ社会の文明度が高い地域は、併合されても
独自の国民意識を生みやすく、独立の根拠になる

旧インカ帝国の領域である南米諸国では、スペイン人
移民の末裔が、インカ帝国を自国の誇りとしている

15Traveler2017/08/22(火) 14:49:02.67ID:iLalJwe6
ハワイ王朝は白人との接触によって誕生したようなもので、
カメハメハ大王は火器と白人軍事顧問を調達してハワイを統一した

王室といっても現代アフリカとおなじで、出身部族を基盤とする軍閥の
トップの性格がまだ強く、早くから白人に権力基盤を牛耳られていた

16Traveler2017/08/22(火) 15:17:21.67ID:Z8Xd4K5a
カメハメ波
曙ぐらいの頑張り
おや?夏川りみ 浦山
佐々木理江 
飴玉 キャイーンかキャイーンじゃないか
誰も知らない ゴリも有難う 七割五分

17Traveler2017/08/22(火) 15:44:42.80ID:oasQizBY
アンカー一つの心使い
愛フォンからそう捲り
極めつけはあれ!捲り!
アンカーからありがう!!!

18Traveler2017/08/23(水) 10:30:33.65ID:Xuqm5e10
ああ!!有り難や!!
SOMEWHERE FOR BEYONDから
頑張って行きましょう
スティーブン キング
インドも宜しく!!

19Traveler2017/08/23(水) 14:03:40.44ID:SoU+4u5x
ポリネシア世界で、近代以降も独立と君主制を維持できたのはトンガだけ
小国だけど、12世紀から17世紀にかけては太平洋世界における帝国といっていい

ハワイもマオリも、トンガの一部だったらまた違った歴史があったかもしれない

20Traveler2017/08/23(水) 19:43:30.48ID:WbZNCMcl
そうだろうね さかんかどうかだろうね いたるところで おもいつきそう

21Traveler2017/08/25(金) 14:23:39.29ID:KfI48fN4
有難う
コテはあそこでにしましょう
あそこの宇宙ダイブ
映画みたいにかっこよくありません
秘密のコテ
有難う

22Traveler2017/08/25(金) 20:58:21.82ID:hLij+dRK
最後の女王は、悲劇のヒロインといっていいのかどうか。旦那が白人、それも欧州貴族
なんてもんじゃなくアメリカの貿易商。併合される数え役満の、ダメ押し的な感じだ

23Traveler2017/08/26(土) 09:37:41.99ID:4R4kZdeP
ハワイの王室は初代カメハメハの直系が絶えたあと、
選挙制で次期王家を決定。しかも王位をめぐる内紛では
イギリスやアメリカの援軍を引き入れて、鎮圧している

西洋が到来してから誕生した王権ならではの、特異な歴史

24Traveler2017/08/27(日) 13:09:14.54ID:pyFDKNrE
リリウオカラニは白人に、感情にまかせて正面からケンカを挑んで自爆した痛い人
かえってハワイ先住民を窮地に追いやった。最終的に負けるにしても、もう少し
やりようが無かったものかとは思う

25Traveler2017/08/29(火) 17:58:01.55ID:10NMQ7qC
いちおう今でも、先住民のハワイ独立運動というのはやっている

だが人口で少数派になっている以上、マジョリティを振り向かせるための
デモンストレーション以上の意味は無いだろう

26Traveler2017/08/29(火) 23:30:20.92ID:hYr1Oe27
hawaiの夜 
大坪碧

27Traveler2017/08/30(水) 18:51:07.25ID:1lyhCtwV

28Traveler2017/08/31(木) 11:26:41.50ID:wtIjpYH/
今は日系人を筆頭に、アジア系がハワイ経済を握っているって聞くな
とりわけ地主なんか、いつの間にか白人が排斥されてアジア勢が牛耳っているとか

白人地主が併合の音頭をとったことを思うと、それはそれで妙な空しさも無くもない

29Traveler2017/09/01(金) 13:30:30.42ID:DlgVXVww

30Traveler2017/09/02(土) 23:00:16.82ID:wJwdDoVh
鎌倉時代にハワイに日本人(恐らく琉球人)が漂着したという
興味深い説があるが、どう考えても白人の創作臭くて萎える
無文字社会なのに、正確な西暦換算年が分かるのが痛すぎる

31Traveler2017/09/03(日) 15:36:32.61ID:wiz8C7e6
日本人によって文字が伝わっておれば、歴史がもっと鮮明になっていたのに残念

32YSK2017/09/04(月) 09:52:12.22ID:kwM+m07X
どっこい

33Traveler2017/09/04(月) 09:53:07.98ID:EA7ktPKu
なーにー

34Traveler2017/09/04(月) 12:19:17.90ID:TwwNSjd4
ぶったっけ なにも しょゆうかくつけてないしな

35Traveler2017/09/04(月) 12:19:17.93ID:TwwNSjd4
ぶったっけ なにも しょゆうかくつけてないしな

36Traveler2017/09/07(木) 21:18:59.87ID:zzrdTXmv
独立派のネイティブ・ハワイアンがホノルルにある旧王宮イオラニ宮殿を占拠して暫定政府宣言
ttp://native.way-nifty.com/native_heart/2008/05/post_35f2.html

9年前の記事だが、今でもこういう騒動が起こるものらしい
なおこの独立派は、武装はしていなかったとのこと

37Traveler2017/09/08(金) 11:49:29.89ID:J/1ZVcFW
ちなみにポリネシア世界で現代に至るまで王権と独立を維持できたのは、トンガだけ
トンガの覇権がもう少し強力だったら、ハワイもトンガに属していた可能性が微レ存

フィジーあたりは微妙な気もするが、サモアはもちろんハワイ・タヒチ・NZマオリ
は政治的にはトンガ帝国の一部になったほうが、アイデンティティを保てた気もする

38Traveler2017/09/09(土) 16:09:58.33ID:CRwuBd9F
キャプテンクックのハワイ来航が1779年
カメハメハ大王によるハワイ統一が、それから16年後の1795年
カメハメハ朝の断絶が1872年
カラカウア朝ハワイ王国の終焉は、それから20年たらずの1893年
短命王朝だったが、そもそもあだ花だったという印象

39Traveler2017/09/10(日) 12:55:34.52ID:EvDDHri3
結局ジャレル・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」が、ポリネシアの運命へのFA

蛇足だがダイアモンドは、イースター島文明の崩壊理由を「乱伐による森林崩壊」
と解析しているが、これについては近年、否定されている。真因は、イースター島に
人類と共にネズミが上陸し、天敵の居ない島で繁殖した結果だ。猫の有無が運命の岐路

40Traveler2017/09/12(火) 14:54:27.92ID:ZIyYnhNK
ハワイと琉球は、ちょっと似ている。琉球も日本に併合されてしまった王国
むろん琉球は、ハワイと文化レベルがちがう。ハワイは、アイヌとおなじレベル

琉球の鉄器普及は11世紀以降。かなり遅いが、石器社会ハワイとは比較にならない
文字(ひらがな・漢文)の普及も13世紀以降
なお原始的な火器は日本より150年は早く、遅くとも14世紀の末に普及
船舶も中国のジャンク技術が13世紀以降導入され、急激に発展している

さらに常用・荷役を担う牛馬が居るのも、大きく違う。馬は11世紀に渡来したらしい
然るに中国への輸出品になり、競馬も盛んだった

41Traveler2017/09/13(水) 16:05:52.35ID:BLF0JlNU
馬と銃と鉄器と文字。南北アメリカ先住民と太平洋世界には無かった文明4点セット
あったら何か変わっただろうか? これは歴史の謎である

なお北米先住民とアイヌは、白人や日本人との交易を通し鉄器、銃、馬はすぐ保有した
ものの文字だけは、その存在を知ってからも自発的普及はかなり不活発だったといえる

42Traveler2017/09/14(木) 14:03:52.06ID:9GC8/Ujx
アイヌといえば、ゴールデンカムイが漫画界のホットな話題
アメリカでもディズニーアニメ「リロ・アンド・スティッチ」で、ハワイが題材に
なっている

ちなみに「モアナと海の伝説」は「ディズニー初のポリネシア系ヒロイン」という
触れこみだったが、「現代ハワイを除けば」という注釈を入れるのが、妥当だろう

43Traveler2017/09/14(木) 14:47:42.22ID:8CjW9ZPf
パンパカパンツ!

44Traveler2017/09/15(金) 10:25:30.91ID:OIB2haOE
d

45Traveler2017/09/15(金) 10:49:24.63ID:D7MsjmYz
ハワイに王権が生じて、アイヌに生じなかったのは何故か? 考えてみた

そもそもアイヌ社会は半農半猟で人口密度が低く、季節ごとに移動する。定住社会に比べて人が離合集散しやすく、
家庭内においても個人の流動が激しかった。定住社会に比べ共同体の拘束力が弱い社会では、王権が自生しにくい
北米や北方ユーラシアの先住民も、アイヌとおなじ理由から王権が生れなかったのであろう

いっぽうハワイは閉鎖系の島国であり、高度な武器さえあれば統一王権が自生するのは自然な流れだったといえる

なお、彼らを母体としたステップの遊牧民たちは例外的に王権を自生したが、これは彼らが農民と同じく、家畜の
世話など組織的な共同作業や役割分担のため社会が固定化しやすく、かつ牧草地をめぐる抗争が激化したことや
農耕民王朝との緊張関係から、優れた軍事指導者を求める社会的欲求が強かったためだろう。馬の機動力もあって
農耕民王朝の大軍とも互角以上にはりあえたことが、王権誕生を促進したことは言うまでもない

46Traveler2017/09/16(土) 18:22:18.48ID:lLG5B2zg
アイヌは、日本人との接触はもちろん中国沿海州と山丹交易を通しても、明らかに
文字の存在を知っていたはずだ。然るに、自発的な文字の習得・普及の形跡はない

王権が無い事と、教典を用いる宗教およびその拠点としての神殿(学問所の原型)が
なかったことが、大きいと思われる。シャーマニズムの世界では万事、口承で事足りた

47Traveler2017/09/17(日) 22:56:01.78ID:z5xLYEnb
ハワイを含む太平洋世界の先住民には樹皮をなめした衣服しかなかったが、たぶん麻
や木綿の栽培は、平均気温の高さからみて可能だったろう。アイヌの生活圏がその手
の繊維原料を自生しなかったのに比べ、惜しい気がする

なおアイヌもポリネシア同様、樹皮を衣類とするが、より高度な紡績工程を経ている

48Traveler2017/09/18(月) 12:38:03.08ID:srfCfMWZ
常夏と思われがちなポリネシアも場所や季節によっては、夜かなり冷えるとか
毛皮とか綿製品の潜在需要も、それなりにあったと思う

49Traveler2017/09/19(火) 19:48:11.99ID:pwqxUMck
キャプテン・クックがハワイ発見者の栄誉を担っているのは周知のとおりだが、これ
はあくまでも記録上、という注釈が付く
1778年11月、2度目のハワイ訪問(初回は同年1月)を果たしたクックは、マウイ島
の王カヘキリが持っていた槍の穂先が、さびた鉄の刃だったことを報告している
つまり、クック以前の外国人の来訪は確実である。ただし誰だったかは、歴史の謎

50Traveler2017/09/20(水) 12:13:44.14ID:gZXuhnQX
カメハメハ一世の生誕年月日は、無文字社会のこともあり不明だが、
1736年〜40年の間というのが有力

ウィキペディア日本語版ではなぜか「1758年」となっているが、こういう場合は
英語版を信じるのが王道だろう

51Traveler2017/09/21(木) 11:00:02.14ID:mvM1Jzcv
(後藤明著「カメハメハ大王」より)


カメハメハ一世は雨季の11月に、ハワイ島の北西部コハラという土地でうまれた
かれが誕生したのは嵐の夜のことで、波乱の人生を予告するかのような雷鳴が鳴り響いていたという
事実かれは出生からして、スキャンダラスな伝承を持つ

カメハメハの祖父は、ハワイ島の王アラパヌイ。アラパヌイには腹違いの2人の王子がおり、1人が
アラパヌイ王の後継者となるカラニオプウ。そしてもう一人が、系図の上でカメハメハの父とされる
カラニクプアケオーウア。どうでもいいが、舌を噛みそうな名だ

さて、「系図の上で」カメハメハの父ということになっているカラニクプアケオーウアだが、奇妙な
ことに、実父は別だったという説がある。マウイ島の王カヘキリこそがその該当者で、カメハメハが
誕生するとすぐに、赤子を守るべく護衛の男2人を遣わしたのが、その傍証なのだという
(続く)

52Traveler2017/09/21(木) 20:33:07.47ID:xUO7GKT+
千葉県松戸市で超有名なバドミントンクラブの新スレです

【このハゲー】八ヶ崎バドミントンクラブって何?【違うだろ】
https://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/gage/1505815941/

関係者ほか大勢の皆さまの書き込みをお待ちしております

53Traveler2017/09/22(金) 14:57:57.87ID:Hh83U6ow
ちなみにゲーマーズ!のアニメのつづきは

11話の原作ルートでアグリとキス未遂

マジキチ雨野弟登場で天道さんゲス原ワカメ妹の心を揺さぶる

ワカメが雨野に自分がMONOのべであることと雨野が好きなことを告白するがフラれる

修学旅行で雨野がアグリアグリのことを馬鹿にした男にマジギレ(ゲス原何もせず)

天道さんがワカメ姉妹に揺さぶられる

ダブルデート再び
2組キスしたあとカップル解消

ワカメ妹が雨野てワカメとデートを提案、天道さん了承

ワカメ妹の策略で雨野がワカメにも恋心を抱いていたことをワカメに知られる

54Traveler2017/09/22(金) 15:52:54.19ID:XldU07hw
>>51続き。まずは前回の訂正から

>赤子を守るべく護衛の男2人を遣わしたのが
この部分は間違い。「赤子を守るべく王族の男を護衛として派遣した」に修正
また実父説のあるマウイ王カヘキリは、カメハメハの誕生を予知していたともされる


ともあれ。カメハメハが息子の実子でないと知ってか知らずか、祖父のアラパヌイ王は彼の誕生を不吉だと考えた
そのため、生まれたその夜のうちに彼は父母から引き離され、母方の一族であるナエオレに預けられ、匿われたのである
とはいえ岐阜県ほどの広さのハワイ島の中のこと、「父親」のカラニクプアケオーウアは、すぐ息子の居場所を探し当てた

しかしナエオレは、カメハメハが5歳になるまでは自分がハク(育て親)となることを、「父」に認めさせた。なぜそれが
通ったのかは分からない。一説にはナエオレが裏でカヘキリ王と繋がっており、カヘキリの介入があったためだともいう

ともあれカメハメハは生まれてすぐ両親と離れ、ひっそり隠れ住むという異様な雰囲気で育った。そしてこれがかれの名の由来でもある
すなわちカメハメハというのは、「孤独なやつ」という意味である

55Traveler2017/09/23(土) 11:34:43.52ID:hd5KdGXB
>>54続き

1778年1月18日のこと。ソシエテ島を発ちアメリカへと向かっていたキャプテンクックは、ぐうぜん巨大な島影に出くわす
オアフ島であった。それがハワイ列島発見の端緒となる。たちまち先住民のカヌーに取り囲まれ、鉄器と食糧(魚やイモ)の物々交換が始まった
釘一本で、子豚が手に入ったという。なお、慧眼なクックは遠く離れたタヒチ語とハワイ語が、ほぼ同じであることを看破している
当初のうち先住民たちは何よりもまず鉄器を欲しがり、それ以外のものにはまるっきり関心が無い始末だったという

1778年11月26日。ハワイを再訪したクックは、マウイ島にて王カヘキリの訪問を受け会見するが、おりしもこの時、ハワイ島の王
もまた、マウイに上陸していた。なおハワイ島の王位はこの時期、すでに先代アラパヌイから後継者カラニオプウに移っていた
カヘキリの訪問からほどなくして、カラニオプウもクックの船を訪れている。彼は当時、カヘキリと戦うためマウイに来ていたのだ

30代のカメハメハも、伯父カラニオプウに同行してクックと相まみえた。クックは彼に強い印象を受け、こう書き残している
「頭髪を茶色の汚い油でべったりさせていたので、顔つきはいちばん野蛮だった。だが性格も良くユーモアセンスもある
立ち居振る舞いはやや威圧的だが、交渉団の中で中心的な役割を負っていた」

562017/09/23(土) 19:48:36.65ID:Rt+4rm4l

57Traveler2017/09/24(日) 11:14:24.41ID:mtYCkeqv
>>55続き

さて。ハワイ島に移動したクックはカラニオプウ王の肝いりで、当初は大歓迎を受ける
ところがクックは薪を調達する際、神殿の柵棒を引っこ抜く失策をしでかしてしまう
かれは司祭に三本の斧を渡して和解を図ったが受け取ってもらえず、またクックの部下が神像までをも
薪にしてしまったこともあり口論が増え、島民との関係はしだいに険悪になっていった

それでも2月3日、出航前日の時点ではカラニオプウ王から大量の芋・豚・羽毛・タパ(樹皮布)を贈られ、
歓声を背に船出することができた。なお、クックはこの時の贈与品が多量だったことに驚き、「トンガや
タヒチでも、これだけの捧げ物は無かった」と書き残している。ハワイ島が他に比べ広大なことの反映だろう

そのままクックはハワイ諸島の北西部を調査し、北極海に向かうつもりでいた
しかるに2月6日、ハワイ島の北西域カワイハエで強風に遭い、レゾリューション号のマストが折れてしまう
クックは元居たケアラケクア湾に戻っての修理を決定するが、それがこの偉大な探検家の運の尽きとなった

58Traveler2017/09/25(月) 12:27:17.10ID:0ptaUx05
>>57続き

2月10日。クックの船隊を、見事な羽毛マントを着けたカメハメハが訪問した
かれはマントと鉄剣の交換を申し出てきた。またそれ以外の鉄器(斧や大工道具)にも、強い関心を見せたという
結局、9本もの剣を得たかれは上機嫌でディスカバリー号に一泊した

翌11日、クックはケアラケクア湾に戻った。だがその時の様子は、以前とは一変していた。沈黙が支配し、一艘の
カヌーも寄ってこない。怪しんだクックが斥候のボートを派遣すると、「王はタブーに入っており会えない」と、
そっけない返事だった。島民の態度も豹変しており、友好的なムードではなかった

ともかくもクックは湾内で船の修理を始める。だが島民たちがこっそり接近しては盗みを繰り返し、これを制止して
取り返そうとする船員との乱闘も起こる。あげくカッター艇を盗まれて、クックの堪忍袋も緒が切れた。かれは王を
人質にとって、盗人を捕えようと企てる。これまでもクックは南太平洋の島々で、この手で何度か成功していたのだ

2月14日。クックは自ら上陸し、カラニオプウの家へと向かった

59Traveler2017/09/26(火) 15:17:41.40ID:WdLsnAII
>>58続き

クックはカラニオプウ王を自分の船に招待する。その一方でひそかに武装ボート3隻で湾を封鎖していた
クックの甘言に騙されたカラニオプウは護衛をひきいて岸に向かうが、そこに最悪の急報が届いてしまう
湾で待機していた武装ボートに、王族の一人が近づいて射殺されたのだ。謀略がばれて群集は大さわぎに
なり、槍や剣でクックたちを殺そうとする。クックら一行も銃で応戦しつつ、海岸へと逃亡をはかった

しかし海岸にたどり着き、砲撃をやめるよう帽子を振ったクックのスキを突き、1人の戦士が彼の背中に
ナイフを突き立てる。かくして皮肉にもクックが与えた鉄の短剣が、彼の命を奪ったのである。享年50

士官フィリップスは「その場で下手人を殺してクックの仇を討ち、然るのち泳いでボートに戻った」と主張して
いるが、真偽は不明である。指揮官を守れずに逃げた失態を取り繕うための嘘である可能性も、否定できない
ともあれレゾリューション号の備砲が島民たちに火を噴くも、クックの亡骸は島民たちに持ち去られてしまった

おそらく彼の遺体は、神殿で捧げられたに違いない

60Traveler2017/09/27(水) 12:57:41.26ID:FefTswue
>>59続き

クック亡き後も艦隊はなお数日間、ケアラケクア湾にとどまって艦砲射撃をおこない、クックの遺体回収を試みた
なおこの時の砲撃では、カメハメハも軽傷を負っている。しかし捜索は一進一退。4日後、王族の使者があらわれ
講和交渉となり、遺体の一部(右手首と下顎の無い頭蓋骨)が返還された。ただし、残りは王族に分配されていた

クックの死から9日目に、2隻の艦隊は出帆。カウアイ島で補給したあとカムチャッカ半島にむかった

さて。クックの死後2,3年目のこと。老境のハワイ島王カラニオプウは息子のキワラオーを、後継者にさだめた
甥のカメハメハは、軍神クーカイリモクの司祭に任じた。従兄弟キワラオーの、補佐役に配するための措置だった
しかしキワラオーとカメハメハは反りが合わず、王の葬儀の段取りをめぐって口論になったあげく、両者の仲は
決裂。カメハメハは故郷のコハラに帰ってしまう。そして1782年。2人の和解を見ぬまま、カラニオプウ王は死んだ

61Traveler2017/09/28(木) 16:33:58.39ID:zzZw59bD
>>60続き

新王キワラオーが王位につくと、コナ地方の首長などが土地の再配分をめぐって不安に陥り、カメハメハを擁立する

かくして内戦が勃発し、カメハメハがキワラオーを倒した。とはいえこの時点でカメハメハが掌握したのはハワイ島
の中でもコハラ、コナ、ハマクアの三地方だけであり、残りの地域はキワラオーの異母兄弟であるケオーウアが支配
していた。二人の間には緊張状態が続いた

この間にカメハメハは、2人の妻をめとっている。1人は、彼がもっとも熱愛したと言われるカアフマヌ。彼女の父
は、キワラオーとの闘いのときカメハメハを助けてくれた、マウイ島出身の首長ケアモクである
そしてもう一人が、宿敵キワラオーの娘であるケオプオラニ。彼女は母方から、マウイ島首長の純粋な血を受けつぐ
貴種でもあった。要するに政略結婚である。ケオプオラニと、彼女にとっては父の仇でもあるカメハメハの間に生ま
れる子供は、王族における最高ランクを約束されていた。事実、二世は彼女の胎内から生まれることになる

そのため、カアフマヌはカメハメハの寵妃とよばれる一方で、ケオプオラニは聖なる妻と呼ばれている

62Traveler2017/09/29(金) 00:01:43.81ID:kWYptKcd

63Traveler2017/09/29(金) 11:15:07.66ID:Z9U+9xIG
>>7
阪口さん、妬みですか?勉強解らないから世の中解らないでしょ。

64Traveler2017/09/29(金) 15:19:53.20ID:BPa9fa/Q
>>61続き

1788年12月6日、イギリスの船団がハワイ島ケアラケクア湾に投錨した。カメハメハは12隻のダブルカヌーをしたがえ、
船長ダグラスと会見。しかもこの船には、海外を見聞して帰国したカウアイ島の王子カイアナが同乗していたのである
王子はカメハメハと旧知の仲で、カメハメハはカイアナとの再会を喜んで涙を流したという

なおカイアナ王子は海外見聞を希望し、昨年、英国船に広東に連れて行ってもらっていたのである
かれはその地で火器、とくに大砲の操作法をマスターした。だが貨幣の利用法は、ついに理解できなかったという。また
中国人に対しては、そのヘアスタイルや無表情な様子に嫌悪を示したとのことである

ともあれカイアナは、カメハメハから「カウアイ島の王カエオが、おまえに敵意を持っている」と知らされ、大量の火器を
手土産に、カメハメハの領土に留まることにする。ダグラス船長も協力し、カイアナの妻子と弟ナマケハをハワイ島に護送
してくれた。さらにカメハメハはダグラスから、回転砲を入手。ダグラスの部下の船大工が、大型カヌーの甲板に装着した

65ゆうちょ じゃ だいちかんぎんよかな2017/09/29(金) 16:51:12.81ID:cLcb9ikA
そうだなー とうろくったけどさ はこだいとそうりょうでせんえんましなんだやめたのが

まいいや とうぶんとったらか

でもできたら いいめのwがしがなー ぶつぶつ

うん 野菜ジュース わrだかなきがする 感だけどさ ぐいぐいのむけどね

66Traveler2017/09/30(土) 09:35:08.43ID:uVm34Mw5
>>64続き

かようにカメハメハが火器武装に必死だったのも、すでに他の首長らが別の西洋船と接触し、火器で軍備を刷新していたから
である。1786〜87年にかけてカウアイ島の王カエオはかつてクックの部下だったディクソン船長と接触し、多くの火器を入手
していた。カメハメハの実父説があるカヘキリ王も、いまやマウイとオアフ両島を掌握。かれもまた、西欧人と積極的に接触
して西欧文明の利器を獲得し、山の上に輸入品用の倉庫まで建設していた。早くも1789年には、ジブ(船首の三角帆)つきで
二本マストの洋風帆装のカヌーを造っており、白人水夫をして西洋船と誤認させるほどであったという。カヘキリもまた火器
時代に入って風雲急を告げるハワイ諸島の、天下統一を狙っていたのである

ともあれ西欧文明を即座に導入するハワイ人の進取の精神は、タヒチなど他のポリネシアの島々と比べても白人の航海者に
強い印象を残したものらしく、当時の航海者の記録ではくりかえし指摘されている

なおダグラス船長は1789年7月、親友カイアナ王子から「敵対部族に、船の襲撃計画がある」と聞かされ、中国に出帆した

67Traveler2017/10/01(日) 09:20:53.02ID:li035DWp
>>66続き

さて、マウイ島の王カヘキリの勢力拡大は続き、オアフ島ばかりかカウアイ島にまで及ぶにいたっていた
これに対しカメハメハは1790年に軍を動員、マウイ島に上陸する。両軍は名勝イオア・ニードル付近で激突した
河は血潮で赤く染まるも、形勢はカメハメハに有利であった。しかしこの時、本国のハワイ島で宿敵ケオーウアが
カメハメハの領土を攻略しているとの報に接し、かれはやむなくハワイ島に帰島する

カメハメハの本隊が反攻に転じると、ケオーウア軍はあえなく退却。しかもこのとき偶然キラウエア火山が噴火し、
ケオーウア軍は溶岩流の災厄まで受けて虫の息となった。だがカメハメハがとどめを刺そうとした時、こんどは
マウイ島の軍が、ハワイ島北岸に接近しているとの急報を受ける。カメハメハは直ちに転戦し、辛うじて水際での
撃退に成功した。このとき両軍の船は、白人から得た大砲を装備している。即ち、ハワイ初の本格的な海戦だった

68Traveler2017/10/01(日) 23:32:07.24ID:l9bKvRCr
そっかー わからないこともなんていうか ろまんじゃない?

69Traveler2017/10/02(月) 10:39:22.16ID:lbEQtJR7
>>67続き

その後4年間にわたり、カメハメハとカヘキリはにらみ合いを続けることになる
ちなみに、カメハメハ艦隊の艦載砲を指揮していたのは英国人デービスとヤング。2人はカメハメハの軍事顧問でもある

彼らがカメハメハの幕下に参加したのは、偶発的事件が契機であった。1789年冬、ハワイ島のオロワルに到来したアメリカ船
2隻が住民とのトラブルのすえ銃撃で多くの住民を殺してしまい、翌年3月3日、現地の首長カメイアイモクの巧妙な作戦で迂闊
に岸に誘導された1隻が襲撃される。若い船長は海に突き落とされ、生き残った船員は一人だけだった。それがデービスである

僚船の最期を見た残る1隻の年配の船長は、すぐ出帆する。なお2隻の船の船長はともにメッカトーフといい、父子関係である
が、こちらの船からも一人だけ乗組員が残留した。それがヤングである。彼の残留が、特命によるものか脱走かは不明である
デービスとヤングは首長カメイアイモクの手中に落ちるが、首長の行動を良しとしないカメハメハが、2人を保護したのである

70Traveler2017/10/03(火) 09:27:53.98ID:mQt0GNuI
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71Traveler2017/10/03(火) 13:08:37.23ID:CL2oZZPQ
>>69続き

1791年5月、メットカーフ父子とは別のアメリカ船がハワイに来島。カメハメハとカイアナ王子は同船の船長イングラハムと
贈答の交換を行い、マスケット銃を受け取っている。しかしこの時、カメハメハが船室から辞してカイアナ王子だけが残る
瞬間があり、そのとき王子が「カウアイ島に行くなら、同行したい」と呟いたことがイングラハム船長に、強い印象を残した

「カイアナは、出身地カウアイ島の軍に合流し、カメハメハと対抗しようともくろんでいる」と、船長は看破したのである
ともあれメッカトーフ船長が襲撃された事件のことはイングラハム船長も調査して手記を残しており、その余波であろうが
カメハメハの彼に対する態度にも不自然さがみられた。イングラハム船長はカメハメハの誘いを断り、沖合にとどまった

さて。カメハメハはコハラに、神殿を造った。その名もプウコホラ・ヘイアウ。人身御供をおこなう戦争用の神殿である
その上で「講和しよう」と偽って宿敵ケオーウアをおびき寄せ、カヌーに乗って訪れた彼を、儀礼用の神聖な槍で突き殺す
時に1791年。かくてハワイ島は再統一され、新築神殿のクーカーイリモク神は、その格式にふさわしい生贄を得たのだった

72Traveler2017/10/04(水) 11:34:43.40ID:ZLwWs8WR
>>71続き。なおその前に>69、>71の誤記を訂正。「メットカーフ」と「メッカトーフ」が混じっているが、前者が正解です


1792年3月2日、英国の提督ジョージ・バンクーバーが、再統一されて日も浅いハワイ島の西海岸を来訪する

当時、カメハメハは宿敵ケオーウア亡き後の土地再分配で忙しく、東海岸に滞在中だった。そのためバンクーバー提督との
折衝には、広東帰りのカイアナ王子が当たることになる。ところが彼はこの時、英語をすっかり忘れてしまっていたという
カイアナは例によって火器の入手を試みるが、提督はこれを拒否。代わりにブドウやオレンジの苗木を贈った。なお、この
時カイアナは自らを「カメハメハと同格の王だ」と偽り、「ハワイ島六郡のうち、南の三郡は自分の国だ」と主張している

バンクーバー提督は次にオアフ島のワイキキを訪問する。折しもカヘキリ王とカエオ王が、カメハメハの侵攻に備えて躍起
になっているとの情報にも接した。続いてかれはカウアイ島に向かい、ワイメア湾に一週間ほど滞在する

このときバンクーバー提督の船には王族イムナウ並びに、カエオ王の息子カウムアリイが訪れている
カウムアリイ王子は当時12歳。30人の従卒をしたがえ、自らは鉄の剣を帯び、13丁のマスケット銃と弾薬を装備していた
弱年のカウムアリイ王子の利発さは、英国の提督を感銘させた。彼の聡明さについては、他にも複数の西欧人が記述している

バンクーバー提督は、この航海ではカメハメハに会うことなくハワイを発った。なお提督が去った直後の3月7日、英海軍の
貨物船ダエダラス号がオアフ島に上陸したところ、ハーゲスト船長をふくめて3名の乗員が殺害される事件が起きている

73Traveler2017/10/05(木) 09:36:59.33ID:v4GEMzKE
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74h2017/10/05(木) 09:38:22.61ID:v4GEMzKE
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75Traveler2017/10/05(木) 13:49:31.70ID:MPRFdXrp
>>72続き

1793年1月末、バンクーバー提督は二度目のハワイ島来訪を果たす。北西部カワイハエ湾に停泊し、カメハメハの側近に
して王族のケアモクに接触。その懇願に負けて、カメハメハ用だったヤギと羊を進呈する。提督はケアモクの村に上陸
し、回転銃などの火器が装備された軍船が建造されている光景を見た。プウコホラ・ヘイアウ神殿にも案内され、討ち
死にした敵兵の首が飾られているのを目撃した。1790年、ケオーウア軍が、カメハメハ軍によるマウイ島遠征のスキを
突いて攻撃してきた時に抗戦したのがケアモクであり、そのとき討ち取った首だとのことだった。

2月22日、タブー(物忌み)を済ませたカメハメハがやっと寵愛する王妃カアフマヌと英国人の顧問ヤングをしたがえて
来訪した。かつてクックの下士官だったバンクーバー提督は若いころのカメハメハを見たことがある。微かな記憶では
あったが、荒々しいイメージは持っていた。だが、この時の印象は激変していた。
「予想は心地よく破られた。若き日のどう猛さはやわらげられ、ふるまいは全体として開放的で快活、分別もあり寛大
さと徳がくわった」

提督に随行していた植物学者メンジ−も、「威厳にみちた振舞いが身についていた。柔和ではないが不愉快でもなく、
表情も富んでいるので、彼の同胞一般より感情が読み取れる。とぎれとぎれの会話でもすばやい理解を示すので驚いた
立ち居振る舞いは開放的で、愛想がよく自由闊達。初対面なのに、彼に惹かれていた」と激賞している

76Traveler2017/10/07(土) 16:49:23.79ID:8e32RopX
>>75続き

その後、バンクーバー提督とカメハメハの間で贈与の交換があった。カメハメハがヘルメット4つ、カヌーに満載した肥えた豚、
そして芋を贈るのにたいし、提督は雌牛5頭と羊3匹を贈る。甲板上で生まれて初めて牛を見たカメハメハは巨大な豚だと思い、
喜ぶ反面その巨大さに恐怖を隠せず、噛まれぬよう用心していた。牛が顔を自分に向けると慌てて人垣に隠れたという。群衆も
カメハメハに劣らず牛を珍しがりかつ恐れ、牛がカヌーに乗せられて上陸すると、仰天して海に飛びこんで逃げたり椰子の木や
家の屋根に登り、それでも鈴なりで見入ったという。とまれカメハメハはこの「珍獣」のため、さっそく飼育責任者を指名した

だが、この贈り物に野心家のカイアナ王子とケアモクは嫉妬した。カイアナは自分も最高の豚を用意すると申し出たが、すでに
十分な供与を受けたとしてバンクーバー提督はこれを固辞。次の機会を約してかれを宥めた。このやりとりを見たカメハメハは
不機嫌そうに沈黙していた。その後、二人の間に冷ややかな雰囲気の会話があった。カメハメハは、許可も無く持ち場を離れて
勝手にイギリス人と交渉をしたカイアナに、鋭い皮肉を述べたように見えた。しかし白人の手前もあってか、暫くして二人は
冗談をとばしあい和解したように見えた

3月3日、バンクーバーはクックが死んだ海岸から上陸。念のため重武装していた。だがカメハメハはバンクーバーが礼装したと
でも誤認したのか、さっそくバンクーバーから贈与されたガウンをまとい、自ら村を案内する。カメハメハのファッションに
群衆からどよめきが起こり、カメハメハは得意満面だった。しかし同行していたカイアナは嫉妬を隠さなかった。バンクーバー
に、声高に、なぜカメハメハばかり優遇するのかと問うた。提督はカメハメハが王であることを指摘したが、彼は不服げだった

77Traveler2017/10/08(日) 12:04:46.78ID:HJApF3Y7
>>77続き

バンクーバー提督が、カメハメハ王とそれ以外の首長の扱いに差をつけたのは、「それこそが、ハワイ安定の道だ」と考えて
いたからだった。だが当然ながら、こういう人間関係に対応するのに気苦労はつきものだったことも、書き残している
ともあれカメハメハの自尊心とカイアナ王子の野心は、すでに外国人の前でさえ取り繕えない段階に達していたのである

3月4日には150人の兵を参加させての、模擬戦の観戦があった。カメハメハ自身も参加しており、一戦士としても無双の豪勇
の持ちぬしであることを示している。夜にはバンクーバーが、返礼に西洋の砲術を派手に披露した。遠方で砲声を聞いた住民
らの間に、「カメハメハとバンクーバーの仲が決裂し、西欧人が村々を焼く」という不穏な噂が広がるしまつであった
それを見取った上でバンクーバー提督はカメハメハの英国人顧問デービスに、「この武器はカメハメハが他島の征服に使う
ためにではなく、彼の統治を安定させ、外国の侵略から国を護るため使うべきだ」と念押しした。すなわちバンクーバーの
目的は、カメハメハが他の島の主権者たちと和平をむすぶことにあったのである

だがカメハメハと率直に話し合った結果、和平の条件としてカメハメハが挙げた要求は法外だった。「カヘキリ王とカエオ王
は先の戦争で勝利したカメハメハにマウイ島とモロカイ島を割譲し、オアフ島・カウアイ島及び両島に属する小さな島々のみ
で平和に暮らせ」というものだった。バンクーバーは、「先方が受け入れられる内容ではない」と判断した。マウイ島遠征の
時にさえハワイ島内で反乱が起きた事を知っていたので、海を越えた諸島の統治はカメハメハには無理だと考えていた

78Traveler2017/10/08(日) 12:05:44.32ID:HJApF3Y7
>>77>>76の続きです。アンカーをミスりました

79Traveler2017/10/09(月) 11:01:53.37ID:4qdDZjIT
>>77続き

カメハメハとその臣下たちは、明らかにバンクーバー提督の英国艦隊を自分たちの同盟者として、彼らの覇業に参戦させる
ことを目論んでいた。故に提督の中立的な態度に失望を隠さなかった。「かつてオアフ島で起きたダエダラス号襲撃事件は
カヘキリ王の兄弟が、下手人だ。彼らを成敗してほしい」と、熱心に請願したのである。
カメハメハたちはバンクーバー艦隊とほぼ同時にハワイ諸島を訪れたダエダラス号を、バンクーバーの部下の船だと信じて
いた。復讐をけしかけて、憤慨した提督が介入することを期待した。提督が「その気はない」と拒否すると、一様に驚いた

なおこの時のカメハメハとの会見においてバンクーバーは、キリスト教への改宗をカメハメハに勧めたものらしい。だが、
カメハメハは自分たちの神々の地位の降格を感じ取り、逆提案した。「それなら提督よ。あなたと、私の司祭。この二人で
ケアラケクア湾の断崖から飛び降りてもらう。より強い神に護られた側が、生きのこるはずだ」と。さすがにこの提案には、
バンクーバー提督も閉口して拒否した。そして恥じたのか、この件について彼の手記は完全に沈黙している。然るにこの時
のやり取りは、カメハメハの英国人側近ヤングによって後続の米英の航海者たちに言いふらされ、詳細が残ってしまった

その後さらに贈答の交換があり、また前後して船員らと島民らとの雑貨交易もあったが、すでに西洋人の物品は住民にとり
珍しいものではなくなっていた。インフレは4倍から5倍に達し、モノによっては売ろうとしても投げ返される始末だった
ともあれカメハメハとの会見を終えたバンクーバー艦隊は3月7日、マウイ島に旅立った。

80Traveler2017/10/10(火) 14:34:29.06ID:K7D19Xij
>>79続き

3月12日、バンクーバー提督はマウイ島ラハイナに到着。「ハワイ島に比べ荒廃した印象」と記す。翌日、カヘキリ王が訪れた
バンクーバーはカメハメハに贈与したのと同じマントを彼に贈呈し、他の首長らにもそれぞれの地位に応じた贈与をしたが、
これに対しカヘキリは「カメハメハ軍に田畑を荒らされ家畜を殺されて、返礼もままならない」という釈明をしている

バンクーバーはカヘキリに、カメハメハとの講和を勧める。マウイ島の荒廃はカメハメハの攻撃ならびに、大軍を維持するため
の強引な食糧調達に起因すると、提督は判断していたのだ。だがカヘキリは和平を望んでもカメハメハへの不信をぬぐえず、
「軍の動員を解除すれば猛々しいカメハメハは、たちまち侵略してくる」と反論した。バンクーバーは仲介を申し出て、ヤング
宛てに講和の手紙を出す事にする。だが、後にバンクーバー三度目のハワイ訪問で判明したことだが、手紙を携えたマウイ島の
使者はハワイ島西岸に上陸するなり現地の住民に殺害され、使命を果たせなかった。ハワイ島民はマウイ島の使者を、「神殿の
人身御供を盗みに来たのだ」と誤解したのである。

またバンクーバーは、「ダエダラス号襲撃事件」の犯人の処罰も求めた。これに対しカヘキリは、すでに首謀者のうち3人を
罰していること、残りも罰するので、弟のカモホモホをオアフ島まで同行させるむね宣言した。
なお植物学者メンジーはカヘキリの息子の同伴でラハイナ内陸を調査した際、田畑がよく耕作されていることを確認しており、
マウイ島の戦災の規模については、誇張がある可能性もある

81Traveler2017/10/11(水) 13:32:00.82ID:VXVac+ou
>>80続き

この時、珍事も起きている。マウイ島滞在最後の日、カヘキリ王があいさつもろくにせず、慌てて下船したのだ。バンクーバーは
自分に落ち度があったかと案じたが、最後まで船に残ったカエオから「カヘキリは礼儀を知らない人物だ」と説明を受けたという
しかしバンクーバーに批判的な植物学者メンジ−によれば、ニイハウ島から来訪した女性にバンクーバーが贈与したリボンが紛失
したことが、事件の発端なのだという。「ハワイ人の誰かが盗んだに違いない」と決めつけたバンクーバーが威嚇的な態度に出た
ため、驚いた首長らはカヌーで去ってしまい、カヘキリ王もあわててキャビンから飛び出し逃げたのだという
メンジ−は、「取るに足らない事で騒いで、マウイ王族との平穏な友好関係が終わってしまった」と書き残している

そこでバンクーバーはカヘキリ王に山羊を贈り火器演習を披露して、アメと鞭で懐柔したあとカモホモホを乗せてオアフ島に向う
ワイキキでは、3人の男がダエダラス号の乗員殺害のかどで連行されてきた。「下手人は、全身に入れ墨をしていた」という目撃
情報どおり身体の半分に入れ墨があったものの、カヘキリ王の部下はどれも似たり寄ったりだったから決め手とはいえない
ともあれ3人は、カヌーでバンクーバー提督の乗船ディスカバリー号の脇に連れてこられ、首長のピストルで脳天を撃ち抜かれた
この死刑執行についてはバンクーバー提督も確信が持てなかったが、提督に辛辣な下士官ヒューイットは、「罪状に関しては彼ら
は無実だと、後で聞かされた」と書き残している。タブーを破ったかどでの別件逮捕での処刑を、白人を宥めるために流用したと
いうのだ。もちろんバンクーバー提督は、その件についても沈黙している

同じころ、カウアイ島で首長イナムーの圧政にたいする反乱が起きている。イナムーは島に住んでいた白人にけしかけられて独立
をはかり、外国船にたいする海賊行為を働いていたのである。反乱そのものはその白人に鎮圧されてしまうのだが、カヘキリ王は
老骨に鞭打ち、ブラウン船長の船バターウォースでカウアイ島に向い、イナムーを説得。イナムーが服従を誓い、一件落着した。

82Traveler2017/10/12(木) 14:18:35.71ID:lgvbtgJx
>>81続き

さて。バンクーバー二度目のハワイ訪問はカウアイ島の探査を持って締めくくられるが、植物学者メンジ−がまじめに
探査しているあいだ、乗組員マンビーとウィットニーという者たちは村の調査がてら、カヘキリ王の義兄弟である首長
の歓待を受け、あげく美女接待まで受けていた。マンビーは「夜明けが来るのが名残惜しかった」と、書き残している

1794年1月9日、バンクーバー三度目のハワイ訪問。ハワイ島ヒロに到着するも、折しもカメハメハは祭事の主催をして
いる最中のこととて、かれを外交交渉の席に引き出すのに難航する。バンクーバー提督は、「交渉をしないなら、船に
積んでいる武器や家畜は、カメハメハの宿敵マウイ島の王に渡す」と脅迫したと、下士官ベルは伝えている。やむなく
カメハメハは、祭事を短縮してバンクーバーと会見。然るにその席に、カメハメハの愛妻カアフマヌの姿は無かった
なんと当時の彼女には、カイアナ王子との不倫嫌疑がかけられていたのである

当時、カメハメハは西洋人水夫ボイドに指揮させてハワイ初の竜骨船を建造中であったが、竜骨の製造に難渋していた
しかるにバンクーバーの船大工も助力し、ついに長さ10メートル強で幅3メートル弱の竜骨船ブリタニア号が進水する
バンクーバーは板の間に詰める麻クズ(まいはだ)・マスト・帆ならびに大工道具も贈与した。一方ハワイ人らも既に
イルカ肉を煮て油脂を採り、それを船体に塗るという西洋式の工夫を、すでに会得していたという

83Traveler2017/10/13(金) 06:14:01.26ID:RExxbA7r
アロハー

84Traveler2017/10/13(金) 13:58:54.78ID:CcB6zXXW
>>82続き

2月15日、バンクーバーはカメハメハと妻カアフマヌの和解を取り持った。カアフマヌの父ケアモクはマウイ島の有力者である
ことから、「この夫婦の不仲は、ハワイの平和を乱す」と判断したのだ。カアフマヌがしぶしぶ船に乗ってカメハメハの所に
来ると、バンクーバーは彼女の手を取りカメハメハと握手させた。ハワイ人には物慣れぬ儀礼ではあったが、「かくして夫妻
の仲は回復し、二人は感動の涙で抱き合った」と、バンクーバーは自画自賛している

2月19日、カメハメハはじめ酒を知らないハワイ王族らは、バンクーバーの船に招かれ洋酒(ワイン・ラム)をご馳走になる
結果、限度知らずに鯨飲して醜態を演じる者が続出した。そんな中カメハメハは生来アルコールに強いのか限度をわきまえて
いるのか、羽目を外すことは無かった。

その席に、かつてメットカーフ船長のアメリカ船を襲撃したカメイアイモクも参加した。彼は過去の西洋船への攻撃を弁明し
バンクーバーの許しを得ると、宴席に参加した。お尋ね者だった彼は西洋人とのつきあいが無いこともあり、粗野に見えた
初めてのワインでたちまち酩酊してしまい、おつきの者が「すわ毒殺!」と鉄串で作った手製の短剣に手をかけ、カメハメハ
が説明して事なきを得る一幕もあった。その間、バンクーバーは生きた心地がしなかったという

その後も弾薬箱の盗難(&返還)事件だの、贈与した家畜の養育・消費方法へのアドバイスといったエピソードが連続するが
この間、船上に招かれた王族の間で「英国に服属する」方針については、意見が一致した。方針は一枚岩ではなかったものの
ハワイ島の宿敵マウイ島にたいし安保上、優位に立つことが主目的だった。また、海外渡航経験をもつカイアナ王子からは、
バンクーバーの部下をハワイ島に残すよう要求された。おなじ英語圏の米国をはじめ他の白人国が来た時、ハワイを守る英国
の軍と、区別する為である

85Traveler2017/10/14(土) 10:55:28.81ID:KpxdCUdL

86Traveler2017/10/14(土) 15:37:24.07ID:pel0pFUz
>>84続き

さて。カメハメハ一行はバンクーバー提督の船でハワイ島西岸を北上する途上、食事に牛肉と羊肉を供された。初めて口にする
種類の肉にどんな反応を示すか、提督は試してみたかったのである。牛肉は塩漬けだった。にも関わらずほぼ全員が「豚肉より
美味しい」と言った。羊肉の方もカメハメハを含めて多くのハワイ人が、「犬肉に似ているが、犬より美味」という反応だった

3月1日が、カメハメハとバンクーバー提督の別離の日となる。バンクーバーによれば無難な別れだったが、例によって批判的な
植物学者メンジーの「暴露」によれば、カメハメハはバンクーバーに赤い布を所望するも断られてしまい、提督の吝嗇に立腹。
あげく他の船に乗っていた王族にも呼びかけて、一斉に西洋船から降りてしまったのだという。因みにカメハメハは、赤い布で
フンドシを作るつもりだった。何となれば赤フンドシは、王族は最も尊ぶものだからである。ともあれバンクーバーは翌3月2日
に出帆。マウイ島・オアフ島を経て、カウアイ島に寄港。カウムアリイ王とも会見して羊を贈り、英国に帰還した

87Traveler2017/10/15(日) 11:52:11.04ID:R0N+kolS
>>86続き

バンクーバー提督が出立するのと入れ替わるように、カヘキリと弟のカウアイ王カエオの連合水軍がハワイ島を急襲した
しかしカメハメハは、最新鋭の火砲搭載軍船ブリタニア号を先頭に応戦。北東部のハマクア海岸沖で、これを撃退する
余勢をかってカメハメハは、カヘキリに宣戦布告の使者を送る。だがカヘキリは、最大の宿敵であり息子でもある(と噂
される)カメハメハの台頭を予想してか、「俺はもう、老い先が短い。俺の身を黒いタパ(樹皮布)が覆うまで待て」と
暫しの停戦を、懇願したという。
はたしてその直後の1794年7月、カヘキリ王はワイキキで死んだ。その遺骨はハワイ島西岸に、秘密裡に葬られた

カヘキリの死後、息子のカラニクプレが継承する。いっぽうカウアイ王カエオは、マウイ島をも統括していた。カエオは
カウアイ島の混乱を鎮めるためマウイから出発、途中でオアフ島ワイマナロに上陸する。しかし、これを侵略と誤解した
カラニクプレ軍との間に、戦闘が勃発してしまう
それでもカエオとカラニクプレは叔父・甥の関係でもあり、カラニクプレが現地に到着すると和平が結ばれた。ところが
カエオがカウアイ島にむかうべく船団を進発させて間もなく、「カラニクプレが自軍内に、陰謀を企てている」との噂が
耳に入る。ならばとカエオはオアフ島に再上陸、カラニクプレとの決戦に臨んだ。軍の士気は高くオアフ島の近隣住民も
彼に加勢した。当初の形勢はカエオ王に有利であり、緒戦を圧勝で飾る。しかしここで、運命の女神がいたずらした

意気上がるカエオ軍の前に、西洋帆船の威容が立ちはだかったのである

88Traveler2017/10/16(月) 13:50:20.96ID:JakuaIt7
>>87続き

戦場に現れた西洋船ジャッカル号の主はイギリス人ブラウン。この時期、彼のほかにも2隻の西洋船がホノルルに寄港していた
カラニクプレはブラウン船長から武器を買い占め、かれを味方につけることに成功していた。初戦勝利の余勢をかって進撃する
カエオ軍はカラニクプレ軍の火器と西洋船の砲撃にひるみ、持久戦に持ちこまれる。そして12月12日、カラウオアの戦いで決着
はついた。カラニクプレが勝利し、誇り高きカエオ王は戦場で討ち死にしたのである

勝利の立役者となったブラウン船長は、カラニクプレの厚遇を受けた。だが1795年元旦、海岸で新年の祝いを楽しんでいたブラ
ウン一行を、突如として島民らが襲撃してきたのである。ブラウンらは殺され、かれの船ジャッカル号とその僚船は乗っ取られ
た。首謀者は、カラニクプレその人であった。
カラニクプレは生きのこった船員らを脅迫し、ハワイ島のカメハメハ急襲に協力するよう強要する。しかし夜半になると船員ら
は反乱を起こして船を奪還、王と王妃らを船室に幽閉する。夜明けになると曳航していたカヌーに彼らを乗せて、岸に戻した
その後、船員たちはハワイ島等で食料を調達して中国へと船出するが、そのおりカメハメハに会い、事の次第を告げたのである

カメハメハは、ただちに軍を動員する。かくしてここに、ハワイ史上最大の作戦が始まったのである

89Traveler2017/10/17(火) 17:37:00.45ID:d+CeQgFi
>>88続き

1795年2月、カメハメハ軍はラハイナに上陸。その大軍の威容を前に、守備隊長コアラウカネは戦わずしてオアフ島に逃亡する
カメハメハ軍は、モロカイ島南岸のカウナカカイ海岸に上陸。このとき彼のカヌー船団は、6キロにわたり海岸を覆ったという
この海岸でカメハメハは、最大の敵カラニクプレがいるオアフ島を攻略するための軍議を開く。だがその席に、広東帰りの王子
カイアナは招かれなかった。旭日昇天のカメハメハを嫉視するかれはすでに第一線からも外されており、身の危険を感じていた
オアフ進軍の途上、カイアナと弟ナヒオレアはひそかに軍列を離れ、オアフ島に上陸。ヌウアヌ渓谷でカメハメハを待ち受ける
カラニクプレの傘下にはせ参じた

カメハメハ軍はワイアラエ湾に上陸、ヌウアヌ渓谷でオアフ軍と激突する。当初は善戦したオアフ軍だったが、カイアナが砲撃
で倒されると後退を余儀なくされ、パリの断崖から突き落とされて壊滅した。カラニクプレはコオラウ山脈の中を数か月も逃亡
したが、洞窟に潜伏している所を捕まり、軍神に人身御供された。弟のコアラウカネはカウアイ島へと落ち延びた
残るはカウアイ島である。そんな折、1796年にブロートン船長のプロビデンス号がワイキキに停泊した。早速カメハメハは武器
と弾薬を所望したが、ブロートンは固辞する。かれは戦争直後の荒廃に驚き、手記を残している。さらに船長は、カウアイ島の
侵攻を断念するよう説いたが、カメハメハは「掌握できるものは全て獲得すること以外、考えない人物だ」と、評している

1796年、満を持してカメハメハはカウアイ島に出兵する。遠島への遠征ゆえ星を見ながらの伝統航法を用いるべく、夜間の出陣
であった。しかし途中で嵐に遭い、命からがらオアフ島に舞い戻る。ブロートン船長によれば出陣にあたり、カメハメハは全て
の豚を殺させたという。おそらく自分が不在のとき、反乱が起こることを危惧したのであろう

90Traveler2017/10/18(水) 12:14:50.68ID:V5i5JsK5
西欧人の平和希求は、ハワイの指導層には有難迷惑だっただろう

ハワイの統一事業が促進したのは白人の文明が流入すればこそ
「欧米の介入が強まる前に強力な統一王権を」という意識は、カメハメハほかの首長
たちも共有していただろう

91Traveler2017/10/18(水) 21:35:08.37ID:cqO8qYF7
>>89続き

期せずして起きたモラトリアムな状況の中、今度はカイアナの弟ナマケハが、ハワイ島で反乱を起こす。かつての王ケオーウアの
残党もこれに加勢する。カメハメハはハワイ島への移動のため、ブロートン船長の船を利用すべく依頼するも拒否され、やむなく
自分の水軍で渡海して反乱を鎮圧した。これが事実上、カメハメハの覇業における最後の戦闘となった。


翌1797年、カメハメハに嫡男リホリホ(カメハメハ2世)がうまれる。1801年、ハワイ島キラウエアのカウプレラ火山が大噴火。
「女神ペレの祟りだ」というので司祭は人身御供を捧げ、豚を溶岩に投げこんだが効き目は無かった。最後にカメハメハが己の
頭髪を投げこむと噴火が収まったと、伝説は語っている。翌年カメハメハは、マウイ島にハワイ初のレンガ造りの城館を建てた
このラハイナの新館で王子リホリホのお披露目も実施される。その後カメハメハはオアフ島ホノルルに動座し、賓客を引見した

92Traveler2017/10/19(木) 13:54:34.47ID:XJvlvYSZ
>>91続き。なお、その前に>91の訂正。「カウプレラ火山」は誤植。正しくは「カウプレフ火山」です

1802年。英国のターンブル船長はカウアイ島のカウムアリイ王に謁見した。ターンブルはカメハメハよりもカウムアリイ王の
方に好意を覚えた。カウムリアイは非常に聡明で英語もマスターしており、会話は楽しくて為にもなった。機知に富むと同時
に茶目っ気もあった。あるときターンブルの船で沖合に出たとき時化に遭うのだが、無事だったにもかかわらずターンブルや
おつきの従者らと口裏を合わせ、臣下の忠誠を試すいたずらをした。島に戻ったおりわざと船室に隠れて、岸で待つ臣下たち
に「カウムアリイ王は嵐で流され、あげくカメハメハの捕虜になった」と、いつわりの情報を流したのである

「正直な臣下たちは嘆き驚いた。こびへつらいではない、真摯な愛情と忠誠心の発露であった。我慢できなくなった王が臣下
の前に姿を現すと、嘆きは喜びに変わった」と、ターンブルはカウムアリイの人望ぶりに感嘆している。なおカウムアリイ王
はカメハメハ没後、その最愛の妻カアフマヌと再婚したことで有名な人物でもある

ともあれこの逸話自体、カウムアリイ王とその臣民らにおけるカメハメハの脅威を、裏付けるものではある。カウムアリイは
西洋式の船を新造し、新天地に脱出することを真剣に検討していた。ターンブルはカウムアリイの人物に傾倒し、カメハメハ
の絶大な軍事力の前でかれの勢力が風前の灯火であることを嘆いた。「野心家カメハメハが覇を唱えたのもバンクーバー提督
の助力あってこそだが、これは提督の誤りであった。しかし今となってはこれも神意のさだめ、是非も無し」と慨嘆している

その後、ターンブルはホノルルでカメハメハの居館をも訪れている。かれの宮殿は西欧式のレンガ造りで、窓にはガラス板が
はめこまれ室内にはありとらゆる欧米の調度品がそろえられていたという

93Traveler2017/10/20(金) 17:47:05.69ID:xalhCVbi
>>92続き。その前に>92の訂正。本文2行目に「カウムリアイ」とありますが、これは勿論、「カウムアリイ」が正解

1803年5月、アメリカ人クリーブランド船長が来訪。初めてハワイに馬をもたらす。クリーブランドはケアラケクア湾に
馬を初上陸させて乗馬を披露したさいの情景を、手記に残している。
「船員が馬に乗ってギャロップ(全力疾走)させると住民から歓声があがった。恐れと驚きが半々の顔で馬を見る群衆
の中に、カメハメハも居た。カメハメハは馬の有用性を理解できず『人間より早く移動できるが、餌代には値しない』
と、感じていたようだ」
そのせいか馬との交換で得られた食糧も予想外に少なく、クリーブランド船長は失望した旨を書き残している

ポリネシア文化にも、食用家畜(鶏・犬・豚)は存在した。ゆえに牛や山羊や羊は、彼らにも珍重された。だが乗用や
荷役、農耕などで畜力を利用するのはオーバー・テクノロジーであり、珍しがられこそすれ利便性は実感できなかった
ようである。ただし後にはカメハメハも馬の有用性を認めたのか、乗馬をマスターしている

ともあれカメハメハは諸島統一のため、海軍力の充実に余念がなかった。25〜50トンの西洋式軍船20隻を進水させて、
カウアイ島攻略に備えていたのである。これらの軍船のいくつかは、船底に銅板を張るという贅沢な補強がされていた

94Traveler(錦川鉄道)2017/10/20(金) 20:09:22.09ID:83hVANLM
age

95Traveler2017/10/21(土) 16:36:03.76ID:F6RQg8K/
>>93続き

1804年、カメハメハは中古の2本マスト西洋船を購入、中国との白檀交易に使う。なお、この時期にコレラが流行。カメハメハも感染したが
回復した。ただしカラニモク以外の、多くの王族が死去している。またこの年、ロシア船が2隻到来した。即ちネヴァ号とナデスダ号である
ネヴァ号のリジアンスキーはカメハメハと謁見し、さらにその後、カウアイ島でカウムアリイ王にも謁見した。リジアンスキーは「ハワイ島
で疫病が猛威を振るい、そのためカメハメハはカウアイ島への遠征を断念した」むね、報告した。カウムアリイ王はこれに大喜びしたという

ちなみにもう一方のナデスダ号には、救助された日本人漂流民が乗っていた。仙台伊達藩の水夫4人である。なお代表格の津太夫が帰国後に
口述した調書の写本が、石巻地方の郷土史料に残っている。一部を引用すると「酷暑の国で、眺めはマルケサスと変わらない。寄港の目的は
いつも同じで、とくに水の補充が一番である。上陸した太十郎によれば土着の人は自生の芋を主食とするが、耕作は知らないようだ」との由
邦人のハワイ来訪が信頼に足る文書記録で裏付けられた例としては、これが最古である。ときに1804年 5月。黒船来航の49年前のことである

1807年、カメハメハの聖なる妻にして王子リホリホ(カメハメハ2世)の実母ケオプオラニが、重病に陥る。「タブーのココヤシを食べた者
がいる」とのお告げにもとづき、三人の男がダイヤモンドヘッド付近のヘイアウで人身御供とされた(なおケオプオラニの没年は、1823年)
ともあれカメハメハは、カウアイ島のカウムアリイ王を攻めあぐねた。両者は水面下で条件をすり合わせ、白人の白檀交易者ウィンドシップ
の進言も容れて1810年、遂に和平が成立する。カウムアリイは従兄弟カマハロラニを使者に立て、カメハメハをハワイ全土の王として承認。
臣下として納税義務を負いリホリホを後継者と認める代わりに、身の安全とカウアイ終身王の地位を約束された。だがオアフ島でカメハメハ
に謁見したかれを毒殺しようとする動きが、カメハメハ麾下の首長たちの間に起きていた。このときカウムアリイ王を危急から救ったのが、
カメハメハの古株の白人側近デービスである。カウムアリイはデービスの忠言に従い、謀殺が仕組まれた宴会を欠席。ぶじカウアイ島に戻る

だがこの一件で、デービス自身が恨みを買ってしまう。かれは事件直後の1810年 4月に急死してしまうが、毒殺であるのは、ほぼ確実である

96Traveler2017/10/21(土) 20:36:00.58ID:6Kr0iZnx
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97名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2017/10/22(日) 18:10:47.21ID:q3OeWpWP
>>95続き

かくしてカメハメハの覇業は完成した。カメハメハの伝記を書いたハーバード・ゴーワンはカメハメハを「太平洋のナポレオン」と
呼んだが、その統一事業は苦難にみちたものであった。当初においては百戦錬磨のマウイ王カヘキリこそが統一戦争で頭一つ抜きん
出ており、マウイ島を攻略しようとしたカメハメハに苦杯を舐めさせたことを、忘れてはならない。一時期はカヘキリとその親族で
あるカエオが並び立ち、カメハメハに立ちふさがっていた。この三国鼎立の形勢において、カヘキリが天下統一の最右翼だったのだ

オアフ島を平らげた時点で大勢は決したとはいえ。総仕上げとなるカウアイ島の併合にしても、二度の攻撃失敗のあげく外交交渉に
よって、ようやく成り立ったことである。けわしい道のりだったというほかなく、後の日系移民にはカメハメハを曹操や徳川家康に
なぞらえて評する人もいる。ただし日系移民の仏教団体(西本願寺)が編纂した「布哇開教誌要」はもう少し冷ややかである。同書
によればカメハメハの統一もしょせん「西力東漸の時代」と評し、「故にカメハメハの統一といふと難、実は西力の統一のみ。西人
と西人の利器とが、カメハメハの名に於いて布哇八島を征服したるのみ」と、やや辛辣ながら時代背景の実相もまじえて評している

98Traveler2017/10/23(月) 17:08:20.61ID:0nL1Dbjp
>>97続き

さて。安定期のカメハメハ政権について、もう少し記述する
19世紀初頭になると、>95のネヴァ号・ナデスダ号を皮切りに、英米に後れを取ったロシア船が盛んに到来していた
その頃はすでに鉄器が社会に浸透しており、かつては何にも増して渇望されていた鉄製品の価格も、暴落していた。斧
一本で買えるのは子豚にすぎず、カメハメハは交換単位として鉄の棒を得るよう、配下に支持する。すでにハワイ住民
は西欧人から鍛冶技術を習得し、自ら必要な鉄製品を加工できるようになっていた。それに伴い鉄の棒が一種の通貨を
兼ねたといえる。だが鉄の棒も暴落の一途をたどり、代わりに機織りのない島で、染めた布地の需要が高まっていった

カメハメハ治世下のハワイに長期滞在し、当時のハワイを詳述した西欧人は何人かいる。カメハメハの側近としてその
覇業を手伝ったヤングとデービスは惜しくも記録を残さなかったが、王室の内情を細かく観察した英国人キャンベルの
記録は、白眉の文献史料とされる。1787年、グラスゴー生まれの水夫で、カムチャツカ付近で難破し漂流中、ロシア船
ネヴァ号に救われた。凍傷で両足を失ったものの明晰な頭脳の持ち主で、英語通訳として重用されたのである。1809年
ハワイ来訪。カメハメハと妻カアフマヌと一年ほど寝食を共にし、貴重な王室の内情を記録する。かれは最初、王の船
の帆の検査・修理を任されてハワイ人に惜しみなく技術を伝え、また彼らの技能を賞賛した。だがハワイに居る白人ら
は技術の独占を望んだので、彼らとは軋轢があったという。とまれキャンベルは「カアフマヌ妃の同情を受け、彼女の
家に滞在した。白人と暮らすのはハワイの貴顕のステイタスだった」と記している。彼が障碍者ゆえ許されたのだろう

99Traveler2017/10/23(月) 20:40:24.23ID:xmzaw4mM
うーん かれーうどんかな なべやきとか さむそうじゃんね そとでやrんでしょ?

100Traveler2017/10/24(火) 11:31:01.87ID:6QwHEKIH
>>99続き。その前に>99の訂正。本文4行目の「配下に支持する」は、「配下に指示する」が正しい

キャンベルはカアフマヌ女王を含めたハワイの女性たちが、タブーを密かに破って生活を楽しむ姿をこう描いている

「彼女らはしばしばタブーの期間中、夜陰に乗じて船に泳いで行く。豚やサメといった禁断のご馳走を食べる。もし見つかったら
どうなるのか、私は知らない。一度、女王が禁を侵すのを見て固く口止めされたこともある。彼女は『命懸けでもやりたいこと』
なのだと言う……首長たちは、来訪者(白人)が自分の妻たちと関係するのを『友好関係の証拠』とみなして歓迎するが、彼女ら
が配下の住民たちとも不貞を働いている点は、大いに妬んでいる。しかしカメハメハの妻たちの美徳は厳しく守られており、彼女
たち付きの召使の男女は、不貞の監視役も兼ねている。もし不貞を見つけたとき直ちに報告しなければ、その召使は死罪になる」

キャンベルはカメハメハの、伝統的な王権にもとづく呪術的権威についても書き残している。カメハメハが通りかかる時やかれに
謁見するとき、臣民は頭と肩に着けたものを脱がねばならなかった。王が足を踏み入れた家はタブー化し、以後は立入禁止となる
キャンベルがデービスに雇われて、彼の家で王の船のオールを作っていた時のこと。家の外にデービスが居るのに気づいた彼は、
「屋内に来て、仕事の進捗ぶりを確認してほしい」と頼んだ。デービスはそれを拒み、キャンベルが王権のタブーを忘れている事
と、それが恐るべき事態を招来することを強くいましめ、オールが完成するまで戸外でひたすら座って、待ち続けていたのである

またキャンベルによればカメハメハが痰壺に吐いた痰や排泄物は呪いをかけられぬよう、一つ残らず海底に沈められていたという

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